Episode1 殺人人形



















































朝の日差しが、カーテン越しに少年を照らし出す。

無遠慮に届く朝の日差しに目を細めながら、ゆっくりとベッドから起き上がる。

まだ眠気の残る頭を、冷水で無理矢理に覚醒させると、


「づっ………!!」


脳髄を、直接針で突き刺されているような痛みが、頭に響く。

昨日の任務の疲れが残っているわけではない。

任務(ころし)が終わるたびに、いつも起こる発作。

人間の範疇を越えた体を手に入れた事の代償に与えられた、痛みという名の副作用。

普通の人間ならば、激痛のために立っていられないような痛み。

そんな痛みを受け続けながら、少年は、何事も無いような表情を作り、水を一口含む。

――――どうせ、痛むのは1時間強だから、気にする必要も無い…。

慣れというものは恐ろしい。

最初は、あまりの痛みにうずくまり、一時間近く動けなかったというのに。

しかし、それも任務が終えた次の朝はいつもこんな状態になってしまうので、回を

重ねるごとに耐性がついてしまった。

当たり前だ、少年がこの仕事を初めて行ってから、既に10年という時が経過しているのだから。

普段は感じない、『痛み』という感覚。

様々な強化手術と投薬の結果、少年の体は無痛症に近い状態に陥っている。

ナイフで切り裂かれたところで、痛みなぞほとんど感じない。

それなのに、毎回この時だけは、普通の人間のように『痛み』を感じる。

その点に関しては、少々疑問の残るところだったが、少年にそんな余分(むだ)な事を考える事は、

許可されていない。

―――――全ては、組織のためだけに―――――

その言葉だけを、真実(ほんとう)のモノとして生きてきた少年にとって、余分(むだ)な事を考える

という事自体が、許されざる行為(こと)だと教え込まれているからだ。

『痛み』を感じながらも、頭の中を無にする。

昨日と同じ型の漆黒のコートに袖を通し、任務の時には必ず使用する白銀のナイフを腰に携え、

いやでも目立ってしまう緋色の瞳をサングラスで覆い隠す。

そして、宿泊している−無論、組織の息がかかっている−ホテルの部屋宛に送られてきた、組織の

命令書を手に取る。

対象の人物のプロフィール、屋敷の見取り図、警備の厚さなど、事細かに書かれている命令書の

一言一句漏らさぬように、丁寧に目を通す。


「……ふぅ。」


無言のまま、少年は小さく息を吐く。

決行は、今夜となっている。

という事は明日の朝も、今も蠢き続けているこの痛みを耐える事になる。

それだけが、唯一少年にとっては辛い事だった。

苦痛を表情に出していないだけで、脳髄(あたま)は常に締め付けられているのだから。

無表情のまま、命令書を読み終える。

やはり、今回の任務も『暗殺』。

内容に関しても、昨日とほとんど相違ない内容で、組織を裏切った者の粛清という事だ。


「……多いな。」


ここ最近、少年の任務は『粛清』を語ったものが非常に多い。

なんでも組織を抜ける者・裏切る者が相当数に上っているらしい。

どんなに『暗殺』という行為で重宝されているとはいえ、所詮組織の末端の一人でしかない少年には

詳しくは知らされていないが、既に組織から七分の一程度の人間が組織を脱している。

組織図が変わったと言うわけではない、ただ今更光を浴びたいと思った人が増えているらしい。

だが、そんな状況であってさえ、少年が組織の事を考えるという行為(こと)は、余分(むだ)な

思い(こと)でしかない。

少年は、組織が体良く使える駒でしかないから。

物心ついた時から、『ただ人を殺す事』のみの訓練を受けてきた自分が、組織の上に立てる訳が無い。

それを理解していながら、少年は命令書をもう一度読み直す。

キリキリと、脳髄を遠慮容赦なく締め付けている痛みを、無理矢理に思考の奥底に封じ込める。

―――――余計な事は考えるな。

―――――考えるべき事は、今夜の事だけ。

こみ上げてくる痛みを完全に意識の外に追いやり、頭の中を殺す事だけに専念させる。

迷い(いたみ)は消え、余分(ひと)の気持ちが少年から失せていく。

これから自分が行う『暗殺(こと)』を、成功させるには何をしなければならないのか。

静かに、冷静に、思考を透明(クリア)にして、


「……行くか。」


命令書の中に添えられていた屋敷の見取り図だけをポケットにねじ込むと、漆黒のコートを

翻して静かに少年は部屋から出ていった。





































目標である屋敷の周辺を、丁寧に見て回る。

あまり人目につかないような場所に建っている事と、少年の完璧な気配遮断によって、少年の

存在に気付く者は誰一人としていなかった。

少年は、飽きる事無く、丁寧に、愚直なまでに丁寧に屋敷の綻びがないかを調べていく。

それもそのはず、『暗殺』や『潜入』といった任務を主とする少年にとって、『偵察』の

意味は非常に大きいからだ。

とはいえ、少年の能力(ちから)を考えれば、これほど丁寧にする必要が無いのは明らかだ。

事実、力押しだけでもこの程度の規模ならば問題が無い事を、少年は自身の経験から理解していた。

だが、そんな慢心や驕りは、少年には存在しない。

自身の能力(ちから)にだけ頼ると、勝てる戦いの範囲を狭めてしまう事を、少年は本能で

知っているからだ。

いや、それが本能になるように叩き込まれてきた。

己の命題、『いかにして任務を完全にこなすか』、これを完璧な形で達成するために、

どんな簡単な任務でも、少年は『偵察(じゅんび)』を怠るようなことはしない。

ゆえに、ついた通り名が『完璧なる暗殺者(パーフェクトアサシン)』。

まだ10代の少年に付けられた、大げさ過ぎるほどのとおり名。

だがこの仕事を生業とする熟練者達からでさえ、畏怖の視線で見られるほどの強力さを持つ通り名である。

そんな通り名を自らの行動で証明するように、上下左右、あらゆる角度から屋敷を徹底的に見て周り、

送られてきた見取り図と比較・分析し、綻びを見つけ出す。

そして、それを利用しつつ、自身の頭の中で最速・最短のルートを組み上げる。

何処をどう動き、どう相手の裏をかき、いかに確実に任務を達成するかを。

きっかり一時間‐組織の者が『偵察』に使う時間は10分以内がほとんどらしい‐をかけて

屋敷を見て回ると、少年はようやくその場を後にした。

凍えつくほどに、冷たい表情のまま。