Another Side W
【平和の国】
インド洋に浮かぶ一つの国。
経度十三度、緯度九十七度に位置するその国の名はイブキ。
ネオジオンにも連邦にも属さない中立国で、人々はここを口々に「平和の国」と呼ぶ。
この国を統治するのは伊吹公子。その若さにして政治的、外交的な手腕は随一と名高い女性である。
「今日も良い天気ですねー」
広く青い空に向けて、公子は思いっきり両手を伸ばした。
イブキはもともと平均気温20℃以上、降水量も豊富と、典型的な熱帯多雨林の国家だった。
しかし森林種の変更、バイオシード(細胞操作種)などによって自然を生かしたままの気温の降下に成功。平均気温は15℃以上と大分落ち着いた。無論、雨はどうにもならないが。
だから、イブキで快晴は珍しい部類に入る。
「きっと今日も良い日になります」
のんびりと、ほんのりと呟く。さも、それが確信であることのように。
会合などの政治的な場でしか公子を知らない人間ならばその光景に目を疑ったことだろう。
政治の世界にいる有無を言わせない威圧感を持った、きりっとした公子と、優しそうな笑顔を浮かべて鳥と戯れる公子はまるで別人のように見える。
だが、公子を本当の意味で知る人物ならわかるだろう。こちらの公子の方が本物だということに。
「公子様」
「はい、なんですか?」
公子は不思議なことに自分より位の低い人間相手でも敬語を使う。それを下の人間はいつもやめるように言うのだが、一向に治る気配はない。
すでに従者も諦めモードに入っていて、何も言わなくなっているのだが。
「地球連邦よりこれが」
従者の者から公子が紙を受け取る。公子はありがとうございますと言い、それを従者が注意しようと口を開き、しかしため息を吐くだけで下がっていった。
「さて。・・・・・・交渉、ですか」
内容は地球連邦への加盟を求める電文だった。近々その交渉役がこちらに向かってくるらしい。
どうしてそんなことをするのだろう、と思う。
中立があってはいけないのか。戦争が始まったら誰もがその手に銃を持たなくてはいけないのか。
・・・それはきっと違う。
「どこかにあっても良いはずです。戦争のない国が」
その信念こそが公子を、ひいてはいまのイブキを作り上げたのだ。
いまさらそれを変えるつもりはないし、変える必要性もない。
公子は苦笑混じりに吐息一つ。
「まぁ、来ると言っているものはどうしようもないですか」
その頭の中ではすでにお茶の用意でもしますかね、なんて暢気なことを考え始めた。
「イブキ?」
「ああ。情報ではそこへ向かったらしい」
ふむ、とネオジオン第九艦隊、通称ディープスノー隊の総指揮である深山雪見はデスクに肘をついて手を組んだ。
艦長室にいるのは雪見と聖である。
雪見は視線を聖の方へ上げると、小さく笑みを浮かべた。
「しかし、まさか霧島大佐に私設の諜報部がいるとは驚きです」
「そうか? そんなに珍しいことでもないと思うが」
「充分に珍しいです」
雪見の言葉に、聖はどこか自嘲めいた笑みを浮かべると、
「自分がいる軍だからと全てが信用できるわけではないからな」
一瞬。ほんの一瞬だったが、聖の顔になにか暗いものが過ぎった。
雪見でなければおよそ気付かないような些細なものだったが、確かに見えた。
「霧島大佐」
「ん?」
「・・・・・・いえ、なんでもありません」
訊ねようかと口を開き、しかし思いなおした。
自分が突っ込むべき場所ではないだろうと考えたからだ。誰にだってそういう部分はある。
「それで、訓練の方はどうだ? 順調か?」
聖が何もなかったかのように話を変えてくるので、雪見もそれに乗っかることにした。
「そうですね、おおむね順調です。やはり新兵の動きは雑だと勝平・・・、いえ、柊中尉に文句を言われましたが」
「美凪やみちるはどうだ?彼女たちは重力下の戦闘経験がないのだが」
「問題はないようです。美坂大尉が驚いていましたよ。どうして遠野美凪少尉が少尉なのか、って」
「確かに。彼女の実力は少尉レベルでは考えられん」
「どうして上層部は彼女を昇格させないのでしょうか」
聖はその長い髪を掻き揚げながら、ああと前置きし、
「それは仕方ない。美凪にはこれといった戦績がないからな」
「そうなのですか?」
「彼女は戦いを好まないからな。あれで実はいまだにスコアは十機以下だ」
雪見はその言葉に驚いた。
香里をもってして唸らせるほどの実力を持った人間が、スコア十機以下。
晴香や葉子の生涯スコアは七、八十。澪や勝平ですら三十はいっている。香里に至っては三桁を超えているかもしれない。
それを考えたら美凪のスコアは信じられない、というより考えられない数値だった。
「美凪はほとんど相手を殺さない。相手が行動不能な状態に陥ったらそこで終わり。止めを刺さずそのまま放っておくことが多いのだ」
「どうして・・・」
「優しいのだよ、彼女は。いや、甘いと言った方が正しいか」
聖の口から出るとは思えない言葉だ。
優しいとか、甘いとか。戦いにおいて聖が最も嫌っている言葉のはずだ。
「しかし、そういう部分霧島大佐は厳しいと聞いていたのですが・・・?」
「まぁ、あれは仕方ない。美凪は好きで戦っているわけじゃないからな。私のために致し方なく戦っているのだから、そこらへんは黙認している」
聖が敵に対する手加減を認めている?
雪見にはどうにも信じられないことだった。
「どうしてそこまで遠野少尉を?」
「美凪は強い。そしてなにより私に恭順だ。殺せと言えばしっかり殺すのだから、他の部分はどうでも良い」
言って、聖は薄く笑った。
その言葉は、美凪に対する絶対の信頼の表れだろうか。
逆だな、と雪見は思う。
絶対の自信があるのだ。美凪が自分に対する忠義に。
キサラギの運行は実に順調に進んでいた。
特に敵に襲撃されることもなく、イブキまでもうわずかという地点にまで来ている。
そして、
「うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
怒号というか悲鳴というか複雑な声がMS格納庫にこだました。
「まだやってるんですか?」
呆れたような声を出したのは栞。心底辟易しています、というオーラが滲み出ている。
「う、うるさいやい!僕の本気はまだまだこれからさ!」
こちらは陽平。MS格納庫の隅に取り付けられたシミュレーション機器の中から声がした。
「その言葉、もう五回目ですよー」
「はははっ。まったくこれだからお子ちゃまは。・・・次が本気さ!」
「あ、言いましたね。それじゃ次でラストってことで」
こめかみを引き攣らせながら栞は笑顔でラストを強調する。おそらく「お子ちゃま」といういろんなニュアンスが込められているであろう言葉に過剰反応しての結果だと思われる。
「お、お、おおおおう」
その醸し出る威圧感にめちゃめちゃたじろぎ、ガタガタ震えながら返事をする陽平。
そんな陽平を見て、忍び笑いをする少女と、ため息を吐く少年。
「年下の女に凄まれて怯えてるよ、春原くん」
「ああ、あいつはもともとああいう人間だ」
「そうなの?」
「高校のときなんて年下の女に蹴り喰らって空の人になってたしな」
「うわ。なんか聞くだけですごいんだけど。それって男の人としてどうなのかな?」
「まぁな。春原だしな」
「春原くんだしね」
遠目でひどいことを話し合っているのはもちろん朋也とみさきである。
いつもの陽平なら自分の悪口なら地獄耳の如く聞き取り激しく突っ込みを入れるところなのだが、シミュレーションに熱中していてそれどころではないらしい。
「それで、シミュレーションの結果はどうなの?」
「すでに四回やってるが全部負け。三回目に少し追いついたのにその後栞が一回だけやったら最高記録塗り替えちゃって。
春原が泣いてリトライしたのがさっきだ」
「へぇ? また記録更新したんだ。本当に栞ちゃんはすごいね」
実際栞の実力は半端じゃない。
いまだに通常の新兵ほども訓練も戦闘もしていないにも関わらず、シミュレーションの数値だけならそんじょそこらの熟練兵に勝るとも劣らない。あと少しすればみさきの記録に追いつくほどだ。
これはもはや天性の才能としか言いようがなく、その才気はみさきや朋也ですら舌を巻くぐらいだ。
「それで、機体のチェックは済んだのか?」
「うん。って言っても目が見えないから触診しか出来ないんだけどね」
みさきは今しがたここに来たばかり。さっきまで機体のチェックをしていたのだ。
「もうすごいんだよ、これが。これでもかって感じで細かいところまで全部手が行き届いてて。きっとここの整備班は優秀なんだね」
「そりゃどうも」
声は横から。
朋也とみさきが振り向いてみると、そこにはお決まりの作業着と作業帽を身に着けた祐介の姿があった。
「あれ、芳野さんもキサラギ乗ってたんですか」
「? お知り合い?」
「ああ、この人は芳野祐介っていって、整備なんかでは随分と有名な人だ。俺も昔、整備の仕方を習ったことがある」
「え、朋也くんパイロットとして連邦に入ったんじゃないんだ?」
「まぁな」
最初連邦に入ったときは陽平共々整備班として働いた。そのときの直属の上司が祐介だったのだ。
それを聞いたみさきはなぜかしきりに感心していた。そして、ふとなにかに気付いたように首を傾げる。
「あれ? 芳野祐介って・・・。一年戦争のときに有名になったあの人と同じ名前・・・」
「あ、それ芳野さんだよ」
「え、そうなの!?」
みさきが驚くのも、まぁ仕方ない。
一年戦争の芳野祐介といえばアムロ=レイに次ぐ位に有名なパイロットだ。
だが一年戦争終結直後、不意に姿をくらますこと一年。ふらっと戻ってきたと思ったらもうMSには乗らないなんて言い出して上層部は荒れに荒れたらしい。その後その整備の才能が開花し、再び名が知れるようになったのだ。多くの人間はこの芳野祐介という存在を同一人物と見れないようだが。
「芳野さんもキサラギに着任したんですか?」
「いや、少し違うな」
「どういうことです?」
「俺は本当ならこの前、退役する予定だったんだ」
「え、・・・それはまたなんで」
「結婚するんだ。今度」
「・・・マジですか?」
「マジだよ」
朋也が大きく目を見開く。朋也の中で祐介は一匹狼のようなイメージが確立していたので、それはなかなか信じられないことだった。
隣で話を聞くだけに徹していたみさきが、わー、と胸の前で手を叩き、
「それは、おめでとうございます」
「ああ、ありがとう」
「結婚ですか〜。憧れるよー」
そのまま手を絡めると、うっとりと吐息一つ。結婚という単語にどこか恍惚とした表情を浮かべていた。
そんなみさきを見て、やっぱり女はこういうことに憧れるんだろうか、とか朋也は考えながら、もう一度祐介の方に向き直る。
「とりあえず、おめでとうございます。それで、それがなにか今回のことと関係が?」
「その結婚の相手がイブキの人間なんだ。だから、同行という形でここに乗ることになった。つまり、事実上これが最後の任務というわけだ」
「なるほど。でも、よく上層部が許しましたね」
祐介の整備能力は連邦広しと言えど右に出る者はいないほどの腕前だ。とても上層部が退役を許すとは思えないのだが・・・。
祐介はその辺りで苦労したのか、重いため息を一つ吐く。
「もちろん説得するのには苦労したよ。まぁ、そこは根気比べでどうにか・・・な」
漂う雰囲気から、かなりの苦労をしたのが窺えた。
「でも、少し残念です。せっかくまたこうして久しぶりに会えたのに」
「岡崎にそう言ってもらえるのは嬉しいがな。ま、これが連邦最後の仕事だ。それまでに戦闘があったりしたらきっちり修理してやるから任せとけ」
祐介は小さく笑いながら作業帽を被り直す。
そこでなにか思い出したように、あ、と呟くと、
「そうそう。お前たちの機体にエンブレムを付けといたぞ」
「エンブレム、ですか?」
「『爆炎のジョーカー』と『盲目の緑風』のな。付けておいたほうがなにかと有利に進むはずだ」
エンブレムとは、そのパイロットの存在を表すマークのことだ。
かつての一年戦争やグリプス戦役でも名うてのパイロットたちはこれを付けて戦っていた。
その主な目的としては味方の士気向上と、敵の士気低下にある。
誰だって強い敵とは戦いたくないし、逆に強い味方がいるのは心強い。つまりはそういうことなのだ。
そして朋也とみさきは有名なパイロットだ。その存在を戦場に表すだけでも、大きな効果が期待できる。
ちなみに朋也のエンブレムは炎を纏ったピエロの仮面で、みさきは渦巻く竜巻の絵である。
「俺、あのエンブレム好きじゃないんですよね」
「どうしてだ?」
「実はあれ最初春原が勝手に書いたもので、俺気付かずにそのまま戦場に出ちゃったんですよ。
で、ちょうどそのときに一大隊を壊滅させたから・・・」
「そのまま『爆炎のジョーカー』なんて呼ばれるようになってしまった、か?」
朋也が項垂れるようにして頷いた。
「あんな二つ名がついたせいで、連邦の中で俺がすごい怖い奴だとか戦闘マニアだとか言われるんですよ」
「あー。私もことみちゃんに聞くまでは朋也くんのことそう思ってたなぁ」
笑いながら言うみさきの横で朋也が「ほらね」と呟いて大きく息を吐く。
そんな朋也の様子に、祐介は声を出して笑い出した。
「お前も結構苦労してるんだな」
「笑い事じゃないですよ」
と、そのとき艦内に通信を告げる電子音が響いた。
『もうすぐイブキに着きます。各員は持ち場についてください』
「もう着いたのか。さすがは連邦最新鋭艦、カンナヅキ級ってところか」
祐介はそう言うと、作業帽を取り朋也たちのほうに向き直る。
その目には真剣な色が浮かんでいた。朋也たちもしっかりと体ごと向き合う。
「俺はこれで連邦とお別れだが・・・、お前たちはまだ戦場に残ることになる。いろいろとつらいこともあると思うが、自分の悔いのないように生きていってほしい。・・・悲しいが、これは戦争。いつ死んでもおかしくない世界だからな」
それは、朋也よりもみさきよりも多くを生き、長くの戦場を戦い抜いた一人の先輩の言葉。
朋也とみさきは一呼吸の後大きく頷くと、祐介に向かって敬礼をした。
祐介も小さく笑うと、敬礼し返す。
それはこれから道を分かつ者への、万感の思いを込めたもの。
「お前たちの未来が、より幸せなものであるように・・・。俺は心の底から祈る」
そうして祐介は静かに格納庫を後にした。
残った朋也とみさきがその背中を見つめる。
「自分の悔いのないように生きろ、か。それは簡単なようですごく難しいことだよね」
みさきはその言葉を口にしながら一体なにを考えているのか。
そして朋也も祐介やいまのみさきの言葉に考えさせられる。自分にとって悔いのないように生きる道とは、どういったものなのかを。
「その時々の判断に間違いがないと胸を張って前を歩けるなら、それは後悔のない道だろ」
そう。後悔したくないのなら、自分の選ぶ道に誇りを持てばよいのだ。決して自分は間違えなかったと、そう高らかに言える道を。
そんな朋也を、みさきは眩しいものを見るようにして呟く。
「・・・強いね、朋也くんは」
「そうでもないさ」
「強いよ。・・・普通の人間なら例えその時正しいと思ったことをしていても、それが間違いだと気付いたときに省みるものだよ。どうしてもね。それが人の弱さ」
「後悔は何も生まない。残るのは虚無感と無力さだけだ。そうして自分を嘆く暇があったら前を向いて新しい道を探すのさ。
・・・それができるのも人だろ?人は確かに弱いけど、そういうことができる心の強さも持ってる」
「ほら。朋也くんは強い」
「違う。ただ知っただけだ。・・・後悔してもどうにもならことを」
朋也にはつらい過去がある。
それは、後悔しても後悔し足りないほどの罪。懺悔しても償えないほどの大罪を朋也は犯した。
だけど同時に理解した。後悔してもなにも始まらないことを。そんな時間があるなら、それを戒めとして前を歩くべきなのだと。
思う。きっとみさきもなにかつらい過去があるのだろうと。
そうでなければこんな話にはなるまい。そして、いまだに後悔しているのだろう。
だから朋也はみさきを見る。
「それに、過去があるから現在があるんだ。後悔して過去をうやむやにしちまったら、それは現在も否定することになる。・・・それは嫌だろ?巡り巡ってこうして俺と川名が会ったのかもしれないしな」
みさきはポカンとした顔で朋也を見る。そのなにも映さぬ瞳に朋也の姿を浮かべるように。
「・・・うん。そういう考え方もあるんだね」
フッと、口元がわずかに崩れる。なにを意味する笑みなのかは朋也にはわからないが、それが良い意味であることを願った。
「私、そろそろ戻るね。ばいばい、朋也くん」
片手を挙げて去っていくみさきの背中を見つめて、ふとそのときになってあることに気付いた。
「あれ? 俺いつのまに川名に『朋也くん』って呼ばれるようになってたんだ?」
イブキの中央、白く周囲に比べて多少大きな屋敷がある。
こここそイブキ代表、その全てを肩に乗せてこの小国を「平和の国」とまで呼ばれるほどに発展させた張本人、伊吹公子の住いである。
従者と思われる女性に案内されながら、ことみは想像以上に質素で小さいその造りに多少の驚きを感じていた。
「あまりにも小さく驚きましたか? 」
「え、えっと・・・」
言葉に前を向けば、小さな笑みを口に浮かべて従者がこちらを見やっていた。
慌てて何か言おうとすることみに、その従者は確かにそうでしょう、とでも言わんばかりに大きく頷いた。
「いえ、当然ですね。国を治める者が住まうにしてはこのお屋敷はあまりに小さすぎます」
そう。ここは一国の主が住むにしてはあまりに小さい。
と言っても無論そんじょそこらの家よりは断然大きいのだが、普通はこれの一回りも二回りも大きいものだ。
「我々ももっと大きくしたほうが良いと思うのですが、公子様ご本人が大きいのは嫌だとおっしゃられまして」
苦笑い。
有権者というのはその力の誇示のため、なにかと豪勢に作りたがるのが常だ。
どうやら伊吹公子という女性はそれら普通と言われる者たちとは一味違うらしい。
従者が立ち止まる。
「ここです。どうぞ」
促され、従者の女性が開けた部屋へと入る。
するとそこには柔らかな笑みを顔に浮かべた女性が、お茶のカップを並べていた。
「あ、ご苦労様です」
「こ、公子様!? お茶の用意などは私がしますから!」
従者の慌てた態度からすると、この人があの伊吹公子なのだろうか。
上層部から聞かされていた凄腕の政治手腕というイメージがまるで一致しないのはなぜだろう。
「お客様が来たのですから、お茶の用意ぐらいさせてくれても良いでしょう?」
「いけません! 公子様はこの国の統治者なのですからもっとそれらしく振舞ってください!」
「それらしく、と言われても。これも趣味の一つですから」
にっこりと。なんの邪心もない笑顔で。
それでも食って掛かる従者を、しかしやんわりと制止しながらお茶を淹れていく公子。
半ば呆然とその様子を眺めていたことみは、堪えきれず小さく噴出してしまった。
「ほら、公子様! 連邦の方が笑っておいでですよ!」
従者の女性が馬鹿にされたと勘違いしたらしく、必死に公子の動きを止めようとする。
それを見て、ことみは違います、と訂正した。
「ただ珍しい人だな、と思っただけですから」
「珍しいものでしょうか?」
返したのは公子。
一瞬冗談かと思ったが、どうやら本気で聞いているようだ。
ことみはそっと頷く。
「はい。普通はもっと大きく身構えているものだと思います」
「そうかもしれませんね。でも、私はそういうのが好きではないので」
それを聞いて、この人は何もかもが普通ではないのだとことみは判断した。
どうにか怒りを収めた従者を下がらせ、公子はことみに座るように促す。ことみは一度会釈すると公子の対面に座った。
「この度はこんなところまで遠路はるばる、ご苦労様です」
「いえ。こちらこそ急な交渉でしたのに快く迎えてくれたこと、感謝いたします」
「自己紹介がまだでしたね。私、イブキ代表の伊吹公子です」
「私は地球連邦軍所属、一ノ瀬ことみ少佐です」
ことみはそこでテーブルに乗ったカップを持ち上げ、口をつけた。
「それで、イブキの連邦加盟のことですが・・・」
「謹んでお断りします」
即答。
あまりに早すぎる返しに、ことみの動きが一瞬止まる。
「・・・どうしてでしょう」
「私たちは平和を望んでいるんです。ここでどちらかに組すれば、それは戦いに身を投じることと同義ですから」
「連邦に入る気もなく、またネオジオンに組するつもりもないと?」
頷き、公子もカップを持ち上げる。
水面に映る自分の姿を眺め、再び視線をことみへ。
「どうして世界を二分したがるのでしょうか?敵か味方かと、その定義付けがなければいけないのですか?」
その瞳を見て、ことみの背中に冷や汗が流れた。
相変わらず公子の顔には笑みが浮かんでいるが、その瞳にはいままでとは違う強さが込められていた。
一国の長として立つ者の、責任という強さが。
「・・・ここではアースノイドとスペースノイドだとか、ニュータイプとオールドタイプだとかの区別は設けていません。
平穏に過ごしたいと願う者ならば、両手を広げて迎えています。ここはそういう国なのです」
「そう言っている割には、イブキの技術力と軍事力は半端なものではないようですが?」
「あくまでもあれは防衛のものです。ここは平和の国。平和を維持するためには、それを脅かすものに対する牽制が必要なんですよ」
牽制というだけであれだけの軍事力を前に出されてはたまったものではないだろう。
以前一度、ネオジオンがイブキに攻め込んだことがある。しかしこれをイブキはあっさりと撃退してのけたのだ。
イブキの主力MSであるゼオン。その能力は連邦のジムVやGDストライカー、ネオイオンのガザDやバウとは比べ物にならないほどに高性能だ。それぞれの最新量産機として開発されているジェガンやギラ・ドーガですら及ばないとも聞く。
「私には守る義務があるのです。戦いを恐れ、ここに平穏を願い住まう者たちを。ですから、連邦に加入することは出来ません」
有無を言わさぬその眼差しに射抜かれ、ことみは静かにカップをソーサーに戻した。
「・・・わかりました。上層部の方にはそう伝えておきます」
その言葉に、公子は少々驚いた。もう少し粘るかと思っていたのだが・・・。
公子の考えを読み取ったのか、ことみは小さく笑うとそのまま立ち上がる。
「本当はこんなこと言ったらいけないんですが、私は最初からイブキの連邦加盟は無理だと踏んでいました」
ことみは視線を窓の外に向ける。
そこから見る景色はちょうど街を一望できるもの。落ちる夕日の朱に照らされ、和やかに一日を終えようとしている平和な世界がそこには広がっている。
「それに・・・。私もこういう場所は在った方が良いと思いますから」
誰もが平和に暮らせる場所。
それはなんと素晴らしいことだろうか。
しみじみとイブキの街を見下ろすことみに、そっと公子は呟く。
「願わくば、全ての世界がこのイブキのようになるよう・・・」
二人の見つめる先。
ゆっくりと、温かい夕日が落ちていった。
とある活気付いている街の中。一人の少女が歩を進める。
遠野美凪である。
美凪は一人、散歩と称してはよく意味もなくふらふらと散策するのを趣味としていた。
本当はみちると一緒に来たかったのだが、いまごろは訓練をサボった罰として香里と勝平にしごかれていることだろう。
「・・・ふぅ」
彼女とすれ違う人はなぜか大抵振り返る。
別に軍服を着ているわけでもないのだからそんなに目立つはずはないのだが、と美凪は不思議に思う。
だから本人には自覚がない。自分がどれほど異性に衝撃を与えるほどに美人なのかを。
カップルの男が美凪に釘付けになり、それを女がど突くという光景も実は日常茶飯事なことである。
そして、だからこそこういうトラブルも多くあった。
「よぉ、姉ちゃん」
「一人かい?」
美凪の前に進路を妨害するように立ちはだかる男が三人。しかも着ている服は連邦の軍服だ。
どれもどこか嫌らしい目つきをしている。美凪はまたか、と心中で呟き、次いでどうして私にちょっかいを出すのだろうと考える。
「暇ならさ、少し付き合ってくれよ」
「こちとら戦いの日々で心身ともに疲れてんだ。癒してくれるよな?」
「それぐらいいいよなぁ? 俺たちは身を挺してこの街を守ってやってんだしな」
美凪はそんな男たちの言葉を聞いて、これ見よがしに大きくため息を吐いた。
勝手に権威を振りまいて優越感に浸る愚か者。守っているという大義名分さえあればなにをしても許されると思っているその愚直さ。
美凪が最も嫌う部類の人間だ。
あえて美凪は無視を決め込み、そのまま歩き去ろうとする。が、それを容認するほどその男たちが出来ているわけもなく、腕をつかまれた。
「おい、無視かよ」
「なかなかやってくれんじゃんよ。あぁ?」
「・・・すいませんが、あまり暇ではないので」
「んなもん作ればいいだろ」
無理に引っ張ろうとする男に、美凪はいい加減うんざりしてきた。折角通り過ぎてあげようと思ったのに、これでは手を下したくなるではないか。
そして美凪が、引っ張っている腕を極めようかした―――その瞬間、
「ぐぁ!」
「うぉ!?」
美凪の腕を掴んでいる男以外の二人がいきなり倒れた。
「なっ!?」
急なことに驚きわけもわからず慌てふためくその男には見えなかっただろうが、美凪にははっきりと見えた。
瞬時に男の懐に入っていく一人の青年の姿を。
ドゴッ!
「ぐふぅ・・・」
一際良い打撃音を辺りに響かせながら倒れていく男の前。パンパンと手を払う青年の姿は、美凪を驚かせるにも充分な相手だった。
「まったく・・・。これだから軍人っつーのは。大丈―――」
大丈夫か、と言おうとしたのだろうが、その青年も美凪を見て動きが止まった。どうやら美凪だと知って助けに入ったわけではないようだ。
二人はお互いを見つめたまま、ゆっくりと口を開いた。
「・・・国崎さん?」
「遠野・・・だよな?」
あとがき
こんにちは、神無月です。
今回は読んでの通りイブキがメインのお話です。
さてこのイブキですが、一応実際にココス諸島と言う名で存在していまして、そこがモチーフ(基盤)になっています。
さて、これを読んでどう思いましたでしょうか?ことみが大人っぽ過ぎるような気がしましたでしょうか。
あれでも一応ことみは少佐という階級の人間ですので、高校を卒業して普通に人と接することができるようになった後に、ちゃんと世渡り術のようなものを学んでいます。だから、彼女が素に戻るのは、親しい友人の前だけなのです。
そして国崎往人再登場。彼の次回の動きはおそらくみなさんの予想を裏切る形になるでしょう。ふふふ、お楽しみに。
それでは、また〜。