留美は一つの部屋の前で怒りに震えていた。
外れていて欲しかった勘が当たってしまったのだ。
いる筈がない、そんな思いで廃ビル内を探していたが、異様な匂いがする部屋を見つけてしまった。
連れてきた少女を壁に寄りかからせ、自分は深呼吸をしながらドアを開けた。
一歩。
たった一歩踏み込んだところで、留美は両目を大きく見開いて立ち止まった。
部屋の中には40人ほどの少女達が首輪をされ、床や壁に取り付けられている鎖に繋がれて全裸で座っている。
10歳から20歳ぐらいの者ばかりで、身体中を白濁液で穢され、両目は全く光がなく宙空をぼんやりと眺めている。
恐らく、心も精神さえも破壊されてしまっている。
留美は唇を強く噛み締め、両手は既に血の色が失せているほど強く握っていた。
涙が溢れ、零れ落ちる。
一滴、二滴と零れ落ちコンクリートの上に黒い染みを作っていく。
「――なんで……こんな……いくらなんでも、こんなの酷すぎるわよ!!」
留美は叫んだ。
喉を裂いて、悲しみに満ちた声で涙を流しながら叫んだ。
その際に唇を強く噛み締めた唇が切れ、口の中に鉄の味が広がっていく。
強く握り締めていた拳もさらに強く握り爪で皮膚が破れて、血が滑り落ちた。
そんなことは気にしない。
こんな痛み少女達が遭わされたことに較べたら大したことではないのだから……
「ええ。ですから何人かの女も連れて来て下さい。服も出来るだけ多く……はい。お願いします」
男の言葉からまだ何人もさっきの少女と同じ目に遭わされた者達がいるのだろうと考えて、まことに連絡していた。
祐一は携帯を切るとコートのポケットにしまい、階段を昇り始める。
辺りを見渡し、二階、三階と探していく。
すると部屋のドアの前に座り込んだ留美を見つけた。
「何やってんだ?」
膝に埋めていた顔を上げる留美。
涙を浮かべ瞳は真っ赤に充血していた。
「……この部屋の中にいたのか?」
「ええ。40近くの子達がね。相沢君は見ないほうがいいわよ」
「見るつもりもねェよ。それともう直ぐ俺の仲間がこの子らを保護しにやってくる」
「そう」
会話が途切れる。
元々人と話すのが苦手な祐一は、こういう場合はなんて声をかければいいのか判らない。
「……なんで」
留美が俯きポツリと呟く。
「なんで、あの連中はこんな非道なマネが平気で出来るのよ?」
どの子も精神が壊れたせいで幼児退行が酷く、治る見込みは殆ど無い。
それどころか中には頬に触れただけで、その手を舐めようとする者、留美が――恐らく人が――目に入るだけで怯え、叫びだす状態になっている者もいた。
――もう殴らないで、苛めないで、犯さないで、汚さないで、助けて、助けて……いやぁぁぁぁぁぁぁ!! と泣き叫ばれた。
「どの子も陵辱の限りを尽くされ、壊されて……あの子達はこんな目に遭う為に生まれてきたんじゃないのに!!」
留美は涙声で叫んだ。
「……ヤツらの仕出かしたことは俺は理解できないし、したいとも思わねェ」
「……そう、ね」
再び沈黙が訪れる。
「……でも、なんでだろうな」
今度は祐一が呟いた。
「俺はヤツらの仕出かしたことがなぜか無性に気に喰わねェし、胸糞悪く感じちまった」
祐一の独白に静かに耳を傾ける留美。
その声には戸惑いが含まれているのに気付いた。
「今まではそんな感情は俺にはなかった……人質がいようが女が何されていようが任務遂行の為には躊躇わずそいつらごと纏めて殺してきたのに……」
以前の祐一ならそんな感情は確かに抱かなかったであろう。
だが今の祐一はヤツらのとった行動を見て明らかに不愉快になっていた。
祐一はそんな自分に戸惑っている。
「あんたが変わったってことなんじゃないの」
「変わる? 俺が? それこそ信じらんねェ。俺が変わっちまうなんて……」
「境遇次第で人はいくらでも変わるものよ。あたしもそうだったように、あんたも、ね」
「チッ。俺は外にいる。もう直ぐ仲間が到着するだろうし。キサマはどうする?」
「あたしはここにいるわ」
それから約1時間後、まことが数人の女性達を連れてやってきた。
「相変わらず容赦ないやり方だな、祐一」
「祐一らしいと言えばらしいのよね」
「智代と杏か。戻って来てたのか」
祐一はまことの後ろにいる二人の少女を見て、驚きに少しだけ目を見開く。
「ついさっきだ」
そう言ったのは腰まである灰色の髪に黒のヘアバンドし、薄い水色の瞳を持つ少女・坂上智代だ。
黒の長袖の服にズボンというラフな格好をしている。
「そ。疲れたから寝るかと思ったらいきなり呼び出されて、ここに無理やり連れてこられたのよ」
本当に疲れたような声で言ったのは紫の瞳に長い紫の髪はお尻まであり、両肩から前に垂らしている髪の内、左の髪に白のリボンを巻いている少女・藤林杏だ。
服装は袖だけが白い帽子が付いた赤のパーカーに白のスカートを履いている。
「全くだ。拒否したら殺気染みた声で「凍り付けになりたいの?」と脅迫してくるんだ」
杏の言葉に智代が続く。
その言葉を聞いた祐一はまことが連れてきた女性達を見渡す。
誰もが同じコトを言われたのか疲れたような、怯えたような顔をしている。
「あらあら〜。智代ちゃんそんなこと言っちゃっていいのかなぁ〜」
まことが怪しい笑みを浮かべながら背後から智代に抱きつく。
そして、耳元で祐一に聞えない小さな声で囁く。
「祐ちゃんに逢えるわよって言ったら喜んで着いて来たのは誰だったけ?」
「そ、それは……ッ!」
「この事祐ちゃんにバラしちゃおうかなぁ〜」
「ま、まことさん! そ、それだけは……」
「むふふ……どうしよっかなぁ」
「おい、いつまでもダベってねェで着いて来てくれ」
祐一の声が聞え、前を見る二人。
そこには階段を昇り上に行こうとしていた祐一達がいた。
「まぁ、今の祐ちゃんに言っても理解できないかもね。それ以前に気にしないかも……智代ちゃんも大変な男に惚れちゃったものね」
「ま、まことさんッ!?」
祐一の後を追いながらも智代をからかい続けるまことであった。
祐一が先頭に立って留美が待っている部屋に向かう。
部屋の前に留美が座っているのを見つけたまことが祐一に尋ねてきた。
「ねぇ、祐ちゃん。あの子は?」
「あいつは七瀬留美つって掃除屋の女です。ここには手配書を見て来たそうです」
「掃除屋ねぇ。親しいの?」
その言葉に反応したのが約一名いたのに祐一以外が気付いた。
「全然。でも実力はある方だと思います。『煌きの剣聖』の弟子だそうですから」
「へぇ、あの風来坊に弟子が出来たって言う話は耳にしてたけど、あの子がそうなんだ」
「知ってるんですか?」
「私より士郎さんの方がよく知ってるわよ。何しろ士郎さんとは長年の親友で相棒だったらしいから。今は行方不明で殉職扱いになってるから、生きてるんだか死んでるんだか」
祐一はその言葉を興味があるのかないのか曖昧に頷くだけだった。
「おい」
「……あっ。相沢君。その人達が?」
留美が祐一の後ろにいるまこと達を見ながら訊いてくる。
「ええ。そうよ」
「後のことは私達が引き受けた。祐一と貴女は先に戻ってくれて構わない」
「……お願いするわ」
留美は智代達に頭を下げゆっくりと歩いて行く。
その背中にまことが声をかけた。
「ねぇ、七瀬さん。言い難いんだけどね、今回の事はヴァルハラの管轄になってるの。だから報酬金は……」
「分かってます。あたしも今回ばかりは報酬が欲しいとは思いませんから」
それだけ言うと今度こそ留美は去って行った。
「じゃ、後は任せます」
「任せておいて。それと祐ちゃん。外にいる生き残ってる連中は始末しちゃダメよ。色々聞きたいことがあるしね。そのことは私から長老達に言っておくから」
「……分かりました」
釈然としないがまことには逆らえない祐一は渋々ながら頷き、留美の後を追った。
それを見送るとまことはドアを開けた。
そして彼女らの反応は留美と全く同じであった。
「胸糞悪いな」
「そうね。女を何だと思ってるんだか」
「祐ちゃんに生き残りを殺させないで正解ね。あいつらは生まれたことを後悔するほど苦しめて殺してあげなきゃ」
まことの言葉に異論を唱える者は一人もいない。
全員腹の中が煮えくり返って今にも爆発しそうな状況だが、それを精神で無理やり押さえ込んでいる。
その怒りは間違いなく男達に地獄を見せる瞬間に大爆発を起こさせるだろう。
「さて、まずはこの子達の保護が先決ね」
「ええ。そうですね」
「大丈夫か?」
覚束ない足取りで歩いている留美に祐一が問い掛ける。
その声には若干だが心配の色を含んでいる。
よほど親しいもの意外は気付かないほどだが。
「まったく大丈夫とは言えないわね……にしてもあんたが心配してくれるなんて明日は雨じゃなく槍が降るんじゃない?」
失礼なことを言ってくる留美だが無理もないだろう。
無論、それに言い返す祐一ではない。
留美が無理しているのが分かっているからではなく、失礼なことを言われていることに気付いていないだけだ。
多分。
「ねぇ、相沢君。あの人達とは親しいの?」
「……全員じゃねェけどな。親しい、いや、家族と呼ぶべきだな。沢渡まこと、坂上智代、藤林杏の三人だ」
名前を教え、容姿や特徴を教えてやる。
留美はさっき出会った人達を頭に浮かべ、誰が誰かを考える。
誰が誰か分かったのか、留美は軽く頷いた。
「にしても家族か。あんたにもあるんじゃない、帰るべき場所、帰りを待ってくれる人達が」
「……キサマにもあるのか?」
「ん? あたし? そりゃあるわよ。師匠の実家。その家の人達はあたしを娘と言ってくれた。姉、妹だと言ってくれた。あそこがあたしの帰るべき場所よ。あの人達がいたから今のあたしがいる。あの人達がいたからあたしの人生は変わった。ううん、変えてくれたが正しいわね」
祐一は黙って留美の言葉に耳を傾けた。
その言葉一つ一つが祐一の心に否応なしに響き渡る。
「……人生、か」
祐一は呟いた。
「なぁ……人生っていいもんか?」
考えてみれば、その質問は少し無遠慮だったかもしれない。
しかし、彼女の答えはあっさりしていた。
「そりゃねぇ。やりたいように人生やってるんだから」
「そっか」
「なに? あんた人生に絶望してんの?」
「分かんねェ……絶望だとかそんなこと考えた事もねェ」
そうは言ったものの、実はそうかもしれないと胸中で独りごちた。
自分はこの人生を恨んでいるのかもしれない。
「……どうなんだろう」
「ハッキリしないわねぇ」
留美が口を尖らせた。
そう言われても、何が本音と訊れれば、今のが本音だと答えるしかない。
中途半端な答えしか出せないときは、迂闊な答えは口に出来ない。
相手にもよるが……
「まぁ、そのうち自然と答えが出るわよ。多くの人と接していればね。あたしだってそうだったんだから」
「そういうもんか?」
「そういうもんよ……それに昔から言うじゃない。人は一人では生きていけないって」
「俺は人は一人でも生きていけると思うがな」
「そうね。あたしも昔はそう思っていたわ……」
「思っていた?」
「ええ。師匠と出会い、師匠の家族と出会い、世界中の色々なモノを見て回って気づいたのよ……一人で生きるって事は、只生きていく事だけしかできない。そんな人生はつまらないって」
「……そう、かもな」
留美の言葉を心の中で反芻する。
両親が殺された時は一人で生きていた。
生きていけると思った。
でも今は違う。
今は多くの仲間が、家族がいる。
そう思うと自然に祐一の顔が若干だが綻んだ。
「あ」
留美が何故か驚いた顔をしていた。
無理もない。
なぜなら目の前に居る無愛想の塊の男・祐一が失笑していたのだから。
「あんだよ?」
「いや、あんたの笑った顔って始めて見たから」
「笑っ……た?」
祐一は思い出す。
ずいぶん長い間、笑った記憶がないことに。
以前笑ったのがいつだったか、すっかり忘れている。
ふと、留美が何かを言いたげな顔をしていた。
「んだよ」
「うん? あんたさ、無愛想な顔よりは笑ってる方がいいわよ。そっちの方が絶対に」
「そうか」
「そうよ。相沢君は元が良いんだから、笑ってた方がモテるわよ」
「女にモテたいなんて思わねェよ」
「勿体無いわね」
残念そうに肩を竦める留美に呆れ顔で先を即した。
「下らねェこと言ってねェでとっとと帰んぞ――七瀬」
「分かってるわよ……って、あんた今なんて言った?」
驚いた顔で祐一を見る。
祐一が何を言ったのか、まったく理解できていないようだ。
「とっとと帰んぞ」
「その後よ!」
「……七瀬だ。それがどうした」
「いや、あんたに名前を呼ばれたのは初めてだったからね。変な感じがするわ」
失礼なことを言うが無理もない。
だが祐一が名前を呼ぶ=心を許したコトに繋がることは留美は知らない。
「どうせなら下の名前で呼んでくれていいわよ。親しい人には名前で呼んでもらってるから。あたしもあんたのことを祐一って呼ぶわ」
「……好きにしろ」
「ええ、好きにさせてもらうわ」
これが祐一と留美の出会い。
この出会いを切っ掛けに祐一は少しづつ変わり始める。
「――っと、まぁ大体こんなトコだな。あの任務の後に留美の過去をちょいと聞いたんだが、俺と留美はまるっきり同じ人生を歩んで来てたんだ」
「そういうことですか。留美さんが祐一さんと双子って言っていた意味が漸く分かりました……同じ人生、つまり精神的双子って意味なんですね」
「そういう事だ」
「……それにしても」
「どした?」
何か聞きたそうな声に祐一は隣りの巴を見る。
「いえ、今の祐一さんとはやたらとかけ離れていましたから……暗黒城に来た時よりも深い闇を纏って生きてきたんですね」
「ああ……あの頃は笑ったり冗談言ったりはしたことがなかったな」
「今はよく笑ったり、アホなことしたりしてるのは年中行事になってますよ」
「そうだな。とにかく今の俺がいるのは留美のお陰だ。あの時、留美に出会わなけりゃ、俺は今でもヴァルハラで飼い犬生活を送っていただろうな」
それから暫く沈黙が続き、二人はそれ以上語ることなく眠りについた――