Episode 0 『紅(あか)』の少年
























































白銀のナイフを携え、少年が『紅(あか)』の世界に立っている。

自らのモノではない、大量の血液を浴びた光沢の無い黒のコートを纏い、

『紅(あか)』の世界に呼応するような−それでいて、冷たさしか感じさせない−

燃える様な緋色の瞳で、眼前に広がる地獄を思わせる風景を、薄く輝く銀の髪を

揺らしながら、顔色一つ変える事無く見つめている。

誰の目から見ても、一目で人間(ヒト)とは異なった存在だと理解(わか)る少年の体が

動くたび、美しいとさえ形容出来るほどに、静かに、淀み無く、滑らかにナイフが舞う。

踊るように動くナイフは、容赦なく目の前の命を刈り取っていく。

数分前、いや数秒前までは確かに人間(ヒト)として存在(いき)ていたモノは全てが地に伏し、

およそ現実から程遠い『紅(あか)』の世界を、さらに濃密にさせる。

伏しているモノの数は、十五。

それらを一瞬で切り刻んだ少年は、透き通るような銀の紙を揺らして、機械の様に静けさを

保っている。

―――――あと、一人…。

少年の頭の中に言葉(めいれい)が響き、今回の任務の標的である男を、自らの緋の瞳で

見据える。

獲物として見定められた男は、小太りの体をガクガクと震わせながら、少年から送られてくる、

静かで鋭利な刃物のような殺意を受け続けている。

男は、少年の主である組織に属していたのだが、つい先日、その組織を裏切り、離反した。

その行為は少年にとって、いや、少年の主である組織にとって、忌むべき、万死に値すべき

行為だった。

―――――だから、少年は、この場に立っている。

組織を裏切る者、組織に敵対する者、それら全てに然るべき罰を与える為だけに存在する、

誰よりも人を殺す事に特化し、人を殺す為だけに育てられた少年が。

少年は幼い頃、無邪気に全てを愛し、全てを許される時期を、人間(ひと)を形成するにあたって

最も重要な時期を、全て組織に奪われた。

故に少年は親を知らず。

受けるべき愛を知らず。

おおよそ、人間(ひと)として持っていて当たり前のはずのモノを、何一つとして手に入れる事が

出来なかった。

だからこそ、少年は、誰よりも『殺人』という行為に特化する事が出来た。

相手から何を奪おうと、誰を殺そうと、全く感情(こころ)を乱す事が無くなるほどに。

標的との距離は、おおよそ10メートル。

その短い距離を、白銀のナイフを逆手に持ち替えて静かに歩いていく。


「ヒッ…!! た、助けて…。 組織にもちゃんと戻る! だから、命だけは…。」


普通よりも醜いと分類されるであろう顔を、さらに歪ませて、男は自分よりもはるかに年下の少年に

向かって命乞いをする。

―――――組織に属していた者なら、そんな言葉が受入れられる事は無いという事など、

理解(わか)っていながら。


「…『裏切り者の言葉は、すべて切り捨てろ。』 それが、答えです…。」


透明な声で、少年が口を開く。

そして、その言葉が最後といわんばかりに、少年が地を蹴り上げる。

もう、男の目には少年は映っていない。

見えるのは、10メートルほど前の位置に、大きく穿たれた穴が出来ているという事実だけ。

幼い頃に組織に身を委ねる事になった少年は、自分の意思とは完全に無関係な所で行われた、大量の

投薬と筋肉や骨格、果てには内臓に及ぶまでの強化手術によってもたらされた、その結果(こたえ)。

その一つが、男の目には映らないほどの、人間の範疇を遥かに超越した速度。

一秒にも満たない時間、刹那の時間(とき)の中で10メートルという距離を、一気に零距離にまで持ち込む。

男には、陳腐な言い方になってしまうが、瞬間移動のようにおもえた事だろう。

男の首筋に向かっていく、少年が放った一筋の光。

それは慈悲も情けも容赦も無く、迫っていくナイフの軌跡。

男は、声を上げる事はおろか、驚く表情さえ作る事が出来ずに、

ザシュッッッ!!!!

呆気無く、その命を手放した。

男の頚動脈に穿たれた一筋の線からは、血液が噴水のごとく流れ出る。

その血の雨を浴びながらも、少年の表情(こころ)は動かない。

目の前に広がる、血だらけの残骸だけが残る『紅(あか)』の世界を、緋の瞳で見ているだけ。

少年の命を奪いに来た悉くから浴びた大量の返り血で、少年の黒衣は大部分が紅く染まっている。

それが、不快といえば、不快だった。 

それでも血に対する嫌悪感は一つも見せずに、今までの出来事など、まるで無かったかのような

静けさで、ゆっくりと『紅(あか)』の黒衣を翻した。

血染めのコートを繕おうともせず。

煌々と、他者の血を吸い取って輝きを増したように輝いている緋の瞳を隠す事もせず。

己が命を分かつ、相棒である白銀のナイフを、『紅』に染めたまま気にかける事も無く。

自分のしている殺人(こと)に、疑いの欠片さえ持つ事無く。


―――――幕を上げるモノは、殺すためだけに存在する、意思を持たない人形のような

              そんな悲しい少年の物語              ―――――