三年E組。
そう書かれたプレートが掲げられた教室の前に一向はいた。
ここがこれからの……彼らの学び舎だ。
高校生活も早いものであと一年。ついこの前入学したと思ったらもう最上級生である。
それに感銘を受けて立ち止まっている……わけではもちろんない。
「どうしたんですか、岡崎さん?」
「なんで止まってんのよ、朋也」
皐月、杏がそれぞれ扉の前で立ち止まってしまった朋也に声を掛ける。
誰もが気付いていない。そう、おそらく朋也と……勘の良い佐祐理以外は。
朋也の頬を冷や汗が伝う。
第六感が告げているのだ。ここを開けたら、確実に何かが来ると。
思案し、しかし考えは捨てた。
――大丈夫。俺には奴がいる。
そう覚悟を決めて、朋也は扉に手をかけて……勢いよく開け放った!
「ようこそ! 新しき友人諸君よ!」
「ぐぼあぁ!?」
それは……まさに一瞬の出来事だった。
扉を開け放った瞬間、高速の物体が手を広げて突っ込んできたのだ。そして朋也は最終兵器である奴――春原陽平という壁を用いてそれとの突撃を防いだわけだ。解説終了。
「ふぅ、助かった……」
「……お、岡崎。テメェ……」
「むっ。誰かと思えば春原ではないか。なんだくだらん。貴様のような下郎に私が割く労力などミクロンほどもないというのに」
「ぶつかってきたあんたが言う台詞ですかねぇ!?」
熱い抱擁をしていたその男は、その相手が陽平だと知るとまるでゴミのように脇へと放った。
「まったく……。君のために割いた私のエネルギーと空気摩擦を返したまえ。君との衝突により私の皮膚細胞は六十は死んだね。どうしてくれる」
「知ったこっちゃないうえに人をゴミみたいに投げ捨てないでもらえますかねぇ?!」
「それこそ知ったことではないよ春原。私の自己顕示欲と求愛精神と譲渡の心に対する慰謝料を要求するね。身体損害料も含め……、そうだね。私は心が広いからここは二億円ほどで我慢してやろう。さぁ、遠慮せずに払いたまえ貴様」
「譲渡の心持っててそれだけの金額ふっかけますか!? あんたそれでも生徒会長ですか!?」
「無論生徒会長だが。……あぁ、もう結構。これ以上君と話して天才たる私の言葉を無闇にこぼすこともない。さぁ、とっとと椅子に正座して生涯を悔い改めて自害すると良い」
「もういろいろとひどいっすねぇ!? 」
と、男は二人のやり取りを唖然とした表情で眺めていた(朋也と佐祐理を除く)皆に視線を向けて、コホンと咳一つ。
「失敬。では改めて……ようこ――」
「もういいっつーの!」
朋也はその顔に勢い良く鞄を投げつけたのだった。
集まれ!キー学園
四時間目
「さぁ、始業式だよ!・Ver.三年生(後編)」
このキー学園において彼の名を知らない者はいないだろう。
彼の名は老船竹丸。これでなんとこのキー学園高等部の生徒会長であったりする。
そんな彼は勢い良くぶつけられた鞄をものともせず(とはいえ顔は赤くなっている)、朋也を見る。
「おぉ、これは我が同胞岡崎ではないか。精進していたかね?」
「なんの同胞だ誰が同胞だ。お前の仲間なんて真坂だけで十分だ」
「それはなかなかひどい言い草だね、岡崎君」
その言葉は竹丸の後ろから。そこには厚い眼鏡をかけた、一人の男がいた。
真坂浩朗。それが彼の名だ。
新規中央委員会の委員長になるだろうと言われ、それだけの能力を持った男だ。なぜなら、あの竹丸の唯一無二の親友であるというだけで彼の処理能力の高さが伺えよう。
しかもこの竹丸の生徒会選挙での推薦者でもある。
「つまり犯人はお前か」
「わけのわからない言いがかりは良くないぞ、岡崎君」
朋也はこいつが推薦しなければこの男が生徒会長になることもなかっただろうと考えている。
先にも述べたとおり、浩朗の物事における処理能力は高い。そしてそういう面で培ってきた人望や信頼も多くある。
そんな浩朗が、自信を持って送り出したのが竹丸だ。
竹丸自身の人気、人望も確かにあっただろうが、浩朗の推薦のおかげで票数が三割は増えているに違いない。
ただでさえ化け物じみた能力を持つ者が多いこの学園での生徒会の倍率は高い。しかも会長となれば言わずもがな、である。
それを勝ち抜いたのも、おそらくこの二人が昔からの親友であるというその事実の表れだろう。
……まぁ、竹丸が会長になったことで結果的にキー学園は大きく変わった。
昔からの伝統を重んじる学園から、新しいものを恐れずに取り組むチャレンジャーな学園へと変貌を遂げた。
だからだろうか。そんな校風が世間に広まり、さらに変な連中が続々と入学してくることになったのは。
――主に折原とか杉並とかな。
面々の顔を思い浮かべ、重い息を吐く朋也。
まぁ、しかしそれをはるか上行く存在がここにいるわけだが。
「む? 岡崎。こちらを見つめて何用かな? ……はっ、まさか……。
そうかそうか。すまんな岡崎。君にそんな趣味があるとは知らなかった。そうか、そうだったのか。
しかし残念だが私は敢えてノーマルを通したい。故にすまんが君の欲求には答えられんのだ。
だが安心したまえ。私に君の変態的な思考を抑制するつもりは微塵もない。さぁ、その視線でこの私を――」
「それ以上言うとその公害を撒き散らす口を縫い付ける。比喩じゃない」
「はっはっはっ。浩朗、なぜか岡崎が怒っているよ。どうしたもんかね?」
「竹丸。それはしっかりお前のせいだ」
どうにも沸々と怒りが込み上げてくるのも仕方のないことなんじゃないかと朋也は考える。
うむ。悪くない。むしろここで怒らなければ人が廃る。
自己完結をし、朋也はどこからか取り出した杏ご愛用の日仏辞典を取り出して――、
「あらあら、賑やかどすなぁ」
背後から声が聞こえてきたのはそれとほぼ同時だった。
そういえば入り口から動いてなかったことにいまさら気付いたが、そんなものは後の祭りだ。
顔だけ振り向かせてみると、そこにいたのは艶やかな長い黒髪を垂らした可憐な少女だ。穏やかで洗練された物腰はお嬢様然としているが、決して嫌味なものではない。
彼女は神倉雪音。実際に立派なお嬢様である。
「あははー、おはようございます雪音さん」
「おはよう、佐祐理はん」
雪音に対し最初に挨拶をしたのは佐祐理だ。
二人は仲が良い。
二人は地元でも有名な資産家の生まれなので、いろいろな付き合いが昔から合ったらしい。つまり幼馴染のようなものなのだとか。
ちなみに朋也は雪音とあまり話しをしたことはない。まぁ、有名な存在ではあるので名前も顔も知ってはいるし、なにより佐祐理との話しで話題はよくあがる。
と、不意に視線が合った。にこりと雪音が微笑む。
……不覚にもドキッとしてしまった。
「あははー、朋也さん。いまなんか感じたのは佐祐理の気のせいでしょうか?」
「あ、それあたしも感じた。……朋也?」
「まぁ待て佐祐理、杏。いきなり不穏な空気を撒き散らしながらこっちへ迫ってくるな」
「仲、良ろしいんどすな」
微笑ましいものを見るように、目を細めて雪音。
見ていて、思う。
佐祐理も見るからにお嬢様だが、こちらも動きが完全なお嬢様だ。
とはいえ、佐祐理とは毛並みが違う。優雅は優雅だが、どちらかと言えば佐祐理は洋風な感じで・・・雪音は和風な優雅さを持っている。
どことなく新鮮な感じに思わず見とれていると、次の瞬間鈍痛が両腕を襲った。
痛みに振り向けば、右腕を佐祐理が、左腕を杏が思いっきりつねっている。しかも笑顔で。
こうなれば朋也は苦笑いを浮かべるしかない。そうでなかれば……命はないだろう。
「それじゃ、うちはこの辺で」
小さく会釈をして去っていくその姿も絵になっている。
「……岡崎。僕は間違えていたよ」
「なんだ春原。つかいつの間に復帰した」
「時代はロリコンじゃない……。時代はそう、宇宙戦艦大和さ!」
「とりあえずお前が言いたいのは大和撫子なんだろうな」
「ろ、ロリコン?! あなた、皐月を狙ってるの!?」
「真央ちゃん! 皐月幼女じゃないもん! ロリコンじゃないもん!」
「はっはっはっ、賑やかだねぇ浩朗。今年も楽しくなりそうじゃないか」
「竹丸のことだ。つまらくても無理やり面白くするんだろう?」
「当然だね」
もうなにがなんだか。
新学期初日にしてこれだけ騒がしいとなると……これからを考えると更に不安だ。
「さて、無駄話もこの辺にして席に座ろう。そろそろ先生も来るころだろうしな」
浩朗の言葉に、各々頷き自分の席へと向かっていく。
朋也もどこか疲れた表情で自分の席――廊下側の後ろから二番目へ座るのと同時、ガラリと前の扉が開いて、一人の女性が入ってきた。
制服ではなく、黒いスーツ。抱えている荷物からこのクラスの教師なのだろう。だが……、
「……綺麗だな」
それが正直な感想だった。
また遠方から殺気の篭った視線を感じた気がするが、朋也はその女性から目を離せなかった。
まるで神に綺麗な女性とは、と問いかけてみたらこんな感じになったと言わんばかりに整った顔。引き締まったボディライン。全てが黄金比率で組み上げられた精巧な人形のような鮮麗さ。
入学した頃の陽平の言葉ではないが……、どうしてこうもこの学園はこうも美女美男子が多いのだろうか。
そしてその人物は教卓に立ち、生徒たちを見渡す。
髪を結って片側に垂らしたその女性に、男子生徒の半数以上が飲み込まれている。中には女子でさえそうなっている者もいた。
そして女性は荷物を教卓の上に置き、笑みを持って、
「おはようございます」
「「「「「「おはようございますっ!!」」」」」」
「あらあら、とても元気が良いですね」
男子生徒たちの大きな返答に、その女性は片手を頬に添えるような形で微笑む。
「はじめまして。私は今日から一年間あなたたちの担任になります、水瀬秋子と言います。よろしくお願いします」
小さく礼をし、揺れる髪房。そして上げられた顔には極上の笑顔。
「「「「「「うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!」」」」」」
教室が――否、男子が揺れた(主に陽平や勝平が)。
まぁ、わからんでもない。朋也ですら見惚れてしまうくらいの容姿なのだから。
「では、これから始業式のために体育館へと移動してもらいます。確かこのクラスには生徒会長さんがいましたね?」
「私だが」
そう言って手を上げたのは竹丸だが、彼は教師に向かって敬語を使わない。
それは好きだとか嫌いだとかからの理由ではなく、どのような教師相手でも同じこと。
彼に言わせれば、教師よりも自分の方がえらいので、敬語を使う意味がないとのことだ。
……その自信はいったいどこから来るのだろうか。
しかし秋子は嫌な顔などせず、やはりにこりと、
「では、クラスのまとめ役をお願いしますね。私は一足先に体育館へ行かなければいけないので」
「任せたまえ。この私にかかればどんな問題児も恭順になるともさ」
「それは頼もしいですね」
では、と一言残して秋子は教室を去っていった。
しかし驚くべきは、
――素で返したよ。
竹丸の荒唐無稽な言葉に対し微塵も笑みを崩さず対応したあの態度。
……ただものじゃない。
「岡崎。僕はまたも間違えたよ」
「そうやってお前は唐突にやってくるんだな、春原」
「時代は大和撫子じゃない……。時代はそう、美人教師さ!」
「……まぁ、結局お前はなんでもいいんだろ」
「うぉぉぉぉぉ、萌えてきたぁぁぁぁぁ!」
「叫ぶな喚くな、そして近付くな。馬鹿が移る」
敢えて言葉に突っ込みはしない。
「ところで岡崎。始業式だけどさ、サボらない?」
「なんだ唐突に」
「いや、だってさ。どうせ老船のことだから始業式なんてすぐ終わると思うんだよ。それなら最初から行かない方が得だと思わない?」
なるほど。確かに竹丸のことだ。あーだこーだ理屈を並べて始業式を混乱と歓喜に包ませながら終わらせることだろう。
「そうだな。サボるか」
「さすがは僕の親友。話がわかるじゃないか」
「誰が親友?」
「お前が」
「誰の?」
「僕の」
朋也は無言で陽平を殴りつけた。コークスクリューのおまけつきで。
「ごふぅおえあ!!」
「すまん。なんか気色悪い幻聴を聞いた気がする」
「あんた僕を人として見てないですよねぇ!?」
「それはともかく。サボってなにをするんだ」
「うーん、そうだねー……。たまには鬼ごっことかどうよ?」
朋也は再び無言で陽平を殴りつけた。今度は振り上げから振り下ろしに加えダウン攻撃も追加した三連コンボだ。
「あれ、おっかしーな。また幻聴が……。耳鼻科行った方が良いかな?」
「……お、岡崎。お前は手加減って言葉知ってるかい……?」
「すまん。お前限定で忘れるんだその言葉」
「毎回思うんですけど、僕の扱いひどくないっすかねぇ!?」
「春原だしな」
「一言で片付けないでくださいっ!!」
くわっと見開く目とかなんとも言えず気持ち悪いのでもう一発殴っておく。
そうして落ち着いた朋也は椅子に大きく背を預けながら、考える。
まぁ……別に良いか、と。
つまらなければ途中で止めれば良い話だ。
「よーし、じゃあ俺が逃げるぞ春原。お前は10カウント聞いてから動け」
「……ぼ、僕にはその10カウントが死へのカウントダウンに聞こえるんですが……気のせいだよねぇ……ぐふっ」
まぁ、とりあえず朋也は移動していた。
別に鬼ごっこなんかに興味はないが、なににしろ陽平に負けるということだけは回避しなくてはならない。
それに一発ぶちかましたとはいえ、相手はあの春原陽平。ゴキブリ並みの生命力を誇る彼にすれば、すぐさま復活することだろう。
だからまぁ、ほどほどに動き回らなければ。
……というわけで、朋也はここに来ていた。
「いやぁ、やっぱ屋上は風が気持ち良いなー」
そう、屋上である。
馬鹿は高いところを好むというのでいずれ陽平も来るだろうとは思うが、あいつは根っからのくそ馬鹿だ。しばらくは屋上の存在にすら気付くまい。
だから少しばかりのんびりしていこう。
「うん、ホントに風が気持ち良いよねー」
「な。どうして屋上ってだけで同じ風なのに気持ち良く感じるんだろうな」
「それはきっと雰囲気とか、イメージの問題じゃないかな。それとほら、広い場所ってなんとなく精神的に清々しいし」
「なるほど。そういうことか」
「うん。きっとそういうことだよ」
ははは、と笑い……バッ勢いよく左へ振り向く。
「?」
そこにはいつの間にか……、キョトンとした表情でこちらを見る髪の長い一人の少女がいた。
「どうしたの?」
「……い、いや。いつからいた?」
「ん? えっと……『いやぁ、やっぱ屋上は風が気持ち良いなー』ってところから?」
――最初からじゃん。
まったく気付かなかった。それに最初にここに足を踏み入れたとき人がいるかどうか確認したはずだ。
そうやって驚いている朋也に少女は笑みを持って、
「あぁ、ごめんね。驚いた? ちょっと知らない人がいたからさ、気配を殺して近付いてみたんだよ」
へー、と言い、朋也は心中で呟く。
気配を殺すってこいつ何者?
「私? 私は川名みさきだよ。よろしくね?」
――いま、人の心を読みましたかこのお嬢さんは?
朋也は一度二度と頷き、深呼吸をした。
OK。落ち着け。世界は正常で、俺は普通だ。うん。
「大丈夫? 世界は正常だし、君は普通だよ、うん」
……。
「あのさ、俺もしかして心の中で思っていることを口にして喋っちゃってる、あの有名な病気に掛かってたりするか?」
「え? ううん。そんなことないよ」
「……じゃあ、なんで俺の思ってることが筒抜け?」
「まぁ、それは仕方ないね、うん。心眼だし」
ナニソレ?
「まぁ、細かいことは気にしないようにしようよ。器の小さい男の子は嫌われちゃうよ? ところで君の名前は?」
心が読まれるという事実がはたして細かいことに分類されるかのどうなのか、いやむしろ分類されないだろうよとか考えたが、
「……はぁ」
そんなものは結局放り捨てた。
世の中は不思議がいっぱいで、この学園には変なのが多い。
うん、それで全ては解決した・・・ということにしておこう。無理やり。
「俺は岡崎朋也だ。今年から三年で、クラスはE組」
「あ、そうなんだ。じゃあ、同じクラスだね」
そう言ってみさきはにこりと笑う。
……何度も思うことだが、どうしてこの学園にはこうも美人が多いのだろうか。
「え、あはは。ありがとう。……でも、ちょっと照れるね」
「は? ――あ」
そうだった。この相手にはなぜか心の中で思ったことが筒抜けなのを失念していた。
つまり朋也は会って間もない女性に『君は美人だ』と口に出して言ったのと同じことになる。
――俺の馬鹿。
とはいえ過ぎたことは仕方ない。無心で行こう。無心で。
「……」
無心。
「…………」
無心。
「………………」
無心……。
「……………………」
む……。
「ねぇ、息止めてて疲れない」
「ぶはぁー! つ、疲れたー……」
無理だ。思考があっちこっちに行く傾向のある朋也にとって無心とは自殺行為に等しいらしい。
無理はよそう。そう思った朋也であった。
「君って、面白いよね?」
「それは相手に尋ねることとして間違ってると思うぞ」
「あはは、やっぱり?」
ころころとよく笑う。
風に揺られて靡く髪とか、その陽の光に栄える笑顔とか、とても眩しいものを見ているようだ。
と、不意にみさきの顔が赤くなった。
「どうした、川名?」
「岡崎くんってさ……、けっこうはっきり思うんだね、そういうこと」
「……あ」
またやってしまった。
どうやら自分には学習能力がないらしい。気を付けよう。
話題を変える意味でも、朋也は疑問に思っていたことを口にしてみた。
「っていうか、なんで川名はこんなところにいるんだ? いまは始業式だぞ?」
「それを言うなら岡崎くんだって同じでしょ?」
「それはそうだが……。まぁ、俺はサボりだ」
「うん。私もサボり」
「……マジか?」
「うん。まぁ、老船くんのことだから始業式って言ったってすぐ終わっちゃうだろうし。なら出る意味もないかなー、って」
どうやら考えていたことは同じらしい。小さく苦笑が浮かぶ。
と、みさきは何かに気付いたように後ろを振り向き、
「あ、人が来るよ」
「え?」
「気配が近付いてくる。一人……かな?」
「……わかるのか、そういうの」
「女の子だからねー」
意味不明です。
「じゃ、とにかく俺は行くわ」
「うん、わかった。また教室でね」
手を振り、そこから離れる。
屋上の入り口は二つ。うち、みさきが向いた方じゃない方へ向かい、扉を開けた。
「ここかー!」
ほぼ同じタイミングで聞こえてくる声はみさきの振り向いたほうの扉から。
「……ホントにわかってるんだな、あいつ」
そんなみさきへの驚きを呟きつつ、朋也はその場を後にした。
「さて、今度はどこへ向かうか」
動くのが面倒くさいので、どうせなら最初から陽平が来ないであろう場所に身を隠したほうが良いだろう。
陽平が来ない場所。つまり……自分が行かないと思われている場所。とするならば――、
「ここだろうな」
躊躇なく開けた扉。そして広がる光景は……多くの本棚が並ぶ広い空間。
図書室だ。
ここは朋也も陽平も基本的に近付かない領域だ。なぜなら、必要性がないから。
まぁ、最近は朋也は時々立ち寄って入るのだが……。
「ん?」
揺らめくカーテン、窓から吹く涼しい風の中、なにか紙を捲るような音が聞こえてくる。
そうして視線をずらして、音源へと向ければ、
「……いたのか」
周囲に置かれた本。敷かれたクッション。その横にちょこんと置かれた上履き。そしてそれに座りながら本を読んでいる女の子。
その少女に近付いて、朋也は声を掛ける
「ことみ」
「……」
反応なし。
もう一度。
「ことみ」
「……」
やはり反応はない。
やれやれ、と朋也は息を吐き、その近くの椅子に座り込む。
一ノ瀬ことみ。それがいま真剣な表情で本を読んでいる彼女の名だ。
ちなみに、朋也の幼馴染である。
「ま、いつものことだけどな」
本を読むことが大好きなのは昔から。学者である両親の血をしっかりと受け継いでいるように感じる。
そうして一度本を読み出すと、もうちょっとやそっとじゃ意識は外れない。過去に何度もチャレンジしたが、成功したのは数える程度だ。
それに、と朋也は思う。
そうやって本を読んでいることみを邪魔するのも良くないか、と。
だから朋也はそうして本を読むことみの横顔を見つめていた。なにを読んでいるのかと本を覗いてみれば……、
『巷で人気の呪いベスト100選 〜これであの野郎のハートをスーパーキャッチ&ブレイク〜』
「……」
巷ってどこの巷だとか、キャッチしてブレイクするのかよとか突っ込み所満載なのだが、朋也は敢えて目を瞑り、天井を眺めた。
「見なかったことにしよう」
人間知らないほうが良いこともあると、朋也はよわい18歳で知ったのだった。
「……」
ことみはそれを真剣な表情で読みながら、時々頷いたりしている。
朋也は願った。願わずにはいられなかった。
――神様。ことみがおかしな人生を歩みませんように。
そうして数分後、ことみは読み終わったのか本を閉じると、満足そうな笑顔で一言。
「今度試してみることにするの」
「それだけはやめておけ」
「あれ、……朋也くん?」
そこで初めてこちらに気付いたことみは、……おそらくいきなり現れたように見える朋也に対し首を傾げている。
そんないつもと変わらないことみに朋也は小さく息を吐きながらも、
「ま、とりあえず……。久しぶりだな、ことみ」
「うん」
にこり、とことみは笑う。
こうしてことみと会うのは……およそ一週間と少し振りだ。つまり春休み中は一度も会えなかった。それだけ朋也は忙しかった(主に対佐祐理&杏対策に)。
「朋也くん、始業式は?」
「それはこっちの台詞だと思うんだがな?」
「受けなくても良い授業だから」
「……ことみ。それは学園に対する挑戦状か?」
「ちょっとした冗談なの」
いや、いまのは本気だと思うのだがそれは気のせいだろうか。
「でも、老船くんのことだからどうせすぐに始業式は終わると思うし」
なるほど。結局みんな考えていることは同じなわけか、と頷く。
――全然まとめられてないじゃないか、老船の奴。
まぁ、ある意味そんなところも竹丸らしいといえばらしいのだが。と、
「お」
少しずつだが、廊下の方が騒がしくなってきた。もう始業式も終わったのだろう。時計を見やる。
――まだ十分しか経ってないじゃないか。
さすがはあの生徒会長、と言うべきだろうか。そうして椅子から腰を上げる。
「始業式も終わったみたいだ。ことみ、教室に戻ろうぜ」
「うん」
ことみは頷き、辺りに撒き散らした本をテキパキと片付けていく。
この辺、いつものポケポケしたことみからはあまり想像できないのだが、これで家事も万能なのだから人は見かけによらない。
「……朋也くん、なんかいじわるなこと考えてる?」
「考えてない考えてない」
朋也は痛感した。
女ってどうしてこうも勘が良いのだろうか、と。
そんなこと考えてるうちにことみはクッションまで全てを片付け終え、朋也の横にトテトテと並ぶ。
「行こう?」
「ああ」
そうして二人して廊下に出れば、ちょうど人の波が体育館から出てきているところだった。
その流れにそのまま身を投じ、朋也たちは自分たちの教室へと向かう。
「ねぇ、朋也くん?」
「うん?」
「お勧めの呪いがあるんだけど、受けてみる気ない?」
「謹んで断らせてもらおう」
「とっても残念なの……」
教室に戻り、短いHRも終わりを告げ、晴れて自由の身となった朋也。
「さーて、部活に行くかぁ」
しかしここから明日の入学式に向けて、各部活は新入部員の勧誘準備をしなくてはいけない。
バスケ部の部長である朋也も、もちろんその支度をしなければいけないわけで。
佐祐理は委員会、杏はバイト、椋は部活でそれぞれ忙しいようだ。
そんなこんなで平和な――いやいや、和やかな雰囲気のまま席を立ち、
「あれ、なにか忘れてる気が……」
ま、いいかと部活へと向かうのだった。
一方、その忘れられた存在は……。
「ちくしょー、どこいった岡崎の奴!」
そんなことをのたまいながら、なぜか室内プールへ突入。水泳部にボコボコにのめされたとかなんとか。
ちゃんちゃん。
あとがき
はい、神無月です。
久しぶりのキー学更新です。
なんとなーくノリがいまいち? っていうか最初はキャラの紹介が先に出てしまうのは仕方のないことでしょうか。
とにかく、次回は一年生、つまり新入生の話で、朝倉純一の出番です。
とはいえ、祐一や浩平、朋也も登場する予定なのでお楽しみに(あくまで予定。ずれ込む可能性おおいにあり)。
では、また〜。