Episode ]]]

        【散り逝く者への子守歌】

 

 イブキの作戦司令室。

 そこでは数人のスタッフが各自の仕事をこなしており、その中央では付近地図が描かれた台がある。

 それを取り囲む形で立っているのは四人。

 イブキの代表である伊吹公子と、その夫になる予定の芳野祐介。そしてカンナヅキ艦長の相沢祐一と、キサラギ艦長の一ノ瀬ことみだった。

「連邦は現在この付近で待機しています」

 そう言ってイブキの領海線を指したのは公子だ。

「おそらくここで増援を待っているのでしょう」

「でしょうね。で、いま動かせる連邦の基地を考えれば・・・あとざっと半日、ってところかな?」

 祐一は隣のことみを見る。ことみも同意権なのか、頷いてみせた。

「国民の避難はどうなってるんですか?」

「えぇ。皆さんのおかげでほぼ完了しています。残りもあと二、三時間でなんとかなるでしょう」

 公子が笑う。それはおそらく国民に被害が及ばなかったことに対する安堵の笑みだろう。

 もちろん祐一とことみも安堵した。だが、その表情も一瞬。

「問題は・・・」

「これからをどうするか、ということなの」

 あぁ、と頷く祐一。しかし、公子は表情を揺らさない。

 怪訝に思う祐一の向こう、公子はなにか決心するように頷くと、こう口火を切った。

「相沢さん。一ノ瀬さん。あなたたちには、宇宙へ向かって欲しいのです」

「宇宙へ・・・?」

 なぜ、と問い返せば、なぜか公子は横目で祐介を見た。その視線にただ無言で頷く祐介。

 そのアイコンタクトが・・・二人にはなにか嫌な予感を連想させた。そして、

「イブキの兵も連れて、どうか宇宙へ脱出してください」

「「!」」

 嫌な予感は的中した。

「どういうことですか!? それじゃまるで―――」

 見殺しにするようではないか、と続けようとした言葉が喉に飲み込まれた。

 なぜなら、公子の表情が全てを物語っていた。その、ただ毅然と佇む表情が・・・全てわかっている、と。

「相沢さん、一ノ瀬さん。あなたたちほどの指揮官ならもうお気づきになられているはずでしょう? このまま戦ったところで、勝ち目などないことを」

 祐一もことみも押し黙る。

 確かにそれは二人も感じていたことだから。

 その沈黙を受け取り、公子は続ける。

「・・・国民は避難できました。これ以上ここで粘る必要もありません。

 ですが、だからと言って降伏は出来ません。連邦に降伏をしてしまえば、イブキの技術はただネオジオンへと向けられ、そしてあなたたちは処分される。

 それでは駄目なのです。だから・・・あなたたちは脱出してください。宇宙へ」

「川澄の話によれば、宇宙にはお前たちのようにネオジオンのやり方に反感を抱きネオジオンを抜けた奴らもいるそうじゃないか。

 だが、そいつらも連邦に加担するというわけじゃない。なら―――お前たちや俺たちと望む場所は同じはずだ」

 確かに、舞からそういう話を聞いている。

 舞の乗ってきた機体、ネオジオンの新型ガンダム、ガンダムカノンもそのための力だと舞は言っていた。

 そして、舞はこうも言った。

「誰かを・・・敵を全て殺せば戦争は終わるかもしれない。でも、根となる連鎖はそこで終わらない。

 どこかで、どこかで戦いの、その憎しみの連鎖を断ち切らなくては・・・」

 反芻した祐一に、公子は頷きを返す。

「ただ指し示された敵と戦っていては戦争など終わるはずもない。そう思っているのは我々だけではないのです。

 アースノイドだろうと、スペースノイドだろうと・・・。そうして同じ思いに辿り着く人がいるのです。なら―――」

 なら、希望は残っています・・・と、公子はなにかに願うように両手を組んで、呟いた。

 それをただ、わずかな微笑を浮かべて眺める祐介。

 ・・・それだけで祐一たちは悟る。この二人はなにもかもの覚悟を決めているのだと。

 自国が滅ぼされること。そして―――、

「さぁ、お二方は早く準備を。マスドライバー施設の方は既に準備を開始しています。時間は・・・限られていますので」

 ことみが返事をわずかに逡巡し、隣の祐一を見た。その祐一も、頷きを返せない。

「相沢さん、一ノ瀬さん。・・・ここでイブキは終わるでしょう。ですが―――」

 そこで言葉を切り、その二人を等分に見つめる公子。そして次の瞬間には微笑みを携え、

「ここで終わってはいけないものを、あなたたちは背負っているでしょう?」

 その言葉に、息を呑む二人。

 ここで終わらせてはいけないもの。それは、もちろん―――、

「過酷な道を、示してしまってすいません。ですが、ここでの業は私たちが引き受けましょう。ですから、さぁ」

 その言葉の意味するところ。わからない祐一たちではない。

 けれど・・・、それでも。

「「わかりました」」

 力強い瞳が、そこにはあった。

 頷き、受け継ぐことを選択しよう。

 祐一とことみは一瞬だけ互いを見やり・・・そして偉大な一人の指導者に無言で敬礼をして頭を垂らした。

 

 

 

「宇宙へ上がる・・・? イブキを捨てるってことですか!?」

 カンナヅキのMS格納庫内。そこに風子の非難に満ちた声が広がった。

 おそらく再び来るであろう連邦軍との戦いに備え準備をしていたクルーやパイロットたちを祐一とこのみは以前のようにここに集めた。

 そして、語られたもの。これからの、自分たちの動きを。

 そうしてまず最初に言葉を放ったのは、風子であった。

 その怒りの視線に晒された祐一は、しかし仕方ないだろうと思う。

 ここはイブキ。つまり・・・伊吹風子にとってもここは故郷であり、自分の国でもある。そして第一、

『今度、風子の姉が結婚するんです』

『それで、みなさんにも一緒に姉を祝ってほしいんです』

 けっして器用とは言えない腕で、必死に作り上げた木彫りのヒトデ。姉を思い、その結婚式を一人でも多くの人に祝ってもらおうと作ったもの。

 でもその姉が結婚式を迎える前に―――悲壮な決意をしている。

「風子は、風子は・・・!」

 噛み締めるように風子は呟き、そのまま格納庫を走って出て行った。

 祐一もことみも、追いかけようとも声を掛けようとも思わない。しようとしない。

 これは風子と、そして公子の―――姉妹の間の問題だ。こちらが口を出して良い事でも、ましてや・・・ただの他人が説得できるものでもない。

「私もね、理解はできるの」

 と、不意に言葉を漏らしたのは郁未だ。

 腕を組み目をつぶってMSの足に背を預けていた郁未は、ゆっくりと動きを取り、祐一を見る。

「でも・・・納得は出来ない」

 そうして郁未もまた、風子の後を追いかけて行った。

 郁未が連邦の施設から逃げ出した後、公子に拾われたという話は祐一もことみから聞いている。

 思うところがあるのだろう。郁未も、なにかを言いに行ったに違いない。

「・・・朋也くん?」

 横からことみの声。その視線の先には、無言でこの場を去ろうとしていた朋也の背中。

 朋也はそのことみの声に足を止め、振り返ることなく訊ねてくる。

「芳野さんも・・・残るって、そう行ったんだな?」

「あぁ」

 答えたのは祐一だ。すると朋也はそうか、とだけ言い残し再び歩を進め始めた。

 なつきがこちらと朋也を何度か見比べて、小さく頭を垂らし朋也に付いて行った。

 それを見て、祐一はチームで一人残った男に視線を向ける。

「お前は追いかけないのか、春原?」

「ん? んー、まぁなんとかなるんじゃない?」

 陽平はただあっけらかんとそんなことを言った。そして頭の後ろで腕を組みながら、

「僕もね、伊達に数年一緒にいるわけじゃない。芳野さんのことだって相沢たちよりはわかってるつもりだよ。

 だからね、きっと大丈夫だ。岡崎が何を言いたいのかもわかるし、芳野さんがそれにどう返すかもわかる。

 そんなこと、馬鹿の僕にでもわかるんだから岡崎がわかってないはずもないんだ」

 でもさ、と続け、

「岡崎は、僕なんかよりずっと強くて、意固地だからさ。気に食わないんだよきっと。だから行ったんだと思うんだよね」

 苦笑する。心配そうに朋也の走って行った方向を見つめることみを見ながら、

「大丈夫だよ、ことみちゃん。あいつは不器用だけど大切なものっていうのは誰よりも理解してる。帰ってくるよ」

「・・・うん」

「それよりもさ、僕たちには他にしなきゃいけないことあるんじゃない? ・・・あいつらが決着を着けたとき、それに相応しい場を準備しなきゃ」

「・・・びっくりです。春原さんがまともなことを言っています」

「栞ちゃんはどうしてそういうことを言うんですかねぇ!?」

「冗談です。でも・・・実際そうだと思いますよ、私も」

 栞の言葉に誰もが頷く。

 それを見て、祐一もあぁ、と小さく頷いた。

「あいつらはきっと戻ってくる。だから俺たちは・・・その間に準備をしよう。時間は無限にあるわけじゃないからな」

 すると返事が来た。人数分の、格納庫すらわずかに揺らす力強い返事が。

 

 

 

 人の少なくなったイブキの作戦司令室。

 多くのスタッフたちは既にカンナヅキかキサラギへと向かった。

 ここに残った者は、たとえどんなことがあろうとイブキと共に在りたいと願った、そんな少々意地の強い者ばかりだ。

 その中央には二つの人影がある。その片方、伊吹公子はそんなスタッフたちを見て、どこか力の抜けた微笑を浮かべた。

 嬉しいような、悲しいような・・・そんな相反する感情がない交ぜになった笑みだ。

「どうして、皆・・・こんなにも意地っ張りさんなんでしょうね?」

「そりゃあ、あんたに似たんやろ。この国に住むやつは皆あんたの子供みたいなもんやからなぁ」

 そう言って豪快に笑い飛ばしたのは公子の隣にいた神尾晴子だ。

 そんないつも通りの彼女を見て、公子は思わず微笑んだ。

「あぁ、せやけど勘違いしたらあかんで? カンナヅキやキサラギに行った連中がなにも臆病者や言うてるわけやない。

 むしろ自国を抜けてまであんたの理想を追いかけることのできる・・・勇気を持った馬鹿どもや。

 ・・・うちも含めてな」

「わかっています。もちろん、わかっていますとも」

「そやな。人の心の動きに敏感なあんたが、そんなこと気付かないはずあらへんな」

 屈託ない笑みを浮かべる晴子。思わずつられてしまいそうな、そんな夏のような笑みを見て、公子は思わず懐かしい気分にかられた。

「思えば、晴子さんとの付き合いもだいぶ長かったですね」

「・・・せやなぁ」

 返事の前の一瞬の間。きっと気にしたのは言葉が全て過去形だったからだろう。

 それでも、それを止めろとは言わなかった。その優しさにもまた、公子は笑みが深くなる。

「いろいろと、本当にお世話になってしまいました。多くの恩を、受けさせてもらいました」

「うっわ、そんなこと真顔で言わんといてーなー。鳥肌が立つわぁ」

「あら、そうですか? ならもっと言うことにしましょうか」

「うわ、えげつなっ」

 クスクス、と笑い・・・そして公子はどこか遠くを見つめるような視線であらぬ方向を見やった。

「・・・そしてまた、恩を返す前に大きなことを背負わせてしまいました」

 晴子は、イブキ軍を連れてカンナヅキやキサラギに同行することになっている。

 それを晴子に伝えたとき、晴子は頭を掻きながらこんなことを言った。

『しゃーないなぁ』

 嘘だ、と公子は思っている。

 晴子は義理堅い人間だ。そして彼女もまた、自分と同じくらいにこのイブキを愛してくれていることを知っている。

 実際のところはここに残りたいに違いない。たとえそれで自らの命がどうなったとしても、それを後悔しないだろう。

 だけど、晴子は受けた。受けてくれた。

 誰かがしなくてはいけないことだ。だから晴子は頷いた。仕方ない、と。とても軽い調子で。

 それはこちらの意思を、思いを受け止めてくれたということ。いろいろと思うところもあるはずだろうに、そんなことはおくびにも出さず・・・。

「気にせんでええよ。うちが決めたことや。あんたが無理強いしたことちゃうやろ」

 そう言って晴子は笑って公子の肩をポンポンと叩く。

 ―――あぁ、いつも私はこの口言わぬ優しさに、甘えてしまってますね。

 思う。

 そんな晴子と共にいられて良かった、と。

「・・・ねぇ、晴子さん」

「ん?」

「・・・あなたとお友達になれて、良かったわ」

「―――」

 間。そうして晴子はハハッ、困ったように笑い、

「・・・卑怯やなぁ。こんなときに限って敬語捨てて」

「そうね。卑怯よね」

「でも、うちも一緒やで。・・・あんたと友達になれて良かった」

「・・・うん」

 思い出せる過去がある。共に過ごした時間がある。

 けれど、それを越えていま二人は未来を行く。

 じゃあ、と告げて晴子は一歩を踏み出した。

「うちは、そろそろ行くわ」

「はい。お嬢さんにもよろしく」

 再び戻った敬語。その意味するところに晴子は気付きつつ、顔だけ振り向かせ、

「あぁ。しかし、しっかりと紹介する余裕もなかったなぁ。本当なら、うちの自慢娘大会でも開きたいとこやねんけど、お仕事ならしゃーないな」

「ふふ、そうですか。晴子さんが自慢するくらいなら、きっととても良い子なんでしょうね」

「当たり前や。そら、なんで軍にいたのかとかいろいろとあるけど・・・別にええねん。観鈴がうちの娘で、そして観鈴が自分で見つけて進んだ道がそこにあるのなら、うちはそれでええ」

 立ち止まる。

「そして、それは公子。あんたも一緒や。あんたの進む道がこの先にあるのならそれでええ。うちも付き合ったる」

「はい。・・・お元気で」

「あんたもな。・・・家族ってゆーんは、ええなぁ」

 最後に意味深な台詞と笑みを残して、晴子は作戦司令室を後にした。が、その言葉の意味するところはすぐにわかった。

「お姉ちゃん!」

 そのフレーズ。そんな呼び方をする者など一人しかいない。

 だから振り返る。いるのはもちろん、自分の大切な大切な家族である風子。

「ふぅちゃん・・・」

 その後ろには、無言であるが郁未もいた。

 視線が重なる。公子が微笑めば、郁未はわずかに困った顔をした。

「お姉ちゃん、残るとはどういうことですか!?」

 風子が公子の足元に駆け寄り、その服をまるで逃がさない、とばかりにギュッと握った。

「宇宙へ行くというのなら、お姉ちゃん! お姉ちゃんも一緒に行きましょう!」

 だが公子の顔に浮かぶ、柔らかな笑顔。

 ・・・郁未はそれを見て理解できなかった。

 どうしてこの状況で笑っていられるのだろう。

 だが、同時に思う。

 何を言ってもこの人は動かない。どんな上手い言葉を使おうと無駄と消えるだろう。

 伊達に数年間一緒に生きてきたわけではない。公子という女性は一度決めたことは例えなにがあっても絶対に覆さない人だった。

 それがわかっているから、いま出て行った晴子もなにも言わなかったのだろう。だから、

「・・・もう、何を言っても無駄、なんですね」

 隣で「郁未さん!?」と驚愕の声をあげる風子に、郁美は心中で呟いた。

 自分だってこんなことは言いたくない。公子は大切な人だから。・・・だが、大切に思ってきたが故にわかるものというのもあるのだ。

 郁未は下げていた視線を上げ、公子に向き直った。

 そこには郁未の見慣れた、そして憧れた―――何事にも揺るがない不動の瞳がある。

「最後に・・・一つだけ聞いて良いですか?」

「なに?」

「・・・・・・どうして、死ぬとわかっているのに笑っていられるんですか」

 公子は小さく膝を折ると、郁未の視線の高さに合わせた。

 同じ高さにあるその瞳。しかし、そこに絶望は何もない。あるとするならばそれは―――、

「私たちには、希望があるから。あなたたちという、小さくても強い希望が」

 柔らかな手が郁未と、そして風子の頭に乗せられた。

 ―――あぁ、温かい。

『一緒に、来る?』

 連邦から抜け、あてどなく歩き続け、もう駄目だと思った時に差し伸べられたあの手を思い出す。

 辛かった過去は消えない。けれど、それを塗り潰してくれるような優しさと輝きがそれからにはあった。

 それを作ってくれたのは公子だ。

 そして公子の願いが、いま自分たちの進もうとしている先にはある。

 だとするのなら・・・自分のすべきことは一つしかなかった。

「―――わかりました。私は、カンナヅキと共に行きます」

「郁未さん!?」

「ねぇ、風子。本当はあなただってわかってるんでしょ?

 何を言ったって、あなたの自慢のお姉さんは決して自らで決めたことを止めるような人じゃないって」

「それは・・・」

「答えは出ているわ。あとは、私たちがそれを受け止められるかそれだけ」

 風子は・・・そんな郁未を見て、思う。

 ―――風子が子供なんでしょうか。

 誰もが誰も、そうして相手を真の意味で気遣って、その意思を汲み取って先へと進もうとする。

 でも、風子はそれができない。

 なぜなら、風子は数年もの間、時間が止まっていたからだ。

 風子はいま過去から必死に現在へと歩いている。なのに、またそこから未来へなんて・・・正直怖い。

「風子は、・・・風子はお姉ちゃんといたいです。だって、風子は、久しぶりにお姉ちゃんに会えて、過去を取り戻して・・・。

 そしてこれから、これからなのに! お姉ちゃんも、芳野さんも、風子も、全てはこれからのはずなのに・・・!」

 誰かがいて欲しい。最早唯一の肉親である公子がいなくなってしまえば、風子は一人だ。

 ずっと眠っていたことを思い出す。

 ・・・一人は嫌だ。暗いのは嫌だ。

 けれど、

「ふうちゃん」

 自分の名を呼んでくれる姉が、優しくこちらを抱きしめてくれた。

「ふうちゃん。でもね、この一歩がなければそんな幸せを願っている他の人たちまで駄目になってしまうの。

 戦争という、悲しい思いにとらわれて、明るいはずの未来が消されてしまう。そんなの、あまりに悲しいでしょう?」

「風子は、風子はいま悲しいです・・・!」

「そうね。私も悲しい。でも、この悲しみを知っているからこそ、守りたいと強く願う。

 ・・・その思いを、あなたたちだけに託してしまうのはとても卑怯だとわかってはいても、こうすることしかできないお姉ちゃんを許してね?」

「そんな、そんなのって・・・!」

「それにふうちゃん。あなたは決して一人じゃないわ」

「え・・・?」

 スッと、公子の懐から差し出されたもの。それはデータディスクだ。それを条件反射のように受け取り、

「あなたにはいま、多くのお友達とお仲間がいるでしょう? それに、ふうちゃん。あなたには・・・私とは別に『お兄さん』がいるもの」

「・・・え?」

 公子はどこか力のない笑みを浮かべながら、もう一度風子を強く抱いた。

「ふうちゃん。私の大切なふうちゃん・・・」

 一拍。そして、

「ごめんね。そして、もう一度会えて・・・嬉しかった。ありがとう」

「お姉ちゃん・・・?」

「そして・・・そんなふうちゃんに重荷を背負わせてしまうお姉ちゃんを許してね」

 抱擁が解ける。

 あ、と名残を求めるように公子に近付こうとした風子を、しかし公子の手が遮った。

「郁未ちゃん、お願い」

「・・・わかりました。それじゃ、公子さん・・・」

「えぇ、ありがとう。気を付けて・・・、そして―――」

「ごめん、はなしですよ・・・。公子さん」

「・・・そうね。わかったわ」

 笑顔。それを見て郁未は風子の腕を引いてその場を後にしようとする。

「郁未さん! 待って、待ってください! 風子は、風子は・・・!」

「あなたの気持ちは痛いほどわかる。でも、公子さんの気持ちを考えてあげて。・・・お願いだから」

 噛み締めるような言葉に、思わず風子は郁未を見上げる。

 下げられた視線。前髪によって遮られた瞳からは、しかし伝うものがあって。

「あ・・・」

 それを見てしまえば、風子ももうなにも言えなくなってしまった。

 風子は、最後にもう一度振り返った。

 そこにはどこか近くへ外出するときのように、微笑で手を振っている公子がいる。

 あぁ、と風子はこみ上げてくるものを感じた。

 いつも通りの光景が・・・いまはこんなにも悲しい。

 なぜならこれが―――きっと最後になるのだろうから。

 

 

 

「芳野さん!」

 自らのMSの整備を終え、公子のいるだろう作戦司令室に向かう途中で祐介は呼び止められた。

 やはり来たか、と祐介は思う。

 ―――いつも思うが一直線な奴だったからなぁ、あいつは。

 そんな思いに苦笑しつつ、祐介は振り返った。

 その先にいるのは予想通りの朋也であり、そのわずか後ろになつきがいた。

 なつきは心配そうな顔で朋也を見ている。

 ―――ったく、女に心配させるとは、男としてまだまだだな。

 やれやれ、と息を吐いて見せ、祐介は手を振った。

「こんなところでなにをやってるんだ岡崎、清水。お前らも早く行け」

「芳野さん! 俺も・・・俺も残ります!」

 その台詞に、なつきが思わず目を見開いて驚く。

 だが、祐介にとってはこれも予想通りの言葉。朋也なら絶対こう言ってくるだろう、という確信があった。

「・・・いいか、岡崎。お前たちにはやらなければならないことがあるはずだ。違うか?」

 それくらいはわかっているだろう、と言外に込めて言えば、朋也はわずかに視線を逸らした。

 朋也は、賢い。頭で理解するタイプではないが、身体で感じることに関しては是非をしっかりと把握できている。

 だから、朋也もこの状況を理解しているはずだ。だからこそ、祐介は朋也に公子の想いを受け継いで欲しいと思う。

「岡崎」

 朋也は、その向けられた視線に正面から対することができない。。

 そこには有無を言わさない迫力があった。

 言っていることはわかる。格納庫で郁未の言ったように、理解は出来ていた。

 けれど、やはり納得できない。

 朋也は祐介を尊敬している。そして、恥ずかしくて言えはしないが、恩師だとも思っている。

 戦争で両親を無くしただ無気力に燻っていた自分を拾って、こうして育ててくれたのは他ならぬ祐介だ。

 そんな人が、どうしてこんな不条理な戦いの犠牲にならなければならない・・・?

 ―――そんなの、おかしいだろう!

「だが、それが戦争だ岡崎」

 ハッとして見上げる。その先には腕を組んだ祐介がいて、

「何年お前を教えてたと思う。表情見ればなにを考えているかくらいわかる」

「・・・芳野さん」

「良いか、岡崎。お前はいま不条理だと嘆いただろう? 確かにそうかもしれないな。この戦い自体連邦の策だろうしな。

 だがな、岡崎。そんなことは結局の所、どうでも良いことなんだ」

「・・・・・・」

「どれだけの大儀があろうと、名分があろうと、関係ない。殺された側の周りの人間は、誰しもいまのお前と同じ境遇に立つ。なぜ、とな。

 相手から見れば悪だから、なんて関係ない。大切な者を殺されれば、その殺した相手こそ悪で、そいつの所属する組織こそ悪だ。

 わかるか? これが戦争の負の循環だ。これを失くさない限りは、こんな気持ちを抱く奴が無尽蔵にいるということだ」

 祐介が朋也から視線を外した。通路の横を見れば、そこには小さな窓があり、そこからイブキの町並みと海岸線が見える。

「そんなのは、悲しすぎるだろう? 俺も昔はそんなことを考えずに銃を取った兵士だからあまりえらそうには言えないが・・・これだけは言える」

 そんな風景を眺めながら、祐介はわずかに―――微笑んだ。

「自分たちの意思で垣根を越えたお前たちなら、これを正せるかもしれない。

 だから、もう戻れない俺たち大人の変わりにお前たちが進んでくれ。頼む。

 そしてそのお膳立ては・・・俺たち大人に任せてくれて良い」

 海岸をオレンジ色に照らす夕日。それを浴びた祐介の表情は、どこまでも晴れやかな笑みだった。

 卑怯だ、と朋也は思う。

 そんなことを言われてしまったら・・・もうなにも言えなくなるじゃないか、と。

「岡崎。風子や郁未たちを頼むぞ」

「・・・俺は・・・」

「で、清水。こいつはいろいろと危なっかしい。君には悪いが、面倒見てやってくれ」

「え、えっと・・・」

「君も、元気で」

「あ・・・」

 ポン、となつきの頭を叩き、祐介は背中を向けた。

 納得したわけじゃない。認めたわけじゃない。

 でも、これ以上なにかを言うのはただのガキだ。もう自分は大人で・・・。

 ギリッと音がした。それが最初自分の歯を噛み締めた音だとは気付かなかった。

 祐介が自分に、―――いや、自分たちに託したものがある。

 それを手繰り寄せるように、思い返すように、朋也は掌をぎゅっと握った。

 遠のいていく祐介の背中。それを見て、しかし朋也はもう口を開かない。だが、

「あ、あの・・・!」

 なつきが祐介を止めた。

 足を止め肩越しに振り返った祐介に、なつきはしどろもどろになりながらも必死に言葉を紡ぐ。

「あ、えっと、その・・・あの、なつきは、昔、一年戦争のときに横須賀の戦闘に巻き込まれたことがあって・・・」

 ピクリ、と祐介の眉が跳ねた。だが、それに気付かずなつきは続ける。

「でも、そのとき一人の連邦の軍人さんに助けられたんです。大丈夫だ、って。大きな手で頭に手を置いてくれました。

 すごく安心したのを、なつきはいまでも覚えています。だから、なつきは連邦軍に入ろうと思ったんです。それで、あの・・・。

 い、いまの感じがなんとなく・・・その、懐かしい感じがしたんです! あの、もしかしてあのときの兵士って、芳野さんじゃ―――」

「いや、違う。俺じゃないよ」

 祐介は顔を通路の先に戻しながらそう言った。

 その動きに、朋也は確信を得る。

 ・・・なつきを助けたのは祐介だ、と。

 付き合いの長さから相手のことがわかってるのはなにも祐介だけではない。

 祐介が嘘をつくときや誤魔化すときに無理にこちらから視線を逸らせるのはいつもの癖だ。

「そう・・・ですか」

「力になれなくてすまないな」

「あ、いえ。こちらこそ引き止めてすいませんでした」

 手だけを振り返し、祐介は去って行く。

 その背中を眺めるなつきに、朋也はどういったものかと口を開きかけ、

「大丈夫。わかってますよ、朋也さん」

「え?」

「・・・なつきを助けてくれたのは芳野さん、なんですよね?」

 目を見開く朋也。

「・・・どうして、そう思ったんだ?」

「芳野さんの態度や朋也さんの態度からなんとなく。それにもしあの人なら、きっとこの状況ならこうするだろうなぁ、とか思ったので」

 ふぅ、となつきは小さく嘆息。

「あ〜あ。やっと・・・折角会えたのになぁ。・・・どうして、こうなっちゃうん・・・だろう・・・な、ぁ・・・」

 最後の方は言葉が崩れてしまっていた。

 ・・・なつきの瞳からポロポロとこぼれ落ちる雫がある。

 必死に堪えようとしているようだが、涙は一向に止まりそうな気配が無い。

「あ、れ・・・。嫌だなぁ、なつきは泣きなくなんて、ないの―――」

 に、と続けようとして、しかしその先は紡がれなかった。

 なにか温かいものに顔がうずまる感覚。これは、

「え・・・?」

 朋也の、胸の中で・・・。

「なんだ。泣いてるのか、お前?」

 その言葉の真意を悟り、思わず小さく笑いがこぼれた。

「・・・もちろん、泣いてなんかいませんよ?」

「だな」

「はい」

 はい、ともう一度呟き・・・なつきはもっと強くその胸に顔を押し付けた。

 頭の中で、一度渚に謝りを入れて・・・。

 

 

 

「ん?」

 祐介が作戦司令室の目の前にまで来ると、扉の近くの壁に背を預けた一人の女性がいることに気付いた。それは、

「公子?」

「あ、祐介さん」

「どうしたんだ、こんなところで」

 近付き聞けば、公子の笑みがわずかに翳る。

「ついさっき・・・ふうちゃんと郁未ちゃんがこっちに来ました」

「そうか」

 祐介は頷くに留めた。

 いまの公子にそれ以上の言葉は必要ないだろうと考えたからだ。

 だから祐介もただ公子の隣に背を預けた。

 隣にいる。それだけで安心できることもあるだろう、と。

 そうして数秒から数分が経った時、不意に公子が口を開いた。

「祐介さん。・・・本当に良いのですか?」

「なにが?」

 しばし逡巡する。はたしてこれを問いかけて祐介は怒らないだろうか、と公子は思いつつ、

「ここに残ることです。・・・祐介さんは―――」

 スッと、口を遮るわずかな温もり。

 それは・・・祐介の唇だった。

「俺は関係者じゃない、なんて言うな。まだ籍は入れてないが、俺とあんた・・・公子は夫婦のはずだ。俺はあんたと一緒にいる」

「祐介さん・・・」

「夫婦なら、どんなときにも一緒にいるもんだ。・・・公子は強い。頑張った。だから・・・、だから最後ぐらい俺に甘えてくれ」

 救われたのは、むしろ自分だと祐介はいまでも思っている。

 連邦の兵士として言われるがままに戦いに明け暮れていた日々。

 敵は敵。そう考えていたからこそ無慈悲に引けた引き金。

 なにも疑問に思わなかった、その日常。

 けれど、それも一人の女性と出会い全てが変わった。

 それが公子であった。

 公子と出会い、話し、祐介は当たり前のことに気が付けたのだ。

 自分の浅はかさを知った。

 ・・・だからいまの自分があるとも祐介は思っている。

 自分の人生を変えてくれた相手。掛け替えのない女性。自らの全てをささげたところで返しきれない恩がある。

 いや、それを抜きにしたとしても―――自分はこの女性、公子を愛しているのだ。だから、

「そうじゃなければ、俺はあんたになにもしてあげられない」

「なんにも、なんてことありません。祐介さんは充分に私を愛してくれました」

「過去形なのか?」

 祐介の問いに、公子は小さく、しかしはっきりと首を横に振る。

「愛して、くれています」

 そのときポタリとなにかが落ちる音がした。それは、公子の流した涙だった。

 祐介が一歩前に出る。そしてそっとその華奢な体を抱きしめた。

 細い、細い体。その肩に、いままで一体どれだけの重圧を一人で背負ってきたのだろう。

 少しその腕に力を込める。

「安心したよ。公子が泣いたところ、初めて見た」

「泣いて・・・安心なんですか?」

「こんなときでも笑っていたら、悲しい。あんたはいろいろと我慢しすぎだ」

「・・・そう、ですかね?」

「ああ、そうだ」

 くしゃっと、公子の顔が歪む。

「・・・なら、いまぐらい・・・よ、弱音を吐いても・・・良いですか・・・・・・?」

「ああ」

 ポタリポタリと涙が頬を伝って落ちていく。公子は腕を祐介の背中に回し、強く抱きしめた。

「死ぬ、のが・・・少し、怖いです」

「誰だってそうだ」

「いえ、・・・ちょっと、違う、かもしれません。・・・怖いのは、死ぬこと自体、じゃなくて・・・、まだ、後悔が残ってること・・・」

 公子は途切れ途切れになりながらも、一生懸命に言葉を紡いだ。

 祐介と結婚したかったこと。

 祐介との子供を生んでみたかったこと。

 郁未や風子のウエディング姿や、その子供が見たかったこと。

 そして・・・争いのない平和な世界が見たかったこと。

 流れ出る涙はその代名詞か。一つ一つにある思いを心のうちから出すように公子は口を開き続ける。

「でも・・・・・・、この行動に、後悔は・・・不思議とないんです」

「そうか」

「きっと・・・彼らなら・・・、できます、よね?」

「もちろんだ。あいつらは、強い」

「・・・・・・はい。そう、ですね」

 公子はスッと祐介から体を離す。袖で涙を拭い、次の瞬間にはいつもの笑顔を浮かべていた。

「そろそろ時間です。連邦もじきにこちらの動きに気付くでしょう」

 甘えは終わり。そう、公子の瞳が言っていた。

 祐介は公子を見つめたまま一歩下がる。

 お互いは、そのまま動かない。

 一秒、二秒・・・。そうして何秒か経ったとき、祐介は静かに背を向けた。

「行ってくる」

「行ってらっしゃい」

 そっと交わされた普通の会話。

 そして、

 ―――最後の言葉。

 

 

 

 MS格納庫へと歩を進める祐介。

 その途中、不意に人の気配が動いた。

「お別れは・・・もう良いのですか?」

「杉坂。いたのか」

 物陰からゆっくりと祐介の隣まで歩いてくる少女、葵。

「どうしてお前がここにいる? もうキサラギもカンナヅキも発進するぞ」

「何を言っているんですか。私はここに残りますよ」

 祐介は思う。

 どうしてこうも自己犠牲が強い者が多いのだろうと。

「杉坂―――」

「別に、公子様や芳野様のために残るわけではありません」

 祐介の言葉を遮るようにして、葵は続ける。

「私は公子様についていくことを決めました。公子様の言うことならどんなことにでも従うつもりです。

 ですが、今回の命令は引き受けることは出来ません。なぜなら、私は公子様に仕えていると同時に、このイブキ自体に仕えているのですから」

 一拍。

「私はこのイブキが生まれたその瞬間からこの国に仕えてきました。このイブキが滅びる時・・・、それは私の死ぬときです」

「・・・・・・ふぅ」

 祐介は大きくため息を付き、頭を掻いた。

「何を言っても無駄なようだな」

「ご理解いただけて幸いです。それに・・・」

「・・・それに?」

「私たちは無駄死にではありません。小さくとも強く輝く炎を宇宙に灯すという、大事な役目があります」

 そう言って、葵が笑った。

 祐介の知る中で、初めての笑顔だった。

 だから祐介も笑みを浮かべた。

「そうだな」

 

 

 

 イブキ領海線上にいる連邦艦隊。

 ラー・カイラムの下がった現状、総指揮を任されている潤のムツキでは、隆之がただ暇そうにアームレストを打ち付けていた。

「しかし、わかっていることとは言え・・・暇ですね。こうなにもないと」

「もうしばらく辛抱ください。あと一時間もすれば増援も辿り着きます。そうなれば、もうイブキに太刀打ちできる力は無い」

「それもわかってはいるんですけどねぇ」

 嘆息し、隆之はただ目の前に広がる海を見つめてはアームレストを指で打っていた。

 むしろ嘆息したいのはこちらの方だ、と潤は心中で呟く。

 もともともう少し慎重に情報なりを探ってから挑めばこういうことにはならなかったのだ。こんなことでは下手をすれば本当にイブキに逃げられてしまう。

 個人的にはイブキが逃げようと逃げまいと構わないのだが、ここを任された指揮官とすれば、失敗は許されない。

 それは軍としても、また個人のプライドとしても、だ。

 とはいえ、あと一時間の辛抱だ。気長に行こう、と椅子に背を預けた瞬間だった。

「え・・・?」

「どうした?」

 オペレーターの我が目を疑うかのような声。その声に何か不吉な予感を感じ、潤は問う。すると、

「い・・・イブキより艦隊接近! 数、九!」

「なっ!?」

 馬鹿な、という思考が頭を過ぎる。この状況、このタイミングで打って出てくるなど信じられない。

 しかも九という艦隊数は先の戦闘で、カンナヅキとキサラギを除くイブキの残存艦全てではないか。

「おや、勘が外れましたね?」

 面白そうに呟く隆之を無視して、潤はとりあえず命令を下す。なぜか、など後で考えれば良いことだ。いまは実際起きていることに対処する。

「第一戦闘配備! MS発進! ミサイル全装填、エネルギーチャージを開始しつつ微速後退! 有効射程内に入ったら構わず撃て!」

「後退? どういうことです?」

「これはどう考えてもあちらが不利な状況です。そこで攻めてくるとすれば、なにかしら理由があるはず! 警戒するに越したことはないんです!」

 潤の本能が告げている。なにかがおかしい、と。

 そしてこちらの後退より速く前進してくるイブキ艦隊。数分もすればそれは射程距離に入り―――、

「射程距離です!」

「いちいち言わなくて良い! 撃て!」

 潤の命を受け、連邦の残存艦が一斉射撃を放つ。海がしぶきをあげ、艦隊に砲火が振り落ちる。

 まだ距離があるせいかさほど当たりはしないが、それでもいくらかは当たっている。が・・・、

「なんだ・・・?」

 さらに違和感。

 おかしい。おかしすぎる。なにもかもがおかしい。

 まず第一に、なぜ回避運動を取ろうとしないのか。

 この射程距離ギリギリでなら大抵の攻撃は回避さえすればまず当たらない。この距離での攻撃は基本的に接近阻止の牽制なのだ。

 そして第二に、なぜあちらは攻撃してこないのか。

 積んでいる武器にそう大した違いがないのは先の戦闘でわかっていることだ。なら向こうもこちらを射程に入れているはずだが。

 回避しない。攻撃しない。これではまるで―――、

「・・・まさか」

 そこで潤は思い至った。これは・・・、

「敵艦、なおも高速で接近中!」

「くっ! 各艦に通達! 散開せよ!」

「散開・・・?」

 怪訝そうに眉を傾ける隆之に、潤は小さく舌打ちしながら、

「最初、数少ない勢力でもこちらを討てる新武装かなにかを積んでいるのかと思いましたが、これは違う!

 回避しない、攻撃しない! それは決まってます。なぜなら、あの艦隊には誰一人として乗っていないのだから・・・!」

「な・・・」

 潤が言った瞬間、イブキ艦隊で先頭にいた艦が僚艦へ失速すらせず突っ込んだ。そして大爆発。

 一つの艦では考えられないほどの爆発を持って、連邦の艦隊三隻を飲み込んだ。

「これは・・・!」

「そうです! イブキは艦に爆薬を突っ込んでこっちに流したんです!

 艦が来れば迎撃をしなくてはいけない! 迎撃するにしても様子のおかしさに気付く! そしてその正体に気付いた頃には―――」

 言い切る前に二度目の爆発。眼を焼かんばかりの光に思わず何人かのクルーから悲鳴がこぼれる。

 振動するブリッジ。椅子に強く打ち付けられながらも、潤はまだまだ迫る艦隊を睨み付け、

「これは完全な足止めだ! いまある全部の艦を使ってこんなことをするからには、この裏で何かを―――」

 再び言葉はそこで途切れた。

 爆発ではない。艦橋から見えた光景に、クルーの誰もが言葉を失った。

 イブキから空へ。力強く放たれる一筋の光。それは、

「逃げるのか・・・! 宇宙へ!」

 

 

 

 その数分前。カンナヅキブリッジ。

『それじゃ、先に行くの』

「ああ、後で落ち合おう」

 ことみが頷き、通信が切れる。次いで、物凄い轟音と供にキサラギがマスドライバーを疾走し、そのまま宇宙へと飛び立っていった。

「斉藤、マスドライバーとの接続時間は?」

「五分程度かと」

「もっと急がせろ。連邦だって馬鹿じゃないんだ」

「了解。善処します」

 祐一は艦長席にもたれかかった。

 そう、連邦が来ないわけがない。いくらあの作戦があるとはいえ、だ。

 早く、早く宇宙に行かなくては、いままで犠牲になってきたイブキの者に申し訳がない。

 逸る気持ちを押さえきることができず、祐一の足は小刻みに床を打つ。と、

 ビービー!

 突如として警戒音が艦内にこだました。

「どうした!」

 祐一が立ち上がる。それに川口が向き直り、

「五時の方向よりMSが物凄いスピードで接近してきます! 数、三!」

「三機? ・・・あの、ガンダムか!」

 ―――足の速いMSだけこちらに差し向けたか!

 宇宙へ上がろうとする艦ほど無防備なものはない。MS数機でも落とせるかもしれない。

 ここまで来て、と毒吐くも、それで情況が好転するはずもない。

 と、そこへ通信が来た。それは、

『相沢。ここはこちらが引き受ける。だから発進を急がせろ』

「芳野さん!? でも・・・」

『こうなることは最初からわかりきっていたことだ。・・・こっちもそう長くは足止めできん』

 確かに最初からわかりきっていたことだ。だから祐介は残ったのだし、祐一もことみもそれを納得した。

 そう、納得したのだ。

 祐一は何かに耐えるようにグッと手を握りこむ。

「・・・・わかりました」

『ああ。・・・達者でな』

 そこで通信は切れた。

 なにも映らないモニターの向こう。しかし祐一は万感の思いを込めて敬礼を捧げた。

 

 

 

 SFS、フライングウォーカーに乗って祐介のリアンダー・ゼオンと葵のエイレスがマスドライバーを遮るように立つ。

 目の前には急激なスピードで迫る三機のガンダム。

 パイロット能力、MSの性能、そして数。全てにおいて劣勢であるこの状況で、しかし祐介も葵も絶望はしていない。

 むしろどこか清々しい面持ちでそこにいた。

「時間を稼げれば良い。あとは・・・あいつらがどうにかしてくれる」

「はい」

 その二機の姿は、向かってくる三人にも確認できた。

「あら、なんかいるわよ」

「カンナヅキの盾にでもなるつもりでしょうか」

「邪魔するんなら、撃ち落としちゃえばいいのよ」

 たかが二機のMS。多少性能が良いとは言え、所詮量産機などに自分たちが後れをとるわけがないと、そう踏んでいた。

 そして、五機のMSは衝突した。

 

 

 公子は静かにモニターを眺めていた。

 そこに映るのは二つ。上空でぶつかり合う五機のMSと、急ピッチでマスドライバーとの接続をしているカンナヅキ。

 公子は無意識に胸の前で手を組んでいた。

 祈るように、目を瞑る。

「どうか、神様・・・」

 公子は別に神という存在を信じているわけじゃない。

 でももしも、神という存在が本当にいるのなら・・・、せめて、せめていまだけは、

「せめていまだけは、その力をお貸しください・・・」

 

 

「マスドライバーとの接続完了!」

 斉藤の声が艦内に響いた。全員の顔が祐一に集う。

「よし、メインエンジン点火! 失敗は許されないぞ! 俺たちには背負っているものがあるんだからな!」

「「「了解!」」」

 祐一は大きく、誰にも聞こえるように叫びを上あげた。

「カンナヅキ、発進!!」

 

 

「なかなかやるじゃない!」

 Ωガンダムのジェノサイドクローが伸びる。変幻自在に動き回るそれに、しかし葵は当たらない。

「はあぁぁぁ!」

 ジェノサイドクローを掻い潜り、ビームサーベルを片手に突っ込んでいく。

 それを見た友里は肩のビームキャノンを撃つが、それをシールドで弾きながらなお葵はスピードを上げる。

「ちっ!」

 奔るビームサーベルの閃光を寸でのところで後方に回避する友里。だが、それを計算していたかのように葵は肩部のリニアレールガンを放った。

「くぅぅぅ!」

 超高速で放たれる鉄の塊は、無論Iフィールドに遮られることなくΩガンダムの右肩を撃ち抜いた。そのショックで機体の制御を一瞬失った隙を、葵は見逃さないと言わんばかりにビームサーベルを掲げる―――が、

「させませんよ」

 高速で飛来するMA、Σガンダムのメガビームライフルに右腕部を消し飛ばされた。舌打ちする暇もなく、次いで強烈な衝撃が葵を襲う。

「やってくれるじゃない!」

 いつのまにか体勢を立て直した友里のジェノサイドクローに頭部をつかまれていた。次の瞬間、握り潰されメインカメラが破損。一瞬モニターに何も映らなくなる。

 急いでサブカメラにチェンジしたが、そこに映ったのはこちらに振りかぶられたΣガンダムのビームサーベルだった。

 必殺の間合い。しかし、葵は諦めなかった。

「ただで、死ねるものですかっ!」

 シールドを構えるのでは遅い。だから葵はシールドを構える動作の途中でシールドから手を離す。

「なっ!?」

 シールドはそのままの勢いでΣガンダムの面前へ。それをビームサーベルで薙ぎ払うと、そこには既に変換型ビームスマートライフルを速射型に切り替えたエイレスの姿が。

「!」

「遅いですよ!」

 放たれた疾風の弾丸は、Σガンダムの左足を撃ち抜いた。

「く・・・!」

「ちぃ!」

 あの距離での速射攻撃なら直撃も可能と考えた。が、それでも反応できるとは。

 バランスを崩し一瞬後退するΣガンダムの右サイドから再びΩガンダムが突出する。

「そう何度も調子に乗らせるか!」

 同時、ジェノサイドクローが左右両方伸びてくる。

 それに対しビームスマートライフルで応戦しようとするが、変則的な動きを仕掛けるジェノサイドクローには当たらない。

 既に距離は必死。もはや、かわしきれない。

「公子様・・・、芳野様・・・!」

 真っ直ぐ伸びてくる鮮血の魔手。それは葵のエイレスを二分し、爆発四散した。

 

 

 視界の隅で光るものがあった。

 確認はしていないが、祐介にはそれが何であるかはなんとなくわかった。

 歯噛みする。だが、思いはその一瞬のみ。祐介はすぐに意識を目前の敵に集中した。

「あぅー! いい加減に、堕ちなさいよー!」

 真琴の言葉と同時、ビームとミサイルの雨が祐介に降り注ぐ。まるで戦艦と対峙しているんじゃないかと錯覚させるほどの攻撃量に、祐介は半ば辟易としながら拡散メガ粒子砲を放った。それにより広範囲にばら撒かれたミサイルが次々に堕とされていく。

 その間をすり抜けるようにして、フライングウォーカーを走らせながらビームサーベルを抜き放った。

「こっちに来るなぁ!」

 迫る祐介に、真琴は射線を縮める。そして、それは祐介の思う壺だった。

 飛来するビームとミサイルの集中豪雨を目前にしてリアンダー・ゼオンが跳んだ。

「・・・えっ?」

 唖然とする真琴。

 比喩でもなんでもない。リアンダー・ゼオンは文字通り跳んだのだ。フライングウォーカーを蹴り、Δガンダムの頭上へと。

「おぉぉ!」

「うわっ!」

 急降下してくるリアンダー・ゼオンがビームサーベルを袈裟斬りに振るう。真琴はどうにか機体を動かしたが、かわしきれずハイパービームキャノンの砲身を二本斬り飛ばされた。

「よくも―――っ!?」

 落ちていったであろうリアンダー・ゼオンに狙いをつけようと下を向くが、なぜかそこにはなにもない。真琴が首を傾げていると、

「後ろよ、真琴!」

「え!?」

 友里の声に弾かれるように振り向けば、そこにはどういうことかフライングウォーカーに乗ってビームライフルを構えたリアンダー・ゼオンの姿があった。

「なっ!?」

「遅い!」

 実はあのとき既に下にフライングウォーカーを待機させておいたのだ。ビームサーベルで切り払った後、乗り込んだ祐介はそのままΔガンダムの下方を滑空、背後に回りこんだのだった。

 まさにベテランの技。いくら強化され、通常の人間以上の能力を持っていてもそれは経験で補うことの出来ること。

 一年戦争でアムロと同等の名を世に響かせた芳野祐介。何年と現役から退いてなお、彼の実力はまだこの領域にある。

 奔るビームの光。真琴はなんとか機体をずらすも、フライングアーマーに直撃してしまい、そのまま海へと落ちていった。

「このぉぉぉ!」

 堕とせなかったが、戦力を減らせたことは大事なことだ。

 そうして振り返り、こちらに残りの二機が向かってくるのを視認したとき、突如後方から轟音が響いた。

「やっとか」

 それは、振り向くまでもない。カンナヅキがマスドライバーを疾走している音だ。

「あれは!」

「まずいですね」

 その正体に友里と茜も気付いた。どうにか妨害しようとスピードを上げるが、そんなのは祐介が許さない。

 進行妨害の意味をかねて拡散メガ粒子砲を撃つ。視界を埋めるメガ粒子に、友里と茜は舌打ちをしながら機体を旋回させた。

「先にあれを堕とさないと」

「駄目なようですね」

 右からΩガンダム、左からΣガンダムが迫り来る。左右から放たれるビームに、祐介は機体を若干後退させてシールドを構えた。

 あまり大きな回避行動は取れない。なぜならその隙にマスドライバーに向かわれてしまうかもしれないからだ。

 Σガンダムが変形を解除、MS状態になってビームサーベルで切り掛かってくる。それに対し祐介もビームサーベルを抜くと、二、三撃切り合う。その間にΩガンダムがメガビーム砲を放ってくるが、それはシールドで対処する。

 目線を少し後方に見やる。カンナヅキはマスドライバーを昇り始めたところだ。あと少し、あと少しだけもたせれば・・・、

 その一瞬の思考が、隙となった。

「なっ!?」

 轟く爆音。それが自分の乗るフライングウォーカーとリアンダー・ゼオンの左足が爆ぜた音だと気付くのに数秒を要した。

「どこから!?」

 答えは直ぐに返ってきた。次々に飛来するビームとミサイル。それは、下方から放たれていた。

「よくも、よくも真琴をコケにしたわね!」

 その機体、Δガンダムはどうやら水上に浮く能力を持っていたらしい。水上に立つΔガンダムは怒りをぶつけるようにめちゃくちゃにビームなどを乱発していた。

 フライングウォーカーを破壊されたリアンダー・ゼオンは重力に引き寄せられるままに墜落していった。

「いまのうちに」

「そうね」

 茜のΣガンダムがMA形態に戻り、それに続くようにΩガンダムが飛んでいく。

「くそ・・・!」

 あと、あと少しなのだ。カンナヅキはもう少しで宇宙に上がる。

 邪魔をさせるわけはいかない!

「はぁぁぁぁぁ!」

 ビームサーベルを投げつけた。それは全くこちらに意識を向けていなかった友里のΩガンダムが乗るフライングアーマーに突き刺さった。

「あいつ、まだ!?」

 破壊されたフライングアーマーによって空中移動が不可能になったΩガンダムが落ちていく。それを横目に茜は急旋回、MS形態に戻り、ビームサーベルを抜き放った。

「往生際が悪いですよ!」

 足を破壊され、いまなお下から飛んでくるビームなどによって各部を破壊されたリアンダー・ゼオンにそれを回避する術はない。

 祐介は視線を横に向けた。

 そこではやっとカンナヅキがマスドライバーから打ち出され、空高くに舞い上がっていた。

「後は・・・、頼んだぞ」

 いろいろなものを背負わせてしまった。でも、きっと彼らならなんとかするだろう。

 祐介は目を瞑った。

 真っ暗なその世界で、最後に瞼の裏に浮かんだのは・・・、

 笑みを浮かべた、公子の姿だった。

 

 

 見つめる先、赤が空を舞った。

 画面の中で一機のガンダムによってリアンダー・ゼオンが破壊された証。それを見て、公子はゆっくりと瞳を閉じた。

「祐介さん・・・」

 ギュッと胸元で手を握る。

 いろいろな思いが胸の中を駆け回り、しかし涙は出なかった。

 最後に甘えさせてくれたからかもしれない。

 公子は瞼を上げる。

 目の前にある、赤いボタン。これを押すのが自分の・・・、イブキの長として、なによりカンナヅキとキサラギを見送った自分の役目にして責任。

「このイブキを、連邦の好きにはさせません」

 瞳の中に強い意志を宿し、公子はそのボタンを押した。

 

 

「行っちゃったわね」

「そうですね」

 MA形態のΣガンダムに吊り下げられているΩガンダムの中で、友里は大きくため息を付いた。

「どやされるわよ。あいつに」

「・・・過ぎたことは仕方ありません」

「ま、それもそうだけ―――え!?」

 友里の言葉がそこで途切れる。

 茜も、真琴も目を大きく見開いてそれを見つめた。

 真っ白に輝く、大きな閃光。

 視界を覆いつくしたその白は、まさしくイブキ崩壊の炎だった。

 

 

 それは隆之たちにも見えていた。

 潤や隆之はムツキの艦橋でそれを呆然と眺め、次いで隆之は歯をかみ締めてアームレストを叩きつけた。

「おのれ・・・! 伊吹公子めぇ!」

 

 

 そして、カンナヅキの面々にも。

 離れていく地上。その上に覆い被さるようにして輝く白き閃光。 風子と郁未、朋也やなつき。そしてその他の面々が見守る中、イブキは静かにその短い生涯を閉じようとしていた。

「お姉ちゃん・・・・・・」

「公子・・・さん・・・」

「芳野さん・・・」

「・・・・・・」

 崩れる建物。爆発するマスドライバー。崩壊していくイブキの姿を、誰もが何かしらの思いを込めて見つめている。

 

 

 炎にまみれ、崩れ落ちる瓦礫の中。

 公子はただ悠然とそこに立っていた。

 その表情には恐怖も何もない。あるのは、ただ笑みのみ。

「祐介さん、いま、行きますね」

 舞い散る炎の影に、公子の姿は―――かすれて、消えた。

 

 

 

 あとがき

 ども、神無月です。

 うあぁぁぁ、すげー長くなってしまったぁ。それでも前編後編に分けるようなタイミングも見つからず、結局一話に・・・。

 ・・・ま、まぁこれでなんとか宇宙へ行けます。いよいよ最終ステージです。

 今回の最後の方、戦闘が始まる辺りはBGM「暁の車」にて読んでくだされば雰囲気が出るかと。

 ちなみに神無月は「暁の車」を聞きながら執筆しました。

 そんなこんなで、また次回に。

 

 

 

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