Episode ]]]Y
【決戦前夜】
衝撃の事実を知らされた廃棄コロニーでの戦闘からおよそ一ヶ月の時が流れた。
その間戦闘らしい戦闘もなく、クラナドら三隻は万全の準備を整えていた。
戦闘がない、というのは・・・四、五日周期で潜伏先を変えていた、ということもあるだろう。
だが、結局潜伏先を変えていなかったとしても戦闘は起こらなかっただろう、と祐一は考える。
あの聖のことだ。おそらく一ヶ月後にネオジオンが二分するという情報をあのとき連邦にも流していただろう。
それを連邦が知れば、自分たちのような存在に戦力を割くことをせず、その機に漁夫の利を狙うため戦力を整えるに違いない。
先の見えた戦いほど準備のしやすいものはないからだ。
そういうわけで小康状態を保っていた両軍。しかし先日、いよいよネオジオン―――グレミー側が動き出した。
ネオジオンに反旗を翻したのだ。
グレミー派はアクシズを占拠、コア3に赴いていたハマーン派はそのままコア3を拠点として睨み合いを続けている。
連邦は月で開戦を今か今かと心待ちにし、エゥーゴは独自の動きで既にサイド3に入っているらしい。
いつ戦闘が始まってもおかしくない状況。
その中で、クラナド、カンナヅキ、キサラギもまたサイド3に向けて移動しているのが現状だった。
「結局、霧島聖の描いたストーリー通り・・・か」
どこまでも綿密な物語だ。
始まりからこの局面まで、全て聖の布石が恐ろしいほどに繋がり紡がれたこの戦争。
自分たちがサイド3に向かい、ネオジオンと戦うことすら聖の思惑の範疇なのだ。
それを考えると足が鈍りそうになるが、
「・・・行かなきゃ話にならないよな」
ここに来るまでに作ってしまった多くの犠牲。
その者たちのためにも、ここで止まるわけにはいかなかった。
それらの命を無駄にしないためにも。
『祐一さん。ちょっと良いですか?』
来客を告げる電子ブザーと同時、そんな声が室内に響き渡った。
その声、ここ最近でよく聞くようになったもの。聞き違えるはずもない。
倉田佐祐理だ。
「あぁ、どうぞ」
促すと、失礼しますと言って佐祐理が入室してくる。
もう随分と慣れたものだ。
ここ一ヶ月の間、佐祐理は暇を見つけては傍にいてくれた。支えてくれていたのだ。
それに助けられたところもあり、祐一はなんとか前を見つめていられる。
―――感謝、してもしきれないな。
そんなことを考えつつ、祐一は佐祐理を見上げた。
「で、何の用だ? いつネオジオン軍同士の抗争が始まるかわからないから、クラナドで待機中のはずじゃ?」
そういえば、と自分の台詞に気付いたことがあった。
いつの間にか敬語が抜けていた。特に佐祐理にやめてくれ、と言われたわけでもない筈なのだが・・・。
―――それだけ、近くにいたってことか。
「いえ、さっき折原さんからカノンの新型装備が間に合った、という連絡が届いたので舞と一緒について来たんです」
「あぁ、『アメノムラクモ』か。まさかこの短期間で完成させるとはな・・・」
浩平だって風子や幼馴染のこと、いろいろとあったはずなのだ。
なのにも関わらず、決戦までには間に合わないだろうと言われていたあの装備を完成させるとは・・・さすがと言うべきかなんというべきか。
それでもなお、皆前を向いて頑張っている。その先に救いがあると信じて。
すごいな、と素直に思う。皆、言葉では表せないような悲しみや衝撃を味わったというのに・・・。
「強いな、皆」
思わず口からこぼれた言葉に佐祐理は一瞬キョトンと、しかしすぐに柔和な笑みを浮かべて、
「そうですね。皆さん、強いです。祐一さんも含めて」
「・・・俺は違うさ。現実を直視してないだけで」
「でもそれは皆さんに迷惑を掛けないようにするため、でしょう? その重い現実を知ってなお、そうした態度が取れるのは強さです」
どうして、と思う。
どうして佐祐理はこう、落ち込みそうになる心を救い上げてくれるのだろう。
その言葉が飾りではなく、本当に心の底から思っての言葉であると通じる。
それは二人がニュータイプだからなのか。それともなにか他の理由があるのか。それはわからない。わからないけれど、
「ありがとう」
救いであることに変わりはなかった。
そんな祐一を見て、佐祐理は無造作に歩を進めると、祐一の座るデスクのすぐ前に立った。
どうしたことかと見上げる祐一を他所に、佐祐理はいきなり放り出された祐一の手を自らの手で包み込んだ。
「佐祐理・・・?」
「祐一さん。舞に会ってください」
思わず心臓が跳ねた。
・・・舞。
あれから互いに忙しい、ということを理由にろくに顔すら合わせていなかった。
正直、会うのが怖い。会ったとして、どう言葉を掛けて良いかわからない。どう接して良いかわからない。
兄妹。
その事実を叩きつけられて、いったいどういう顔で向き合えば良いのだろう?
いままで通り? それとも兄妹として?
その迷いが、いままでその足を止めていた。
だが、佐祐理はそこから祐一を引っ張り上げ、背中を押そうとしている。
「グレミー派が反旗を翻した以上、ネオジオン同士の睨み合いがいつまで続くとも限りません。
もしかしらたいますぐ両軍の戦闘が始まるかもしれない。そうなれば連邦も動き出し・・・そして佐祐理たちも動くことになります。
・・・舞とゆっくりお話できる時間、いましかないかもしれませんよ?」
それは言外に、次の戦闘で死ぬかもしれない、というニュアンスが込められていた。
それはそうだろう。戦場に立つ以上いつだって戦死の危険性は隣にあるし、加えて今度の戦いは歴史の中でも有数の大規模戦闘になるだろう。
戦死の危険性だっていままでの比ではない。
だからこそ、佐祐理は嫌なのだろう。
大好きな祐一と舞が、互いにこのままという状況が。そしてもしそこでどちらか、あるいは両方が死んでしまえば・・・もうそれで終わりなのだ。
「祐一さんと舞は、兄妹である以前に祐一さんであり舞なんです。それだけは事実です。
だからどうか、お話してあげてください。舞だって、本当は寂しいんです。祐一さんだって・・・このままじゃ嫌でしょう?」
真摯な佐祐理の目。
自分たちのためにここまで考え、真剣に悩んでくれるその姿はまさしく“親友”と呼べる姿であり、
「・・・あぁ、そうだな」
迷っている足を前に進めさせてくれるだけの力があった。
祐一の返事を聞き佐祐理は破顔して、
「はい! お願いします!」
その笑顔が、とても頼もしかった。
浩平はカノンを見上げていた。
いまその背中に取り付けられている武装がある。
「あれが・・・新型装備?」
隣でやはり同じ物を見上げていた舞の言葉に、浩平は頷く。
それは『アメノムラクモ』。浩平とことみが共同設計し、製作した対艦、対大型MA用の巨大剣だ。
基本的にそのままでも使用可能だが、刃部分にはビームの展開が可能で、それにより剣はさらに巨大になる。
あまりに高出力なため、エネルギー供給はカノンと直結になるのが欠点と言えば欠点だろう。
だが、それを補って余りあるほどのパワーがそれにはある。アークレイルにある超大型大出力ビームブレードよりも遥かに高いパワーだ。
・・・しかし、
「結局、俺たちも力に頼るしかないんだな」
平和な世界を望む、と言いながらもこうして新たな力を望む。
この矛盾は、仕方ないと一言で割り切れるものではない。戦いを止めるための戦いとはいえ、剣を持つことに変わりはないのだから。
―――そうして戦って、七瀬は死んだ。
それは結果論に過ぎないことだとは理解している。
留美には留美なりの信念があり、皆の思いに共感したからこそ、ここに乗っていたはずなのだ。
それはわかっている。だからこそ戦いを止めようとしているのだ。もう誰も失わないためにも。だが、しかし・・・という思いが消えてくれない。
そんな中で、不意に舞が口を開いた。
「・・・確かに、私たちは力に頼らなくちゃいけない。それは、きっととっても悲しいこと」
だけど、と続き、
「・・・行き過ぎてしまった力は言葉じゃ止まらない。ただ綺麗なことを望んで語るだけなら大事な者も守れない。
だから力を使って、その力を砕かないといけない。そうしなきゃ、きっと戦いは終わらない。
それに・・・私たちは私たち以上の思いを背負ってる」
「俺たち以上の・・・思い?」
「ここに来るまでに死んでしまった人たちの分と、私たちが殺してしまった人たちの分。いま、私たちはそれら全てを背負ってる」
「死んだ人たちの分・・・」
身近な者を亡くした浩平には、重く圧し掛かる言葉だ。
それに、舞の言葉が上辺だけのものではないことは知っている。
舞だって、春原芽衣という仲の良い者を亡くしている。しかし、それであってなおのその発言。
その重みは・・・確かなものだ。
「だから、頑張ろう。・・・私たちの進む先に光があると、そう信じて」
「・・・だな」
きっといまうだうだ考えていても仕方ない。
平和を望み、散っていった公子たちや留美のためにも、生き残った自分たちがその意思を引き継いで前に進むだけだ。
考えるのは、その未来のワンステップを刻んでからでも遅くは無いだろう。
「・・・それじゃあ、私は行く」
「クラナドに戻るのか?」
「・・・うん」
一瞬の迷いの後の肯定。
それが祐一のことだと、浩平はすぐに悟った。
だから、浩平は軽く舞の肩を叩き、
「そう、あまり深く考えるな。物事はそれほど難しいことじゃない」
「・・・そうかな」
「そうさ」
「じゃあ・・・一つ質問する」
やや不安げな視線が向けられる。一度二度と視線が泳ぎ、そして決心が着いたのがおずおずといった調子で口を開き、
「・・・折原は、風子が妹そのものだと聞いて・・・どう思った?」
納得した。
舞は、祐一がこれからどういう視点で自分を見るのか、それが怖いのだ。
浩平と風子の関係は、祐一と舞の関係に似ている。きっとそのポジションを置き換えて、いまそういうことを訊いているのだろう。
自分もそれでこの一ヶ月悩んでいたのだ。わからないはずがない。
しかし、どれだけ考えたところで結局行き着く結論は同じだった。
だから浩平は小さく笑みを浮かべ、その答えを述べることにする。
「いろいろ考えたけどさ・・・結局なにも変わらなかったよ」
「・・・え?」
「いくら身体がみさおのものだっていっても、結局風子は風子ってことさ。みさおじゃない。
風子は風子。みさおはみさお。結局そういうことなんだよ。妹だとかなんだとか、そういうことは関係ない。
風子は俺にとって大切な存在。必要なのはその部分だけなのさ」
「・・・必要なのは、そこだけ?」
「そうだ。考えてもみろ? 祐一がお前の血の繋がった兄であると知ってお前、祐一を想う気持ちが何か変わったりしたか?」
「それは―――」
「ないだろう? 悩んでいるのは関係が変わり、その想いをそのままにしていて良いのかわからない、そういうことなんだろう?」
「・・・うん」
「なら悩むだけ無駄だ。関係が変わったくらいじゃ人の想いは変わらない。特に、その気持ちが深いものであるのなら、あるだけな」
浩平はそこで一旦言葉を切り、舞から視線を外す。
そうして虚空を眺め、しばし昔の出来事に思いを馳せた。
自分がいて、みさおがいて、瑞佳がいて。ただ仲良く遊んでいたあの子供の頃の日々。
そのみさおの身体が、いまは風子のものになっていたのだとしても・・・、
「みさおにはみさおへの想いがあるし、風子には風子の想いがある。それは結局同じじゃないし、別のものだ。
だからそれはそれ、これはこれとして俺の想いは変わらない。・・・人間なんて、そんなもんなんじゃないのかな」
「折原・・・」
「だから話、してこいよ。いま話していかなけりゃ、後で後悔することになるかもしれないぞ? それは・・・嫌じゃないか?」
静かに問えば、舞は数秒悩んだあと、
「・・・嫌」
「なら行けよ。後悔をしないためにも」
うん、と今度は淀みなく告げ、舞は踵を返した。
が、少し進んだところで歩が止まる。怪訝にその背中を眺めていると、肩越しに顔だけを振り向かせて、
「ありがとう。そっちも頑張って」
そう言い残し舞は床を蹴って奥の通路へと進んでいった。
だが、
「頑張って・・・?」
その謎の言葉に首を傾げるのとほぼ同時、不意に袖を引っ張られるような感覚。
もしや、と思い振り返れば・・・そこには上目遣いにこちらの袖を引っ張る風子と、やや距離を置いて笑みを浮かべている栞がいた。
うぁ、と思わず呻いてしまう。
「・・・川澄も人が悪いな。あいつ、わかってて言わせやがったな?」
「あの・・・」
はめられた、と思うと同時、風子の声が耳に届く。
いつもの無駄に元気な言葉ではなく、不安で不安で仕方ないといったその声。
だから浩平は次の風子の言葉を待った。いまは自分が何かを言う場面ではなく、風子の言葉を聞くときだと思ったからだ。
「さっきの言葉・・・本当、ですか?」
「ん?」
「風子が風子だということです」
「当然だろ」
言い切った。
「お前は伊吹風子。伊吹公子という偉大な姉を持ち、元気で、少し馬鹿で、止まることを知らず動き回る、でも優しい・・・伊吹風子だ」
「―――あ」
風子の瞳が潤んだ。
しかし浩平はそれを見届けることなく、その身体を胸に沈み込こませた。
無言で抱く。
その気遣いを知ってか知らずか、風子もまた声を押し殺して泣き始めた。
その頭をゆっくりと撫でながら、浩平は思う。
―――これで良いんだよな、みさお。
だから、いまだけは許してもらおう。
妹の名残を想い、その頭を撫でさせてもらうことを。
「良かったですね」
少し離れて場所に立っていた栞がそう笑う。浩平もそれに笑みを返し、
「お前にも世話になったな。いろいろと」
「いえ。好きでしていたことですから」
栞がトンと床を蹴ってこっちにやって来る。胸の中で泣いている風子の肩に優しく触れ、そしてこちらを見上げ、
「生き残りましょうね、絶対。そして瑞佳さんを助けて・・・四人で生きていきましょう?」
「あぁ、そうだな」
そう答えながら浩平は心に誓った。
今度こそ、この二人を守ろう。そして、瑞佳を絶対に救い出す―――と。
神尾晴子はあてがわれた自室にいた。
ベッドに腰を下ろし、サイドテーブルには酒が置かれている。
「いよいよらしいわ」
酒をコップに注ぎながら、晴子は誰にともなく語る。・・・いや、違う。
晴子の視線の先には、デスクの上に置かれた写真があった。
女性が二人映っている写真。気の強そうな女性が、品の良さそうな女性の肩を組んでいる光景。
気の強そうな女性は豪快な笑みを浮かべピースサインをし、品の良さそうな女性は苦笑しつつも同じくピースサインを向けていた。
その二人の女性は・・・晴子本人と、そしていまは亡き伊吹公子だった。
「いずれネオジオンが動き出す。そこにうちらも行くことになっとるんやけど・・・その先に、あんたの望んだ世界はあるんかなぁ?」
いつになく弱気や、と呟き再び酒を呷る。
酒を飲んでいるせいかもしれない。感傷に浸っていることもあるだろう。けれど、
「・・・どういう結果になるにしろ、公子には隣にいてほしかったんやけどなぁ・・・」
世界で唯一、親友と呼べた存在。
時に頼られ、時に頼り、昔からそうして生きてきた。
公子はしっかり者だったが、どこか天然っぽいところがあったので、その突っ込みをよくしていた。
穏やかに笑う公子、頬を膨らませ怒る公子、目を伏せ悲しむ公子。
そんな表情が浮かんでは消えていく。
「・・・あかん。飲みすぎたかな」
とか言いつつ腕は勝手にコップを口へ傾ける。
感情がどうにもマイナス方向に向かいがちだ。こういうときは誰かと一緒にいたり話をしたりするのが一番の気の紛らわし方なのだが・・・。
そう思った、まさにその瞬間だった。
「?」
部屋に来室を告げる電子音が鳴り響いた。誰かが来たらしい。
ちょうど良い。誰でもいいから話し相手が欲しかったのだ。
「いるでー。入ってきー」
故に晴子は相手が誰かを確認すらせず、その来訪者を部屋に招いた。
開かれるドア。そこに立っていた少女を見て―――晴子の表情が変わった。
無理も無いだろう。なにせそこにいたのは・・・神尾観鈴、自分の娘なのだから。
「観鈴・・・」
「にはは・・・。ちょっと、お話しに来たんだ。いま・・・平気?」
「あ、あぁ・・・。平気や」
一気に酔いが醒めてしまった気がする。
いきなりの来訪に虚を突かれはしたが・・・しかしいつかは来るだろうとは思っていたのだ。
・・・イブキ崩壊時に合流した観鈴。
軍に所属していた、ということは他のメンバーから聞いてはいた。
しかしイブキ崩壊からいままでずっと目が回るくらいの忙しさだったのだ。娘がいると知っていながら、会えないほどの。
―――いや、ちゃうな。
会えなかったんじゃない。観鈴が会おうとしなかったのだ。
自惚れているわけではないが、別に嫌われているわけではない。
おそらく観鈴は・・・勝手に軍に入ったことに罪悪感を感じているのだろう。
自分がまだ観鈴が小さな頃から『絶対にMSパイロットにだけはなるな』と、そう言っていたから。
でも、それでも観鈴はここに来た。いままで避けていたにもかかわらず、会いに来た。
気付いているのだ。ここを逃したらもう二度と話をすることができなくなるかもしれないと・・・。
「なにしてん、観鈴。そないなとこにボーっと突っ立ってからに。こっち来ぃや」
「あ、うん・・・」
「隣座りや。ゆっくり話そ」
言われたとおり観鈴が晴子の隣に座り込む。
反動で揺れるベッドに、二人分の重みという懐かしさを感じ、晴子はコップに酒を注いだ。
「で、話ってなんや?」
「・・・ね、お母さん。お母さんは・・・わたしがパイロットになったこと、怒らないの?」
あぁ、やっぱりそれか、と晴子は思わず苦笑した。
「なんで怒る必要があるんや?」
「だってお母さん。昔からMSのパイロットにはなるなって―――」
「あぁ、言ったなぁ。けどな、観鈴。それはちゃうで」
「え・・・?」
酒をコップギリギリにまで注いだ晴子は、こぼれないようにと一口分飲み、小さく嘆息一つ。
「観鈴。それはな、親の願望いうやつや。決して強制やない。わかるか?」
「えと・・・」
「誰かて親なら自分の子供を大事に思うもんや。それを、一番死んでまう可能性の高いMSパイロットになって欲しい、なんて思うか? 思わんて」
自分がMSの雇われパイロットという職業をしていたからこそ、強くそう思った。
戦場に立てば、それだけで数十、数百、数千といった人間の命が簡単に消えていくのだ。
仲間の命も、敵の命も。
晴子が雇われパイロットなんかをしている理由は簡単だ。
そうして仲間の命などを背負いたくないから。
雇われのパイロットなら、仲間なんて言葉だけでのものであり会話したことすらない人間たちだ。そんな連中が死んだところでなんとも思わない。
・・・いや、思わないようにしていた。知人ではなく、知りもしない他人ならまだ、という程度にすぎなかったが・・・。
「・・・けどな」
小さくコップを呷る。酔えない酒ほど不味いものはないな、と思いつつ、
「MSパイロットになりたいと、そう観鈴が自分で選んだ結果やろ? これは」
「・・・うん」
「パイロットになったのも、軍人になったのも、そしてここに来たのも。誰かに強制されたわけでなく、観鈴がしたい思てしたことなんやろ?」
「うん」
「なら、うちは言うことなーんもあらへん。それは観鈴の選んだ道や。親やいうたかて、子供の道を勝手に折るほどの権利はないやろ」
「お母さん・・・」
「・・・大事、なんやろ? 仲間が」
問えば、観鈴は大きく頷いた。その思いに答えるように、強く。
「うん。大事。死なせたくないよ、皆。そして・・・お母さんも。だからわたしはここにいる」
そか、と呟いてコップの中身を一気に飲み干した。
酔えない酒はまずい。だけど、
―――子供の成長を見届けて飲む酒いうのも・・・乙なもんやね。
肩を抱き、無言でこちらに傾ける。
観鈴は一瞬驚きながらもすぐに表情を笑顔に染め、晴子の肩に身を預けた。
展望ブリッジは静かだった。
無理も無いか、と佳乃は思う。皆は皆、近付いてきている戦いのために頑張っているのだから。
「あたしは、駄目なのかな」
こんなところでただボーっとしている自分。やれることなど、それこそ探せば山のようにあるはずなのに。
それでも、あの一ヶ月前の戦いが終わってからしばらくは、延々と仕事を探してはこなしていた。
・・・いや、それは単純に、なにかをしていれば全てを忘れられるという、一種の現実逃避だったが。
しかし、それもグレミー派が反旗を翻し、徐々に大規模な戦闘の雰囲気が近付いてくるに釣れ、減っていった。
なぜなら、それこそ現実を突きつけられることだから。
姉・・・いや、妹である霧島聖の望んだ戦争の具現だから。
「こんなところにいたのか」
「・・・往人くん?」
いよっ、と手を上げながら通路の向こうからやってくるのはパイロットスーツを着た往人だ。
往人はそのまま備え付けの機械から飲み物を取り出すと、佳乃の横に乱暴に座り込んだ。
「ふぅ、落ち着くな」
「パイロットスーツってことは・・・MSの演習?」
「あぁ、付き合わせてもらった。しかし乗るたびに思うが・・・すごいな、イブキ製のリアンダー・ゼオンっつーのは」
「往人くん、リアンダー・ゼオン乗るんだ?」
「ま、な。俺くらいの技量があればそっちの方が良いって、折原が言うからな」
「・・・そっか。往人くんも戦うんだね」
MSの練習をすること。それを考えて、佳乃は思わず俯いてしまう。
戦う、という現実を直視させられたようで・・・辛い。
そんな佳乃を横目で見ていた往人は、コップを傾かせつつ、
「なぁ、佳乃。お前は戦いたくないのか?」
「え・・・?」
「お前、辛そうな顔してるぞ」
「・・・そんなに、わかるもの?」
「ま、これでわからなかったら相当の鈍感だな」
そっか、と力なく苦笑する。
その辺りからして辛いのが見え見えだということを、当の本人は理解してなかった。
「・・・聖と戦うのが嫌か」
そう問うた往人に対し、しかし佳乃はすぐに首を横に振った。
意外な回答に少し驚いた表情を浮かべる往人。彼からすればそんな風になる理由はそこしか考えられなかったのだから、当然だろう。
「完全に無い、ってわけじゃないんだけどね。でも・・・それよりもきついことがあるよ」
「・・・俺なんかで良ければ聞いてやるぞ」
「・・・うん、ありがと。あのね・・・」
そこで一旦言葉が切れてしまう。
しかし往人は先を促したりはしなかった。ただ手に持つ飲み物を喉に流しながら、無言でその先を待っていた。
そうして、一分ほど経っただろうか。佳乃は顔を上げ、とつとつと口を開き始める。
「・・・祐一くんたちや、往人くんから聞いた話を聞いてね、あたし思ったんだ。お姉ちゃん、可哀相だな、って」
「可哀相・・・?」
「うん、あのときの遠野さんの言葉じゃないけどさ・・・お姉ちゃん、きっとすっごく辛かったと思うんだ。あたしなんかじゃ予想しかできないけど・・・。
勝手に作られて、なのに勝手に捨てられて・・・。そんなの作った側の勝手だよね。ひどいよ。
でも、そのひどいことをしたのはお父さんとお母さんで・・・。そしてその恨みを世界にぶつけようとしてるのがお姉ちゃん・・・」
あはは、と佳乃は笑う。それはいつもの佳乃らしい笑みとは随分と離れた・・・苦笑。
「皮肉って言うかなんていうか・・・。結局、こうして戦争を作るきっかけになったのがあたしの身内で、でもその技術であたしもここにいるわけで・・・。
なんだろうな、って思っちゃうんだよ。その悩みが・・・あたしは晴れない」
記憶には無いが、自分はずっと昔に一度死んでいるらしい。
昔のこと過ぎて記憶が無いのか、それとも故意に記憶を消されたのか。それはわからない。
だが、聖を退けイヴの完成体となった舞の細胞を使用し、蘇生されたということは紛れも無い事実だ。
聖に『役立たず』の烙印を押した舞の細胞に佳乃が救われるという、それもまた皮肉。
戦争によって培われた技術で姉は生まれ、自分は生き返った。どちらもその技術が無ければこの世界に存在せず、そして、
「この戦いも起こらなかったかもしれな―――いたっ!?」
いきなり後頭部に衝撃。
頭を抱えて振り返れば、無言のままに頭を平手打ちした往人の手が見えた。
その手と、その向こうに見せる往人を半目で睨みつけ、
「な、なにするんだよー!」
「お前、いらないとこまで考えすぎ」
「そ、それってどういう―――」
「いまさら過去のことなんか考えたって仕方ないってことだよ。過去に『もしも』なんてありゃしないんだ。
お前の両親がそういう研究に携わっていたのも事実、聖が生み出されたことも事実、お前が生き返ったのも事実。だがどれも既に過ぎたことだ。
お前が自分で決めたりした部分はどこにもない。お前が悩む隙なんてどこにもないだろう?」
「で、でも・・・」
「お前に限らずこの艦にいる奴は真面目な奴が多すぎる。そんなに過去を重く受け止める必要がどこにある?
今更終わっちまったことをグダグダ言ってたって仕方ないだろう。過去を悔やむくらいならその思いを未来に向けろってことだ。
だから重要なのは・・・佳乃、お前がこれから一体どうしたくて、そしてそれをこなすに当たってなにをすべきか、だ」
「あたしが・・・これからしたいこと」
言われ、考える。
これから自分がしたいこととは何か。
・・・だが、そんなこと一つしか思い浮かばなかった。だから口を開き、
「止めたい」
力を込める意味で、もう一度言い切る。
「止めたいよ、お姉ちゃんを」
聖は、扱いの違いで自分を恨んでも良かったはずだ。
しかし、佳乃の記憶の中では聖は優しい姉だった。困ったときには助けれくれたし、嬉しいときには共に笑ってくれた。
あの全てが、嘘だとは思いたくない。
あの行動は、行動だけは、きっと聖の本心だったはずだ。
ならば。
ならば聖の行動を抑えられる可能性があるのは自分だけなのだから、
「お姉ちゃんを、止める。そのためにあたしは・・・戦わなくちゃ」
それを黙って聞いていた往人はおもむろに立ち上がり、手にしたコップをゴミ箱へと投げ捨てると、
「そこまでわかってるんなら十分だろ。下を向かず上を向いて突っ走れ。・・・自分でできると思うことをしろ」
言い聞かせるような、そんな優しくも不恰好な言葉を残し往人は展望ブリッジを後にしようとする。
―――往人くんらしいなぁ。
その物言いや、その奥の気持ちを汲み取り、・・・佳乃はその名を呼んだ。
「往人くん!」
往人の歩が止まる。その背中に対し佳乃は万感の想いを込めて、こう言い放った。
「ありがとう!」
往人はただ軽く手を振ってその場を後にした。
キサラギの艦橋。いまそこに朋也はいた。
小隊を組んでいるなつきも随伴し、現在ネオジオン側の情報をことみと共に聞いているところだ。
「ハマーン派、グレミー派、どっちも動きが落ち着いてきたな」
「うん。この調子なら多分、五日以内には戦闘が開始されると思うの」
情報に寄れば、物資の搬入などの動きが徐々に少なくなってきているらしい。それはつまりどちらもそろそろ準備が整ってきている、ということ。
どちらも元は同じ軍の者。実力が拮抗しているのは理解しているだろう。
物資に余念は無いはずだ。即ち、それが途切れたときこそ開戦の前兆ということになる。
「連邦はどうなってるんだ?」
「未だ月基地。サイド3の宙域に入る気はなさそうなの」
「遠巻きに静観してる、ってところか。・・・まぁ、漁夫の利を狙うってんならそうなるだろうな」
モニターに映し出されるマップ。サイド3のすぐ近くである月から連邦が動き出す様子は見受けられない。
あくまでネオジオン同士が疲弊したら打って出る、ということなのだろう。
まぁ、これまでの連邦の動きを鑑みれば、別段おかしくも感じないわけだが・・・。
「・・・とにかく、全ての決着が着くまでもうすぐ、ってことですよね」
「そうなるな。ことみ、こっちの状態はどうなんだ?」
なつきの言葉に頷きつつ朋也はことみを見やる。ことみは片手でコンソロールを動かしながら、
「うん。カンナヅキ、キサラギ、クラナド、各艦およびそれらに所属する全MSの修理、補給は完璧なの」
「すごいな。一ヶ月ほとんど戦闘が無かったとはいえ、十分な施設があるわけでもないのに」
「それだけ皆が頑張った、ということなの」
「・・・そうだな」
メカニックなんかは戦闘が始まってからは基本的には何も出来ないのだ。そのために、こうした事前の準備こそが彼らの戦いとなる。
朋也も元々メカニック志願であったため、その辺のことは十分に理解しているし、その気持ちも受け取っているつもりだ。
ならばいまは自分のできうることをすべきだろう。
「よし、じゃあ俺はなつきと一緒にMS訓練に出る。春原がいなくなっちまって二機連携になっちまったからな。いまのうちに慣れておかないとか」
知るべきことは知った、とブリッジを去ろうとする朋也。しかし、その腕を掴み止める者がいた。それは、
「・・・ことみ?」
「朋也くん。・・・大丈夫?」
不意な言葉だった。思わず表情を固める朋也だったが、それも一瞬。すぐに笑みを浮かべ、
「大丈夫ってなにがだよ。俺はこうしてピンピンしてるさ」
しかしことみはその腕を離さない。その瞳に不安を色濃く浮かべたまま、朋也を見上げる。
「朋也くんは、昔から・・・こっちに心配させないように振舞うから・・・だから逆に心配になるの」
ギュッと強く握られる袖。その強さから溢れる想いを感じ、朋也は小さく息を吐いた。
そうして改めて向き直り、その頭に手を置く。
「心配しなくて良い。ことみ、俺なら大丈夫だ」
「でも・・・」
「言っておくけど、軍人としての経歴なら俺の方が上なんだぜ? ・・・いままで戦いの中で仲間が死んでいくことなんてそれこそたくさんあった。
ただそれが・・・ほんの少し身近な人間だった。それだけのことだろう?」
それだけ、なんてことはない。
仲間とはいえ、あまり顔も知らない者と身近な者とでは圧し掛かる死の重みは数倍、いや、数百倍も違う。
けれど朋也は敢えてそういう言葉を使った。
「戦場は戦場。身近な人間だからって死なない、なんてことはない。そしてそれがいま起きてしまった、そういうことだろう?
・・・俺はその犠牲を悲しまない。悲しんじゃいけないんだ。
悲しんで、嘆いて、自分の殻に閉じこもるようなことになったら・・・、それこそ死んでいった奴らに顔向けできやしない」
祐介、芽衣、陽平。
そういった者たちの死を無駄にしないためにも、悲しんでいる余裕など無い。
「俺は進む。前へ、前へだ。そいつらに今度会うときにどうだ、って胸を張れるような未来を作り出すために、だ。
・・・それに、俺だけじゃない。相沢も、栞も、他の連中や・・・それにことみ、お前だって、皆そうだろう? そのためにここにいるんだろう?」
ポンポン、と二度頭を軽く撫で付ける。
「だから心配すんな。お前はお前のできることを、俺は俺のできることをしよう。悲しむのは・・・全部終わってから。それでも良いはずだ」
「・・・朋也くん」
「な?」
笑顔を向ければ、ことみもゆっくりと頷いた。
仕方ないと、そういう意味での苦笑を浮かべ、
「朋也くんは・・・いつまで経っても朋也くんなの」
「当たり前だ」
そうして互いに笑顔を交わし、朋也はことみに見送られながら床を蹴ってブリッジを出た。慌ててなつきもついてくる。
そのままMSデッキまでの通路を無言で半分ほど消化したときだろうか。不意になつきが呟くように、
「強いんですね、朋也さんは」
しかし朋也はその言葉にすぎさま否定をしました。いや、と首を振り、
「強いフリでもしてなくちゃ、戦争なんかやってられないさ」
「そう・・・ですね」
なつきは一拍を置き、今度は殊更に元気な調子で言葉を張り上げ、
「これで最後の戦いにできると良いですねっ!」
その通りだな、と心の底から思う。だからこそ、朋也は強く頷き、
「そうしよう」
そう告げた。
坂上智代と天沢郁未は二人してクラナドの食堂で対面に座りつつ紅茶を飲んでいた。
「まさか、こうしてまたお前と共に紅茶を飲む日が来るとは思わなかったよ」
「あら、奇遇ね。私もよ」
互いに一口を飲みつつ、そんな言葉を交わす。
その様子に二人ともが苦笑を浮かべ、郁未がカップをソーサーに戻した。
「っていうか、こんなところでのんびりしてても良いわけ、あなたは?」
「小隊訓練をしたいところではあるがな。私は舞と佐祐理との小隊だから、その二人がカンナヅキに出向いている以上、どうしようもない。
そういうお前こそ観鈴との二機連携だろう? そっちは訓練しなくて良いのか?」
「おあいにくさま。こっちはもう訓練消化したわ。・・・観鈴が、晴子さんと話がしたいって言うから今日はもうおしまい」
「そうか。・・・そうだな。そう遠くないうちにネオジオンも動き出すだろうしな。言いたい事は今のうちに言っておくべきだろう」
「その考え方こそ後ろ向きだと思うけどね。・・・死んだときのことなんて、考えたくないわ」
「しかし、かと言って後悔はしたくないだろう? 万が一に備えることなんて、兵士として一番最初に教わる心構えだと思うが」
「・・・ま、それは確かに」
智代は更に一口。そうしてカップを置くと、郁未を真っ直ぐ見つめる。
「お前は良いのか? 誰かに話しておかなくてはいけないようなことはないのか?」
「あいにく、そういう相手はいなくてね。そういうあなたこそどうなのよ?」
「・・・まぁ、私もそうだな。特にいない」
は、と息を吐くように郁未は苦笑。
「なんだ、結局あなたも同じじゃない」
その言い草に智代もまた苦笑しつつ、
「そうだな」
郁未がカップに手を伸ばし、残っていた紅茶を全て飲み干した。
それをソーサーに戻すと同時立ち上がり、苦笑を普通の笑みに変え、見下ろしながら呟く。
「ごちそうさま。やっぱりあなたの淹れてくれる紅茶は美味しいわね。悔しいくらいに」
「世辞だとしても嬉しいな」
「世辞じゃないわ。素直に受け取っておきなさい」
「ふっ。あぁ、そうしよう」
「また飲ませてもらうわね。・・・戦いが終わった後にでも」
踵を返し、髪を翻しながら郁未が去っていく。
その気後れの欠片も無い、余裕だと言わんばかりの背に智代は表情を和らげて、
「あぁ、約束しよう」
言外に込められた意味を確かめ合い・・・二人は小さな約束を交わした。
「あ」
そんな声は、祐一が舞に会うためにMSデッキに向かっている最中に掛けられた。
周囲に人影がないことから自分に向けられた言葉だろう、と振り向けばそこにいたのはパイロットスーツを着た一人の少女。
「あゆか」
「祐一くん? どうしてこんなところにいるの?」
「そういうお前こそどうして―――あぁ、そうか。量産型キュベレイ、直ったんだったな」
「うん。ボクだけほとんど訓練出れなかったからね。修理したてで申し訳ないけど、訓練させてもらったんだ〜」
以前まではサイコミュ搭載MSの修理は不可能だったのだが、いまではクラナド・・・もとネオジオンのメカニックも大勢いる。
そっちに任せればキュベレイも修理可能となる。・・・まぁ、そうでもなければカノンやインフィニティなんてとてもじゃないが運用できないが。
そんなあゆは、どこかご機嫌なように晴れやかな笑顔をこぼしている。
「・・・機嫌、良さそうだな」
「うん。だって祐一くんに会えたもん!」
「俺?」
「うん。最近、忙しそうだったから」
そう、だろうか。
確かにいろいろやることはあったが、忙しい・・・というほど忙しくはなかったはずだ。そうでなければ佐祐理と会っている時間すらない。
「―――あ」
そうか。空いている時間のほとんどに佐祐理が傍にいてくれたのだ。
傍から見れば、話しかけるような隙は無かったのかもしれない。・・・それは、
「悪いな。お前とも、もっと前にしっかりと話をしておきたかったんだが」
「話って・・・イヴとかイリスシリーズのこと?」
「あぁ、そうだ。お前も被害者だからな。一言謝っておこうかと」
しかしそこであゆは祐一の思いも寄らない行動をした。
笑ったのだ。しかも大きく、本当に面白いことでも言われたかのように。
「あ、あゆ・・・?」
「あぁ、ご、ごめんごめん」
目尻に涙が浮かぶほどに笑ったあゆは謝りつつも、しかしまだわずかに身体を震わせながら、
「だって、どこまでいっても祐一くんは祐一くんなんだなぁ、と思ったから」
「俺は俺?」
「うん。そういう優しいところとか、責任感が強いところとか、全部」
「・・・俺は別に優しくなんか―――」
「ううん、優しいよ。だって、ボクに謝ろうとしてくれているもの」
「けど、それは当然のことだろう? お前は被害者なんだぞ?」
「そうかな。ボクはそうは思わないよ」
トン、とあゆが床を蹴ってこっちに跳んでくる。狭い通路ではそれを受け止めるしかなく、祐一とあゆの身体が接触する。
あゆは父親にじゃれ付く子供のようにその胸に顔を埋めつつ祐一を見上げ、
「だってさ、そもそも祐一くんがボクになにかをしたわけじゃないでしょ? 謝る必要性がどこにあるの?」
「でも、それは俺の両親がやった研究のせいで―――」
「だから、そこが責任感が強いよね、って言わせるところなんだよ祐一くん? 普通、肉親とはいえ親のしたことまで責任を取ろうとしないよ?
それにね、祐一くん。ボクはこれっぽっちも被害者だなんて思ってないんだよ」
あゆの声質が変わる。しかし、表情を伺おうにも顔は胸に埋められこちらからはなにも見えない。
しかし、後ろに回された腕の強さに、祐一はあゆの感情を思う。
「・・・むしろボクは嬉しいよ。だって舞さんがいてくれなければ・・・その細胞が無ければ、ボクはここにいられないんだから」
「あゆ・・・」
「そして、こうして祐一くんに抱きつくことだってもうできなかったんだから・・・」
あはは、と声を上げながらあゆは顔を上げた。
そこにあるのは、ひまわりのような強さと明るさを兼ね備えた、あゆらしい笑顔。
―――懐かしい、笑顔。
「祐一くん。ボク、祐一くんのこと、好きだよ? 大好き。だから・・・祐一くんとまた会えて、ここにいて、こうしていられること。
無神経なことかもしれないけど・・・ボクは祐一くんのお父さんとお母さん、そして舞さんに感謝するよ」
どこまでも真っ直ぐで、素直な言葉。
純粋すぎて思わず涙が出そうになるその言葉に、祐一はなにかを答えようと口を開きかけるが、
「駄目、だよ」
口元を人差し指で押さえられた。そうしてあゆはクスッと、小さく微笑み、
「ボクは臆病だから。いま答えを聞いちゃったら・・・うん、どっちにしたって駄目になっちゃうと思うんだ。
だから答えは今度の戦いが終わったときにでも聞かせて欲しいな。・・・お願い」
その言葉の意味を理解して、祐一はゆっくりと、しかし確かに頷いた。
それを見たあゆは砕顔し、トン、とその胸を押した。
その反動で離れていく二人の身体。そうして離れていく中、あゆはやはり笑顔のままで、
「ありがとね、祐一くん。これでボク、すっごく頑張れるよ。
・・・だから、ボクはもう良いから、舞さんのところに行ってあげて」
「あゆ、お前気付いてて・・・」
「あはは。うん、最初から気付いて聞いた。ちょっとした意地悪、かな?」
「・・・そうだな。お前にしてやられるようじゃ、俺もまだまだだな」
「うぐぅ、ひどいよ祐一くん」
互いに笑みを浮かべる。そうして数秒見つめ合い、
「・・・それじゃ、祐一くん。ボク、もう行くね。舞さんとしっかり仲直りしなくちゃ駄目だよ?」
「お前に心配されなくても大丈夫だよ」
「うぐぅ、またそういうことを言う」
「・・・いや、そうだな。・・・ありがとう。とりあえずそう言っておく」
「あはは、うん。ボクも素直に受け取っておくよ。じゃあね」
手を振り、背を向けて去っていくあゆ。
その後ろ姿を見ながら、祐一は心中でもう一度礼を述べるのだった。
MSデッキを出た舞は、感じるままに通路をゆっくりと進んでいた。
祐一がどこにいるか、それはだいたいわかる。ゆっくり、というのは・・・つまりまだ踏ん切りが着かない、ということだ。
浩平を見て希望を見出したはずなのに。それでもなお近付けば気後れしてしまう自分は、
―――弱い。
情けなくなるくらいに、そう感じる。
祐一のことを信じていないわけじゃない。そもそも、そういう問題ではない。
自分の心が問題なのだ。
現実を直視できない自分。しかし、一番辛かったのは生み出された存在だとか、自分の細胞が多くの命を弄んだとか、そんなことじゃなかった。
ただ、心に皹が入るくらいに辛かったのは、祐一が血の繋がった兄妹であるというその事実。
あぁ、なんて自分勝手。
自分の存在のせいでどれだけの命を左右してきたかを知りながら、なお最初に目に付くのがそんなどうでも良いことだなんて。
そんな、自分のことしか考えられないような心の弱さが・・・悔しい。
「どうしたんですか? そんな深刻そうな顔で」
え、と顔を上げれば、目の前には首を傾げている、
「ゆ、有紀寧・・・?」
「はい、こんにちは」
あまりの至近距離に思わずたじろぐ舞をよそに、有紀寧はいつも通りのにこやかな笑みで返した。
ここまで近付かれて気付かないとか。自分はよっぽど深く思考に耽っていたらしい。
取り繕うように舞は慌てて言葉を捜す。そもそもどうして慌てなければいけないのか自分でもよくわからないうちに、頭は妥当な一文を導き出した。
「ゆ、有紀寧がどうしてここに・・・?」
ここはカンナヅキだ。クラナドにいるべきである有紀寧がここにいる理由はないはずだが。
「いえ、そろそろネオジオンも本格的に動き出しそうですから、いまのうちに祐一さんとお話でもしようかと思ったんですが・・・」
祐一。
言葉の中に縫い込まれたその名に思わず心臓が跳ねる。
「舞さんは・・・なにか、考え事ですか?」
そんな舞の考えを読み取ったかのように、有紀寧は問いかけてくる。
一瞬有紀寧に相談してみようか、とも考えた。しかしすぐに思い直した。
これは自分の心の問題。自分で解決しなくてはならないことのはず。そう考えたからだ。しかし、
「祐一さんの・・・ことですね?」
「!」
「どうしてそれを、って顔ですね。舞さん、自分じゃ気付いてないかもしれませんけど、一見クールに見えて実は案外顔に出るんですよ?」
クスッ、と笑みを浮かべながらややショッキングな事実を述べる有紀寧。
そんな有紀寧に、舞は言う言葉が見つからず俯いてしまう。
すると不意に有紀寧が近付き、肩にそっと触れてきた。慈しむような柔らかな感触に視線を上げれば、そこに笑顔がある。
「なんでも一人で背負い込もうとするのは、よくないですよ? 仲間がいるんですから、頼ってください」
「・・・でも、これは私の問題で―――」
「自分だけで解決できるのなら、それでも良いかもしれません。けれど、もし駄目そうなら、誰かの肩を借りたって良いじゃないですか。
それは決して弱さじゃありません。だって、助言を聞いたところで最終的に物事を決めるのは自分自身なんですから」
心の声を聞いていたかのように、舞の懸念を先に答える有紀寧。
思う。
なんでこの人は、こうやって人に安心感を与えられるのだろう。
有紀寧にだって辛いことはたくさんあったはずなのに、それでなおどうしてこうして笑顔でいられるのだろう。
強いな、とそう思う。
その強さが羨ましく・・・また、頼もしかった。
「・・・ねぇ、有紀寧」
「はい」
「・・・私は、すごく自分勝手。全ての事実を突きつけられたとき、中でも一番辛かったのは・・・祐一と兄妹だった、っていうその一点だった。
聖のことや、イリスのことでもなく、その一つが・・・私はショックだった。そして、それを一番辛いと思ってしまった心の弱さが・・・私は悔しい」
吐露した本音。このままいっそ罵声でも浴びせてくれれば良いと思った。
しかし、無論のこと有紀寧がそんなことをするはずもなく、
「でも、舞さん。それは仕方のないことですよ」
届いたのは優しい声音。
言葉の意味がわからない、といった風に顔を上げる舞に対し、有紀寧は笑顔を崩さぬままゆっくりと言葉を並べていく。
「人は、そんな崇高な生き物じゃありません。遠くの何かに全てを賭けられるほど、人の心は強くないですよ」
「遠くの・・・何か?」
「普通なら世界とか平和とか・・・。舞さんでいうなら出生の事実や自分の細胞による事柄、でしょうか。
自分が直面する、あるいは大きく関わっていると理解はできても、やはりそれは漠然としたものでしかないんです。
だってそれはあまりにスケールが大きすぎて、自分としてはそこに真実味を見出せませんから」
確かにそれはあるかもしれない。
全てのデータや言葉により、それら全てが真実であることはすでに立証されている。だが、それを自分は本当の意味で理解できてないのだろう。
「そういう事柄よりも自分の身近な、それこそいま自分が自分の意思で関わっている何かに関係すると知れば、誰しもそちらに感情は動きます。
それはどんなことであっても、誰であろうと同じことでしょう。人間は、建前だけじゃ生きていけませんから」
「・・・」
「それは決して心の弱さなんかじゃありません。それは人間である以上、仕方のないことなんです。
自分より他者優先。もしそれを本当にできるならとても素晴らしいことだと思いますが・・・それはある意味、少し壊れていると私は思います」
「有紀寧も・・・そうなの?」
「もちろんですよ。わたしは、争いの無い世界を作りたい、というのが一番の目標ではありますが・・・そう思う根っこはやっぱり自分のことですもの」
有紀寧はやや苦笑気味に微笑み、
「わたしは戦うことはできませんから、いつも友人たちを見送る立場なんです。なにもできず、友人たちが死んでいく様を見せ付けられるのは、辛い。
友人たちに死んでほしくない。そして友人たちに人を殺させたくない。だからわたしは望むんです。戦いの、争いのない世界を。
あとは・・・そうですね。それが兄の遺言だから、というのもあるでしょう。
・・・ね? 響き自体は大それたことのように感じられるかもしれませんが、わたしだって結局自分勝手な思いで動いてたんですよ」
こちらを安心させるような笑みを持ち、有紀寧は舞の肩を小さく叩く。
「だから舞さん。良いんですよ、それで。問題に対する気持ちの比率が自分優先になってしまうのも。
大事なのは、それでもなお遠くの何かを考えられる責任感というか・・・気持ちなんですから。そうでしょう?」
「有紀寧・・・」
その笑顔に救われるのは、もう何度目だろうか。
初めて会ってからそれほど時間は経っていないはずなのに、ずっと昔から支えてもらっていたような・・・そんな気さえする。
気付けば、身体から力が抜けていた。いまので随分と心も楽になった。やはり有紀寧はすごい、と正直に思う。
「落ち着きましたか?」
「うん・・・ありがとう」
「いえいえ。お役に立てたのなら、なによりです」
と言うと、いきなり有紀寧が身体をそっと押してきた。
「え?」
無重力空間の中、そっと流されていく身体。その向こうで有紀寧はただ笑顔を浮かべている。
「祐一さんに、話があるんでしょう? 頑張ってくださいね」
「あ、でも有紀寧も話、あるんでしょう? なら一緒に―――」
「いえ、野暮なことはしません。わたしは後でも構いませんから」
「ゆ、有紀寧!?」
「あはは」
笑いながら手を振る有紀寧。
冗談を交え、更にはこちらを押し出してくれた。
・・・最後の最後まで、面倒を掛けてしまった。
そう思うからこそ、舞も笑みを浮かべ、手を振り返し、
「行ってきます」
そうして二人は通路のど真ん中でいきなり出会った。
「・・・お」
「・・・あ」
覚悟していたとはいえ、鉢合わせのようなこの状況。互いに立ち止まり、馬鹿みたいに無言のまま見つめ合う。
それが三十秒ほど続いてからだろうか、耐え切れない、といった風に小さく噴出した祐一が小さく微笑みながら軽い調子で手を上げた。
「よ、舞」
その一言に込められた気持ちを察し、舞もまた小さく手を上げて答えた。
「なんていうか・・・久しぶり、って感じだな」
「そうだね。・・・ここ最近、なんだかんだで会えなかったし」
「だな」
しかし、やはりというか、言葉はそこで止まってしまう。
何を言えば良いのだろう。なんて声を掛ければ良いのだろう。そんなことを互いに思う。
「なぁ」
「ねぇ」
沈黙に耐え切れず掛けた言葉もまた重なり、再び気まずくなってしまう。そこで祐一が頬を掻きながら、
「舞、先に言えよ」
祐一こそ、と言いかけて、しかし舞は口を噤んだ。
きっとそんなことを言っては繰り返し平行線になるだけだろう。だから舞は大きく深呼吸。そうして祐一を見つめ、
「・・・ね、祐一。私、祐一のこと、好きだった」
「舞・・・?」
唐突過ぎただろうか。ポカンとする祐一をどこかいとおしそうな視線で見ながら、
「・・・だから霧島聖から全てを聞かされたとき、私は生み出された存在ということより、私の細胞が人の命を左右していたことよりも・・・。
それよりも、祐一と血の繋がった兄妹だってことが、すごくショックだった・・・」
舞は一度俯く。わずかに寂しそうな表情で、
「・・・本当は、こんなこと言うつもりは無かった。祐一は優しいから、きっとこんなことを言えばすごく悩むと思うから。
でもね・・・有紀寧が、有紀寧が背を押してくれた。人は、やっぱりどうしても自分勝手な生き物だ、って。そう言ってくれたから。
だから、私は言う。いろいろなこと全てをいまだけはかなぐり捨てて・・・この言葉を」
顔を上げる。揺れる長い髪の向こう、舞は祐一が見たことのないくらいの、極上の笑顔で、
「私・・・祐一を愛してる」
その言葉を聞いた途端、祐一の中で留めていた何かが壊れた。
衝動のままに身体を動かし、祐一は舞を抱き留めていた。
「祐一・・・?」
耳元で聞こえるその声も、後ろに回した腕が触れる髪の感触も、胸に抱くその温かさも。
全て、全て舞だ。
舞は舞だ。
血の繋がった存在だとか、イヴの成功体だとか、そういったことを・・・難しく考える必要はなかった。
あぁ、馬鹿だな。
佐祐理やあゆに背を押され、舞に言葉を投げかけられるまでこんな簡単なことにすら気付かないとは。
自分は、あのとき―――聖に全てを叩きつけられたとき、何に対して一番衝撃を受けた?
・・・そうだ。
自分だって舞と同じ。舞と自分が血の繋がった兄妹だった、そこに最も驚愕を覚えたのではないか。
そしてそれ以降、会えないと思っていたその理由も・・・。
正真正銘の、馬鹿だ。
だからこそ、祐一は腕にもっと力を込めた。ギュッと、離さないと言わんばかりに。
「・・・舞、俺はお前を守る。絶対に、だ」
「・・・それは、友人として? 仲間として? それとも―――お兄ちゃんとして?」
しかしそのどれにも祐一は首を横に振る。そうしてわずかに顔を離し、舞を正面から見つめて、
「お前が舞だからだ」
微笑む舞。その目尻に浮かんだ涙を隠そうともせず舞は祐一の背に腕を絡め、
「じゃあ、私も守る。祐一を。・・・祐一は、祐一だから」
二人はそっと口付けを交わした。
そしてこの翌日、ハマーン軍とグレミー軍が衝突を開始したという報がもたらされた。
あとがき
どうも、神無月です。
最終決戦に向けての各々の想い、それを書くだけでもこれだけの量になってしまいました(汗
さて、なんのかんのと続けてきましたが、いよいよ次回から最終決戦です。
やっと終わりも間近、ここまで来たなぁ、って感じです。
さぁ、いきましょう。最後の戦いへ。