Episode \

           【敗北の在り処】

 

「神尾機、霧島機、七瀬機、帰還します」

「なに・・・?負傷しているのか?」

「・・・どうやら、そのようです。パイロットには怪我はないようですが」

「わかった。砲座、後退してくる機体を援護しろ。敵を近づかせるな!」

「ムツキより入電。・・・どうやら向こうも広瀬機が負傷して帰還したそうです」

「・・・そうか」

 戦闘が激しくなっていく中、入ってくる情報は祐一を苦しめるものばかりだった。

 残ってる味方部隊は舞、風子、芽衣、あゆ・・・。他にはいない。十六機いたMSもわずかに四機になってしまった。

「そろそろ潮時か・・・!」

 撤退するなら今を置いて他にない。これ以上時間をかけてはさらに状況は悪化の一歩をたどってしまう。

 祐一は急いで潤に通信を繋げた。

「北川、ここは撤退した方が良い」

『俺もそう思っていたところだが・・・。どうする?』

「カンナヅキとムツキの推進力ならネオジオンのグワンバン級ぐらいなら振り切れる。カンナヅキ級の武装には機雷もあることだしな」

『だが、それだと推進剤がすぐ切れちまうが・・・。ま、この際仕方ないな。わかった』

 潤が頷き通信が切れると、祐一は声高に叫んだ。

「撤退信号を出せ!味方機の撤退を確認後、機雷を散布しつつ全速後退!」

 

 舞と佐祐理の攻防は一方的なものだった。

「せいっ!」

「あまいです!」

 近づけば舞、遠のけば佐祐理。距離を詰めては離れ、その繰り返し。お互いの得意距離では片方は攻撃が出来ないので結局そういった戦闘になってしまう。

 二人の実力も両極端ではあるものの、ほぼ同等。これではそうそう決着がつくわけもなかった。

 そして、二人の攻勢が再び逆転しようかとした瞬間、宇宙が光った。

「え・・・、撤退・・・?」

 それは連邦軍の撤退信号。それを横目で確認すると、舞は即座にブースターを逆噴射。佐祐理との距離を離す。

「逃げるんですか、舞」

「・・・祐一が呼んでるから」

 佐祐理の弾幕が舞を逃がさないとばかりに放たれるが、新型ガンダムの中でも最も小回りの効くアークレイルだ。一度逃げに徹すればそう簡単には堕とせはしない。

 佐祐理もすぐにそれを悟ると、トリガーから指を離した。あまり無駄弾を撃っては整備班にどやされる。それに・・・、

「・・・どうやら、まだ佐祐理には本気で舞を撃てないようですね」

 実感したから。

 自分はギリギリの瞬間に手を抜いてしまっていることに。

 

「なんなんですか、この子は!」

 美汐のイラついた、そして焦った口調がコクピットにこだまする。

「このままでは・・・!」

 美汐の視線の先にはこの機体のエネルギー残量が映っているが、それはすでにレッドゾーンにまで達していた。

 もともとスコーピオンは他の機体に比べてもジェネレーターの容量が少ない。これはスコーピオンに搭載されている特殊装備のせいなのだが、それを愚痴るわけにもいかない。

「余所見はいけません。余所見は嘘の始まりですよ」

「変なことわざをさもあるように言わないでください!」

 焦りからか、風子のへんてこな言葉にもついつい返してしまう。もうすでに風子のペースに飲まれてしまっているようだ。

 スコーピオンのハンドビームキャノンが唸る。だが、ろくに照準もしていない射撃が風子に当たるはずもない。難なくそれを回避した風子は、そのままロングビームライフルを発射する。

「くっ!」

 無駄にスラスターを使うわけにもいかず、これをギリギリで回避するのだが、攻撃はそこで止まない。さらに追撃が迫る。

 そのうちの一発がスコーピオンの右足を貫いた。

「くぅぅっ!」

 大きく揺れる機体の中、どうにかそれに堪えて次の攻撃に備える。

 これも美汐のイラつきの原因だった。

 機体性能はこちらの方が若干高い。だが、ことパイロットの能力としては向こうの方が多少上回る。エネルギーがつきかけていて思い通りに動かせない以上、その差は大きな差となってしまう。

 そうして美汐が歯噛みしていると、唐突になにかが破裂したような音がすると光が点った。

「え・・・?」

「これは確か撤退信号、でしたか。・・・どうやら風子たちのほうが劣性だったようですね」

 風子は美汐を一瞥し、そのまま反転、カンナヅキの方へと消えて行った。

 正直助かった。あのまま戦っていれば負けていたのはおそらく自分だろう。

 撤退していく風子を見届け、美汐は疲れたように大きく息を吐いた。

 

「きゃあ!」

 爆音と共に大きく機体が揺さぶられる。

 芽衣はどうにか体勢を立て直そうとするも、それを相手は許してはくれない。

「どうしたのです?この程度ですか?」

 さいかのキュベレイMkUが周囲にファンネルを従わせ疾走する。

 真希が下がってからというもの、芽衣はさいかに良いようにやられていた。機体能力、パイロット能力、どれをとっても勝っているものはないのだ。勝てるはずもなかった。

 それでも芽衣は下がろうとしない。彼女は一度決めたことはどうあっても貫き通すのだ。それが彼女の強さであり、彼女の弱さでもあった。

 芽衣のGDキャノンはもうボロボロだ。傍目にも堕ちるのは時間の問題だとわかる。

 そしてさいかがビームサーベルでこちらに止めを刺そうと突っ込んでくる。それを見て芽衣は駄目か、と思い―――、

 撤退信号弾が宇宙を染めた。

 そして唐突にさいかの動きが止まる。

「え・・・?」

 怪訝に思う芽衣の視線の先、さいかはファンネルを収容しビームサーベルのビームを消してそこから下がろうとしていた。

「止めを刺さないんですか!?」

 せっかく逃げられるという状況だったのに芽衣はさいかを止めてしまった。

 それが兵士としてやってはいけないことだとわかってはいたが、一人の戦士としてその行為が許せなかった。

「・・・以前、あなたの仲間に同じ状況で見逃されたことがあります。借りっ放しは嫌なので、今回はあなたを見逃しますことにしました」

「それは・・・わたしじゃありません」

「知ってます。これは自分の気持ちの問題ですから。・・・それともここで死にたいですか?」

「う・・・」

 その言葉が嘘ではないのは、言葉に込められた迫力でわかった。いまここで戦うことを望めば、数秒と持たずこの世から消えているだろう。

 しばらく無言でいた芽衣を見て、さいかは小さく笑う。

「・・・そう、それが賢明な判断です」

 そう言って離れていくさいかのキュベレイMkUを見届け、芽衣は悔しそうにコンソロールを叩きつけた。

 

 激しく衝突するあゆとシュン。

 両者の展開したファンネルが宇宙を飛び交い、それぞれを堕とさんと奔走している。

 しかし、戦況は誰から見てもあゆ劣勢だった。

 だが決してあゆが弱いわけではない。シュンが強すぎるのだ。

 射撃能力、格闘能力、反応速度、ニュータイプとしての素質。どれを取ってもシュンはあゆを凌駕する。そして機体性能もシュンのノイエジールUαの方があゆのキュベレイMkUよりも遥かに高性能ときている。それで勝てと言うほうが酷だろう。

「どうしたんだい、月宮あゆ。君の力はこの程度なのかな?」

「うぐぅ、この人強すぎるよ・・・!」

 切羽詰ったあゆの口調とは裏腹にシュンは余裕そうだ。いや、実際余裕なのだろう。おそらく本気であゆを堕とそうとしていたならもう三回はできていたはずだ。それをあえてしないのは手加減をしているのか。

 それがことさらあゆには耐えられなかった。手加減をされて生かされているというのは、戦士にとっては屈辱以外のなにものでもない。

「どうして本気で来ないの!」

「どうして、と言われてもね。僕には最初から君を殺すつもりはないし。と言うより殺せないと言った方が正しいけど」

「え?」

「ああ、いまのは軽く受け流してくれて良いよ。たいして重要なことでもないし―――おや?」

 その時、不意に宇宙が輝いた。それはカンナヅキから放たれた信号弾であり、色は知らなくても、それが撤退を示しているということは状況からなんとなくシュンにもわかった。

「どうやら終わりのようだね」

 呟き、シュンはファンネルを戻し、自身も後退しようとする。

「・・・見逃すの?」

「言ったはずだけどね、僕は君を殺すつもりはないって。ほら、さっさと逃げると良い。いまはそういう時だよ」

「・・・・・・・・・」

 釈然としないながらも、確かにいまは撤退するのがベストの判断だとあゆは考える。敵が逃がしてくれると言うなら、素直に逃げることにしよう。

 そうして去っていくあゆ。その背中を見つめながら、シュンはアルカイックな笑みを浮かべて、

「月宮あゆ。全ての根源、イブの子供。・・・最初のイリス、か。・・・君は、君が思っているほど普通の人間じゃないんだよ」

 ポツリと、そんなことを呟いた。

 

 祐一たちの撤退の動きはグワンランの艦橋でも確認していた。

「連邦軍、撤退していきます。・・・追いますか?」

 オペレーターの言葉に秋子は首を横に振る。

「あの艦に本気で逃げられたらグワンランでは追いつけません。それに祐一さんともあろう人がただで逃げるとは思えませんし」

 事実、祐一たちは撤退と共に機雷を散布しているが、それをグワンランのクルーが知るのはもう少し先の話だ。

「では、放っておくので?」

「いえ、この進路なら地球に降りるのでしょう。私たちも向かいます。あと、第三艦隊に連絡を入れておいてください」

「第三艦隊とは・・・あの地球軌道艦隊ですか?」

 秋子は頷く。

「スピードで負けるならスピードを生かせない状況に追い詰めれば良いのです」

 そう言って笑った秋子の笑顔に、そのオペレーターは背筋に悪寒が走るのを自覚した。そして同時に、この人を敵に回したくは無いと心底思った。

「啓介さんなら私の考えも汲み取ってくれるでしょう」

 

 

 

 撤退行動は滞りなく進んだ。

 妨害があるかと少しは考えていたのだが、まるでなかった。だが敵の艦長が秋子であることを思い出し、妙に納得もした。

 秋子は堅実な女性だ。先を読むのも上手く、また出し抜くのも上手い。現段階で無駄に追いかけるよりは、ちゃんとした状況で追い込むべきだと判断したのだろう。

「さすがは秋子さん・・・。ってところか」

 秋子の凄さは連邦の中でも伝え聞いていたが、まさか尊敬していた相手とこうして戦うことになろうとは。

「艦長。北川大尉より通信がきていますが?」

 きっとこれからの方針のことだろう。疲労困憊だが、そうも言っていられない。

「わかった。艦長室で受ける。みんなも交代で休憩してくれ」

 それだけを川口たちに伝え、祐一はブリッジを後にした。

 

『今回はうまく逃げ切れたが・・・。さて、どうしたもんかね』

 やれやれと両手を顔の近くまで挙げる潤。お手上げ、といったところだろうか。

 祐一も口には出さないが、ひどく同感だった。

『こっちはほとんど全滅だ。そっちは?』

「こっちも似たようなもんだ」

『途中で補給は・・・無理だな』

「このまま寄り道せず真っ直ぐ地球を目指そう。この進路だと途中でサイド4を通るな」

『ムーアか・・・。あそこはネオジオンシンパが多いからなー。下手すると攻撃されるかもしれないぞ』

「・・・とは言ってもなぁ。さっき無茶したから推進剤も危ない。遠回りなんてしたら宇宙のど真ん中で動けなくなっちまう。サイド3じゃないだけましだろ」

『サイド3はジオン共和国そのものじゃないか。しかし・・・、直進しても地球まで推進剤が持つかどうか・・・』

 二人揃ってため息を吐く。

「・・・嘆いていても仕方ない。とりあえずこのまま直進しよう。なにかあればその時々で対処すればいい」

『・・・それしかない、か。それじゃ、また後でな』

「ああ」

 片手を挙げ、潤との通信を切る。

「ふぅ・・・」

 同時、吐息一つ。指で目頭を押さえながら背もたれに身を任せた。

「・・・疲れた」

 肉体的にも精神的にも疲れた。

 秋子のこと、名雪のこと、そして敗走。

 一度にのしかかってきたそれらは、予想以上に自分の体に疲労をもたらしたようだ。

 そうしてボーっとしていると、不意に部屋のドアがノックされる。

「祐一。少しいいか?」

 声は浩平のものだ。祐一がああ、と返事をすると浩平は扉を開けて入ってくる。見れば、脇には何か書類を挟んでいた。

「それは?」

「ま、あんまり良いもんじゃねえのは確かだな」

 そうとだけ言って浩平は机の上にそれを置く。

「・・・・・・おいおい、マジかよ」

「マジだよ。紛れもない現実だ」

 それに書かれていた事実に、祐一は肩を落とした。

 中身は先の戦闘で傷付いたMS。それの修理が出来ない、というものだった。書類には明確に足りないパーツや流用出来ないパーツが書き記されている。

「ZプラスC型、BDはパーツ不十分にて修理不能・・・か。どうしても無理なのか?」

 祐一の言葉に、浩平はお手上げといったジェスチャーをしてみせる。

「無理だな。あの二機はそれぞれ特殊なパーツを使ってるんだ。だから流用も出来ない。月に戻るか地球に行かなきゃ補充は出来ない」

 祐一は大きくため息を吐くと、さらに先を読み進めていく。そしてしばらくすると再びその動きが止まった。

「・・・あゆのキュベレイMkUは修理が間に合わない・・・だと?」

「あれはもともとジオンの技術の結晶だ。どうにか肝心な部分は壊れてないから修理自体は出来るが、作りが連邦製のそれとは若干違ってな。どうにも時間がかかりそうだ」

「とすると、カンナヅキで動けるMSは・・・」

「川澄のアークレイル、風子のガーベラSF。そして出撃しなかった水瀬のジム・ストライクに誰も乗らなかったゼク・ツヴァイの四機だな。あと観鈴ちゃんのジム・クロウはどうにか修理が間に合うか、といったところだな」

 祐一はここになっていままでにないくらいの大きなため息を吐いて机に突っ伏した。

「きつそうだな」

「そりゃ・・・な」

「水瀬のとこには行ったのか?」

「いや、まだだ。けど、後で行くよ」

「そうだな。そうしてやった方が良い。間違いなく一番精神的に参ってるのは水瀬だ」

「・・・・・・ああ」

 水瀬名雪。水瀬秋子の実の娘。

 物心ついたときにはすでに父親を亡くしており、ずっと母親と二人で生きてきた少女。

 その人生の半分以上を共に生きてきた大切な人間が敵に回ったのだ。その心情たるや、自分の想像などゆうに超えるのだろう。

 そんな名雪のもとへ行って、自分はなにを言えば良いのだろう。なにかできるのだろうか。

「俺に・・・なにができるんだろうな」

 ついつい口に出してしまった本心。それを耳にし、浩平は逡巡する。

「わからん。わからんが、傍にいてやったほうが良いと、・・・俺は思うぞ」

 それは真剣に考えて口にした台詞なのだろう。下手な同情などせず、わからないことはわからないと言う。その少しわかりづらい優しさに、祐一は小さく笑みを浮かべた。

「お前ってさ、良い奴だよな」

 視線を上げた祐一の先、浩平は照れ臭そうに「そりゃどうも」とだけ言って艦長室を出て行った。

 祐一もよし、と気合を入れて椅子から立ち上がった。

 

 名雪の個室の前には先客がいた。

「七瀬・・・?」

「・・・相沢」

 留美だった。

 祐一はその隣に立つ。

「会ったのか?」

 留美は静かに首を横に振る。

「何か言ってあげたいんだけど・・・。私の出番じゃないかな、って・・・」

 俯いた留美からこぼれる言葉は、真に名雪を思ってのものだ。

 留美は頭を大きく振ると、視線を上げた。

「ここは相沢に任せる。・・・その方が良いと思う」

 笑顔だった。・・・誰にでも強がりだとわかる、歪な笑顔。

 大切な人が苦しんでいるときになにもできない歯痒さ、無力さ。留美は知りすぎるくらいに知っていた。

 わかっていても、自分ではその人の一番にはなれない。自分では駄目なのだ。他の人間でないと。

 祐一はそんな留美の思いを知っているのか、何も言わない。言わず、ただ首を縦に振った。

「名雪のこと・・・。お願いね」

 留美が廊下を蹴る。

 祐一の横を通り去っていくその背中を祐一はただじっと見送った。

 なにかの雫が、軌跡のように通路に漂っていた。

 

「名雪、いるのか?」

 ノックもしたが、返事は返ってこない。

 だが、台詞とは裏腹に祐一には部屋の中に名雪がいるのはわかっていた。祐一とてニュータイプ。慣れ親しんだいとこの感覚くらいは容易につかめる。

 再びノック。

「名雪、いるんだろ。だったら返事をしてくれ」

 しかし、やはり言葉はない。

 仕方ないか、と祐一は嘆息し、その場で声をかけることにした。

「・・・なぁ、名雪。秋子さんはな、お前の親でもあると同時に立派な軍人でもあるんだ。そんな秋子さんだからこそ、きっと連邦に愛想つかせて出て行っちまったんだろう」

 言いながら、俺は一体何を言ってるんだろう、と祐一は思った。ネオジオンに行ってしまった秋子を弁護するような物言い。名雪を落ち着かせるためとはいえ、どうにも自分の立場では言ってはいけないことを口走っている。

 祐一は回ろうとしない頭をどうにか動かして、次の言葉を紡ぐ。

「でもな、名雪。・・・俺たちは戦争をしているんだ。そして戦争をしているからには人を撃たなければいけない。そうだろ?」

「・・・・・・だから、お母さんも撃たなきゃいけないって・・・。祐一はそう言いたいの・・・?」

 そこに至り初めて名雪の反応があった。

 扉の向こうから聞こえてきた名雪の声はひどく覇気がない。それでいて底冷えさせるような冷たさも兼ね備えていた。

 祐一は一瞬息を呑み、しかし口を開く。

「戦争に正義だの悪だのなんて本当はない。そんなのは上が掲げる大義名分だけだ。俺たち前線で戦う下っ端はそんなこと考えてる暇なんてない。撃たなきゃ撃たれる。躊躇してるうちに大切な家族や友達をやられる。そういう世界だ。・・・俺たちは、人を守るために人を撃っているんだ」

「お母さんだからって躊躇ってたら、みんながやられちゃう。・・・・・・だから撃つんだって、そう言いたいんだね・・・」

 そこで言葉が切れ、次の瞬間、祐一の体は総毛立った。

「ふざけないでよ!お母さんはわたしの唯一の肉親なんだよ、撃てるわけないじゃない!わたしにとってなによりも誰よりも大切な人なんだよ!?」

 放たれる殺気、憎悪、悲しみ、苦しみ。扉越しでもありありと感じ取れる自分に向けられた負の感情。

「ずっと二人で生きてきたんだよ!?どんな日だって二人で!悲しいときも、嬉しいときも、楽しいときも!ずっと、ずっと一緒だったんだよ!?お父さんいなかったけど、それでもわたしがいままで笑って生きてこられたのはお母さんが一緒だったからなんだよ!?」

 痛い。聞いているだけで胸がズキズキと痛む。それでも聞かないわけにはいかない。

 いま自分に出来ることがこれを聞き遂げることならば、それだけは絶対にしなければいけない。

 祐一は突き刺さる激情に耐えるように、ぐっと唇を噛んだ。

「人を守るために人を撃つ!?そうだよ、それが戦争だよ!そんなことはわかってるよ!わたしがいままで何人の人を殺してきたか祐一は知ってる!?両手じゃ足りなくらいの人を殺したんだよ!この手で!それでもわたしは良かった!お母さんや、祐一や、他のみんなを守るためだったら、知らない人なんて簡単に撃てたよ!わたしは守りたいものがあったから、守りたい人がいたから、だからこの手をいくら血に染めようと平気だったんだよ!」

「名雪・・・・・・」

「だけど、わたしにお母さんは撃てない!だって一番守りたい人だもの!祐一だってそれぐらいわかってるでしょ!?わたしがどれだけお母さんのこと思ってるか知ってるくせに、どうして撃てなんて言うの!?平気で言えるの!?それは、祐一が他人だから言えることでしょう!?」

「名雪!秋子さんは俺にとっても―――」

「親戚なんてほとんど他人も同然でしょ!わたしとお母さんは親子なんだよ!?祐一だって自分の親だったら躊躇するはずだよ!違うの!?」

 言葉が詰まった。

 もしかしたら、名雪の言う通りなのかもしれない。

 親と親戚は違う。それは頭ではわかっていたことだ。自分はもう両親とも死んでしまっているからわからない。でも、・・・いや、だからこそ自分は本当の親のように秋子を慕っていた。・・・そのはずだ。

 だけど名雪とは思ってきた度合いも、年数も違う。

 ・・・けど、「他人」と呼ばれたことは正直こたえた。

 自分はあの中で・・・、秋子と名雪との生活の中で、家族だと思っていたし、思われていたつもりだった。

 激情に身を任せて言ってしまった言葉だったのかもしれない。・・・それでも、その言葉はひどく祐一の心を傷付けた。

「もう一人にしてよ!帰ってよぉ!」

 ガタン、と扉の向こうで音がした。

 おそらく何かを扉に向かって投げつけたのだろう、そんな音。

 祐一は血が出るほどに手を強く握り、なにかに耐えるようにその場を後にした。

 あとに残ったのは、通路にわずかに響く、名雪のすすり泣く声だけだった。

 

 

 

 あとがき

 ども、神無月です。

 連邦、惨敗。

 そして今回氷上が言った謎の言葉。

 あれはこの物語を成す重要な言葉です。あの言葉を中心にいままであった伏線は一本の線になっています。でもいまはまだ内緒♪

 氷上はこの物語の中心人物です。彼の言動は注意して見ててやって下さい。

 そして名雪。彼女のこれからの動向も見ててあげてくださいね。

 彼女は兵士である前に単純に母親を愛する、ただの女の子です。名雪の言っていることは、おそらく戦争という地に赴く兵士のほとんどが思うことの代弁でもあるでしょう。だからこそ、戦争は終わらないのかもしれませんね。

 さて、次回はあのアイドルが再び登場します。

 では、お楽しみにー。

 

 

 

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