わたしは“おに”……
いわれたあいてをころすおに……
わたしはおにだからころすの……
でも、ほんとうは……
からだのおくからきこえるこえ……
――コロシタクナイ……コンナコトハモウシタクナイ……
わたしは……おに……?
「………E・V・Eねェ」
祐一は資料を片手に、一軒の家のドアを開ける。
その家はコンクリートで造られている家とは違い、この辺りでは珍しい木造式の家だ。
ドアも引きドアではなく横に滑らせて開く代物。
玄関を開けたすぐ左手に二階に上がる階段があり、廊下部分は奥行きが10メートル近くその途中途中にいくつもの部屋がある。
勝手知ったる他人の家か、祐一はインターホンも鳴らさず、ノックもせずにドカドカ上がり込む。
そしてこの時間帯に家主がいる場所、大広間の襖を開けた。
「…………いねェ」
がらんとした部屋を見渡しすぐに閉め、次にいそうな場所の突き当たりの扉を見た。
そこだけは、襖ではなく白い引きドアになっている。
祐一はそのドアまで歩いていき開ける。
部屋の中は電磁波に侵されそうなぐらいのパソコンが置かれていた。
部屋の中央の机の上に正面と左右に置かれた三つディスプレイ、その机を囲むようにコードでいくつも繋がれたハードディスクで部屋は覆われていた。
何かダウンロードかインストールしているらしくハードディスクがカリカリ音をたて、ディスプレイも0から100に向っているバーが表示されている。
「……ここにもいねぇか」
祐一はドアを閉め、左のドアに開ける。
そこはレンガで造られた階段が螺旋を描きながら下に向って伸びていた。
数メートルおきに壁に掛けられた蝋燭だけがその薄暗い階段を照らしている。
「あとはこの地下室だな」
そう呟くと祐一は螺旋階段を降りて行く。
しばらく歩くと蝋燭とは違う明かりが壁と階段を照らしているのが見えた。
そこは一つの部屋になっており両サイドの棚には様々な薬品などが置かれ、部屋の中央には大きな机がある。
机の上にはビーカーや試験管などの実験道具や擂鉢があり、擂鉢には色々な色の粉が入っている。
その机の前で白衣を着たさくらが右手に試験管、左手にフラスコを持って何かの作業を行っている最中だ。
「さくら」
「あれ、祐一くん?」
さくらに声をかけ、部屋の中を見渡しながら部屋に踏み込む。
「……相変わらず、すげェなこりゃあ。これがお前の使う毒香水なんだろ?」
「うん。ざっと200種類の香水があるけどね」
「前から思ってたんだけどさ、さくらが任務で使う毒香水って、7種類だけだよな?」
「そだよ。それがどうかしたの?」
「いや、毒香水のは言ってみりゃあ只のクスリだろ? 別に7種類って数にこだわって持ち歩かなくたっていいんじゃねェのか?」
「毒香水は只のクスリじゃないよ。只のクスリであれだけのマジックじみたことが出来るワケないでしょ? 毒香水は基本的にボクの“術”の触媒にすぎないんだ。実際に使いこなすのはせいぜい7つが限度」
「ふーん。で今は何してんだ?」
分かっているのかいないのか曖昧に頷きさくらが手にしている試験管とフラスコを指差す。
「うん。新しい香水を作ろうと思って」
「作れんのか? 香水はもう200種類あんだろ? とてもじゃないが新しいのなんて作れるとは思えねェぞ」
「まぁ、確かにそうだけどね。だからこそ作りたいんだよ。おばあちゃんを超える為に。それがボクの夢なんだ」
「超える、か」
それこそがさくらの最大の目標。
香水も他の闘う術も全て祖母である芳乃から教わったもの。
それでは一生超えることができない。
超えるには自分独自の闘う術を生み出すしかないとさくらは考えている。
「それは、夢じゃねェよ」
「むッ」
それを聞いたさくらは、自分では祖母を超えられないと言われたと思い祐一を睨んだ。
だがそれを気にすることなく続ける。
「夢ってのは叶わねェから夢ってんだ。叶っちまう夢は最早夢とは言わねェよ」
その言葉に驚いた。
まさかあの祐一がこんなコトを言うなんて誰が想像できようか?
それ以前に祐一の言葉はさくらは祖母を超えられると断言しているようなものだ。
「んだよ?」
「な、なんでもないよ! うん、なんでもない!」
――祐一くんが壊れたのかと思った、とは口が裂けても言えないさくらであった。
「そ、それより祐一くん。ボクに何か用があるんじゃないの?」
「ああ。実はな……」
祐一はアネットから貰ったファイルをさくらに渡し頼みたい事を話した。
「へぇ〜新型の兵器かぁ。興味あるね、それ。うん、いいよ。調べて上げる」
「助かる」
「でも、情報料はしっかり払ってもらうよ?」
「ケチクセェな。それぐれェタダでやってくれ」
「ダメダメ。世の中ギブ・アンド・テイクだよ」
「分かったよ。だが、得た情報が役に立たなかったら払わねェからな」
どの道コレを頼んだ留美が払うのだ、祐一にはなんら問題はない。
「もちろん。でもボクがそんなヘマするワケないじゃない」
「そりゃそうだ。んじゃ、頼むぜ」
さくらに調べものを頼んだ祐一は、トルネオ邸へと足を運んだ。
外から屋敷は全く見えなかった。
それは無意味に広い敷地のせいでもあるが、何人たりとも受け入れようとしないコンクリートの壁が立ちはだかっていたからでもある。
高さはざっと10メートル。
「よほどやましいモンがあんだな」
これは、予想というより定義の一つだろう。
隠してあるものとは、えてして危険であるか、貴重であるかのどちらかでしかない。
祐一がここに来た理由は単純明快。
留美に詳しく調べといてと言われたからとった行動だ。
ファイルとその中に同封されていたCDデータを解析し、パソコンを使いヴァルハラのデータバンクやアングラなどからデータを探し出す仕事をさくらが。
そして祐一は実際に目で確認し、さらに詳しい情報を得る為に危険を冒してまでここに来た。
とはいえ彼にとって警戒すべき障害や恐ろしい人物などは片手で数えるほどしかない。
決して円卓の騎士の名は伊達ではないのだ。
「さて、行くか」
人体の持てる力の限界と一緒に塀を飛び越えた。
そこから見てもなお邸内までは遠い。
「……監視カメラに赤外線。屋敷を回っている警備に番犬。見事なほど警戒厳重だな」
邸の正門から見た南棟の左端の屋根に腰を下ろし辺りを確認する。
邸自体は簡単に言うと英語の『V』の形をしており、一階は二階分を利用した四方20メートルの巨大なホール、三階は真中、四階は左右の中心部分で北棟と南棟を空中回路で結んでいる。
「あそこにあるモノはそれほどの代物ってコトか」
祐一は立ち上がり北東の方角にある白い建物を見つめる。
それは、写真に写っていた地下三階まである研究施設。
「さて……何があるか楽しみだ」
軽く舌なめずりし、その研究所に向って駆けようとした瞬間、異常なまでに発達し研ぎ澄まされた祐一の五感は、自分以外の存在を察知した。
四階の空中回路の下の道にその存在はいた。
(へ、こりゃまたこんな所には似つかわしくねェな)
そこに現れたのは、金髪と白い肌のまだ幼い少女であった。
その顔の双眸にある透き通った瞳は、彼女の純真さを表現しているようでさえある。
そして、少女の表情は、ただ単に『暗い』と表現してもよいものか、迷うべきものであった。
暗いとは、気持ちが沈んでいることを指すがどうも違う。
あえて既存の言葉をあてはめるなら、無気力、虚脱などであろうか。
その少女には人間がもつ『感情』というものが、まるまるポッカリ抜け落ちているように見えた。
そう、まるでかつての自分のように……
その少女をぼんやり見ていると、その場にふさわしい事態が起きた。
奥から現れた数人の男達が少女を見つけ邸内に連れて行こうとしている。
この時、少女は別に嫌がっても嬉しそうでもなかった。
それを見た祐一は考えるより先に数倍のスピードで行動に出る。
そして数秒後、男達は職務をまっとうすることなく地面に沈んだ。
「つまんねぇな。準備運動にもなりゃしねェ」
祐一は右手をブラブラさせながらそう漏らした。
「……………………」
別に感謝のために行ったわけではないが、少女の口は何も紡がない。
ただ知らない人とよく分からない状況に混乱しているだけかもしれない。
「………あなた……だれ?」
「誰って、そりゃあ……」
こう言う時は何と答えればいいのか、祐一には分からない。
不法侵入の現行犯としては回答に困ってしまう。
そこで自分の知り合いならどうやって切り抜けるかを頭の中でシミュレートを試みた。
だが、思い浮かべた知り合いがまずかった。
なぜなら思い浮かべた人物は全て人をからかう事に長けた者達だったのだから……
「通りすがりの不審人物だ」
シミュレートの結果とんでもなく且つ馬鹿げたことを言い放つ。
それでも少女はまだ納得していないような表情。
これはどう考えても発言者である祐一に非があったが、この場合ただたんに子供には難しい単語であっただけだ。
「つまり……『わるい』ひと?」
この質問も難しいが、すぐに答えを出す暇などはなかった。
遠くから怒声が響いてきたのだ。
「とりあえず、さっさと去るか」
声の数と足音から相手にするには面倒な数と予想して、祐一は無意識に少女を抱きかかえ、すぐにそこから逃げ出した。
「ふぅ。ここまでくりゃあいいだろ」
屋敷から3キロほど離れた公園で、祐一はようやくスピードを落とした。
もちろん、追っ手などかけらも見えない。
「……………………」
そこでようやく、自分の腕の中にいる無言の少女に気づいた祐一。
「何も考えずに連れて来ちまったが……これからどうすっかねェ」
誰に問うでもなくそう呟くと、とりあえず少女を降ろした。
少女は実に30分ぶりに、地面に立つことはできた。
キョロキョロと辺りを見回して、やはり何も言わずに立ちすくんでいる。
(ほんと、どうすっかねェ)
これからの事をあれこれ考えている祐一は視界の隅に一つの店を捉え、少女を噴水前のベンチに座らせるとその店に向った。
その店で二つのアイスクリームを買い、手にして戻ってみると少女はベンチに行儀よく腰掛け、園内を熱心に眺めていた。
(こんな公園がそんなに珍しいのか?)
「ほら、これでも食え」
両手に持ったアイスクリームのうち片方を少女に差し出し、その隣りに腰を下ろし、自分のアイスクリームに齧りつく。
少女の方は差し出されたアイスクリームを黙って受け取り不思議そうに見ている。
いや、黙っていると言うより、どうしていいか解っていないと言う方が正確だろう。
「これ……なに? たべものなの?」
「あ? アイス食ったことねェのか? 今時珍しいガキだな。心配すんな。ちゃんとした食いモンだよ」
祐一が言うと少女は恐る恐るアイスクリームに舌を触れさせた。
「……つめたい」
「そりゃアイスだかんな」
「でも……おいしい」
少女の顔が微かに、本当に微かにほころんだ。
「そりゃあ、よかった」
「……うん」
「………ところで名前は何ていうんだ?」
「………イヴ」
(イヴ? どこかで聞いたような)
頭に引っかかりを覚えたが、忘れるぐらいのことならどうでもいいのだろう。
今考えるべきはこのイヴと名乗る少女は一体何者であろうかということ。
顔を見るとヒキガエルみたいな顔のトルネオの子供とは考えられない。
もしそうなら母親がかなりの美人なのか、養子なのだろう。
警備達が連れて行こうとしたのなら、誘拐してきた女の子とも考えられる。
仮に誘拐だとしても、なぜ誘拐したのか理由が思いつかない。
あのでっかい屋敷に住んでいる以上は身代金が目的ではないことは容易に想像できる。
(ま、いずれ分かんだろ)
そう結論づけ、ふと少女に視線を戻す。
しかし、そこにいるべき人物がいない。
今度は前方に視線を送る。
イヴは道行く人をじーっと眺めていた。
「イヴ。さっきもそうだが、そんなに珍しいモンでもあったか?」
質問はありきたりだったが、答えは珍しい部類にはいるものだった。
「ひとって、たくさんいるんだね」
「そりゃあそうだろ」
「………わたし………あんまりおうちからでたことないから……まちにこんなにいっぱいひとがいるなんてしらなかった」
「いっぱい、か。だがよ、イヴ。世界は広い。こんなのいっぱいなんてうちには入んねぇぞ」
「そうなの?」
「もっとでけェ街に行きゃあこんなもんじゃねェ。目の前の景色全部が人で埋っちまうようなとこもあるんだぜ」
「ほんと!?」
「ああ……」
イヴが熱っぽい目で祐一の話を聞いている。
自分の知らない世界の話に興奮したのか、イヴの頬はほんのり上気していた。
「さて、と。イヴはあんま家から出たことねェって言ってたな」
「うん」
「じゃあ、いろんなトコを見物でもするか」
「………どこを?」
「そとを」
「そ……と……」
「そ、行こうぜ」
祐一は右手を差し出したが、イブは何をすればいいのか分かっていない。
「ほれ、左手出して掴め」
そう言われ、おずおずと左手を祐一の右手に重ねた。
差し出された手をしっかり握り、二人は雑踏へと駆けていった。
そして、駆けながら祐一は思った。
(勝手に連れ出してなんだがいつもならほっとくのに………今日の俺、何か変だな)
別に変ではないが、ほっておけない理由に祐一自身は気づいていない。
いや、もしかしたら薄々気づいているかもしれない。
――イヴは昔の自分と似ている、と……
「あれはなに?」
「ありゃあ信号機だ」
「……しん……ごうき?」
「そ、あれが赤から青にかわったら渡んだ」
「あ、かわった。じゃあ……わたるよ?」
「おう」
二人のお出かけは、すでに1時間ほど経過していた。
とにもかくにもイヴがことあるごとに質問を浴びせるので、進んでは説明し、また進んでは説明と、進行速度は牛歩の如しであった。
それはイヴにとって何もかもが始めての証明になった。
「これ、なに?」
「そりゃあ自動販売機つって、中から飲み物が出てくる機械だ」
「……このなかから?」
「そ。試してみるか?」
財布を取り出そうとした瞬間、異質な音が祐一の聴覚を走った。
なにかが切れる音、そのあとに壊れる音。
素疾く音のした方を振り返った祐一が見たものは衝撃的な映像であった。
斜めに切れた自販機、切断面のところからいくつか火花が散っているのは内部にある電気系統が切れたせいであろう。
だが、それよりも祐一を驚かせる光景があった。
それはイヴの右手。
祐一の視線はその異様な右手で固定してから動かない。
「……イヴ」
「おみず……でてこないよ?」
それは奇妙な構造をしていた。
肩、ひじ、手首までは細いながらも完全にヒトの形である。
しかし、そこからは金属質な質感と、剣特有の光沢を放っていた。
まるで、右手を剣に変化させたような姿。
「その右手は……」
「これ? なにかをきるときには、ここを『きるもの』に『かえる』の」
かえる、代える、変える、換える、どれもあてはまっているが、だからといってどうしようもない。
(イヴ……まさか)
急速に意識がフラッシュバックする。
――何でもその兵器のコードネームはE・V・Eっていうそうだ。
――名前は?
――そのまんまイヴだよ。
イヴ、eve、E・V・E。
(チッ、バカか俺は。こんな単純な事にも気づかねェなんて)
この考えをを確かめるべく、急いで胸から携帯を取り出し、短縮ボタンを押す。
待つこと三コール、相手が電話口に出た。
『祐一くん、ナーイスタイミング。今祐一くんから貰ったデータの解析が終了したところだよ』
「そうか。ならあの施設前での写真にいた科学者共がなんの分野の科学者か分かったか?」
『うん。皆かなりのお偉いさんだよ。えーっとねぇ。遺伝子学、生物学……』
さくらの口から次々出てくる情報によって自分の予想が加速的に確信へと近づいていくのを祐一は感じた。
『この人達ナノマシンの研究のために世界中から集められたみたい』
「ナノ……マシン?」
知らない単語が出てきた。
『うん。かなり小さい金属――10億分の一メートルサイズの超微小ロボットを応用した工学技術で、コレを有効に使えば、DNA構造をいじって難病を克服したり、不治の病も治せるらしいんだって。それから、分子の組み換えによってある物質を、別の物体に変えることが可能だって。とんでもない研究だね』
『ある物質を、別の物体に変える』この言葉を聞いた時、当たって欲しくない予想が確信へとかわった。
(へ、そういうことかよ……このイヴが新型の兵器ってワケか。随分と可愛らしい兵器を造るじゃねェか)
まだ試作段階といったところだろうか、それは分からない。
しかし、考え付くだけでもこの『兵器』は危険だ。
たとえば、もし自在に腕を武器に変形できるなら、セキュリティなど関係なくいろんなところに入り込める。
そして、誰かを殺したとしても凶器が見つからない。
その凶器が右手を変形したものだと気づく、そんな想像力豊かな人間ははたしているだろうか。
否、いるわけがない。
『どうかしたの?』
「……さくら、今からお前んちに行く」
受話器からもれる質問と非難を無視して、祐一は通話を一方的にきった。
「……どうしたの?」
おずおずと少女が近づき尋ねてくる。
「なんでもねェ」
(とにかく、さくらのトコに行くか。全てはそこからだ)
方向さえ定まれば、行動への決心は最速である。
「そんじゃあ……」
「あ、あいすだ」
出鼻を挫かれた祐一。
50メートルほど向こうを見ると、最初にあげたアイス屋が見える。
「アイス……また食いてェのか?」
「………うん」
「……じゃあ待ってな」
財布の中身を確認しながらアイス屋へと駆ける祐一。
とりあえず、食べさせたらさくらの家へ直行するつもりでいた。
アイスを二つ購入し、会計をすませた瞬間、祐一は遥か後方で車の急発進するの音が聞こえた。
彼は感覚的に、自分の中の感覚が警告を発しているのを察知。
そして、視線を走らせた瞬間、車に乗せられたイヴを捉えた。
「チッ!」
「あ、お客さん!」
アイスクリームを投げ捨て、店員の言葉を背中ではねつけながら車に向って猛然と走る祐一。
しかし、流石の快足でも疾走する車の影すら踏むことは出来なかった。
「あ〜ん〜た〜ねぇ〜。誰がそんな勝手な行動をしろって言ったのよ!!」
怒り心頭の留美が祐一の脳天目掛けて天月を問答無用で振り下ろす。
すかさずその刃を両手で挟み込む。
さくらはこの状況をお茶を飲みながらは傍観者として楽しんで見ている。
今、三人がいるのはさくらの家の大広間。
イヴがトルネオに連れ去られた後、祐一は一仕事を終えた留美と合流しさくらの家にやってきた。
さくらと留美は初対面ということもあり、二人は軽く自己紹介をして大広間に通された後、祐一の口からトルネオの屋敷に侵入したこと聞かされ現在に至る。
「お陰で相手に無駄な警戒させちゃったじゃない!!」
「その事については弁解の余地もない。素直に謝る。悪かった」
「謝って済む問題じゃないでしょーが!!」
二人のやり取りはその後二時間も続いた。
「……二人とももういいかな?」
「……ハァハァ。ええ、どうぞ」
「ああ」
息切れしている留美と平然としている祐一。
祐一は只繰り出される刀を紙一重で無駄な動きなく避けるだけなのであまり疲れないが留美の場合は腕の筋肉や腰、足を使うので疲れる。
加えて相手は裏世界最強と畏れられている祐一だ、疲れるのは無理もない。
「じゃ、着いてきて。見せたい物があるから」
さくらは二人を促し、パソコンルームに連れて行った。
「これは……凄いパソコンの数ね」
電気を落とされた部屋を見ながら驚きの表情を浮かべる留美にそうかな、と首を傾げながらさくらは中央の席に座り、パソコンを起動させてキーボードに指を走らせる。
「で、俺達に見せたい物ってなんだ?」
「慌てない慌てない……えーっどれだったっかなぁ」
急かすように言うが、さくらはそれを軽く受け流した。
パソコンを操作して、ディスプレイにルーベルシティの商店街の映像が映し出す。
「何これ?」
「警察、もしくは暴力団がこの街に設けたカメラの映像だ」
さくらのパソコンは警察の回線を見ることができるようになっている。
ヴァルハラの中でその権限を持っているのは長老会や幹部、円卓の騎士のメンバーのみだ。
さらに、さくらのパソコンは各暴力団が自分のシマを護るために仕掛けた監視カメラにも接続できる。
つまりここにいるだけでルーベルシティ、如いては全大陸にある街が監視できるってことだ。
「へぇ、それは大したものね」
「あったあった。このログだ」
さくらは監視ログから目当ての映像を見つけ出し、それを開く。
「見せたい物はこれだよ」
さくらがそう言うと背後の壁が開き大きめのスクリーンが出現する。
スクリーンに映像が映し出され、男の息切れと地面を蹴る音が聞えた。
『はぁはぁはぁ!! く、くそっ! こんなところで、死ねるか!!』
そう叫びながら路地を走り角を曲がるが、足元にあった空き缶に足を取られ、転倒。
男は悪態を付きながら身を起こすが、耳に誰かが近づいてくる足音が聞こえてきた。
バッ、と勢いよく顔を上げて、足音が聞こえてきた方に目を向ける。
そこには感情のない眼でこちらを見ている金髪の少女が立っていた。
「お、女の子!? なんでこんなトコに!?」
「留美ちゃん、言いから黙って見てて」
さくらにピシャリと言われおとなしく従う事にした。
(……イヴ)
『!? な、なんだ、ガキかよ。脅かしやがって』
男が一瞬驚き安堵した瞬間の映像を見て留美は自分の目を疑った。
イヴの右手に異変が起きていた。
掌が徐々に膨らみ始め、次第に五指の区別がなくなっていく。
肥大していく掌の表面には、微細な網目のような隆起が生まれ、金属の軋むような音とともに網目全体が波打っている。
掌は徐々に長方形に近い形になり、最終的には巨大なナイフのような形状に変化した。
イヴは表情を変えず、右手の刃を男の腹部に躊躇う事無く突き刺した。
『……おい、ガキ! そこをどきな……って、ドスッ? う……ぐあ……』
イヴは腹部に突き刺さったナイフを捻り男から引き抜き、男の身体はその場に崩れ落ち二度と帰らぬ身となった。
『……わたし……おになの……』
イヴは死体にそう言い、踵を返しその場を去った。
その場に残ったのは、息絶えた男の死体と少女の瞳から零れ落ちた、雫……
映像はそこで終了した。
「な、なによ今の?」
「あれがナノマシンによって造られた生体兵器。コードネームはE・V・E。恐らく旧約聖書『創世記』に記された最初の人間、エデンの園のイヴから付けたんだろうねぇ」
さくらの口から淡々と告げられた言葉に留美の顔が一瞬驚き、その後、怒りの表情へと変わる。
「生体兵器……じ、じゃあ、あの子がアネットの言ってた新型の兵器だっていうの!?」
その叫びに祐一はただただ頷くだけ……
留美は血が出るほど握り締めた拳を壁に叩きつけた。
「ふ……ふざけんじゃないわよ……あんな……あんな年端もいかない子に人殺しをさせるなんて、絶対に赦せない!」
「確かにな。いくらなんでもこのまま無視じゃいけねェな」
「どうするの祐一くん?」
「………さっきの映像を観て気づいた。あいつは……イヴは昔の俺に似ている。ただ人を殺す為だけに生きていたあの頃の俺とな……きっかけさえあれば、イヴは『人』に戻ることができる。闇の世界に染まりきった俺達とは違う。イヴは、イヴの人生を取り戻すチャンスがある」
祐一はそこで言葉を切って、さくら、留美と順に見渡し、一度瞼を閉じる。
暫くそのままでいると、ゆっくりと瞼を開ける。
その眼に宿るのは決意の証。
「だから決めた。俺はイヴを助け出す」
硬い床、冷たい壁、暗い天井、窓一つない部屋が少女を四方から囲んでいた。
そのことを悲しいとは思わない。
なぜなら、生まれた時からここにいて、自分の居場所はここだと分かっていたから。
そう、連れ戻される数時間前までは。
「……………………」
今日はいつもと違いこの部屋がひどく嫌で、今すぐにでも出たかったか。
そして、凄くあそこへ行きたかった。
今日、わけも分からないまま、気づいたら辿り着いた場所。
『あのひと』は『そと』と言っていた。
自分の知らない世界には人が数え切れないほどいた。
見たこともないものに触れた。
『あいす』というおいしいものがあった……
外のことを考えている時は、気持ちがよかった。
しかし気持ちがよかった分だけ今の状態を再確認すると、凄く嫌な気分になり、苦しいほど胸が締め付けられる。
気がつくと硬い床に水滴がポツリと落ちていた。
どこから水が漏れているかは分からない。
水漏れを探そうとした視界が滲む。
不思議に思い、目に手を当てると、なぜか水が指を濡らした。
「また、めからおみずが。これは……なに?」
少女はそれが何か、そしてそれが何を意味するのかも知らなかった。