「えーと、はじめまして。今日からこの2−Aを担当することになった芳乃さくらっていいます。ってことでこれから一年よろしくね♪」
最初は……最初は静寂が教室を満たしていた。
しかし誰もが気付いている。これが……一瞬のことでしかないと。
「え」
誰かが言った。その一言が風船を突付いた針の如く、あるいは決壊寸前のダムにハンマーで一撃を喰らわすかの如く、怒号の始まりだった。
「「「「「えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!??」」」」」
集まれ!キー学園
二時間目
「さぁ、始業式だよ!・Ver.二年生(後編)」
「やかましいぞ2−A!」
初めて集まったはずのクラスの面々がこれでもかという統率力を見せた瞬間、前のドアがガラリと開いて見知った女性が文句をあびせてきた。
「あ、暦先生」
距離的に一番近い祐一にとって、その教師は懐かしい顔だった。
白河暦先生。生物の担当であり、また祐一や浩平たちの一年生の時の担任だ。
「ん? そうか、相沢はこのクラスだったか。いや、そんなことより、この騒ぎはいったい……あぁ、なるほど」
暦は祐一や他の面々の視線を追って、教卓の横に立つ少女を見つけ納得したように頷いた。
「暦先生、これってなにかの冗談じゃないんですか?」
「ああ、彼女は正真正銘本物の教師だよ。これでも大学卒業してるしいくつもの博士号を持ってる天才少女だ」
視線が集まる中、さくらは無邪気な笑顔でにゃ〜、とか笑っている。
……とてもそんな人物には見えない。
「まぁ、人は見かけによらないということだ。彼女は君らより一つ年下だがしっかりと言うこと聞けよ」
じゃ、と片手を上げ言うことは全て言ったとばかり教室を出て行く暦。
しかし暦はいま重大な爆弾を落としていった。
祐一をはじめ教室の面々の視線が再びさくらに集まる。
……年下?
いや、それも驚きだが、それよりも皆の心に去来する考えは、
……これでたった一つ違い?
「はい、先生!」
「はいは〜い、えっと……南森大介君?」
「おぉ、もう覚えているのですか、さすがは先生! 光栄ですなぁ。それはさておき先生は体育の時にブルマを穿いったぁ!?」
「すいません先生。いまのは聞き流してください」
大介の斜め後ろから強烈かつ素早いジャブが飛んできたのはおそらく誰からも見て見ぬ振りされるだろう。
……そうか。あの二人もこのクラスだったのか。
学年のエロリストこと南森大介と、学年の三大頭脳の一人美坂香里。
二人とも対極ではあるが学年では有名人だ。
……できれば関わりたくないが。
大介は自ら騒ぎに突っ込む・・・と言うより騒ぎの発端になりかねない男だし、比較的まともな香里もいつの間にか巻き込まれて本人でも気付かぬうちに騒ぎを拡大していることがある。しかも突っ込み肌だ。
まぁ、無理だろうなとは祐一も思う。
大介は浩平と仲が良いし、香里は名雪と仲が良い。
……結局平穏な生活なんて無理なのか。
いやいや、と首を振る。
諦めたら負けだ。意地でも平和を勝ち取ろう。
「さて、それじゃみんなの自己紹介をしてもらいたいところだけど……、そろそろ始業式も始まるから体育館の方に移動してもらおうかと思いまーす」
祐一が今後の方針を心の中で決意していると、さくらはそう言って前のドアを開けた。
廊下から聞こえてく喧騒から、すでに他のクラスは移動を開始し始めているのだろう。
教卓の上にプリントを置いたさくらが行く前にこれ持ってってねー、言い残し教室を去っていった。
……初めて集まったメンバーを置いといて先に行くか、普通。
整列とかこのクラスができると思ってるのか、と思案し、しかしすぐに祐一はその考えを改めた。
できる、というよりさせられるだろう。
なぜなら、このクラスには――、
「ああ、祐一。またお前と同じクラスになったな」
横から声。見上げれば、そこにはタイミング良くその人物が立っていた。
「なんだ、智代」
「同じクラスになったのに挨拶がまだだったからな。・・・なんだ、挨拶は迷惑だったか?」
いや、と頭を振り、もう一度見やる。
そうか、と言って微笑む少女、名を坂上智代。
去年同じクラスになりなぜか浩平共々意気投合。かなり仲の良い女子である。
しかし実は現生徒会副会長にして次期生徒会会長最有力候補の一人でもある。
……そんな智代がどうして俺たちなんかと一緒にいるんだろう。
祐一はともかく浩平はああいう性格だ。学校行事では敵同士に分かれる者なのに……。
しかし二人ともそれを楽しんでいるきらいもある。まぁ、ようするに面白ければ良いのだろう。
「さて、祐一。いっちょ始業式で暴れてやるか?」
噂をすればなんとやら、いつの間にか肩を組んで物騒な事を言ってくる浩平がいた。
「えっと、体育館履きはどこだったか」
「うわぉ、俺アウトオブ眼中かよ。最近俺への扱い冷たくない?」
「俺は平和を勝ち取ると決めたんだ。だからお前も俺を巻き込むな浩平」
「なーに言ってんだ。お前が平和なんつーたまか」
「いや、平和なのが何よりだ。その心意気は良いことだぞ、祐一」
「お、智代じゃん。うっす」
「……浩平。もしかしていままで私がここにいることに気付かなかったのか? まぁ、それは良いとして。
始業式は学年の始まりを意識する絶好の式だ。これからの学生生活に気合を入れるという部分でも――」
「おうよ。気合を入れて暴れてやるぜ」
ピクリと智代の眉が跳ね上がる。
「……よく言った浩平。それは私への挑戦だな?」
浩平は口の端を吊り上げ、
「おっと、そう聞こえたか? でもまぁ、俺たちの前に生徒会なんてハードルにもなんないということを証明してやるさ」
「なんだ俺たちって。俺を巻き込むな」
「そうか。だが私はたとえ浩平や祐一相手でも一切の手加減はしないぞ」
「いや、だからさも当然のように俺を組み込むな」
浩平と智代の視線が激しくぶつかり合い、火花を散らす。両者は互いに不敵な笑みを顔に貼り付けて、この状況を楽しんでいるようだ。
しかも勝手にこちらを巻き込んで、だ。
はぁ、と息を付き席を立ち上がったのと、
「まったく君たちはいつもいつも騒がしいね」
その声が聞こえてきたのはほぼ同時だった。
「坂上さんも。生徒会役員という自負があるのならもう少し交友関係というものを考えた方が良いんじゃないかい?」
嫌味くさい台詞を放ちつつ眼鏡を正す青年――久瀬隆之だ。
智代同様現生徒会副会長にして、やはり次期生徒会会長の有力候補だ。
おそらく今度の生徒会長は智代か隆之のどちらかになるだろう、と生徒間だけでなく教師間でももっぱらの噂だ。
「久瀬……。別に私が生徒会の役員であろうとなんであろうと、誰とどういう関係であろうがかまわないと思うが?」
「何を言っているのです。生徒会役員とはいわば学生のお手本となるべき者。それをこんな――」
瞬間、智代の表情が怒りに揺れた。
「こんな……なんだ?」
しかし隆之も怯まない。むしろその反応を面白がるような素振りすら見せている。
一触即発。さすがにこのままではと祐一が仲裁に入ろうとして、
「……喧嘩は、良くないです」
不意に隆之と智代の間に入り込んできた人影があった。
「……喧嘩をしては……ご飯がまずくなってしまいます」
どこか抜けたような雰囲気の少女。顔も端整でスタイルも良い。しかし祐一も浩平も知らない少女だ。そんな二人がまず思うことは、
……なんで米?
「……あ」
なにかに気付いたように声を漏らし、制服のポケットを弄る少女。そしてなにかを取り出し、それを智代と隆之にそれぞれ突きつけた。
「は……?」
「これは……」
それは紙。その中央には達筆な筆書きで三文字。
お米券。
……なんでお米券?
「……喧嘩を止めま賞。……お米券進呈……。ぱちぱちぱち……」
ぱちぱちと口発することもなかなかに不気味だが、それよりもいままでに表情が一度も変わらないとこがけっこう不気味だ。
場に流されたのか、なんとかそのお米券を受け取る隆之と智代。
そんな両者を交互に見つめ、
「……あなたたちは……宇宙を感じたことはありますか?」
「「は?」」
「……えっと、……私は遠野美凪です。今後とも……よろしく」
「って前フリとまったく関係ないじゃん! ……はっ!? この俺が突っ込みを!?」
なぜかガクンと膝をつき衝撃に打ち震える浩平。
根っからのボケ属性である浩平は、どうやら突っ込みを入れさせられると負けた気分になるらしい。
……意味はわからんが。
――と、ふと美凪と目が合った。
なにを考えているのかまったくわからない瞳は、しかしその端整な顔立ちのせいかひどく神秘的な出で立ちに見えなくもない。
「……」
「……」
「……(ずいっ)」
「……えっと」
「……(すすいっ)」
「……な、なにかな?」
なぜか無言で近付いてくる美凪。既に距離は祐一に触れんかという距離である。
すると美凪は祐一を見上げたまま、
「……あなたはお米が好きですね?」
……なぜに断定?
浮かぶのは疑問だが、しかし感じるのは触れるほどに近付いたせいで感じるふくよかな感触。
誘われているのか、とか思い、しかしこの相手はそんなことすら思考のうちにないのだろうと思いなおす。
なぜか注視するのはいけないように感じられ、祐一の視線は中空を彷徨った。
「えーと、まぁ、ほどほどには……」
「……では、これを……」
差し出されたのはお米券ではなく封筒だ。
「……これは?」
「……秘密、です」
祐一がその封筒に手を伸ばすと、美凪は小さく一礼し祐一の横を通り過ぎていった。
「いよう、色男。もう告白か?」
その後姿を追っていると、いつの間にか復活した浩平が嫌な笑みを顔に浮かべて肩を組んできた。
「いいなー、祐一は。モテモテで」
うりうりと肘で小突いてくる浩平に対し祐一が反論しようと口を開き、
「では、私は行く」
その横をスッと智代が通り越していった。
「……?」
祐一はその言葉に首をかしげた。……なぜか言葉に険がこもっている気がしたからだ。
「智代? なんか怒ってるのか?」
「怒ってる? 私が? なにに?」
振り返った顔は笑顔だ。笑顔なのだが……、
「い、いや知らないけど……」
「私は怒ってなどいない。もう始業式の時間だ。生徒会の役員として行かなければいけない。それだけだ」
最後にまたニコリと微笑み教室を出て行った。
……なんかすごく怖い笑顔のように感じたのは祐一だけではあるまい。
「……興が削がれた。僕も役員の仕事があるのでこれで失礼する。……相沢君、もてるからといってあまり無節操にならないように」
「だから違うって言ってるだろうに」
フッ、と嘲笑のような笑みをこぼして教室を去っていく隆之。
……いちいち癇に障る奴だ。
元来そういう性格らしいのだが、ああいう部分さえ失くせばもっと友人も増えるだろうに、と祐一はよく思う。
……思うだけだが。
「しっかし始業式からラブレターか。お前もやるなー」
「おい馬鹿。俺たちは初めて会ったんだぞ。そんな相手に事前に用意なくちゃいけないラブレターなんか渡せるか?」
「祐一はこの学園じゃ有名人だからね。そんなことがあっても不思議じゃないよ」
「そうだよ。祐くんは自分が思ってるよりもてるんだから」
二つの声は後ろから。
見ずともわかるが、やはり振り返って見ればそこにいるのは名雪と瑞佳。しかも、
「……あー、名雪に瑞佳? もしかしてお前たちもなんか怒ってないか?」
「「別に」」
プイッと顔を背ける二人。
……いったいなんなんだ。
「それより開けてみろよ。それでラブレターかどうかわかるってもんだ」
どう考えても自分が見たいだけだろ、と突っ込もうかと思ったがあながち間違っているわけでもない。
祐一は嘆息一つ、その封筒に手を付け――、
「……二人とも?」
「「えっ?」」
両脇にはこちらの手元を鬼の形相で見つめる二人の少女。
こちらの視線に気付くと、あはは、と苦笑気味に誤魔化すが、見る気満々のようだ。
……まぁ、いいか。
本当にラブレターならそれを第三者に見せるのは良くない。プライバシーの問題でもある。だが、誰も思っていないようだが祐一にはこれがラブレターなどではない確信があった。
だから祐一は躊躇なく封を切る。
その瞬間本人を置いてその中身に殺到する三人。そしてそこにあったものは、
「「「…………は?」」」
お札大の紙切れ。その中央に書かれているのはもちろん、
「「「お米・・・券?」」」
「だから言っただろう。ラブレターなんかじゃないって」
そう。封筒に入っていたのは先程智代と隆之に渡したのと同種のお米券。しかも束。太い。厚い。すごい量である。
祐一はその束を手に取りポンと手の平を叩いて、
「こんな分厚くて重いラブレターなんてないだろ?」
騒ぎも落ち着き、祐一たちが体育館に移動した頃には既にそこは人で埋め尽くされていた。
「まったく。お前たちのせいで危うく始業式に間に合わなくなるところだった」
時間的にはまだ始業式は始まっていないが、ほとんどの生徒はもう並び終わっている。
「「すいません」」
「まぁまぁ、そうぷりぷりすんなよ祐一。あれだ、カルシウム不足じゃないか? 始業式なんてどうせすぐ終わるんだし良いじゃないか」
「そういう問題じゃないし、そもそも前後の繋がりがないぞ。間に合わないのとすぐ終わるのはイコールで結べない」
「あー、ま、細かいことは気にすんなよ」
しゅんと項垂れる名雪と瑞佳。そして無意味に堂々としている浩平。まぁ、いくら浩平に反省を求めても無駄なことくらい祐一とて知っている。
小さく吐息を吐いて祐一たちは自分たちのクラス、2−Aの場所へと歩を進めていく。
さすがに生徒会副会長が二人もいるだけあって、整列は既になされていた。
浩平たちはともかく祐一は出席番号一番、一番先頭なのだ。遅れる、というのはとても目立つ行為である。
浩平たちと別れ、早足で先頭の方へ行ってみれば、そこには人一人分ほどのスペースがあった。
「遅いわね」
「悪い。ちょっとあってな」
スッと身を割り込ませ祐一はすぐ後ろの林檎を見た。
「そう。ま、どうでもいいけどね」
「先生はなんか言ってたか?」
「どうして祐一が遅れてるかと聞かれたけど、でも適当に言っておいたわ」
「そうか、助かる。……しかしいきなり呼び捨てか?」
「最初に呼び捨てにしたのはそっちでしょ」
「……確かにな」
「ま、なにはともかく貸し一ね」
意味深な笑みを浮かべる林檎。それに祐一は苦笑で返し、前を向いた。
教師が静かにしろ、と雑談に花を咲かせる生徒たちに注意しながら歩き回っている。そろそろ始業式の始まる時間だ。
『えー、静かに。これよりキー学園高等部、始業式を開式いたします』
決まり文句がマイクを通してスピーカーから響き渡る。だが、それでもちろん生徒たちの談話がなくなるわけもなく。
進行役の教師も数回注意したが、そこで諦めたのかプログラムを進めていくことにしたようだ。
『ではまず開式の言葉。生徒会長、老船竹丸くん』
進行役の教師の言葉により壇上に上がるは黒ぶち四角眼鏡をかけたきりっとした男だ。
つかつかと淀みない歩みで教壇の前に立つと、一礼する。
「うむ、諸君。おはよう。そして久しぶりだ」
静かな語りだしだ。しかしその声は体育館の隅まで響き渡る。
先程までどれほど言われようと落ち着かなかった生徒たちの談笑がピタリと止まっているからだ。
ある種異様な光景だ。だがそれは、皆が彼を信頼しているからこその状況だ。
「始めに諸君に問いたい。始業式とはいかなるものか、と。
しかし時間もない。答えは私が言おう。……ずばり、これからの新生活を清く正しく歩んでいこうと改めて認識するためのものだ」
竹丸は階下をスッと見渡し、
「だが、君たちはこう思っているね? 始業式なんてつまらないと。そしてかったるいと」
体育館を包むのはただ静寂のみ。その無音の中で、竹丸は一度頷くと、眼鏡を正し視線を上げた。
「……だが、君たちにはわかっているだろう。新生活を楽しく、そして清らかに生きていく方法を。
ならば確かに始業式などになんの意味もあるまい。既にわかりきったことを長々と語られてはさぞかし不愉快だろう。
だから私はいま、ここに宣言する」
皆が固唾を呑んで見守る中、竹丸はグッと強く手を握り教壇を叩いて、
「これにて始業式を閉会とする。以上!」
「「「「「いやっほ――――――っ!」」」」」
同時に猛き上がるは狂喜の叫びと拍手喝采。
「さすがは我らの生徒会長だぜ!」
「わかってるー!」
「ブラボー会長!」
皆の賛辞に対し会長は壇上ではっはっはっはっはっ、と胸を張りながら景気良く高笑いをあげている。
……やっぱり会長は会長だな。
そうして吐いた祐一の嘆息と抗議の声を上げる教師の声はほぼ同時だった。
「ろ、老船くん!」
「なにかね?」
「いくら君が生徒会長だとしても学校の行事を勝手に終わらせるなんてできるわけがないだろう!」
「無意味なものはなくても良い。学園長がいるならまた話は別だが、先代の学園長は既に引退。新しい学園長はまだ正式に赴任していないと聞く。
ならばこの始業式にさほどの存在意義はないだろう」
「始業式はそれだけじゃない。自分の学年とやるべきことを再確認し、新学期の心構えを――」
「そんなことは言われずとも私はわかっているとも。そして彼ら彼女らもだ。
そう私は信じている。なぜならここにいる皆はこの私を生徒会長に抜擢した者たちだからだ。そんな彼ら彼女らが果たして間違いを犯すだろうか?
答えは――否である!」
竹丸は音が出るかと言わんばかりに激しく首を横に振った。
「生徒を信じる事が出来ずなにが教師か! 物を教える立場であると言うならばその考えを恥と知れ!
我ら生徒は日々生を精進し常に歩を進めるもの。毎度毎度同じ口頭など述べられずとも理解しているし行動も出来る。
それを敢えて、敢えて言うなど愚の骨頂以外のなにものでもなし!」
「し、しかしだね老船くん。社会というものは本来そういうものであって……」
「皆がそうならそれを行うのが正義かね? 誰もがやってるから前倣えで進んでいけと?
あれかね? 赤信号も皆で渡れば怖くないと、阿呆な迷信を突きつけるかね先生?
そんなものを強要する社会などドブ川にでも捨ててしまえ」
「誰がそこまで言った! そういう問題ではなくてだな……」
「話を摩り替えないでいただきたいね、先生。程度の問題ではないのだよ。
先生の言う良い子とはどんな子だね? 教師の言う事を素直に聞く子かね? 頭が良い子かね?
では逆に私のように盾突く子は悪かね? 馬鹿な子は悪かね?
それは違うだろう。なぜなら私は良い子だからだ。そして私の言うことは概ね正しい。ならば間違っているのは? 先生だろう」
「屁理屈はいい加減に……!」
「屁理屈か。いい言葉だね、屁理屈。……大人が子供に言い負かされた時に呟く言葉だ。
ならば聞きたまえよ先生。
私はいまは生徒の代表、ただの一介の生徒会長にすぎない。……が、私の言葉はあなた教師よりも優先度が高い。なぜならば……」
そこで一旦言葉が止まる。溜めるように息を吸い、竹丸は豪語した。
「私は近い将来日本を……否、世界を制する男だからだ!」
「馬鹿だ! お前は正真正銘の馬鹿だよ!」
教師が突っ込んでしまった。その時点でこの空間の支配権は竹丸にあると言えるだろう。
その教師が周囲の他の教師に視線で援護を乞うが、誰も動こうとはしない。皆半ば諦め気味な表情だ。
「……とりあえず今年もあの会長に引っ張られていくわけだな」
「でしょうね」
祐一の独り言に答えたのは後ろの林檎。
林檎はどうでも良さ気に髪を手で弄りながら、
「どうせ会長の勝ちよ。だから早く解散にして欲しいわね」
祐一も同感だ。あの会長に口で勝てる相手などそうはいない。
去年なんてそのマシンガントークで学園長を粉砕、この堅い学園では不可能と言われていた後夜祭を実現させた男だ。一介の教師が適う相手ではないだろう。
そして五分後。誰もが予想していた通り勝敗は付き、始業式はものの数分で終了と相成ったのだった。
「えーと、まぁいろいろと決めたいことや言いたいこともあるけど、それはとりあえず明後日のホームルームで決めることにしましょう。
それでは皆さん、Good by!」
その後も実に速やかに事は進んでいった。
学園に来てわずかに三十分弱。こうしてあまりにも短いHRも終了。これで生徒は解放である。教師や一部生徒はこれから明日の入学式に向けての準備があるようだが。
というかここまで短いと嬉しいというより逆に学園に来た意味がわからない。早起きの時間を返せと祐一は心中で誰にともなく呟いた。
「祐一。ほうか――」
「放課後じゃないぞ。学園は終わったけどまだ昼前だ、名雪」
「あ、そっか。ついいつもの癖で」
横には既に帰り支度を済ましてえへへ、と笑う名雪。だがその後ろには見知らぬ少女がいた。
名雪は祐一の視線に気付いたのか、祐一の視界の邪魔にならないように半歩分身体をずらした。
そうして見えるは、腰まで届く黒髪の似合う可愛い、というよりは綺麗な少女だ。
「えっと、この子は葛原志乃ちゃん。わたしと同じ陸上部の子だよ」
すると少女、志乃はこちらに小さく会釈して、
「はじめまして。葛原志乃です」
「ああ。俺は――」
「相沢祐一さん、ですよね。噂はかねがね聞き及んでいます」
またか、と祐一は唸った。
林檎といいこの志乃といい、こちらが知らない相手でも向こうはこっちを知っているというのはどうにも複雑な心境だ。
「……名雪に聞いたのか?」
「それも踏まえて、ですね」
なにか含みのある言い方だ。
……いったい俺はどういう噂を流されているんだ。
「別に悪い噂じゃありませんからご心配なく。それに、こうして見た限りでも悪そうな人にも見えないし」
クスッと笑って志乃。
「……それは褒められているんだろうか?」
「褒めてますとも。なんて言ってもあなたは名雪の――」
「うわぁ、志乃!? なにを言う気なの!?」
いきなり止めに入った名雪を、しかし志乃はひらりとかわして回るように、
「名雪さん。私は先に行くわ。ストレッチもしたいし」
「え、……今日走るの? 会議だけじゃなくて?」
「そうだけど、せっかく部活に出るのなら走りたいし」
「そっか。うん、わかった」
「では、相沢さんも。また」
軽く会釈をして教室から去っていく志乃。それは快活ながらも品のある足取りだった。
「名雪とは大違いだな」
「え、なぁに?」
「いや、気にするな」
もう少し名雪も品というものを手に入れて欲しい、と祐一は切に思う。そうすれば、朝の態度ももう少し改善されるだろうに……。
「?」
祐一の視線に平和な笑顔で首を傾げる名雪。
……こいつに品を求めるのは無理か。
すでに志乃がなにかを言いそうになったことも忘れているだろう。志乃もそこら辺がわかってて話を逸らしたに違いない。
まぁ、そこで気付かない辺りが名雪のチャームポイントでもあるのは事実だ。ここは敢えて目を瞑っておくことにしよう。
「あ、そうだ。ところで祐一」
「んー?」
「祐一は明日の入学式行くんでしょ? ことりちゃんも来るし」
「あ、そうだな……」
普段なら自分の関係ない行事など出ないのだが、今年の入学式には数人顔見知りがいる。
鞄から教科書一式を全て机に入れ込みながら、どうしようかと思案する。
「うわ、祐一もう教科書持ってきてるよ。でもどうして全部入れちゃうの?」
「この方が楽だからに決まってる」
というか鞄が軽くないと朝の持久走はハードすぎる。以前に一度辞書やらなにやらが入っているときに走ったときには3時間目まで机に突っ伏す羽目になったものだ。
そして祐一は同じ鉄を踏む愚か者ではない。
家で勉強できないのがガンだが、そうそう自宅で勉強などしないし、授業さえ程々に聞いていればテストも突破できる。これが最良だ。
そして全てを入れ終え、祐一は空の鞄を持って立ち上がり、
「まぁ、行くしかないか。ことりは来いってうるさいだろうし。それに俺が行かないと杉並が後で何をするかわからん」
「何の話?」
声に振り向けば、そこには瑞佳と浩平がいた。
名雪が瑞佳に明日の入学式の話だよ、と告げると瑞佳はなにやら思い至ったのか隣の浩平の袖を引っ張り、
「浩平ももちろん行くよね?」
「はっ? なんで俺が行かなきゃいけないんだ」
「なんでって、みさおちゃん今年入学だよ?」
「…………あー」
「浩平ぇ……。もしかして忘れてたの?」
「あー、だって別に俺にはかんけいぐうぉえはっ!?」
吹っ飛んだ。
浩平の身体はくの字に曲がり壁に向って一直線。そのまま派手な音を立てて激突し、撃沈した。
手前には鞄を野球バッターの如く振り抜いた形で立つ瑞佳の姿。
「駄目だよ浩平。みさおちゃんだって浩平には来て欲しいと思ってるんだから。行くんだよ、いいね?」
「……う、……ういっす〜」
「声が小さいよ、浩平?」
「ういっさー!」
「うん。それで良し」
にこりと邪気のない笑顔で姿勢を戻す瑞佳。
祐一と名雪はただただ苦笑するしかなかった。
「あ、わたしそろそろ部活行かなきゃ」
腕時計を見つめ、呟く名雪。
「名雪も? 実はわたしも。なんか吹奏楽部で決めなきゃいけない事があるって」
「瑞佳もなんだ。なんか陸上部でも決めなきゃいけないことあるんだってー」
「お前たち、そりゃもちろん明日の新入生に向けての勧誘についてだろ」
「「あー」」
いつの間にかさもなにもなかったかのように復活している浩平の言葉に得心がいったと頷く名雪に瑞佳。
このメンバーの中でいまの現実に驚くような矮小な人間はいなかった。
「俺たち軽音楽部だって新入生勧誘のために放課後残って作戦会議さ。面倒くさいけどな」
「大変そうだな、三人とも」
「祐一は気楽だよな、帰宅部だし。……いっそ俺たちの軽音楽部入らないか?」
「あ、だったら吹奏楽部に来ない? 祐くんピアノ上手だし」
「それより陸上部に来てよー。祐一中等部のとき陸上のテストで走り高跳びトップだったでしょ?」
「いや、俺はいまの暮らしで丁度良いんだ。部活は止めとくよ」
ぶーたれる三人をなんとか部活に送り出し、祐一は息を吐いた。
見渡す教室にはもう誰もいない。辺りを包み込むのは静寂のみ。
まるでさっきまでの喧騒が嘘のようだ。
……これから毎日こんな日が続くのか。
今日は疲れた。
平穏は遠い。
……早く帰ろう。
「あ、お帰りー、祐一。ね、ね、帰ってきたんだからさっそく朝のお話の続きをしてあげるね? あのね? えっと――って無視して階段上っていかないでよぉ! スルー!? お母さんスルーされちゃうの!? そうなの!? って祐一! 少しくらい言葉を返そうとかそういう思いやりはかけらもないの!?」
階段を上りきった祐一は、そこで初めて足を止め振り返った。……うんざりしたような顔で。
「母さん。俺は母さんのボケにいちいち突っ込みを入れられるほど元気が残ってないんだよ」
なんといっても学園はそれこそ突っ込みどころ満載だ。家に帰ってまでそんなことをしていては精神力が持たない。
「ひ、ひどいわ祐一! 家族のコミュニケーションをはかろうと奮闘する母を前にしてその暴言の数々! お天道様が許してもこのお母さんが――あぁ、またスルーしようとするし!」
またも春子の話を無視して自分の部屋に行こうとする祐一。
それを見て春子はふらふらと膝を崩し、エプロンから一つのものを取り出した。
携帯電話。
開閉式のディスプレイを開け、電話帳から探し出すグループは『マイスイートダーリン』。そこにある名前はもちろんただ一つ。
それの新規メールをプッシュし、春子はしくしくと呟きながらカシカシと器用にボタンを連打していく。
「拝啓、慎也さん。お元気でしょうか。そっちはきっと今頃朝の四時くらいだと思うけどガッツで起きて愛のメールを受け取ってください。なんとうちの祐一が、……あの祐一が、……祐一がぁ!!」
「やかましぃ!」
……疲れはどこで取ればいいのだろう。
あとがき
うん、やっぱコメディって難しいね。そう痛感する、どうも神無月です。
ギャグではないので多少は楽なんですけど、やっぱ神無月は断然シリアス派だなぁ。
ま、それはさておき今回は神無月のオリキャラである現生徒会長、老船竹丸が出陣。これからもちょくちょく顔出てきます。
でも林檎ちゃんは使いやすいなぁ。祐一と出席番号近いから、席替えするまではそれなりに出番あるかも。
そして次回はもっともオリキャラの多い三年生です。基本視点はもちろん朋也で行きます。
とりあえず、お楽しみあれ。