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               【追憶】

 

「くそ、やつら調子に乗って!」

「左に回ったぞ!抑えろよ!」

「できたらこんなに苦戦してないだろ!くそっ!」

 ここは宇宙。サイド1の近郊宙域。

 飛び交っている怒号は、通信によるものだ。

 そこでは戦闘が行われていた。エゥーゴと、そしてティターンズ。

 ティターンズは付近の索敵任務から帰ってきたばかりの部隊。そこをエゥーゴの部隊が強襲を仕掛けてきた、という状況だった。

 ティターンズの部隊はわずかに四機。対して敵のエゥーゴの部隊は三機一組の小隊が四つ、計十二機である。

「あたしが敵を撹乱する!あんたたちはもっと下がって!」

「な、七瀬隊長!?」

 そのティターンズ部隊の中の一機、青いハイザックが単独で突出する。

「隊長!」

「時間稼ぎくらいにはなるわ!早く戻りなさい!」

 その機体に乗っているパイロット、この小隊の隊長である七瀬留美中尉だ。

 しかし、彼女は正直この状況でそれほどの時間稼ぎもできないと踏んでいた。

 こちらはハイザック。そして向こうはジムUが十二機だ。・・・戦力差は歴然。いくらパイロットとしての腕はこちらが上だとしても、これではまずやられるだろう。

 だが、留美には隊長として部下を艦に戻す使命がある。全滅などという失態だけはさせない。しかし―――、

「た、隊長!」

「なにをしてるの!さっさと退きなさい!」

「無理です!」

「それはどういう―――!?」

 振り返り、理解した。

 逆方向から更に光点。その動き、その大きさ、間違いなくMSのものだ。しかも、その数は更に多い十四。

 しかもその後方にある一回り大きい光点は巡洋艦だろう。

 まさに絶体絶命。

 四機相手にここまでするとは相手の指揮官はいったいどういう神経をしているのか、とも思うが、敵軍の名パイロットを倒したとなれば、それだけで自軍の士気は高まるもの。

 そして留美は『蒼き死神』という二つ名を持つ名パイロットだ。相手が躍起になるのもそれが理由だろう。

「隊長!」

「くっ・・・!」

 さすがにジムUを二十六機も相手になんかできない。ここで終わりか、そう諦めかけた瞬間、

『どうした七瀬。お前はそんなもんか?』

 通信に対し、え、と呟いたと同時、スクリーンの向こうで三つの爆発が起きた。

 その爆煙から現れるのは、黄色いジム・クゥエル。宇宙の黒にも栄えるその機体の肩には、雷のエンブレム。

 その機体の登場にティターンズの部隊は歓声を上げ、エゥーゴの部隊は戦慄した。

 エリートの集まるティターンズの部隊の中でも、最強の部類に入ると謳われる男。

 その名こそ、『雷神』折原浩平。

「折原!」

「諦めるなんてお前らしくないな、七瀬」

 その、どこまでも飄々とした言葉に留美は苦笑を隠せない。

「なによ、こっちの気も知らないで・・・」

「ま、無駄話は後にしよう。まずは敵を殲滅する。ついて来れるな?」

「あたしを誰だと思ってるのよ?あたしは七瀬よ?」

「・・・上等だ」

 瞬間、浩平のジム・クゥエルが旋回して翻る。

 迫ったジムU二機を瞬時に切り捨て、そのままビームライフルで中空を撃つ。ばらまいただけに見えたその光線は、しっかりと他のジムUを打ち抜いていた。

 その動きに、慌てたようにジムUが浩平に群がっていくが、無駄だった。

 誰も彼に傷一つ付けられない。変わりにジムUは次々と落とされていく。

 鮮やか。鮮やかなまでに圧倒的だった。

 宇宙を奔る様はまるで稲光。その強さはまるで神の如く。

 そうして畏怖と尊敬で付けられた通り名が『雷神』。

 その名の如く、折原浩平は強者だった。この中で誰よりも、圧倒的に、強かった。

 数分。その間にジムUは全滅し、巡洋艦すら落とした折原浩平。

 

 ・・・しかし、彼の人生が墜落していくのは、さほど遠い未来ではなかった。

 

 

 

 ―――それは、UC.0085.7.31のことだった。

 

 

 

『そっちは元気?こっちは元気です。みさおちゃんも、早く浩平に会いたいって言ってるよ。今度会えるのはいつ頃になるのかな・・・?』

 浩平は簡易シャワールームから出ると、バスタオルで髪を拭いながら音声メールを聞いていた。

 差出人は彼の幼馴染。そして彼女でもある、長森瑞佳。

『もう30バンチに引っ越してきて三年。わたしもみさおちゃんも大分慣れてきたよ。新しいお友達もできたし、うん』

 ベッドに腰をかけ、飲み物を口に含みながら浩平はその声に耳を傾けていた。

『そういえば、最近反連邦のデモが活発になってるの。今日も外はすごく騒がしいし。あ、もちろんわたしはデモになんか参加してないよ?

 連邦には浩平がいるし、連邦っていう仕事がどんなことかもわたし知ってるから』

 音声に苦笑が混じる。

『まぁ、要約すればとりあえず平和に過ごせています、ってことです。今度長期休暇でも取れたら遊びに来てね。紹介したい子もいるし、わたしもみさおちゃんも待ってるから。・・・お休み』

 ブツッ、という機械音と共にメールは終了した。

 聞き終え、浩平はバスタオルを椅子の方に投げかけると、どっとベッドに倒れこんだ。

「・・・もう、三年も会ってないのか」

 会いたい、と思う。

 けれど最近はエゥーゴやカラバ、それにジオンの残党も活発に動きまわっている。当分は艦を離れることはできないだろう。

「任務が終わったら会えると良いんだけどな」

 今回の任務は、偶然というかサイド130バンチでの反連邦デモを抑える、というものだった。

 そう、先程瑞佳のメールの中にあった、あれだ。

 デモの抑圧など他の部隊でもできるのだろうが、ちょうどサイド1に来ていたこの部隊がまわされることになったのだ。

 しかし、MS部隊を使ってどうやってデモを鎮静化するつもりなのだろうか。

 そう考えていた矢先、

『折原大尉。ブリーフィンブルームに集合お願いします』

「あぁ、わかった」

 これから作戦を発表するのだろう。

 ベッドから反動をつけて立ち上がり、軍服に袖を通す。

 人間相手にMSでなにをしろというのか知らないが、浩平の頭の中にはもう任務終了後にどうやって瑞佳たちに会うか、そのことだけで埋め尽くされていた。

 

 

 

 ブリーフィングルームには、浩平以外のほとんどのメンバーが揃っていた。

 その最前席、階級の高い者が座る席には七瀬留美ともう一人、広瀬真希がいた。

 共に凄腕のパイロットだ。階級は共に浩平より一つ低い中尉。

 浩平は留美の横に背を下ろし、ふぅと小さく息を吐く。

「お疲れね?」

「そりゃそうだ。一人でMS二十機近くの相手だぞ?それで疲れなきゃどうかしてる」

「っていうかそんな芸当あんたにしかできないわよ」

 呆れたように呟く留美に苦笑で返し、浩平は視線を前に転じた。

 既に艦長などは部屋にいるにも関わらず作戦会議が始まらないということは、別の者が作戦を伝えるのだろうか。

 そう考えていると、不意に前のモニターに動きがあった。

『うむ。どうやら全員揃っているようだな』

 そこに映る人物に、浩平は驚きを隠せなかった。

「バスク大佐・・・?」

 どよめきの中にその名が挙がる。

 そう、いまモニターに映っているのはまさしくあのバスク=オムなのだ。

 ティターンズのバスクと言えばジャミトフ閣下の息が掛かっている直属の部下のはず。

 そんなえらい人物がどうして反連邦デモの鎮圧程度の作戦説明に出てくるのか。

 その妙な状況に、浩平はなにか嫌な予感を感じた。

『では、今回の説明はこの私が説明する。今回連邦に対するデモが行われているのは皆も知ってのとおり30バンチだ。

 で、我々は今回これに対し制圧を行うこととする』

 ―――制圧?

 浩平はその単語に疑問を抱いた。抑圧、ではなく、いま確かに制圧と言った。

 嫌な予感が徐々に、しかしはっきりと膨らんでいく。

『そこで、今回貴君たちにはG3ガスの取り付けを行ってもらう』

「なっ!?」

 ―――G3ガス。それは一年戦争緒戦にジオンが使って多くの人命を亡き者にした魔のガスの名だ。

 さすがにその名に、ブリーフィングルームにいた者たちからざわめきが漏れる。

「ちょっと待ってください!」

『ん?君は・・・折原浩平大尉か』

 思わず立ち上がった浩平は、敬礼も忘れバスクに食って掛かった。

「G3を使うって・・・一体何を考えているんです!?」

『なにを、など決まっているだろう?』

 バスクの口が歪み、

『邪魔者の消去だ』

 瞬間、浩平の中でなにかが切れた。

「ふざけるな!あそこには、・・・あそこには一般人だっているんだぞ!それを、G3ガスで根絶やしにするだと!?そんなことできるかっ!」

『できないではない、するのだ。それに、相手はスペースノイドだ。ここらで見せしめを示すのも悪くはあるまい。身の程を知るには、な』

「―――貴様それでも人間か!」

 いまにも掴みかからんばかりの勢いで吐き捨てる。しかし相手はモニターの向こう。掴みかかることなど出来やしない。

 それは向こうにもわかっている。だから余裕を浮かべた表情で浩平を横流しに見つめている。

『艦長。君の部隊はまるでなっちゃいないな。まったく。これが上官に対する口の聞き方か?』

「は、申し訳ありません」

「艦長!?こんな奴の言うことを聞くのかよ!?」

「折原大尉!相手は大佐だぞ!口の利き方に注意しろ!」

 ぐっ、と歯噛みする。

 所詮軍隊など階級が全てだ。上が白と言えば例え黒でも白になる。そういう世界。

 それをわかっていてなお、浩平は守りたい者がいたから軍隊に所属していたのだ。そして少しでもより良い世界になるように、と。

 だが、いまそれが逆転してしまっている。明らかに世界を混乱させるような所業、しかもそこに守りたいと願った者がいるとなれば浩平のここにいる存在理由がない。

 だが、そうして熱くなる浩平の肩に手を置く者がいた。

「・・・七瀬?」

「ですが、艦長。さすがにG3ガスは行き過ぎだと思います。あれは一年戦争で使われて以来使用がタブーとなってきたもののはずです。ここでこんなものを使えば、これから更に・・・エゥーゴやカラバの動きが活発になるのは目に見えてます」

 そう横から口を挟んだのは留美だ。

 敢えて口調は丁寧。これ以上バスクを怒らせず、最もなことを述べることこそ、いまは正しい選択だろう。

 だが、それに対しバスクはせせら笑いを浮かべ、

『ふん。あんな連中がどれだけ活発に動こうが、我々ティターンズの敵ではない』

「そうです。あんなゴミのような連中がどれだけ騒ごうが、エリートで構成された私たちティターンズには遠く及びません」

 凛とした声はその留美の横から。

『ほう。お前は?』

「広瀬真希少尉です。良ければ今回の任務、指揮を私に任せては貰いませんか?折原隊長はどうやら難色を示しているようなので」

 静かに立ち上がった真希は、横目で浩平を見やり、どこか優越感を感じさせる笑みを浮かべていた。

 その雰囲気が気に入ったのだろうか。バスクは二度三度と頷くと、

『ふむ。良かろう。艦長、今回の任務の部隊指揮は彼女に任せるように』

「はっ」

「艦長、ホントにG3ガスを使う気なのか!?」

 艦長はどこか悲しい目で浩平を見やる。

『艦長。彼は閉じ込めて置け。上官に対する口の聞き方、そして命令無視。閉じ込めるには十分すぎる罪状だ』

 バスクの目配せに、艦長が数名の兵士に対し合図を送った。

「連れて行け」

「え、しかし・・・」

「隊長だからといって何をしても良いということではない。連れて行け」

 兵士たちは互いの顔を見合わせ、仕方なさそうに浩平の腕や肩を掴む。

「お前ら!?」

「おとなしくしてください、隊長」

「自分たちもあまりこんなことはしたくないんです。どうか落ち着いて・・・」

 合計四人の兵士に身柄を拘束された浩平は、さすがに身動きできなくなる。

 そんな浩平を見てバスクは一息。やれやれといった動作で、

『だがそれだけに留めておいてやろう。お前は強い。これからもティターンズで働いてもらわなければいかんからな。厳罰もしないでおいてやる』

 それに対し安堵の息を吐いたのは留美を始め他の浩平の部下たちで、真希はどこかむっとした表情で眉をしかめた。

 だが、そんなことは浩平に取ってはどうでも良いことだ。

 周囲を目を動かすだけで見やる。

 自分の動きを拘束している兵士は四人。更に遠巻きに見ている者が十数人。・・・とても力付くでどうにかできる数じゃない。

 落ち着け、と自分に心中で促す。

 いまここで暴れても状況は悪くなるだけだろう。

 大きく深呼吸を一回。煮えたぎる怒りを理性で抑え、息を殺し力を抜く。

「・・・連れて行け」

「「は、はっ!」」

 促されるがままに歩を進める。

 いまは恭順な振りをしておこう。薬物を打たれたり、隔離部屋に閉じ込められてしまえばそれこそ収拾がつかなくなる。

 自室にて反省待機。

 浩平の部下である四人はそれこそこちらが躊躇ってしまうほどに丁重な扱いだった。

 それだけ折原浩平という存在は部下にとっての良き上司であったのだ。

「では、隊長。どうかおとなしくしていてくださいね」

 兵士の足跡が離れていく。聞き耳を立ててそれを確認し、聞こえなくなった辺りでドアに駆け寄った。

「・・・くそっ!」

 ガン、と扉を大きく蹴る。

 当然ではあったが、やはり外から鍵を掛けられている。そしてこちらの銃やらなにやらは没収され、この扉は強化扉ときた。

 とはいえ、隔離部屋に連れて行かれるよりはましだろう。あそこではもう出ることも叶うまい。

 こんなところでボーっとしている暇などない。

 止めさせなければ。絶対に。

 あそこには・・・大切な人たちがいるのだから。

「・・・やらせるかよ」

 強く握りすぎた拳からは、血が滲み出ていた。

 

 

 

 艦長室から出てきた真希は、ただイラついていた。

 正式に艦長から今回の任の隊長に任命され、嬉しくある。そしてもう一人の邪魔者である留美も今回の作戦を放棄して、浩平同様反省待機の扱いとなった。それも都合が良いのでよしとする。だが、

「あれだけのことをしておいて厳罰なしですって?」

 それがイラつく原因だった。

 あれだけの口を利いたのだ。しかも短気だと有名なあのバスク大佐に。

 それであってもあれだけの処罰と言うのは納得がいかなかった。

「あいつさえいなければ・・・私は・・・」

 折原浩平。どこにいても自分の障害となる。

 自分がどれだけの働きをしても霞む。浩平という存在はそれだけ強く、また邪魔だった。

 どうにかしていなくなって欲しい。軍から消えるか、それとも死んでもらうか・・・。

 だがはっきり言って浩平は強い。とても自分一人で適う相手ではないことは悔しいが知っている。

 ならば勝手にいなくなってもらう方がちょうど良い。ならばどうすれば・・・。

 と、真希はあることを思いついた。

「・・・そう、そうよ。なら、そう仕向ければ良いだけじゃない」

 なんで気付かなかったのかしら、と真希は踊るように歩を進める。

「見てなさい、折原浩平。あなたの時代はもう終わりよ」

 

 

 

 ここは宇宙でそんなことが話されているなど知る由もないサイド130バンチ。

 今日も今日とてコロニー内は反連邦のデモが盛んに行われており、道の往来は人で埋め尽くされていた。

 そこからかなり外れた場所。どこか田舎町を髣髴とさせるようなのどかな町並みが広がっている場所がある。

 ここはまるで先程の光景を別世界に感じさせるほどなごやかで、そんな平和そうな道を歩く一人の少女がいた。

「今日は少しアイスを買いすぎてしまいましたね」

 両手に抱える大きな紙袋から覗くのはアイスのカップ。それを見、くすりと笑うショートカットの少女は名を美坂栞という。

「瑞佳さんやみさおちゃんにもわけてあげましょう」

 彼女は現在ほぼ一人暮らしに近い。いや、父親も母親もこのコロニーにはいるが、仕事が忙しくてなかなか家に帰ってくることはない。姉は学業の関係でいまはこのコロニーを離れている。

 だから彼女の家族は隣の家に住む、あの二人のようなものだった。

 と、噂をすればなんとやら。

 道の向こうから、仲の良い姉妹のように、手を繋ぎやってくる二つの影がある。

 栞はそちらに大きく手を振り、

「瑞佳さーん、みさおちゃーん!」

「あ、栞ちゃん。おはよう」

「栞さん、おはよー」

 近付いてくるのは、長森瑞佳に折原みさお。栞の家の隣の住人であり、またこのコロニーで最も仲の良い友人でもあった。

「栞ちゃん、お買い物の帰り?」

「はい」

「そう。街はどうだった?」

「どうもこうもないですよ。今日も今日とて飽きることなくデモ行進です。まったく、邪魔で仕方ありません」

 そんな栞に、瑞佳は苦笑し、

「まぁ、仕方ないかもね。デモなんてそうすぐになくなるものでもないし」

「でも、邪魔なものは邪魔ですよ。ね、みさおちゃん?」

「まったくです。でも、おかげで学校が休みなのは嬉しいけど」

 その言葉に三人が笑い合う。

 穏やかな空気。暖かな日々。けれど・・・、

「・・・瑞佳、さん?」

 瑞佳はいつの間にか笑みを止め、どこか不安な表情で空を見上げていた。

 空とはいえ、ここはコロニーの中だ。雲の上には、もう一つの大地がある。

 が、栞は直感的に瑞佳が見ているのはそこではないだろうと理解した。見ているのはその先、―――宇宙。

「どうしたの、瑞佳お姉ちゃん?」

 隣で瑞佳の袖を引っ張るみさお。

 それに釣られるようにして、瑞佳は視線を戻した。

「ううん、・・・なんでもないよ。さ、お家に帰ってお昼にしようか」

「うん」

 促し、先に歩を進めるみさおの背中を見つめ、瑞佳は再び不安そうな顔で上を眺めた。

「ホントに、どうしたんですか瑞佳さん?」

「うん・・・、なんか、ね。嫌な予感がするんだよ」

「嫌な予感、・・・ですか?」

 瑞佳は頷く。

「なんだろう、こう・・・胸の底から不吉な感覚がせり上がってくるような・・・、嫌な空気を感じる」

 栞も釣られ上を眺めた。

 そして感覚を研ぎ澄ませば・・・、なにかざらついたような感覚こそすれ、明確な嫌なイメージは感じ取れない。

 けれど栞はここ数年の経験から知っている。

 瑞佳の「嫌な予感」はほぼ間違いなく当たるということを。

 ニュータイプという概念がつい数年前に存在を確立されたが、おそらく瑞佳はそういった能力を秘めているのだろうと栞は思う。

 これから一体何が起きるのか。

 ・・・それが、大惨事の前触れだとは、まだ誰も気付かない。

 

 

 

 浩平はベッドに身体を預けていた。

 とはいえ、寝ているわけではない。耳をベッドに密着させ、瞳を閉じている。

 ・・・・・・ォォン。

 微かな音が鼓膜を振るわせた。そして微弱の振動も。

「くそ、さっきから発進音がしやがる!」

 一定周期でわずかに揺れる艦。それはまさしく艦からMSが発進している証拠だ。

 予想以上に動きが早かった。G3ガスを使うのだからもう少し慎重になるかと考えていたのだが、それは甘い考えだったらしい。

「どうする・・・、どうすれば良い!?」

 時は一刻を争う。そう理解すればするだけ、心は焦りを呼び、思考が無駄に空回りしていく。

 だが、その瞬間―――、

 ドォン!

「なんだ!?」

 爆音。しかも音からするにとても近い距離だ。

 なにが、と思い扉に近付くと、なんとドアが自動で開いた。

 よくよく見れば破壊されたのは、外付けのロックキーで、どうやらこれで外からのロックが外れたらしい。

 誰が、なんのためにしたことか知らないが、浩平にとってこれが好機なことに変わりはない。

 そのまま駆け出す。向かう先はもちろんMSデッキだ。

 既に部隊の機体はほとんど出払ってしまっているようだ。人が少ない分時間を掛けずここまで来れたが、いないということは既に作戦が始まっていることも意味している。

 毒吐き、浩平はすぐさま自分専用のジム・クゥエルに乗り込み、システムを起動させた。

 光が灯るカメラアイ。

 うねりを上げるエンジンに、そこでMSデッキにいた兵士たちははじめて異常に気が付いた。

「なんだ、誰が乗ってる!?」

「隊長!?」

「ハッチ開けろ!開けなければ、壊す!」

「落ち着いてください隊長!こんなことしたらいくら隊長でも―――!」

 最後まで聞いている暇もなかった。

 ビームライフルを抜き、ハッチ開閉口に向けて放った。

 一発じゃ壊れない。ならば二発、三発。ハッチが壊れるまで撃ち続ける。

 そうして破壊したハッチから、浩平は無理やり機体を外に放り出した。

 すぐさまズームでコロニー周辺を見やる。

「!」

 もう外壁にG3ガスの取り付け作業を開始していた。

 ―――まずい!

 思うが先か、動くが先か。浩平の駆るジム・クゥエルは黄色い軌跡を描いてコロニーへと疾走した。

 

 もちろんその接近に真希も気付いた。

 まさに狙い通り。ドンピシャのタイミングだ。

 あとは、片付けるだけ。

「折原隊長は命令違反をした挙句、反旗を翻しました。任務続行のため、折原隊長を敵として迎撃しますが、構いませんね?」

『『広瀬隊長!?』』

 真希が艦長に向けた通信に、周囲の者たちが驚愕の声を漏らす。

『うむ、いやしかし・・・』

 そして艦長もそれはさすがに渋っている様子だ。

 それら全てが真希には面白くない。

「艦長!このままG3設置が失敗すればティターンズの面子だけにかかわらず、のさばっている他の連邦部隊にも付け上がらせる隙を与えることになります。ここは絶対に作戦を成功させなかればいけません。・・・艦長!」

 悩む気配がする。だがそれは数秒で終わり、

『・・・止むを得まい。迎撃を許可する』

 真希の口元が歪んだ。

 さぁ、これで全ての状況は整った。これで心置きなく、邪魔者の折原浩平を消去できる!

「聞いたわね、あなたたち。これは命令よ、反乱者、折原浩平を撃ちなさい!」

『しかし・・・』

「しかしもへちまもないわ。ここで躊躇うようなら、今度はあなたたちが命令違反で裁かれる番よ?そこに折原浩平と同じ扱いはないわ。彼は特別。あなたたち程度じゃ・・・そのまま銃殺刑かもしれないわよ?」

『・・・くっ』

 その言葉に、もう反論はなかった。

「ガス設置部隊はそのまま設置の準備を。第一、第二、第三小隊は私に続きなさい!」

 ここで、折原浩平は落とす。

 

 

 

「ふぅ」

 スイッチを落とす。そしてそのまま送信ボタンへ。

「またメールですか?」

「うん。まぁ、もう日課みたいなもんだし」

 栞の質問でもない質問に答え、瑞佳は目の前の画面を一撫でする。

 画面に映る文字は『送信完了』の四文字。

 これが、浩平と自分を繋げる唯一の物。自然、どこか愛着のようなものも湧いてしまって。

「瑞佳さん、そろそろお夕飯できますよ?」

「あ、うん。わかったよ」

「いつもの浩平さんへのメールですか?」

「え、うん。まぁ、ね。それになんか・・・浩平が近くに来てる気がして」

「近くですか?」

「・・・ん、もしかしたらわたしの思い込みかも」

 栞に笑顔を向け、瑞佳は端末を切って身体を反転させ、―――不意に妙な感覚が頭を過ぎった。

「え?」

 瑞佳は思わず空を見上げた。

「瑞佳さん?」

 その様子に怪訝な声をかける栞。

 だがそんな栞の声すらも聞こえていないように瑞佳はただ上を見上げる。

「・・・瑞佳さん?」

「・・・なにか、来る」

「え?」

 栞の見つめる先、瑞佳の視線はコロニーの周辺を巡っていた。

 コロニーの周辺。そこに、禍々しい悪意を感じる。先程感じた予感は、もう確信に変わりつつあった。

「・・・栞ちゃん、みさおちゃんを呼んで」

「え、え?」

「早く!」

 栞にはわけがわからない。

 だが、瑞佳の表情は明らかに切羽詰っており、事態は急を要することだとは理解できた。

「逃げるよ!ここにいたらまずい・・・そんな気がするから!」

 

 

 

 光が走った。

 幾条もの光の弾丸が、向ってくるたった一機の機体へと降り注ぐ。

 ・・・だが、黄色い機体にはまるでかすりもしない。

 肩に、振り落つ雷のエンブレムを掲げたその機体―――ティターンズでも最強と誉れのある『雷神』の機体にはその程度のビームや弾丸など当たるはずもなく。

「なにをやってるの!早く止めなさい!」

 真希の怒声が轟くも、それで攻撃が当たりだすわけでもない。

「第二小隊、接近戦に持ち込みなさい!」

 その言葉に従い、第二小隊がヒートホークを掲げ突っ込んでいく。その数、五機。だが、

「邪魔だ、どけぇ!」

 五機のハイザックは交錯するほんの一瞬で叩ききられていた。

 しかも腕やら頭部やら・・・、撃墜する必要なく動きを止められる最低限の箇所を破壊するに留めて。

「くっ・・・!」

 真希は、驚愕した。

 折原浩平という男の強さは知っている。単独でジオン残党の一部隊を壊滅できるだけの強さを持っていることも知っていた。

 だが、だがティターンズはジオンの残党なんかとは比べ物にならないほどパイロットの質は高い。なぜならティターンズは連邦内でもエリートと呼ばれるメンバーだけが入れる部隊だ。

 だから、さすがに浩平とはいえこれだけの人数相手なら倒せると踏んでいたのだ。

 それがどうだ。まるで赤子の手を捻るかの如く、この圧倒的な差は。

「うわぁぁ!」

 第三小隊が突破された。

「意地でも止めなさい!あいつをコロニーに近づけさせるな!」

 その言葉にいったいどれだけの意味があっただろうか。

 浩平の駆るジム・クゥエルから放たれたビームライフルはそれこそ寸分違わぬ正確性でハイザックやジムUの頭部、ならびに腕部を撃破していく。

 もはや浩平の進行上に残っている無傷のMSは真希のハイザックだけだった。

「折原浩平っ!!」

「どけ広瀬!お前に用はない!」

 その言い草に、かちんと来た。

 いつもいつもそうだ。自分は浩平が邪魔で仕方なかった。どこまでも目立つ、どこまでも先を行く存在。だが浩平の眼中に自分などいない。

「その・・・その態度が気に食わないのよ、私はぁ!!」

 マシンガンの銃口を向ける。だが遅い。

 その瞬間には既に銃は斬られ、切り返しで頭部が撥ねられていた。

「ぐぅっ!?」

 メインカメラが壊れ、激しく揺さぶられる機体の中、レーダーから離れていく機体がある。

 ・・・自分さえ片手間に相手取られたというのか。

 あまりの悔しさに噛み切れそうに口を噛むが、まだ終わりじゃない。

 既に憎しみにまで昇華した憎悪は真希にその言葉を放たせた。

「早くガスを使いなさい!邪魔をされる前に!」

 

「くそ、くそ、くそ!」

 ジム・クゥエルの持てる最高スピードすら遅い。

 防衛用に展開していたMSを全部打ち払ったとはいえ、そのタイムロスが大きい。

 ズームされたモニターの向こうでは既にG3の外壁設置は終わろうとしている。

「やめろ、やめてくれ!」

 ビームライフルを向けるが、駄目だ。まだ届かない。

 悪魔のボンベが取り付けられた。オープン回線からは、30バンチの管制官の悲鳴が聞こえた。

「やめろぉぉぉぉぉ!」

 遅い。

 遅すぎた。

 G3ガス・・・、一年戦争の南極条約で使用を規制されていた悪魔のガスが、・・・コロニーの中へ散布されてしまった。

「!!」

 コロニーの外壁越しにでもわかる。ガスが徐々に、しかしはっきりとコロニーの中を巡っていく様が。

「―――」

 途端、目の前が真っ白になった。いや、真っ赤になった、の方が正しいだろうか。

 なにも考えられず、しかしなにかを必死に考える思考。

『―――浩平』

「!?」

 瞬間、声がした。

 それは幼馴染の少女の声。現実か、幻聴か、・・・いや、もうどちらでも良い。

 浩平はその声に呼ばれるように搬入口を破壊し、そのままコロニーへと突入していった。

 後ろからこちらを呼び止める部下の声ももう浩平には聞こえていない。

 彼の耳が聞き入れるのは、もう一つしかあり得ない。

 

 

 

 なにかが世界を浸食していた。

 死へ導くなにかがコロニーを覆いつくしていくのがわかる。

「走って、早く!」

 その中、瑞佳は栞とみさおを伴ってひたすらに走っていた。

「痛っ・・・!」

 頭痛がなおも激しく瑞佳を攻め立てる。

 その頭痛は、人の叫びだった。

 長森瑞佳は、栞やみさおよりも更に強力なニュータイプ。故に彼女の持つ感応力は尋常ではなく、息絶えていく人の怨念、思考、全てが痛みや激痛となり知覚されてしまう。死の光景が、ありありと見えた。きっと栞やみさおもここまで鮮明でなくとも、感じているに違いないだろうが。

 だが、そのおかげで瑞佳たちは逃げることができていた。

 人の死を知覚できる・・・ならば、人がまだ生きているところはこの死を招くなにかがまだない、ということだから。

「栞ちゃん、この先に脱出シェルターあったよね!?」

「は、はい!確かあったはずですが・・・」

 それを肯定するように、脱出用シェルターの入り口が見えてきた。

 が、入り口は閉じている。どうやら異常に気付いていち早く非難した者たちがいたらしい。

 瑞佳は入り口の横に取り付けられた通信機にすぐさま駆け寄った。

「すいません、開けてください!」

『その声、・・・瑞佳ちゃんかい!?』

 聞こえてきた声は、良くしてもらっている商店街のおじさんだ。

『いま開けるよ。ちょっと待っててね』

「良かったね、瑞佳お姉ちゃん」

「助かりました・・・」

 瑞佳は栞やみさおと顔を見合わせ、安堵の表情を浮かべた。

 これで助かる。そう思った。

 だが、

『・・・ちょっと待って。そこに何人いるんだい?』

「え?―――えと、わたしと栞ちゃんとみさおちゃんの三人ですけど・・・」

『―――』

 息の詰まるような気配がした。

 そして、おじさんはつらそうな声で、呟く。

『・・・残念だけど、ここはもうほとんど満員なんだ。せいぜい入れて二人が限界だよ』

「「「!?」」」

 三人の顔に驚愕が走る。

 どうする?

 どうすれば良い?

 そんな思考の中、最も早く答えを出したのは、年長者である瑞佳だった。

「栞ちゃんとみさおちゃんをお願いします。わたしが別のところに行きますから」

「瑞佳さん!?」

「お姉ちゃん!?」

『・・・わかったよ、今開ける』

「・・・さ。二人は行って」

 開く扉、そこに瑞佳は二人を促す。だが、

「嫌です!瑞佳さんも一緒に!」

「そうだよ、お姉ちゃんも一緒に行かないと!」

「大丈夫だよ。わたしは他の脱出用シェルターに向かうから」

 にこりと笑う。

 だが、その笑みを見せられて、二人が下がれるはずもなかった。

 ・・・瑞佳にはそれもわかっていた。二人とも優しいから。

 だから、

「「え・・・?」」

 トン、と押した。

 いきなりのことにつんのめるようにしてドアの向こうへ転がる二人。

 そして閉じるドア。瑞佳が外から操作したものだ。

『お姉ちゃん!』

『瑞佳さん!』

 叩くドアに対し、瑞佳はただ笑顔で手を振った。

 そして床が下がっていく。エレベーターのような構造になっているこの脱出シェルターから徐々に瑞佳の姿が離れていく。

『お姉ちゃん、お姉ちゃん・・・!』

『瑞佳さんっ!』

 落ちていく二人の姿を見て、瑞佳はとりあえず息を吐いた。

 ―――これで二人は助かる。

「さて・・・と」

 振り返る。

 ああは言ったものの、他の脱出用シェルターに向かうまで生きていられるかどうかは正直怪しい。それに、仮に着いたとしてもここのように満員でないとも限らない。

「―――浩平」

 不意に口をついた愛しき人の名前。

 涙が流れそうになり、しかし瑞佳は必死にそれを押し留めて首を振った。

 まだ死ぬと決まったわけじゃない。決めたわけでもない。二人に言った言葉も嘘のつもりはない。

 生きなければ。

 自分はまだ・・・やりのこした事がいっぱいある。こんなところで死ぬつもりなんてないのだ。

「・・・行かなきゃ」

 感じる気配に生きてる人間の気配は近場ではこの足元・・・栞たちの向かった脱出用シェルターしかない。

 それでも、生きなければいけないのだ。

「こんないきなり・・・死んだりしたくないもん」

 

 

 

 エレベーターのように下った先には、もう幾人もの避難者でシェルターは埋め尽くされていた。

「おぉ、栞ちゃん、みさおちゃん。無事で何よりだ」

 すぐに声を掛けてきてくれたのは、先程も通信越しで話したあのおじさんだ。

 だが、それに相対する二人の表情は暗い。傍目から見てもわかるほど、沈んでいた。

「・・・お姉ちゃん、お姉ちゃんが」

 みさおの瞳からポロポロと崩れるものがあった。そのまま両手で顔を覆い、泣き崩れる。

 そんなみさおを見下ろしながら、栞は訊ねた。どうしても気なることがあったから。

「・・・ここから一番近い脱出シェルターってどこなんですか?」

 その質問に、おじさんを始めとした避難者の顔が強張る。

 栞はキッと睨み、詰め寄った。

「どこなんですか!?」

「・・・・・・36区域の方だ。それ以外のシェルターは、もう中にガスが充満してしまってたり人でいっぱいになってたりしているらしい。さっき連絡があった」

36区域!?」

 そこはここから1キロ以上はなれた区域だ。そこまで無事で辿り着けるなど・・・到底思えない。

「見殺しにしたんですか、あなたたちは!瑞佳さんを!」

「仕方ないだろう!ならば、彼女一人のために誰かをここから追い出すのか!?それとも彼女一人じゃ忍びないと、みんなで死ぬのか!?」

 その言葉を放ったのはおじさんではなく、隣にいた青年だ。

 周囲を見やれば、みな彼と同じような表情だった。

 辛そうな、でも仕方ないと納得している表情。

 その言葉に、しかし栞は何も言うことができない。

 もしも自分が逆の立場だったら?

 そうしたらおそらく自分は彼らと同じ表情で同じ言葉を投げたのではないだろうか。

「そんなの・・・嫌だっ!」

 だが、みさおは違った。

「私は・・・お姉ちゃんを見捨てたりしない!だってお姉ちゃんは・・・お姉ちゃんは私の家族だからっ!」

 みさおにとって瑞佳とは姉であり母のような存在だった。

 一年戦争の煽りを受け死別した母と父。誰かを守るためにと連邦へ入隊した兄。

 その中でポツン、と一人家に残った寂しさ。

 でも、瑞佳はそんなみさおに手を伸ばした少女だった。

 みさおにとって瑞佳は、家族以上に家族のような存在だったのだ。

 その彼女が死ねば、また自分は一人に戻る。孤独に戻ってしまう。

 そんな強迫観念が、彼女を突き動かした。

「みさおちゃん!?」

 なんとみさおはエレベーターのスイッチを押し、上へと上がっていこうとしているのだ。

「みさおちゃん、なにを!?」

「お姉ちゃんを追っかける!ここでお姉ちゃんが死んで私だけ生き残るくらいなら・・・私はお姉ちゃんと一緒に死ぬ!」

「みさおちゃん!」

 せり上がっていく床に栞が駆け寄ろうとするが、それは数人の男たちの寄って阻まれた。

「ちょっ、なにをするんですか!?」

「馬鹿野郎、嬢ちゃんまで死ぬ気か!?」

「でも・・・!」

 そんなことを言っているうちにもうみさおの姿は上へ昇りきってしまっていた。

「みさおちゃんっ!」

 それは・・・栞とて同じことだった。

 確かに家族はいる。だが両親は一ヶ月に一日でも家にいれば良いほうで、姉に関してはここ数年帰ってくる素振りすら見せない。

 栞も一人だった。

 栞にとって瑞佳とみさおは、それこそ本当の姉妹のような存在だったのだ。

 そんな二人が離れていく。

 それはとても、痛くて悲しいことだった。

「うぁ」

 と、不意に呻き声。

 なにが、と思い見ればなぜかそこには先程まで栞を押さえつけていた男が倒れていた。

 いったい何が起きたのか、そう思案したとき異変は栞にも訪れた。

「え・・・?」

 突如ぐらつく視界。平衡感覚は突如として消失し、意識も混濁の淵に落ちていく。

 揺れる視界の中、栞が目撃したのはふらふらと体の力が抜けるように倒れていく避難者たちの姿。

 薄れいく意識の中、栞はようやく理解した。

 もうガスは回っていたのだ。

 みさおが扉を開けた瞬間、そのガスがこのシェルターの中にも流れ込んで来たに違いない。

 ただ、微量だった。

 栞は知らないことだが、G3ガスは即発性の毒ガス。痛みや苦しみを感じることなく死ねるほどの。

 それが眩暈や頭痛を知覚できる、という時点でそのガスが微量だったことが伺える。

「・・・瑞佳、さん。みさお・・・ちゃ、ん」

 背中に冷たい感触。自覚はないが、おそらく倒れたのだろう、と栞は薄くなる意識の中で考える。

 瑞佳とみさお。

 二人のことを思いながら・・・栞の意識は閉じていった。

 

 

 

 瑞佳はもう立ち尽くしていた。

 確かに人の生きている気配はする。そこには脱出用のシェルターが存在するだろう。

 だが、そこまで行けるはずもない。

 なぜなら、もはや瑞佳の立ち尽くす場所を除いてコロニーのほぼ全体をガスが満たしていたからだ。

 その脱出シェルターに行き着く前に・・・死ぬだろう。

「ここにいても、もう意味はないけど」

 ふぅ、と息を吐く。

 いずれこの場所もガスに飲まれるだろう。ここにいることはほんの少しの間だけ生き長らえることでしかない。

「どうして、こんなことになったんだろう」

 言ってみただけ。頭ではそんなことを考えても仕方ないと理解してはいる。

 それでもそう言ってしまわないと、あまりの不条理さに泣けてしまいそうだった。

 どうしてこのコロニーが?

 どうしてわたしたちが?

 どうして?

 投げかける疑問を、ぶつける相手は誰か。そもそもそんなことをしていったいどうなるのか。

 ・・・どうにもなるわけがない。

「・・・浩平」

 無意識に口から出た名を、愛おしい気持ちでもう一度呟く。

「浩平」

 会いたい。

 話したい。

 触れたい。

 ・・・抱きしめてもらいたい。

 彼の知らぬうちに死ぬのは嫌だった。彼との日々を過ごす前に死ぬのは嫌だった。

「・・・あっ」

 床に落ちるものがあった。

 それは、涙。

 年下の少女たちに気丈に振舞って見せた瑞佳。最年長者の責任として最後まで強くあり続けた瑞佳。

 けれど彼女はまだ少女だ。

 人が死ぬのは悲しいし、この状況に怒りだってあるし、なにより・・・死ぬのは怖い。

「怖い、よ。・・・浩平」

 ずるずると座り込み、膝を抱えるようにして蹲る。

 涙は止まらず、身体は振るえ、できることは死を待つことだけだった。―――と、

「お姉ちゃーん!」

 その声に、弾かれるようにして顔を上げた。

「この声・・・、みさお、ちゃん?」

 耳を澄ます。そこに、

「お姉ちゃーん、どこー!?

 確かに聞こえた、妹のような少女の声。

 なぜここに?どうして出たの?

 そんな疑問は浮かんで、しかしすぐに消え失せた。

「みさおちゃーん!」

「! お姉ちゃん!」

 二人は駆け寄り、抱き合った。

「お姉ちゃん、お姉ちゃん!」

「みさおちゃん・・・!」

 ただ名前を連呼する。

 それだけで二人の思いは繋がった。

 共にいる、と。

 生き残るなら、二人で。死ぬのなら、二人で。

 いままでを一緒に生き抜いてきた家族だから。

 唯一と言っても良いくらいの、大事で大切な家族だから。

 

 

 

 浩平はコロニーの中に突入して・・・思わず息を呑んだ。

 ズームで見るコロニーの中は・・・それはもうまさに地獄だった。

 至る道に、無造作に転がす死体、死体、死体。

 想像できるだろうか。まるでどこもかしこも死体が連なる道を、上から眺めるその様が。

「・・・長森、みさお・・・!」

 絶望に飲み込まれそうになる心を、一縷の希望に縋って押さえ込む。

 諦めるな。

 前を見ろ。

「・・・っ!」

 ボーっとしている暇などない。

 折原浩平はニュータイプではない。

 瑞佳やみさおの居場所など、そんなものはまるでわからなかった。

 けれど、・・・呼んでいる。瑞佳が、呼んでいる。そんな気がしたのだ。

 だから浩平はただそこへ向かって突き進んだ。

 

 

 

 瑞佳はただボーっと空を見上げてきた。

 ここはコロニーの中でも起伏の高い場所。どうやらガスの回りは遅いようだ。しかし少なからずガスはもう周囲を漂っている。

 思考がまとまらない。意識もぼんやりしている。

 ・・・なにかが少しずつ身体を蝕んでいくのがわかる。

 救いは、やはり苦痛がないことだろうか。

 ポトッ、と肩に何かが当たる感触。

 それはそのままズルズルと瑞佳の膝まで崩れ落ちた。

 それは・・・みさおだった。

「みさお・・・ちゃん?」

 ゆさゆさと身体を揺らす。応答は、ない。

「ねぇ、みさおちゃん。冗談は嫌だよ」

 揺すり続けるが・・・、しかしやはり返事はない。

「みさお・・・ちゃん。身体が冷たいよ・・・」

 その少女の身体を抱く。

 もはやろくに力も入らない自分の身体を駆使して、離さないと言わんばかりに力強く抱きしめる。

 その身体は冷たく、鼓動を感じない。

 涙が出た。

 涙が止まらなかった。

「みさおちゃん・・・!」

 抱きしめる瑞佳の腕からこぼれるように垂れるみさおの腕が物悲しい。

 しかし・・・もう瑞佳も限界だった。

 腕に力が入らなくなり、みさおの身体は瑞佳の膝に落ちる。どこか膝枕のような感じであることに、瑞佳は小さな笑みを浮かべた。

 体中が弛緩する。息もなぜか遠くなってきた。身体もどこか寒い感じがするし、やけに自分の鼓動が耳にうるさい。

「・・・・・・・・!!」

 と、なにか声がした気がした。

 なんだろう、と視線を振り向かせても、もう瞳はその機能を全うしていない。

 けれど、感じるものがあった。

「・・・あぁ」

 頭に直接感じるその波動、気配。忘れもしない。気付かないはずがない。それは、だって自分の愛すべきあの人のもの。

「・・・浩平」

 それは不幸の中のちょっとした奇跡だろうか。

 視界が色を取り戻す。

 映し出されたスクリーンには、一機の黄色いMSがあった。

 そのコクピットから、しっかりとヘルメットを被った人物が出てくるのが見える。

 ・・・顔は見えないけれど、その背丈、その動き。見間違うはずもない。浩平のもの。

 会えた。

 最後の最後に、会えた。

「・・・・・・!!」

 なにかを言っているのはわかるが、しかし何を言っているかはわからない。もう耳が機能をはたしていないのだろう。

 浩平が急いで機体から降り、駆け寄ってくる。

「・・・!・・・!!」

 抱きかかえられる。暖かい。

 必死になにかを語りかけてくるが、聞こえない。あの懐かしい声が聞こえないのは少し寂しくて。

「・・・浩平」

 感覚のなくなった腕をなんとか動かして、そのヘルメットを撫でる。

 直に肌に触れられないのは残念だけど、それは仕方のないことだろう。

 その腕を浩平が掴み取る。

 何かを言っていた。ヘルメット越しでもわかる、とても必死な形相で。

 でも、無理だ。

 もう視界すら消える。音もない、光もない、熱もない。なにも感じない。

 でも感じる。

 そこにいるのがわかる、触れてもらっているのがわかる、全て、わかる。

 だから瑞佳は口を開いた。

 どうしても言いたいことがあるから。

 笑顔を浮かべる。

 綺麗な笑顔でいられただろうか?歪んでいたりしないだろうか?

 ・・・きっと、大丈夫。きっと、最高の笑顔だろう。

 そう信じて、瑞佳は言った。

「お帰り、浩平」

 

 

 

 スッと、腕が落ちた。

 なにがなんだか、わからない。

 なんで熱がないのだろう。

 なんで鼓動を感じないのだろう。

 なんで涙を流しているのだろう。

 なんで・・・彼女は笑っているのだろう。

 わからない、わからない、わからない、わからない、わからない。

 彼の腕には最愛の・・・会いたかったはずの少女が二人とも抱えられている。

 会えたのに、・・・ではなぜこんなにも涙が止まらないのだろう。

 なぜこんなに・・・胸が張り裂けそうに痛いのだろう。

 強く、二人の少女を抱きしめる。

 返してくれる言葉も、・・・抱きしめてくれる温もりもない。

 なにがしたかったのだろう。

 自分は・・・守りたいものあったから、だから連邦に入ったのではなかったのか?

 ならこの現状は何だ。この状況は何だ。

 ・・・視界が滲む。涙が止まらない。

「う、う、うぅ・・・」

 最愛の少女がいた。

 溺愛する妹がいた。

 でも、いない。

 ここにいるのに、いない。

「うあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」

 咆哮は宇宙を貫き、鼓動を穿つ。

 滴る雫は無力の証。

 彼、折原浩平はこの時―――、

 

 全てを失った。

 

 

 

 

 

 

 長森瑞佳、折原みさお、共に死去。

 身内のいない二人の遺体は、サイド1自治政府によって埋葬されるらしい。

 

 美坂栞は少量のガスを吸ったが、なんとか一命は取り留める。その他生き長らえた者たちと共に病院へと搬送。連邦が「これは自分たちの汚点」ということで完全に保障し、連邦の基地内にある最高設備の病院へと移送される。

 

 広瀬真希。今回の任務を完遂したことで昇格、大尉となる。

 

 七瀬留美はこの事件を機にティターンズを脱退。通常の連邦部隊へと戻る。

 

 折原浩平は命令違反、並びに作戦妨害として軍事裁判へと掛けられた。

 本来なら銃殺刑だったところを過去の戦績、彼の実力から二階級降格のうえ懲役二年という破格な判決が下された。

 ・・・だが、その判決は余計浩平を苦しめることになる。

 

 

 

 こうして遺恨として後世に語り継がれることになる30バンチ事件は幕を閉じた。

 ・・・浩平の元に残った物は、いまだ未開封の音声メールが一つ。

 

『瑞佳です。なんか最近浩平を近くに感じるの。ここら辺に来てるのかな?

 こっちは今日もデモがすごいらしいの。友達が言ってた。

 でも、浩平もせっかく近くに来てるんなら、時間を空けて寄ってね?もう何年も会ってないし、少し・・・寂しいよ。

 うん、今日はこれくらいにしとくね。

 それじゃ、お仕事頑張って。また合える日を、楽しみにしています。

 ―――瑞佳』

 

 

 

 あとがき

 ども、神無月です。

 えー、今回はこのように浩平や栞、そして瑞佳とみさおの過去話、30バンチ事件のお話でした。

 なかなか一話の中に一つの物語を入れるには尺が短いというか、正直容量が足りない。結構端折った部分もありますが、これでなんとかなった・・・と思います。もしかしたら展開が早いように感じてしまうかもしれませんが。これでもWord19ページ相当なんです。

 では次回。いよいよカンナヅキやキサラギを始めとした連邦の艦隊が宇宙へと上がっていきます。

 超起動戦記ガンダムKanon始まって以来の大艦対戦の幕開けです。

 戦闘はおそらく次回でスタート、という形になるので本格戦闘は更に次の話だと思いますが、お楽しみに。

 

 

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