只今の時刻は朝10時12分。
街中がめまぐるしく動いている時間帯。
外からは車の走る音や人々の話し声が、邸内からは小鳥の鳴き声がそれぞれ聞えてくる。
昨夜の闘いの跡がありありと残っている来栖川邸の庭には、二つの人物が対峙し睨み合ったまま、黙している。
祐一と綾香だ。
二人は拳を構えるわけでもなく、黒と紺の視線をぶつけ合う。
しかし、全身から立ち上がる闘気は二人の間で渦を巻いていた。
何かを口にする気はない。
ただ、相手を倒すことにのみ、全神経を集中させていた。
迸る殺気が朝の空気をどんよりと濁らせている。
沈黙を破るように、どこからともなく鳥が木から羽ばたく音が聞えてきた。
それが、合図となり二人は同時に地を蹴りつけ、一瞬にして間合いを詰め激突する。
彼我はまるで互いの初撃を予測していたように拳と拳がぶつかり合った。
そこからは攻防の応酬だ。
殴打、回避、刺突、防御、蹴撃、迎撃、手刀、跳躍、突進、肘鉄、旋回、乱撃、咆吼、連撃、狂乱、激突、圧傷、痛打。
そして、再び拳がぶつかり合い一端距離を取る。
「チッ、一撃喰らっちまったか。一対一で、痛み分けだな」
「そうね」
祐一は見た目からは判らないが腹を蹴られ、綾香は頬を殴られ切れた口からは血が流れている。
流れる血を拭い、再び距離を詰める。
詰めて来た綾香が繰り出したジャブを紙一重で躱し、踏み込んで長いリーチからのチョッピング・ライト。
綾香は距離を詰めてソレを外し、更に踏み込んで超至近距離からのアッパーを放つ。
祐一はガードで受け止めたが衝撃を受け流しきれず、僅かに苦悶の表情を浮かべる。
一瞬の隙をついての、側頭部へのワンツー、ボディ。
三発、続けてクリーンヒット。
祐一の身体がくの字に折れ曲がる。
ガードが崩れたところへ迫る廻し蹴り。
蹴りは寸文の狂いなく祐一の脇腹を捉えたが、突きだした右足を掴まれる。
それに構わず、弾みをつけて半身を捻り、左足を横から叩き付ける。
だが、衝撃に絶えかねて手を放すより速く、祐一は綾香の足を強引に引っ張った。
綾香の身体が泳ぐ。
そこへ、左肩を狙い掌底を打ち込んだ。
同時に離れる。
先程までとは逆に、祐一の身体が動いた。
綾香の顔面に力任せの拳を叩き込む。
だが手首と肘の部分を掴まれて受け止められた。
綾香は片方の手を離し、腕の付け根に突きを見舞う。
痺れにも似た感覚が走り、多少ではあるが腕が鉛のように重く感じる。
腕を強引に引き抜き、綾香の拘束を振り解くと再び顔面に向けて拳を放った。
咄嗟に顔面を両腕で覆い、衝撃に備える。
だが祐一の拳が寸前で止まった。
祐一の右足が持ち上がり、凄まじい速度の蹴りがガラ空きの腹部にめり込む。
痛みよりも先に圧迫感が襲い、綾香の両腕が上がった。
すると今度は顔面を思いっ切り殴り倒す。
綾香の上体が仰け反り、後方へ大きく吹き飛ぶ。
鋭い突きのスピードに加えられたフェイントからの一撃を綾香はモロに喰らった。
腹部を押さえ、口元を拭いながら綾香が立ち上がった。
その鋭い眼光は、絶対に負けないと語っていた。
祐一はそれを見て唇を歪め、間合いを詰める。
立ち上がった綾香の左側頭部に拳を放つ。
綾香は半歩前進し、右拳を左腕で防ぐ。
そして残り半歩を踏み出しつつ、左の貫手で腹部を狙った。
その拳と交差するように突き上がってきたのは、重い爪先だ。
綾香は左の貫手を瞬時に引き戻し、その肘で、大腿部を強打する。
わずかに呻き声を上げたが、その威力に押され、綾香の身体がわずかに仰け反った。
その隙に左腕が祐一の右腕に搦め捕られ、強い力で左に流される。
綾香は素早く重心をかけていた左足で地を蹴り、祐一の左側頭部に蹴りを放つ。
祐一は咄嗟に搦めていた腕を離し上体を反るが、綾香の爪先がこめかみに叩き込まれる。
その一撃で皮膚は破け、血が流れ落ち、祐一の左目に映る景色を覆い隠す。
祐一はその血を拭おうとはしない。
傷は浅くてもハデに血が出るので、血止めをしないのなら拭く意味はないことを良く理解している。
綾香は両腕を地面に着き、体勢が崩れている祐一に両足を揃えたロケットキック。
その脚力は全てその体に吸い込まれ、数mの放物線となって飛んでいく。
祐一は苦痛に表情を歪めながらも空中で身体を丸めて着地し、素早く前を見据える。
祐一の目に飛び込んできたのは拳を振り上げて目前まで迫って来ていた綾香だ。
祐一は素早く懐に踏み込む。
突き出した掌は綾香の勢いと祐一の勢い、そして二人分の体重を乗せて胸板に叩きつけられる。
綾香は宙を飛んで地面の上を何度か転がってようやく止まった。
「そろそろ終りにしようか?」
「いいわよ」
軽く言葉を交わすと有無を言わずに二人は接近し、互いの身体に拳を、蹴りを叩き込む。
顔、腹、腕、足、脇、そして下顎に攻撃を叩き込み、躱し、防ぎ、また叩き込む。
「蹴!!」
祐一は顔目掛けて蹴り上げられた右足を屈んで回避すると同時に繰り出した足払いが、綾香の軸足を払って体勢を崩させる。
そして、倒れ込んできた綾香の首を掴み、地面に叩きつける。
叩きつけられながらも拳を首を掴んだ腕に叩き込もうとするが、その腕も祐一に搦め捕られる。
「チャックメイト……だな」
祐一は掴んでる腕に力を込めつつ言った。
少しでも動けば首を締め上げるだろう。
「………私の負けよ」
綾香の敗北宣言で祐一は捕えていた腕を外した。
「よっし、俺の勝ち、と」
「はぁ、また勝てなかったわね」
軽く溜め息を吐く綾香はどこか落ち込んでいる。
「結構強くなってると思うぞ。スピードも一撃の重さも前より上がってるからな」
「……鍛錬してるんだから、上がってくれていないと困るわよ」
「だろうな」
「でも、私はもっと強くなるからね。だって……」
綾香は真正面から見据えて不敵な笑みを浮かべながら、祐一に向かって拳を突き出す。
「祐一に勝つことが今の私の目標なんだから」
祐一と初めて出会った時、闘い、そして負けた。
それは、綾香にとって師や眞子以外の者で初めての敗北だった。
だが、綾香は負けた悔しさより嬉しさの方が大きかった。
久しく味わっていなかった闘いの緊張感。
楽しかった。
心の底からゾクゾク、ワクワクした。
そしてもっと強くなりたい、もった闘いたいそう思うようになった。
祐一が『漆黒の戦狼』だと知った時は
――『漆黒の戦狼』は処刑されたって聞いてたけど生きてたなんてね。正直言って嬉しいわ。
――嬉しい?
――ええ。一度でいいから闘ってみたかったのよ。裏世界最強と謳われた『漆黒の戦狼』とね。
勝ちたいという思いはさらに大きくなった。
その思いは全く消えず、今でも大きな焔を胸の中で灯している。
「いつでも、挑戦は受けてやるぜ」
綾香と同じ笑みを浮かべながら、突き出された拳に自身の拳を軽くぶつける。
が、すぐにその表情は真剣さを帯びる。
「それより、お前に訊きたいことがある。お前は確かに強くなっているが、今回はそんなに闘いに身が入っていなかった。違うか?」
そう問われた綾香の目が大きく見開かれる。
綾香は身体を震わし、拳を握り締めて俯いた。
「綾香?」
綾香は呼ばれたことで顔を一瞬だけ上げたが、再び俯いた。
その顔は何か訊きたげな表情だったのを祐一は見落とさなかった。
祐一は綾香が何かを言うのをただじっと待った。
「あの、さ……祐一は初めて人を殺したときのこと、憶えてる?」
か細い声だったが、その質問は昨夜の来栖川邸での死闘を指しているのに理解した。
BAを投与したヤツを綾香が殺したコトはセリオから訊いている。
綾香の初めての人殺し。
それに対する苦悩と苦しみ。
だが祐一にそれを軽くしてやる言葉は吐けない。
なぜなら祐一と綾香の初めての殺しには大きな相違点があるからだ。
「初めての殺しか……憶えてるぜ。親父の銃で殺したのをよく憶えてる。確か7歳の頃だ」
「どんな気分だった?」
「……分かんねェ。生きていく為に殺してたから、そんなこと考える余裕なんてなかった。それに俺と綾香とじゃ状況が違うだろ。俺は生きるのに必要な金や食料の為に殺した。綾香は琴音ちゃん達を護る為に殺した。殺した理由も信念も違いすぎる。だから互いの初めての殺しなんて相容れるモノじゃない」
「……そう、ね」
短く返事をすると綾香はまた俯いた。
「辛いんだろ?」
「ええ。殺した時気分が悪かったわ。あんた達が帰って来るまで五回ぐらい吐いたわ」
「無理もねェよ」
祐一は綾香の側まで歩み寄るとその手を握り顔の高さまで持ち上げた。
「祐一?」
「俺と綾香のもう一つの相違点――それは殺し方だ。俺は銃だった。銃は拳やナイフと違って人の死に行く感触が手に残らない。でも綾香はこの手で命を奪った。死に行く感触がモロに伝わる手段で。そりゃ気分は最悪さ」
祐一の言葉に綾香は自分の手を見つめる。
それを見ながら祐一は更に続ける。
「けどな綾香。俺達の仕事は裏稼業だ。また今回のような殺さなきゃならない仕事が来るかもしれねェ。それにお前だって覚悟があって裏家業を始めたんだろ?」
「ええ」
「俺は別に人殺しに慣れろとは言わない。だが、お前の仕事は護り屋だ。殺したくなくても、護る為には殺さなきゃならなくなる仕事なんだ。人殺しがイヤなら今すぐ裏稼業は止めろ。中途半端な覚悟は何れ死を招くぞ。護る者にも、自分自身にもな」
「……ええ、それは十二分に解ってるわ」
「そっか」
「祐一……ありがとね。下らない愚痴を聞いてくれて」
「気にすんなよ。仲間だろ」
祐一の言葉に二人は笑いあった。
若干ではあるが、綾香の心が少しだけ軽くなっていた。
大広間へ通じる通路を二人は肩を並べながら歩いている。
二人の肩にはタオルがかかっていて、身体からは湯気が立ち上っていた。
試合終了の後、風呂とは別に備え付けとシャワールームで汗を流してきたから当然だ。
しばらく歩いていると祐一は綾香に頼みたい事があったのを思い出した。
「なぁ、綾香。ちょっと頼みがあんだけど……」
「なによ?」
「実はな……」
祐一は次の仕事でサーカスに行くことを綾香に話した。
サーカスシティはリーフタウンとは別の大陸にあるので船か飛行機でしか行くことができない。
祐一達の場合、移動はもっぱら車なので、大陸に渡る場合は車が積める船で飛行機はパスなのだ。
「大体読めたわ。要するに予約を取ってくれってことね」
「ああ。急だから予約できるか分からないが……」
「いつここをでるの?」
「明日の11時半頃」
「その時間なら……13時発のがあったわね」
「取れるのか?」
「ええ。その辺は大丈夫よ」
「そっか、なら三人分頼む」
「三人? 二人じゃないの?」
「ああ。新しい仲間がいてな」
「仲間ねぇ。まぁ詳しいことは聞かないけど……任せておいて。それで、今日はこれからどうするの?」
「今日は浩之達に会うつもりだ」
「でも浩之達は仕事の筈よ」
「昨日、電話したら終わったって言ってたから、今日の昼にヤクドで会う約束をした」
「そうなんだ」
今日の予定を歩きながら話して、大広間の扉の前までやって来た。
ドアを開けようとノブを握った瞬間、ボンッと言う何かが爆発するような音が部屋の中から聞えてきた。
『ボンッ?』
二人はハモり、その音に首を傾げながら――
「また、芹香さんが何かやったのか」
「また、姉さんが何かしたのね」
さらに同じことを同時に口にした。
来栖川低で問題を起す者は二人しかいない。
先ほどの『ポンッ!』や『ボンッ!』なら芹香の何かの実験で、『ガシャァン!』や『ドカァン!』ならマルチの何かの破壊だ。
メイドロボだろ? と誰もが疑問に思うかもしれないが、それがマルチなのだと綾香らは納得している。
逆に言えば、ドジではないマルチはマルチじゃない、という失礼な考えがあるとかないとか……
「何があったかは……」
「開ければ分かるわね……開けたくないけど」
「同感だな」
そして、覚悟を決めノブを回し部屋に踏み入れた祐一と綾香が摩訶不思議な姿をした人物を見て凍りつく。
『……………………』
その沈黙の理由は――
「ふぇ?」
巴に良く似た幼い――10歳ぐらいの子供がいた。
しかも身に纏っていたと思われる和服はストンと足元に落ちている。
詰まるところ、完全無欠に素っ裸だった。
さらには猫耳、尻尾が生えていた。
「き、きゃぁぁぁぁぁ!! ゆ、祐一さん、見ないで下さい!」
しゃがみ込んで和服を掻き揚げて、その身を覆い隠す。
恥ずかしさからか、顔は赤く染まっている。
だが、とうの祐一は冷静だった。
「いや、そんな幼女の裸見て興奮するほど変態じゃないから……」
「……巴に似てるけど……祐一、何時の間に子供なんて作ったのよ?」
「年齢計算が合わねェだろーが! つーか、どうみてもこいつは巴本人じゃないのか?」
綾香の戯言に突っ込みを居れながら少女に名前を尋ねる。
「はい。私は祐一さんのパートナーの御巫巴、本人です」
少女は自ら御巫巴と認めた。
それを聞いた二人の頬は若干であるが引き攣っている。
そして、二人は同時に巴がこうなった元凶であろう芹香を見た。
「芹香さん、何をしたんですか?」
「姉さん、何をしたの?」
聞かれた芹香は小さな小瓶を取り出し、二人に見せる。
中には綺麗な青色の液体がまだ少しではあるが、残っている。
「これは?」
「私が作った薬です。これを巴さんに飲ませました」
綺麗な色ではあるが、芹香が作ったといった時点で、禍々しく怪しい匂いがプンプンだ。
いや、既に効力は出ているので怪しい以前の問題だ。
綾香はあまりのことに頭痛がし始めた頭に手を当てた。
「何の薬だったの?」
「……疲れが取れる薬です」
「「疲れ?」」
「……はい」
つまりは副作用でこうなったということだろう。
だが、これでは疲れをとるのではなく、何かに憑かれたと言ったほうが正しい。
憑かれたとすれば、子猫の霊か。
「で、何故に小さくなって、その上猫耳尻尾まで生えたんですか?」
「…………失敗したからだと思います?」
「「いやいや、何故に疑問系?」」
相変わらず何をするか分からない芹香に溜息をつきながら、綾香が巴の手を引いて自室に向っていく。
あの姿で放っておくわけには行かないので、幼い頃に着ていた服を着せに行くようだ。
「それで、巴は元に戻るんですか?」
「今までの経験上、副作用はほぼ24時間前後で切れます」
そんな経験上の意見はイヤだ、と言いたかったが、言えば何をされるか分からないので黙っておく。
心底疲れたようにソファーに腰を落とすと、セリオが飲み物を差し出した。
それを受け取り、紅茶を口に含む。
疲れをとるのには丁度よい、味と香りだ。
しばらく紅茶の香りを楽しんでいると、綾香が巴をつれて戻ってきた。
それを見た祐一は口に含んだ紅茶を勢いよく噴き出した。
「な、何故にゴスロリ!?」
そう、巴が着せられている服は黒と白を基準としたゴシックロリータ、いわゆるゴスロリ衣装であった。
恥ずかしそうに頬を赤らめ俯く巴。
それに合わせるように頭の上の猫耳がピクピク動いている。
「どう似合ってるでしょ?」
「だーら、なんでゴスロリなんだよ!?」
「これしかなかったのよ」
「嘘付けや!」
巴は始めて着る服に落ち着かないのか、ソワソワしている。
普通、女の子ならば可愛い服を着たいと思うものだが、巴は着たいと思ったコトは一度もない。
女の子らしい服よりも、巴は袴などの和服を好む。
なので、こういった服は落ち着かないのも無理はない。
「それにしても……」
「なんですか?」
「……いやな。どうせなら……」
祐一はポケットから携帯を取り出すと、カメラ機能で巴の猫耳ゴスロリ姿を撮影する。
一瞬何をされたか分からなかった巴。
「ゆ、祐一、さん、今、何を?」
「ん? 巴が袴以外を着るのって初めてみるからな、記念撮影だ」
綺麗に撮れているのを確認した祐一は、その画像を携帯の待受け画面に設定。
さらに素早くメールを開くと複数同時送信により、先の画像を知り合いに送りつけた。
送り先はダ・カーポのメンバーだ。
「こんな貴重な画像は分かち合うものだからな……その姿を音夢達にメールで送ってやったぞ」
そう言いながら携帯の画面を見せる。
今、祐一は、なんていった?
送った? メールで? この姿の画像を?
唐突な展開に鈍る思考。
だが加速的にその意味を理解した。
つまりはこの姿が音夢達に見られる。
「な、なな、ななななななんてことをするんですかぁぁぁぁぁ!!」
しゃがんでいる祐一の胸倉を掴み、ガクガクと揺さぶる。
「ううっ……終わった。私の人生は終わりました」
ガクッと項垂れる巴を余所に祐一の携帯に眞子からのメールが届く。
眞子以外にも送ったがこない所を見ると、用事があってそれ所じゃないか、眞子と一緒にいてまとめて返信しているか、のどちらかだろう。
内容だが――
――これ、巴本人よね? どうせ芹香さんが何かしたんじゃないの?
内容的には祐一が期待しているものじゃないので、心底ガッカリしているのは言うまでもない。
(チッ……もう少し面白い返信しろよな。使えないヤツだ)
とりあえず再度返信する。
――正解だけど、つまんねぇ返信するな。もう少し面白いネタで返信しやがれ外道が。
内容はあまりにも身勝手で理不尽なものであった。
というよりも祐一が外道だ。
送信すると同じに、電話が来る可能性があるので、すぐに電源OFF。
「ま、あれだ。連中のリアクションは下らないものだったから、そんなに気にするな。いつか良い事あるさ」
「諸悪の根源たる祐一さんが言わないで下さい」
――ヤクドナルド――
浩之達との約束の時間が近くなり、祐一と巴は待ち合わせの店にやって来た。
店の前には既に浩之達がいたが、祐一に気づくと手を上げ挨拶をするが、すぐに巴がいないことに気づく。
その巴の変わりに祐一の隣にいる子供を見て、祐一に白い目を向けた。
ちなみに巴は未だにゴスロリを着たままである。
猫耳、尻尾も周囲からはアクセサリーと思われているようだ。
「な、なんだよその目は?」
「このロリペド野郎が」
「見損なったよ、祐一君」
「最低だね」
「待てや、コラ。久々に会っての第一声がそれか」
「言われて当然だろーが」
「当然じゃねェよ。こいつは巴だぞ」
何言ってんだ、こいつ。頭に蛆でも湧いたか? と三人の視線が語っていた。
「……巴」
「あ、はい。祐一さんの言っている事は本当です。私が祐一さんのパートナーの御巫巴です」
「ほ、ほんとに巴さんなの?」
「はい」
「なんで、こんな姿に……?」
「話は後にして、先に中に入ろうぜ」
祐一は長くなりそうなので話を一旦切り、店の中に足を進めた。
昼時のため店の中の席はほぼ埋っており、レジの前にも列ができている。
レジで注文を負えた五人は窓側の席に腰を下ろす。
浩之と祐一が窓側に座り、浩之の隣りにあかりが、祐一の隣りに巴が、そして雅史は通路になる場所にイスを置き座っている。
「で、なんでそんな姿になったんだ?」
席に着くと、浩之がすぐに理由を尋ねてきた。
「芹香さんが作った薬を飲んでこうなった」
あまりに簡潔すぎる説明である。
簡潔すぎたのだが、三人は、あぁ、なるほどね、と簡単に納得したように頷いた。
どうやらこの三人も祐一達と同様に芹香の恐ろしさは共通しているようだ。
「にしても、なんでゴスロリ?」
「綾香が選んで着せたから」
「なるほど、すんごい納得だ」
「……それにしても、巴さん。そんな副作用が起こると分かっていてなんでそんな薬を飲んだの?」
「疲れが溜まるような仕事ばかりしてるのかい?」
あかりと雅史がそう言った瞬間、巴の猫耳がピクンッと反応した。
「なにもかも全て祐一さんが原因です」
「へ、俺?」
ハンバーガーに齧り付いていた祐一が行き成り名を呼ばれて、顔を巴の方へ向ける。
「……人をからかうわ、能天気だわ、トラブルを起すわ、ストレスを溜めさせるわ、借金を減らすどころか増やしてくるわ……」
だんだん俯き、ダークオーラを発しながらブツブツ言っている巴は恐怖以外の何者でもない。
「あ、あのー、と、巴、さん?」
祐一の声が聞こえていないのか、巴は呟く事を止めない。
「ほんと何度保険金を掛けてブチ殺してやろうと思ったことか……いえ、どうせなら今ここで殺った方が世の為人の為私の為になりますよね。ええ、そうに決まってます」
(こ、怖ェェェェ!!)
四人の心は一つになった。
更には周囲の客もよく分からないドス黒いオーラにより誰も動けないでいる。
その発生源が10歳ほどの幼い少女だとは想像も付かないだろう。
そして祐一は思う。
早く何とかしないと確実に殺される、と。
が、そう簡単に対処法なんて浮かぶワケがない。
というか巴の禍々しいダークオーラが祐一の躰を包み込んでいるのだから、考えなんて纏まるワケがないのだ。
何とかしようと、浩之が勇気を出して巴の方を見るが――0.1秒で後悔した。
巴の眼を見てしまった浩之は思った。
――ヤバい、と。
何がヤバいかといえば、あれは絶対殺す眼だ。
殺す宣言だ。
アレと眼が合ったら多分いつか本当に殺される。
取り敢えず、浩之は窓の外に目を向けた。
(青空だ、今日はよく晴れているな)
見なかったことにして、現実逃避を試みた。
と、そこにいつの間にか席を立っていた雅史が何かを手に持って戻ってくる。
「はい、巴さん」
雅史が差し出したのは宇治金時だ。
それを視界に入った瞬間、巴が発していたダークオーラは霧散し、狂気染みた眼は子供のような眩いほどの輝きを放っていた。
何を隠そう巴は甘い物が好きなのだ。
その中でも宇治金時は特に大好物で、我を忘れてしまう程の喜びを見せる。
「う、宇治金時! ありがとうございます、雅史さん!」
さっきまでの事は完全に忘れ去ってしまったように、幸せそうに宇治金時を頬張る。
その様子はどこから見ても子供そのものであった。
そして、巴のダークオーラから解放された三人は心底思った。
――助かった、と。
そしてあのダークオーラの中行動できた雅史に敬意と尊敬の念を送るのであった。