翌日、7:33。

 小鳥の囀りと窓から差し込む木漏れ日が、目覚まし変わりとなり祐一がベッドから身を起す。

 いつもは巴の殴られ、もしくは殺気を飛ばされて起きるのだが、珍しいことこの上ない。

「う……ん……」

 祐一から数分遅れで隣のベッドで、眠っていた巴が起きた。

 巴が身を起すと、躰を覆っていたシーツがずり落ちる。

「巴、おはよ……う……ッ!」

 巴の方を向いて挨拶をする祐一だが、その目は驚愕に見開かれた。

「おはようございます、祐一さん」

 だが、巴は祐一の表情がどういう意味かは気づいていない。

 芹香の薬の効力が切れるということは、子供から大人に戻るということだ。

 子供サイズのパジャマを着た状態で眠ったので、元の姿に戻れば必然的にそのパジャマは破れて素肌を晒す事になる。

 つまりは巴のナイスバディ――92・57・86――が余すことなく祐一の眼前に晒されているのだ。

「? 祐一さん、どうかしましたか?」

 巴が小首を傾げると、生白い桃のような胸がつられるようにふるふると震えた。

 祐一は何も語らず、ただただ巴の躰に魅入っている。

 首を傾げながら、祐一の視線の先を追う。

「――ッ! き、きゃあああぁぁぁぁぁぁぁ!!!」 

 顔を真っ赤に染めあげ、神速を超えてただろうと思わせる速さで、傍に立て掛けてあった天羽々斬を掴み、桜閃花を祐一に放つ。

 桜色の剣圧により、祐一は窓を突き破り庭を、来栖川邸の塀を越えて飛んで行った。

 その眼下、来栖川邸の庭で組み手をしていた綾香とセリオに祐一は気づき、また綾香達も飛んで行く祐一に気づく。

 下から見上げた祐一の顔は非常に満足そうな表情だったと綾香は後に語った。

「あらら。随分飛んだわね」

「状況から推測しますと、巴さんの躰が元に戻って、祐一さんに裸を見られた恥ずかしさのあまり桜閃花で吹っ飛ばしたといった所でしょう」

 まるで見ていたかのように具体的に話すセリオ。

 まぁ、外れてはいないのだが。

「姉さんの薬の効果は一応、切れたみたいね……私はシャワーを浴びてくるから、セリオはアレの回収をお願い」

「はい」

 綾香はそう言って木に掛けていたタオルで汗を拭きながら部屋の中に戻って行った。

 それを見送るとセリオは来栖川邸から出て行った祐一の回収に向かう。





FenrisWolf's


ACT.16 留美との別れ・祐一との旅立ち





 シャワーを浴び終え、大広間に戻ってきた綾香が見たのはソファーに座っている巴と祐一だ。

 巴は真っ赤に染め上げた顔を俯かせ、その対面では祐一がセリオに治療されている。

「大丈夫、巴?」

「え? あっ、はい……だ、大丈夫です」

 顔を上げそう答えるが、祐一と眼が合うと、まだ恥ずかしいのか祐一の顔を直視出来ずに俯く。

 男に裸を見られた事がない上に、そういった事に対しての免疫が全くと言っていい程ない。

 さらには自分が想いを寄せる男に見られたのだ、その恥かしさは計り知れないだろう。

 そんな巴の様子を分かってか、分からずか綾香は頬を掻きながら巴の肩に手を置く。

「……ま、野良犬に噛まれて傷口が化膿して破傷風になった挙句、傷口から謎のウイルスが入り込み不治の病に冒され、病院のベッドの上で窓から見える枯れ木を見ながら死期を悟ってしまったと思って諦めなさい」

「そんな慰め方があるかよ!? 慰めるならもう少しまともに慰めてやれ!!」

 あまりの存外な慰め方に思わず突っ込む祐一。

「なによ。あんただって巴の裸を見れてラッキーとか思ったんでしょ?」

 そう言いながら綾香は巴の背後に立ち、その豊満の胸を両手で揉みあげる。

「ひゃぁっ! あ、綾香さん、やめ、んんっ、止めて、下さい……んっ」

「やっぱり、巴って大きいわね」

 嫌がる巴と楽しそうに揉みしだく綾香。

 その対面の祐一は呆れたような表情でそれを眺めながら、未だにセリオに治療を受けている。

 そんな祐一の様子に気づいた綾香の表情は一気に面白くなさそうなものに変わった。

「っていうかさ、なんでアンタはノーリアクションなのよ? こんな光景が目の前で繰り広げられれば興奮するのが男でしょ?」

「んな光景見慣れてる。昔だけど、俺らのダチがよくそうやって巴の胸を揉んでた」

 そう祐一にとって巴の胸が揉まれるのは日常茶飯事であった。

 その筆頭となるのが祐一の恋人でもあった輝夜だ。

 それも周りに誰がいようがお構いなしに揉みまくる。

 他にも数名いるがその殆どが、挨拶代わりに揉んだり、自身の胸の無さと較べたりだったりする。

「へぇ、そうなんだ。それじゃあ、男にも揉まれた事あるワケ? 例えば……祐一とか」

「ありません! というか、いい加減に止めて下さい!!」

 未だに胸を揉み続けている綾香の片腕――左手首を掴み、捻りを加えながら投げ飛ばす。

 宙に浮いた綾香は背中から叩き付けられそうになるが、すぐに躰を反転させて両足で着地する。

「危ないわね。怪我するところだったじゃない」

「綾香さんが変な事をするからです!」

 自身の胸を両手でガードしつつ、綾香を睨みつける。

 ただ未だに恥かしさのあまり顔が真っ赤に染まっているので、睨まれてもあまり怖くない。

 それに苦笑を浮かべながら、綾香は祐一の隣に腰を下ろす。

「にしても、巴って男には触られた事なかったんだなぁ」

「ん? どういうことそれ?」

「俺のダチがさ、巴の胸が卑猥で無駄にデカチチなのは魔樹也さんに揉まれまくった所為だって言ってたんだ」

「そう言う話は聞いた事あるわね。確か、女性ホルモンの分泌が促進されるとかで豊胸効果がるあるとか……でも、それって迷信でしょ?」

「大方、自分の胸の無さの僻みだろ」

「なるほどねぇ……ところで、さっき出て来た魔樹也って誰?」

「俺の兄貴みてェな人だ。ヴァルハラを抜けてから結構世話になった」

 そんな暢気な会話をしているが、一部分で混沌が広がり始めているのに気づいていない。

 それは二人の対面・巴からである。

「……誰ですか?」

 祐一と綾香は突如発せられた物凄く低い声にビクッ、躰を竦ませる。

 ギギギッ、と壊れたブリキのように首をその声の発生源に向けると、そこには顔を俯かせ、背中にドス黒いオーラを背負った鬼、もとい巴がいた。

「と、巴、さん?」

「祐一さん、聞えませんでしたか? そんな事を言ったのは誰なんですか、と聞いてるんです」

 俯いていた顔を上げながらそう言った巴の右目がどんより黄色く光った――ような気がした。

 しかもそれはピンポイントで祐一にのみ向けられている。

 左右にいた筈の綾香とセリオは、いつの間にかいなくなっていた。

 飛び火する前に逃げたようだ。

「もう一度聞きます。誰が、卑猥で、無駄にデカチチで、魔樹也さんに、揉まれて、大きく、なったって、言ったん、ですか?」

 一言毎に区切る言い方がかえって祐一に恐怖を与える。

 ここですぐに答えなければ巴のことだ、言ったのは祐一だと間違いなく決めつけるだろう。

 そして、いつの間にか抜刀されている天羽々斬でお仕置きされるのは目にみえている。

 だがら祐一は迷う事無く仲間を売った。

「……せ、扇雫のヤツです」

「扇雫、さん……間違いありませんか?」

「はい。間違いありません」

 首が千切れるのでは、という勢いで首を激しく上下する。

 そして、心の中で仲間――扇雫に冥福を祈った。

「クスクスッ。今度の仕事は暗黒城ですし、丁度いいですね……あの子はまだ暗黒城にいる筈ですから」

 そう言って不気味に嗤いながら、恐ろしい微笑みをさらに深める。

「全く、あの子は……母様から授かったこの躰を卑猥などと、デカチチなどと……お灸を据えなければいきませんねぇ」

 久しぶりに見る黒さ100%の巴に祐一は戦慄した。

 数多の強者と対峙した時ですらこれほどの恐怖を感じた事はない。

 触らぬ神に祟りなし、と言わんばかりに祐一は物音を立てずにその場を移動し、食堂に向って行った。

 巴が我に帰ったのはそれから数後の事だった……





































 ――11時34分・来栖川邸前――

「あれ? あかりさん達がまだ来てませんね」

 翌日の来栖川邸には、綾香達だけで見送りに来ると言っていたあかり達の姿がないことに不信感を顕にする。

「何かね、浩之が入院したらしくてそれの見舞いに行ってるそうよ」

「入院、ですか?」

「うん。一応、一命を取り留めたものの入院を余儀なくされたみたい。見舞いに行くのは見送りの後でもよかったと思うんだけど、あかりが心配しててね」

「一命ってそんなに重症なんですか!?」

「そうみたいね。原因は解らないけど……祐一なら知ってるんじゃない?」

 その言葉に全員の視線が祐一に向く。

「祐一さん、浩之さんに何かしたのですか?」

「さぁ、なんだろうなァ」

 ワザとらしく口笛を吹きながら明後日の方を向いている。


  「祐一さん……言わなければ呪いますよ?」

 ボソリと呟いた言葉は呪詛となり祐一の聴覚が大きな声としてハッキリと捕えた。

「ハッ! 言わせていただきます。昨日、ヤクドナルドで浩之氏に蜂蜜練乳ワッフルΩを二つ、アビスドリンクを一つを胃に納めさせたしだいであります」

 巴と綾香のみに戦慄が走る。

 芹香は全く驚いていない。

「? あの祐一さんそれってどんな食物なんですか?」

 マルチが首を傾げながら訊いて来る。

 隣のセリオも表情こそ変わらないが訊きたそうにしていた。

「俺は食ったことないから味は判らないが、全部胃に納めた後の浩之の瞳孔が大きく開いてた」

「祐一さん、それは色々な意味でマズいのでは?」

 マルチはイマイチ解らない顔をしているが、セリオは大体理解している様子だ。

「おう。だから浩之は入院したんだ」

「というか、祐一さんはそんな危険な代物を浩之さんに勧めたのですか!?」

「失敬な。罰ゲームなんだから仕方ないだろ」

『罰ゲーム?』

「ゲーセンで浩之と勝負して、勝った奴は相手に一つだけ命令が出来るっていうルールで雌雄を決したんだ。ちなみに言い出したのは浩之だぞ」

 それを聞いた全員は思った。

 ――ある意味自業自得ね、と。

 祐一が勝てば間違いなく無理難題を押し付けてくるのは目に見えている。

 それが分かっていながら勝負を申し込んだのだ自業自得以外の何ものでもないだろう。

「それにしても驚いたぁ……アレを完食した人は一人もいないのよ。あいつ本当に人間なの?」

 綾香の呟きを訊いた芹香は人体実験をしてみたいと思ったとか思わなかったとか。

「多分……けど、浩之のヤツはこれから大変だぜ」

「どうしてですか?」

「浩之は消えることのない伝説を作っちまったからな。間違いなく尾鰭背鰭を伴った噂が街中を駆け巡ぐるぜ。ま、そういうワケで当分の間は注目されるだろうな。地獄の底から生還した漢として」

「厭な注目ね。私ならごめんだわ」

 綾香の意見には全員賛成だろう。

 そんな生き恥を晒すぐらいなら死んだ方がマシだと祐一と綾香は思う。

「それじゃ、そろそろ出発しましょうか、祐一さん」

「そうだな。んじゃ、またな」

「みなさん、お元気で」

 綾香達に挨拶をして運転席と助手席に乗り込む。

「祐一、巴。今回は本当にありがとね。また何かあったら頼むわね」


  「祐一さん、巴さん……お元気で」

「祐一さん、巴さん。さようなら」

「またですよ! 祐一さん、巴さん!」

 友の声を受け、祐一は車を走らせた。





































 車が行き交う大通りを、留美達の泊まっているホテルに向けて走らせる。

 そんな最中、巴がずっと疑問に思ってたコトを祐一に問い質してきた。

「祐一さん」

「んー?」

「昨日は聞きそびれましたが、留美さん達を迎えに行くって言ってましたよね?」

「ああ。それがどうした?」

「どうしたじゃありません。私達の旅の目的をお忘れになったのですか?」

「忘れてねェよ」

「でしたら何故、迎えに行くんですか? 迎えに行くという事は一緒に行動するという意味でしょう?」

 それは、と祐一が巴の方に顔を向けようとすると、その顔を右手でガシッと掴み強引に前に向かせる。

 その瞬間、祐一の首から異様な音がしたがそれを気にする巴ではない。

 祐一は祐一で首を左手で押えながら悶えているが、それでもしっかりと前を見ている。

「事故の原因に繋がりますので、脇見運転は止めて下さい」

「お、おぅ」

「それで、何故迎えに行くんですか?」

「それは……ん?」

 何かに気づいた祐一は、それには答えずクラクションを鳴らした。

 巴がそれに小首を傾げながら前方を見ると、そこには幾つかの荷物を足元に置いている留美とイヴがいた。

 クラクションに気づいた二人は、祐一達に向かって大きく手を振った。

「とりあえず、理由は留美に訊いてくれ」

 それだけ言うと、路肩に停車させ、二人の側まで歩いていく。

「よ。待ったか?」

「全然。約束してた時間の10分前だし」

「そっか。さてと、イヴさっさと運んじまおうぜ」

「うん」

 二人が荷物を運ぶのを横目に見ながら、言われた通りに留美に聞こうとするが、まずは礼を言うのが先だということを思い出し頭を下げた。

「留美さん。報酬金を頂いてありがとうございます」

「そのことなら気にしないで。アレは巴さん達と協力したから成功したんだから」

 確かにそうだろう。

 もしあの場に祐一がいなければ戦況は変わっていたかもしれない。

 菱木を倒すことが出来たかどうかも怪しいのだから。

「ですが」

「ストーップ。それ以上言わないでよ。あたしが気にしないでって言ってるんだから、ね」

「……そうですね。解りました」

 互いに軽く笑いあう。

「それで、ですね」

 巴は祐一達の方に目を向ける。

 巴の視線の先ではスバル360てんとう虫のトランクを整理しながらいくつかある荷物を仲良く話しながら積んでいる祐一とイヴがいた。

「なんか、荷物多いな。何が入ってんだ?」

「洋服とか本とか。あ、あと食器類」

「ふーん。ほとんど持って移動してんだな」

「うん。アジトとか持ってないからね。泊まるのもホテルとか長期滞在の場合はアパートを借りるから」

 そんな会話を交わしながら荷物がトランクに収められていく。

「あれは、一体どういう状況なんですか?」

 スバル360てんとう虫のトランクに荷物を積んでいる二人を見ながら訊く。

「……もしかして祐一からは何も聞いてないの?」

「はい。祐一さんは理由は留美さんに訊いてくれと言っただけなんで……」

「呆れた。何考えてんのよあいつは」

 呆れならがらも心の中では自分が知っている頃と比べると随分変わったことに苦笑する。

「まぁ、簡単に説明するとね……」

 留美は事を起こり、つまりはイヴと祐一が交わした約束を話した。

 祐一がイヴと交わした約束を聞き、祐一の優しさを改めて実感する。

「祐一さんとイヴさんがそんな約束を……」

「ええ。あの子はその約束を果たす為にずっと努力してきた。自分の力で誰かを守れるように……祐一の力になれるように……」

「そうですか……」

 別に、旅をの同行者が増えるのは巴としても構わない。

 巴にとって今、重要なことはただ一つ。

 この旅の目的がイヴにとって危険なモノになるということだ。

「ハァ、祐一さんは事の重大さが分かってるのでしょうか」

 誰に言うでもなく呟いた言葉は留美の耳にはしっかりと届いた。

「ん? どういうコト?」

「え? 私今何か言いましたか?」

「事の重大さが分かってるのかって言ってたわよ」

 どうやら心の中で呟いたことを口に出した事に巴は気づいていなかったようだ。

「で、どういうコトなの?」

「……実は――」

 巴はイヴがこちらに来ないことを確認しながら、それを語り始めた。

 何でも屋をやりながら世界中を旅する本当の目的。

 それは祐一の恋人であり、巴の親友でもあった七荻輝夜と、多くの仲間を殺した男を探し出し殺すこと。

「……そう。貴方達の目的も復讐なんだ」

「私達の目的も? もってことは留美さん、貴女も」

「ええ、貴女達と同じよ。あたしの大切な家族を鏖にした男を探してるの」

「お互い、復讐者ですか」

 復讐は何も生まないから止めておけと言う人がこの世には多い。

 それは確かに正しいことだろう。

 だが、掛け替えの無い大切な人を無惨に殺されてもなお、そんな考えを持てる人間がいるだろうか?

 否、いる筈がない。

 たとえ復讐に走らなくても憎しみや恨みの念は抱くものだ。

 大切な人を殺された人間がとる行動は限られているが主にあるのは三つ。

 復讐に生きるか、悲しみを背負って生きていくか、失ったショックに耐え切れず後を追って死ぬかだ。

 彼らは復讐を選んだ。

 復讐を終えた者も末路が死だとしても彼らは自ら選んだ道に迷わないだろう。

「貴女が言っていた事の重大さってそのコトなのね」

「はい。無関係な人を危険に巻き込みたくはないんです。それは祐一さんも分かってる筈なんですが……」

「それはあたしも同じだったわよ。けどね、イヴはあたしより頭がいいわ。少しでもリスクを感じたら躊躇わず引き下がる。その引き際は見事なほどよ。そのお陰で何度大物賞金首を取り逃がしたことか……」

 頭を垂れながら留美はそう言った。

 あっちこっちを破壊するだけ破壊して、危なくなった逃げる。

 それを繰り返すので借金が減らないのだから無理もない。

 だが、そのお陰で今まで無事でいられたのも事実。

「それに、もしもの時は護ってあげればいい。それだけでしょ?」

「護る……そうです。それだけの事なんですよね」

 『護る』という言葉は、大切な仲間を護れなかった過去を持つ祐一と巴にとって想像を絶する重みがある。

 それはトラウマと置き換えてもいい。

 それ故に彼らは大切なモノを護る為ならば、自分の命すら平気で投げ出してしまう危うさがある。

 留美はそれを知らない。

 そして行動を共にすることがない限り知る事もない。

「……ですが、よろしいですか? 今まで一緒にずっと旅をしてこられたのに?」

「祐一にも言われたわね。さっきも言ったとおりイヴ自身が望んだ事なの。『祐一の力になりたい』ってね」

「それに、私がいたら留美にとって邪魔だから」

 荷物を積み終えたイヴが留美と音夢の会話を聞き、そう付け足した。

「邪魔?」

「留美、そんな風に思ってるのか?」

「思ってるわけないでしょーが! イヴも何言ってるのよ!!」

「うん。留美は思ってないよ。でも、私がいたら瑞佳さんや茜さん達に負けるかもしれないでしょ?」

「ぐっ!?」

「瑞佳に茜?」

 聞きなれない名前に首を傾げる祐一だが、茜という名前はヤクドナルドで聞いたような気がしていた。

「留美の恋のライバル」

「ちょっ!」

「恋のライバルだと! 留美、お前にも好きな女ができたのか?!」

「あたしゃ、女よ!!」

「ぐぼおぅ!」

 強烈な鉄拳が祐一の鳩尾に良い具合に減り込み、その衝撃に身体がくの字に曲がる。

 そして、止めと言わんばかりの上段後ろ回し蹴り。

 キリモミ回転しながら派手に吹き飛び、万有引力に引かれ叩き付けられるようにアスファルトへ撃墜する。

「留美、やり過ぎ」

「は!? 折原相手にしたつもりでやってしまった!!」

 平然とした顔でイヴは留美に突っ込み、留美は留美で想い人のからかいに条件反射で突っ込むように殴り、蹴り飛ばした。

「折原?」

「あ、あの! 巴さん、ごめんなさい!」

 とりあえず祐一にではなく、巴の目の前でパートナーをゴミ屑にしたことに謝る。

「気にしないで下さい。この塵の自業自得ですから。そんな事より今言った折原ってもしかして掃除屋の折原浩平さんのことですか?」

 祐一の状況をそんな事の一言で片付け、留美の口から出た名前を尋ねる。

 自身のパートナーを塵と言ってのける巴に、留美は目頭が若干熱くなるのを感じていた。

(巴さん、今まで苦労して来たのね)

 そっちかよ、と祐一に聞こえていたらそう突っ込んでいただろう。

「ええ。そうよ」

「知ってんのか巴」

「ええ。この町に着た時に浩之さんが……って、塵! じゃなくて祐一さん!」

 何時の間にか――一瞬の内に――蘇生した祐一が首をゴキゴキ鳴らしながら近寄ってきた。

「誰が塵だ、コラァ! ったく、少しぐらい心配してくれてもいいんじゃねェか?」

「自業自得です」

 祐一の頼みは迷う事無く一刀両断された。

「さいで……んで、折原浩平ってどんな奴だ?」

「ええっと……祐一さんと比べると戦闘能力は劣りますけど、それでも実力はピカ一の掃除屋で祐一さんといい勝負の変な人だそうです」

「誰が変な人だ。誰が」

「自覚がないのは一種の罪ですよ、祐一さん」

「確かに、昔の祐一ならともかく今の祐一と折原は同レヴェルの奇人変人ね」

「そうだね」

「誰が奇人変人だ!!」

 祐一の返答に間をおかずに三人は祐一を指差した。

「祐一さんです」

「あんたよ」

「祐一だよ」

 考えもせずに答えられ祐一は少し虚しい気持ちになる。

「す、少しは躊躇って言って欲しかった」

 少なからず傷ついたようだ。

 そんな繊細な心ではないだろうが……

「あ、祐一さん。そろそろ……」

「ん? ああ。そろそろ船着場に行かねェとな」

 巴の言葉に携帯の時計を見る。

「んじゃ、そろそろ行くか……と、そうだ、先に乗っててくれ。ちょっと留美に話があるから」

 巴は頷き、助手席のドアを開けイスを前に倒す。

 イヴが後部座席に乗り込み巴が助手席に座りドアを閉めたのを確認すると留美と向き合った。

「で、話って何? まだ、あたしをからかう気?」

「茶化すな。真面目な話だ」

 さっきまでのおちゃらけた表情も雰囲気もなく真面目な顔をしているのに気づき留美も真剣に祐一の話を訊く。

「分かったわ。で、何?」

「お前が探してるあの男、、、のことだ?」

 そう聞いた瞬間、留美の表情が一瞬強張ったかと思うと、眼が鋭く細くなり、身体中から殺気が溢れ出す。

「……その様子じゃまだのようだな」

「………ええ」

 目を瞑り高ぶった気を落ちつけようと深呼吸を数回繰り返す。

 留美が探している男の名は、黒羽裂夜。

 危険度リスクはS級で、報酬金は5億ウェル。

 性格は残虐非道で人を殺すことに快楽を見出す狂人。

 何人もの掃除屋が報酬金目当てで裂夜の首を狙ったがその全てが返り討ちにあい、識別不能になるまで身体をバラバラに切り刻まれた。

 危険過ぎる男だ。

 だが、そんな裂夜を留美が狙うのには訳がある。

 それは八年前に殺された人達の仇討ち。

 大切な妹分の椎名繭も孤児だった自分を育ててくれた施設の人達も施設に居た友達も裂夜に惨殺された。

 留美だけを残して……

「……あれから八年も経ったのよね」

「八年、か。長いよな」

「でも、祐一よりは短いわよ。二年だけだどね」

「そう……だな。で、まだ見つからないのはどうしてだ?」

「あの男はあの『ロン』に属してる。だからほとんど尻尾を出さないのよ」

「『ロン』……だと?」

「祐一もヴァルハラに居たんなら名前ぐらい聞いたことがあるでしょ?」

 世界各国の首脳陣に恐れられている非合法のテロ組織『ロン』。

 全大陸で行動を起こし、その際に爆弾を用いる事で有名で、どんな警察の捜査網をも潜り抜ける実力を持っている。

 その行動は一種、闇雲とも思えるほどばらばらで何が目的なのかいまだ定かではない。

 全体構成人数は定かではないが、千人以上。

 そして最大の特徴として構成員は皆体のどこかに龍の刺青をしている。

「――よく知ってるぜ」

「よく知ってる?」

「ああ。かつて俺の師である士郎さんの家族達――御神と不破の一族を爆弾テロでほぼ壊滅させたのもこいつらだから」

 御神と不破で生き残ってのは僅か四人だけだ。

 全国を旅に出て難を逃れた祐一の師である不破士郎とその息子の不破恭也。

 そして風邪で寝込んでいた娘の看病をしていた御神美沙斗とその娘の御神美由希の四人だけだ。

「何れ俺は生き残りの不破と御神の一族と共闘してヤツらを潰すつもりだ。それが士郎さんとの約束だからな」

「そう。ならさ、その時はあたしにも連絡してあいつも出てくるだろうしね」

「分かった。なら携帯の番号を教えてくれ。じゃなきゃ連絡できないからな」

「そうね。じゃあ番号言うわよ? 090の……」

 留美が祐一に番号を伝え、祐一がその番号を押すと留美の携帯が鳴る。

 留美は着信履歴から選んで祐一の携帯に返すして、互いにメモリーに保存する。

「あっ。巴さんのも教えてもらえる?」

「ああ。巴の番号は、090の……」

 祐一が留美に番号を伝えると、助手席の窓を叩き開けさせる。

「どうかしましたか?」

「今、留美にお前の携帯の番号を教えたから、着たらリターンしてやってくれ」

「あっ。分かりました」

 ポケットから取り出すとすぐに携帯が鳴り、留美に返す。

「イヴも後で教えてくれ」

「うん」

 それだけ言うと窓を閉めさせ留美と向かい合った。

 メモリー完了した留美はポケットに携帯をしまう。

「んじゃ、俺達はそろそろ行くわ」

 軽く手を上げ運転席に向おうとするが、思い出したようにその足を止め留美に向き合う。

「どうしたの?」

「伝え忘れてたんだよ。大したモンじゃないが、奴らに繋がる手掛りを教えておいてやる」

「手掛かり? なんなのそれは?」

「龍の刺青さ。奴らは身体のどこかに手に龍の刺青を彫っている。それがロンに繋がる手掛りだ」

「龍の……刺青」

「ま、それが分かっても見つかるって訳じゃないがな」

「ううん。いい情報よ。ありがと」

「どういたしまして。んじゃ、今度こそ行くわ」

 今度こそ運転席に乗り込む。

 巴に助手席の窓を開けてもらい、覗き込むようにして二人に挨拶をする。

「またね。祐一、巴さん」

「またな」

「はい。留美さんもお元気で」

 次に後部座席のイヴに挨拶と励ましの言葉を贈る。

「イヴも元気でね。頑張んなさいよ」

「うん。留美……今まで楽しかったよ。ありがとう。それと、留美も頑張ってね」

「うっ……わ、分かってるわよ!」

 頬を赤く染め、どもりながら何とか言い返す。

「それじゃあ、留美。またいつか、ね」

「ええ。またね」

 名残惜しいが船の時間が迫ってるので車のエンジンをふかす。

「んじゃ。行くか!」

 車を走らせ、祐一と巴は窓から手を振り、イヴは後ろの窓から手を振った。

 それに、答えるように留美も車が見えなくなるまで手を振り続けた……





































 出航の30分前に船着場に到着した祐一はフェリーに車を乗せ、綾香が取ってくれた部屋に向った。

 その部屋はこれでもか、と言うぐらい豪華さだ。

「相変わらず良い部屋を取るんですね、綾香さんは」

「っていうか、豪華すぎだよ」

「部屋の予約を頼んだが……まさかVIPクラスだったとは……」

 部屋を見たそれぞれの感想だった。

 だが、彼らの気持ちも分からなくはない。

 シングルながら天蓋つきの三つのベッド。

 ベッドの前の方に二人がけのソファーが対面に並べられ、その間には大理石で作られたテーブルが置かれている。

 ソファーとテーブルの右側には大画面のテレビがあり、さらにはバスルームのオマケつき。

「それよか、さっさと荷物置いてメシ食いに行こうぜ。イヴもまだ食ってねェだろ?」

「うん。まだだよ」

「それじゃあ、行きましょうか」





































 バイキング形式の昼食を食べ終わり、部屋に戻って来ると巴とイヴはソファーに座りテレビをつけお互いの事を話している。

 そして、祐一は何か考え事をしながら備え付けのコーヒーメイカーを作動させている。

(サーカスに着くのは大体、明日の7時頃か。それなら、今ある時間を使ってイヴのことを話してやるか)

「祐一さん、コーヒーメイカーもう沸いてますけど……」

 巴にそう言われ考え事をしていた意識が戻される。

 見れば、とっくに黒々とした液体が満たされていた。

 祐一は淹れた二人分のコーヒーとシュガーとミルク、巴の緑茶をトレイに乗せ二人のところに向う。

「ぼーっとしてましたけど、何か考え事ですか?」

「ん? ああ。サーカスに着くまで時間があるからな、約束通り巴にイヴとの昔話をしてやろうと思ってな」

「いいんですか?」

「いいも何も、別に秘密にすることでもないし、な?」

「うん」

「んじゃ、話すぞ。イヴと出会ったのは、留美と出会ってから大体三ヶ月ぐれぇ経ってからだ」

 窓の外の青空を眺めて、遠い過去に視線を飛ばす。

 祐一は静かに語り始めた。