Episode2 邂逅・少女






















































漆黒のコートをなびかせて、静かに街中を歩いていく。

いやでも人目についてしまう黒尽くめの格好をしている少年だが、この格好は少年にとって

『大事』だといえるべき格好なので、仕方がないといえば仕方が無いのかもしれない。

何せ、この黒に統一された服装は、少年が唯一、自分の意思で選択することが出来たものだから。

といっても、一般人のような買い物をして手に入れたわけではなく、組織から提示された、

数種類の中から選んだ、といったものだが。

普通の感覚を持つ者なら『自由』という言葉がつくこと事態に疑念を持ちそうなものだが、

少年にとっては、初めて組織から与えられた選択の機会だったのだ。

ゆえに、めったなことが無い限り、少年は好んで黒に統一されたこの服装を身にまとっていた。

とはいえ、一般人とは違い、完璧な気配遮断が出来る少年が、目立つという事はありえないに

等しい事なのだが。

気配をゼロに保ったまま、溢れそうな人ごみの中を、足音ひとつ立てずに、縫うように人と人との

間をすり抜けていく。

その動作に、無駄と思われる部分は一切ない。

見る人が見れば、見惚れるほどに洗練された動き。

そんな、少年の完璧な動きを

ドンッ!!

一人の少女が、止めてしまった。

ぶつかった少女の体は、少年の体よりもずっと小さく、その衝撃に耐え切れるはずがないのは、

必然だった。

抗うことも出来ずに、少女の体は地面に向かって落ちていく。

―――――普段の自分なら、間違いなく見捨てていくはずの、どうという事のない光景。

―――――暗殺者である自分には、まったく関係のない、下らないとさえ言える光景。

―――――その、筈なのに。

―――――体が、いつもの行動を、無意識に拒否してしまったように。

少年は、少女に手を差し伸べた。

体が自分の意識とはかけ離れたところで、勝手に動いてしまったような感覚の中で。

倒れていく少女の背に腕を回し、静かに抱え込む。

自分よりもずっと小さな少女の体は、予想していた以上に軽く、ほとんど衝撃と呼べるような

負担もなく、あっさりと腕に収まった。

そんな自分の状態に、呆気に取られている少女。

そして、それに負けないくらい混乱している少年。

その状況を変えようともせずに、呆とした様子のまま少女の姿を改めて見る。

深い黒色の瞳を持ち、淡い茶色の髪をサイドテールにまとめている。

整った顔立ちをしているものの、少々童顔気味で、どちらかと言えば可愛い方に入るのだろう。

未だに少年の腕の中に収まっている少女を、客観的に分析しようやく自分の体が、意識と

つながったように動き始める。

そして、ようやく疑問を浮かべることが出来た。

―――――何故、助けた?

思考が明確になるほどに、大きくなっていく矛盾。

機械でなければいけない暗殺者(じぶん)の中で、生まれる混乱(ノイズ)。


『いけない、思考を、クリアに…。』


激しく混乱している自分(きかい)を、いつもどおりの自分(きかい)に戻しながら、ピクリとも

体を動かす事無く、腕におさまったままの少女をそっと放す。

そして、今までのことが、まるで何もなかったかのように−いや、何事もなかったかのように

したかっただけなのかもしれないが−その場を離れようとする。

気配を極端に薄くし、すぐ傍にいるのに、とても遠くにいるような錯覚を起こさせる。

それが、いけなかったのかもしれない。


「あ…、ま、待ってください!!」


慌てたような声色で、少女が声を出す。

先ほどまで声すら出すことが出来なかった少女が、ようやく発したその一言。

その一言が、少年の体を止めた。

少年の意志によって止まったのではなく、体が動かなくなってしまったのだ。

少女が発した、透き通るような声に。

どこかで、聞いたことがあるような気がする、その声に。

だが、止まったまま、体は振り向こうとしない。

少年は、少女の顔を、見ることが出来そうになかった。

―――――その姿は、自分の知らない世界(こと)に怯えている子供のようで―――――

そんな少年の事情を知るはずもない少女は、目の前の少年に、少しだけ不思議そうな顔をして、


「あの、ありがとうございました。」


素直に、礼を言った。

見ていない少年にも視(み)えるほど、真っ直ぐすぎるほど真っ直ぐな、最高の笑顔で。


「………。」


だが、その笑顔が視えていても、少年は無言のままだった。

それも仕方のない事だ。

少年は教えられていない、『感謝』されたときの対応など。

『殺す』ということだけに特化させるために用意した使い捨ての駒に、そんな余分(ムダ)なことを、

組織が教えるはずがなかった。

ゆえに、少年がとる行動は、無言。

悪気があるわけではなく、ただ純粋に、その行為を知らないだけ。

何も知らない、普通(ひと)の知識を得ることが出来なかった、少年。

そんな、無言のまま立ち尽くす少年の雰囲気に、少女も少し戸惑っていたが、少年が発する

雰囲気の中から何かを感じ取ったのか、


「私、神月沙雪(かみづきさゆき)って言います。 貴方のお名前を教えていただいても

 よろしいですか?」


先程よりも‐意識的にではあるが‐明るい声で、沙雪は言った。


「…………。」


それでも、少年は答えることが出来ない。

害意のない、自分と敵対することなど、まず間違いなくないような少女の、些細な問い。

それに答えてやることが、自分にとってマイナスになるわけでもない。

それでも答えることが、少年には出来なかった。

――――自分(きかい)には、名前が与えられていなかったから。

どこまでも人間を−自らの意思とは関係なく−捨てて生きる少年に、名前など必要ないのだから。


「…えっと。」


だがそんな少年の都合を知らない沙雪にとっては、目の前の少年が取る行動は『拒絶』にしか

見えなかった。

少しだけ悲しそうな顔をして、うつむく。

―――――その姿が、何より少年の心(なにか)を揺さぶった。

表情を真正面から見ているわけではない。

今もまだ、迷った心のまま、少年は後ろを向いている。

だが、少年の眼にははっきりと視えた。

沙雪の、落ち込んだ姿が。

ギシリ…

軋む音が聞こえた。

自分(キカイ)ではない、残っている僅かな自分(ひと)の心が悲鳴を上げた。


「………K。」


それに抗うことが出来ずに、少年‐K‐は呟くように言った。

本当の名前からは程遠い、自分(キカイ)に与えられたコードネームを

しかし、その言葉を放った意味は、大きい。

初めて会った、本当につい先ほどまでは、何の関係もなかった少女に、感情という、自分(あんさつしゃ)に

とって最も不必要な存在(モノ)が初めて動いた瞬間なのだから。


「あ…。」


自分の問いに答えてくれたKの言葉がとよほど嬉しかったのか、沙雪は自然と笑顔になった。


「ケイさん、ですか。 珍しいですね、男の方なのにケイって。」


くすくすと、本当に嬉しそうに笑いながら話しだす。

Kのコードネームを良い方に勘違いしたのだろう。

当たり前だ、こんな少女がコードネームの事など考えるはずが無いのだから。

先ほどの沈んだ表情(カオ)とはまるで違う−これがおそらく沙雪の本当の表情(カオ)なのだろう−

明るさを伴わせて。

その後も沙雪は、Kに向かって話し続けていたが、ほとんど黙ったままのKに、優雅さを感じさせる


「じゃあ、本当にありがとうございました。」


礼の言葉を告げると、一度も振り向くことはなかったKに背中を向ける。

―――――遠ざかっていく、沙雪の小さな背中。

―――――浮かんでくる、映像(ノイズ)。

そこで初めて、Kは振り向いた。


「……神月、沙雪……。」


先ほどまで、一生懸命に自分に話しかけていた少女の名前を呟く。

―――――知っている、心のどこかでそう思えた少女の名前を。

―――――自分と、どこか似た雰囲気を持っている少女の名前を。

無論見知っているはずなどない。

雰囲気が似ている、というのは論外だ。

他人から見れば、真逆とさえ言われるだろう。

全てを拒絶し、絶対の冷たさを感じさせるKと、自分の周りにいる人全てを包み込むような、

そんな暖かさを感じさせる沙雪。

似ているとは、到底思えない二人。

だがKには。

そして、沙雪には。

二人だけの間で、確かに何かがつながっていた。

それは、確信できるほどに、強く。

だが。それを理解する能力をKは持っていない。

体の奥底から湧き上がってくる、正体不明の『感情(なにか)』を感じながら、Kは静かにコートを翻し、

その場を後にした。























Insertion T 




















鼓動が、どんどん激しいものに変わっていく。

いつもより三倍くらい早く動いているんじゃないかと思うほど、どくどくと血液が

流れている。


「ケイさん…か。」


その人、ケイと名乗った黒尽くめの服装をした人のことを考えると、なんだか体の奥の

ほうが熱くなっていく。

たまたま、道でぶつかって、私に手を差し伸べてくれただけなのに。

感謝することはあっても、こんな気持ちにはならないはずなのに。

あの、風に揺れる銀の髪が。

あの、洗練された美しさを持つ手が。

あの、サングラスの奥に隠されていた、寂しそうな眼が。

私の心を、ものすごい勢いで揺さぶった。

それも、私に関しては、ある意味仕方ないことなのかもしれない。

何せ、心の中だけで描いていた、記憶には残らない、ただいたという真実だけが残されている

『兄』の姿と重なったのだから。

ひとつ、ため息を吐いた。

私はこんなにもロマンチストだったのか、と。

いまだ見ぬ『兄』に焦がれているのは、とうの昔に理解していたつもりだ。

だから今までは、単に年上というだけの人には『兄』を連想させるようなことはしないように

心がけてきたし、連想させるほどの人もいなかった。

でも、ケイさんは違った。

雷光のような速度で、私の脳髄(あたま)に、『兄』を幻視させた。

まるで、私の知らない部分が、あの人こそが本当なのだと告げているように。


「……気のせい、なのかな。」


それでも、私は自分の気持ちに自信が持てない。

人間というモノは実に不安定で、見たことがあるモノには自信が持てるのだが、見たことがない

モノには自信が持てないようになってあるのだ。


「……ふぅ。」


気を落ち着けるために、静かに深呼吸をする。

12月の、冷たい空気が私の熱くなった体を、心地よく冷ましてくれる。

もう、余計なことは考えないでおこう。

ぬか喜びになることは目に見えている。

期待をすれば、後が辛くなってしまうことだって理解(わか)っている。

―――――でも。


「もう一度、会ってみたいな…。」


私の頭は、そうとしか考えてくれなかった。














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