「ああ、分かった。んじゃ、後でな」
「巴さんから?」
「ああ。先に庭に出てるってさ。さてっと」
祐一は地面に転がっている榊に近づいて行く。
「おら、起きろよ榊」
優しく起こす気はないらしく、頭に蹴りをいれている。
「おい」
「ん……が……」
何度か蹴っていると榊が目を覚ます。
「こ、ここは……」
「やっと起きたか」
「き、きさ……!」
十蔵が何かを言おうとするが、眼前に突きつけられているラグナロクを見て途中で止まる。
「さて、訊きてェことがあるんだが……嘘をついたり、恍けたりしたら撃つからな。いいな?」
「わ、分かった」
「よし。訊きてェことは一つ。姫川琴美さんはどこにいる? ついでに、そこまで案内してくれ」
「あっ。祐一さん」
庭に出ていた巴が邸内から出て来た祐一に気づく。
祐一の後ろには留美とイヴと手錠をかけられた十蔵、それに捕われていた人達がいる。
「……琴美」
巴の傍にいた幸助が最愛の妻のもとに駆け寄る。
「あなた」
琴美が夫の身体にしっかりと抱き付く。
それにつられたかのように他の研究員も最愛の妻や子供のもとに駆け寄りしっかりと抱きしめる。
それを横目に祐一は巴の方に歩み寄る。
「何とか、無事終わりましたね」
「ああ。今回は疲れたよ」
「そうですか?」
「相手に護り屋がいた。菱木竜童って奴がな」
「菱木竜童……それって通称『アンデッド』って呼ばれてる方ですか?」
「そう。とんでもないバケモンだった。もう闘り合いたくない」
祐一の疲れた表情と口調に思わず巴は苦笑する。
「それで、そっちはどうだった?」
祐一はすぐに真剣な顔をして巴に聞く。
それが天羽々斬の封印を解いた理由だということはすぐに分かった。
巴は辛そうな表情を浮かべ、ポツポツとあった出来事を話し始める。
「……なるほど。そんな事があったのか。んで、その情報はこのDVDに入っている、と」
「はい。そのDVDは長門市長に渡そうと思っています」
それを聞いて、人差し指で廻していたDVDが入ったケースを思わず落としそうになる。
別にコントロールをミスったわけではない。
ただ巴の口から出て来た名前に驚いただけだ。
「えーっと、マジで?」
「はい」
「あの人と俺の関係を知ってるよな?」
「知ってます。ですが警察は信用なりませんから、頼りたくなくても頼るしかありません。ヴァルハラの幹部の一人・長門市長に」
長門総一郎はリーフタウンの市長でもあり、ヴァルハラ幹部の1人でもある。
リーフがヴァルハラの支配下になったのは半年前。
その時の市長はヴァルハラの支配下になった時に賄賂罪で掴まり、ヴァルハラの幹部だった長門総一郎が新たな市長となった。
支配下になった街の市長はヴァルハラの中から選抜された幹部が治める。
可能性は低い事だが、長老会が認めればその街の市長はヴァルハラ幹部に任命され、そのまま街を治める事が出来る。
「そりゃそうだけどよ」
「あの人は祐一さんが生きてることをご存知じゃないですか。それにあの人は長老会に報告はしません」
「まぁ、確かに」
祐一も総一郎の事は信頼している。
報告しないのも分かっているのだが、会う度に「戻って来い」と言われるのは流石に疲れるのだ。
「巴、お前一人で渡しに行ってくれ。俺は琴音ちゃんの両親を送って行くから」
「いえ。こちらに来るよう言ってますからもうすぐ着くと思います」
「なぜ?」
「いくら警察とかが当てにならないとはいえ、中には重体者がいるんです。信頼できる救急を呼んでもらわなければなりませんから」
正論だ。
流石に会いたくないと理由で放置するわけにはいかないだろう。
そして連れてくる救急の人達はヴァルハラ直属の連中に間違いない。
ま、これでこの街の病院、警察、政府関係の人間は間違いなくごっそり入れ替わるだろう。
「祐一」
「ん?」
「あたし達はこいつを引き渡しに行くわ」
「ああ。分かった」
「それで、アンタ達はいつこの街を出るつもり?」
「ん〜と、明日は知り合いに会う予定だから、明後日の昼頃だな」
「そう。それじゃあ、ここがあたし達の止まってるホテルよ」
留美はそう言ってホテルの所在がかかれた紙を祐一に渡す。
「あいよ。12時頃には迎えに行くからな」
「ええ。それじゃ、お休み」
「お休み。祐一、巴さん」
「ああ。お休み」
「お休みなさい」
祐一と巴は留美とイヴを手を振って見送り、二人の背が見えなくなると巴が祐一に話しかける。
「祐一さん」
「どうした?」
「さっきの留美さんとの話は、どう言う意味なんですか?」
「約束さ」
そう言って幸助達の方に向って行った。
「約束、ですか?」
「ああ。飼い犬時代にイヴと交わした約束を果たすだけさ」
暫くすると門の方からいくつものヘッドライトが近づいてくる。
高級な車が一台と、高規格救急車が数十台だ。
すぐに全ての高規格救急車の後部のドアが開き、救急救命士と救急隊がストレッチャーが押して、館の中に駆け込んで行く。
場所を教える為、何人かの捕らわれていた人達もそれについて行った。
「なんとかなりそうだな」
「そうですね」
安心したように息を吐きながら高級車の方に目をやると、運転席にいた黒服の男が後部座席のドアが開いていた。
中から背広を着た一人の男・長門総一郎が出て来た。
総一郎は煙草に火をつけながら、祐一達に歩み寄る。
「やぁ、久しぶりだね、祐一君、巴君」
「ども」
「お久しぶりです、長門市長。早速ですが……」
巴は挨拶をそこそこにここで起こった事を話し始める。
地下研究所でのこと。
臓器売買のこと。
そしてそれを行っていた人物のこと。
「なるほどね。榊十蔵はブタ箱に行って、重蔵は巴君が地獄に送った、と」
「はい……私を捕らえますか?」
「捕らえるつもりはないよ。どの道明日には円卓の騎士予備軍から数名派遣されて始末されていたからね。だから君が、気に病む事はないよ」
巴が殺そうが殺さないが、遅かれ早かれ榊兄弟は始末されていたのだ。
気に病むなとは、あのような屑の命を巴が背負う必要はないといっているのだろう。
だが、それでも巴は命を背負う。
それがどんな人間であれ命を奪ったことには変わりないのだから。
「少し気になるんだけど」
「なにがかな?」
「どうしていままで榊の連中の悪行をほったらかしにしてたんだ?」
「痛いトコをズバリと突いてくるねェ。言い訳にしかならないが、知っての通りここがヴァルハラの支配下になったのは半年前だ。まだ色々と表に出ていないことが腐るほどあるんだ」
特に闇の部分がね、と付けたした。
今回の件はこのリーフの闇の一つだろう。
これを気に次々と闇が浮き彫りにしていく事を総一郎は強く誓う。
「……さて、私は中を色々と見てくるから祐一君達はもう行っていいよ。それじゃ」
煙草を足で踏みつけ、屋敷に向って行った。
祐一達が来栖川邸に向っている。
今この場にいるのは、祐一と巴、それと幸助と琴美だけだ。
他の者はそれぞれの家に帰って行った。
全員が明日、警察に出頭するつもりだったが、それを総一郎に止められた。
今の状態で自首しても、その件自体闇に葬られ、幸助達も始末される。
だから総一郎は止めた。
今回の件に関わった警察庁や政府の人間全てを明るみにし、始末するまでは自首しないで欲しいと言って。
「幸助さん、琴美さん。あそこが、琴音ちゃんのいる来栖川邸です」
数十メートル先に見えて来た家を指差す。
家の前に立つと、戦闘の事後処理をしていたセリオが彼らを出迎えた。
「祐一さん、巴さん。お帰りなさい」
「セリオか。ただいま。綾香達は無事か?」
「はい……そちらのお二人が姫川夫妻ですね? ご無事で何よりです。早く中に。琴音さんがお待ちしています」
セリオが先導するように屋敷に向う。
その最だが、庭先に数名の男達が縄でグルグル巻きにされ、粗大塵の様に放置されていたのに気づいた。
流石に粗大塵として出さないだろうが、気になる所だ。
「セリオ、アレはどうするんだ?」
「いつもの通りだと思いますが」
「いつも?」
「はい。記憶を弄って塵置き場に捨てます」
マジで塵として捨てするようだ。
まぁ、通りかかった人か塵収集車の人が警察などに連絡するだろうから問題はないだろう。
……多分。
只、記憶を失っているのでどういった風に決着つくかは誰にも分からない。
「こちらです」
玄関を抜け、大広間の扉の前にセリオは立つ。
ドアを数回ノックすると中から綾香の返事が返ってきた。
「お嬢様。祐一さん達が戻っていらっしゃいました」
「そう。中に通して」
それを聞くとドアノブを捻り、扉を開く。
大広間の扉が開き、祐一と巴の後ろにいる二人を琴音の視界が捉えた。
琴音の瞳に涙が浮かび、頬を伝い零れ落ちた。
「お父さん……お母さん……」
祐一と巴は道を譲るように左右に移動する。
そして、二人の姿が全てがハッキリ見えると琴音は駆け寄って行く。
「お父さん! お母さん!」
琴音は琴美に抱きついた。
「……琴音」
琴美は優しく琴音の身体を抱きしめる。
もう二度とを離さないように……
「琴音」
幸助が琴音の頭を優しく撫でる。
それにつられて琴美の胸に埋めていた顔を上げ幸助の方に目を向ける。
「心配かけてすまない」
琴音はそう言って優しく微笑んだ幸助に抱きついた。
「本当にすまない」
幸助は心配かけたことを謝罪しながら、優しく琴音を撫でていた。
それを見ながら祐一と巴は邪魔しないように、綾香達の方へ歩み寄る。
「無事に終わったわね」
「ああ……まいどあり」
祐一は琴音達の方を見ながらそう呟いた。
日付が変わる頃に、二人はベッドに潜り込んだ。
仕事を終えた二人の身体には、僅かながら疲れが溜まっている。
すぐにでも、意識を手放し眠りにつく事ができるが、巴がずっと気になってたことを尋ねてきた。
「あの、祐一さん」
「なんだ?」
「留美さんは祐一さんとは昔からの親友と仰っていましたが、もしかして留美さんは――」
「違う。留美は円卓の騎士のメンバーでも、ヴァルハラの関係者でもない。あいつは今も昔も変わらない自由気ままな野良猫さ」
「野良猫?」
「そう。そして、俺は……留美の自由な生き方に憧れた。自由気ままで……誰にも縛られない。野良猫のような留美の生き方に……ま、飼い犬は野良になれても、野良猫にはなれないけどな」
「訊いてもいいですか? 留美さんとの出会いのこと……」
「ああ。あれは今から二年半ぐらい前だな。俺がまだヴァルハラで飼い犬生活を送っていた頃だ」
巴は黙って祐一の言葉に耳を傾ける。
「留美と知り合ったのは、俺が任務でドジっちまった時だ。あいつは、ケガした俺を手当てしてくれたんだ……」
――二年半前――
「……ん……」
窓から差し込む木漏れ日で眼が覚めた。
「ここは……地獄じゃねェみてェだな」
てっきり死んだと思っていた祐一だが、気が付いたら暖かいベッドの上にいた。
「あら、やっとお目覚め見たいね」
声に驚き慌てて起き上がるが、腹から来る激痛で動きが止まった。
「無理しない方がいいわよ。今さっきあんたの体ん中の銃弾を抜いたばっかりなんだから」
こっちを向かずテーブルに付いて黙々と刀の手入れをしているようだ。
「おい……キサマ、誰だ」
常人なら竦み上がる眼光で留美を射抜き、殺気をぶつけながら問い質す。
留美は慣れているのか気にした様子もなく、軽く受け流すように振り向いた。
「あたし? あたしは七瀬留美。こう見えても掃除屋よ」
――――春風の様な笑顔。
この出会いが祐一の本当の人生の始まりだった。
だが当時の祐一は士郎達以外の人と接することが出来る人間ではなかった。
祐一は留美を警戒しながら自分の右太腿に手を持っていくが、そこにあるはずのモノがない。
「……銃は?」
「え?」
「俺の銃だ。早く寄越せ」
その場の必要最低限の言葉しか紡がず、誰にもそれ以上を求めなかった。
興味もないし訊きたくもない。
この時も、受け取ったらすぐに殺すつもりでいたのだが――
「これのこと?」
机の上に置いていたラグナロクを取り、祐一に見せる。
「いやぁ、この漆黒の装飾銃を見た時は驚いたわ。伝説の殺し屋・『漆黒の戦狼』が、あたしと同年の男の子だって教えてもらったけど、まさか本当だったなんて」
祐一に返す気はないらしく、ラグナロクを指でクルクル回して遊んでいる。
それを見て忍耐の緒が呆気なくキレる音を聞いた気がした。
痛みを度外視してベッドから立ち上がって留美の前まで歩み寄る際、安宿の床板が祐一の心情を代弁するかのように不愉快に軋んだ。
見下すように殺気を込めて睨み付ける。
「……いい加減にしろよクソアマ。ウダウダ言ってねェで、さっさと俺の銃を返しやがれ」
だがやはり留美は殺気をするりと受け流し、椅子から立たずに滑稽な物でも見るように祐一を見上げる。
「い・や・よ。返したら殺されそうだし」
まるで楽しむように笑いながらそう言った。
(ナメやがって……最早容赦しねェ)
その気持ちを拳に込めて留美の顔を殴りつける――筈だった。
突然天地が逆転した。
そして頑丈なテーブルに顔面を叩き付ける。
それだけではない、攻撃に使った右腕を脇固めに取られていた。
「…あっぶないわね。それがあんたの命の恩人に対する態度?」
信じられないが、投げられたのだ。
深手を負っているとはいえ円卓の騎士の祐一がだ。
暴れても拘束は全く解けない。
想像以上に上手かった。
留美は傷とは関係なしに強い。
何せ巻き付く腕はしなやかな筋肉の固まりだ。
「キサマ……殺してやる」
憎悪の怨嗟を間近に受けても留美は調子を崩さない。
「殺す? この状況でどうやって殺すのかなぁ? 教えてくれる、『漆黒の戦狼』……ううん、相沢祐一君」
その言葉は祐一を十分に驚愕させた。
名前を秘匿するのは暗殺者の一般常識だ。
無論、祐一は名乗ってはいないし、身分証明書になるものは持ち歩いていない。
円卓の騎士のメンバーの本名は表にも裏にも出ない、出るとすればソレはコードネームの方だ。
だがこの女は自分の名前を知っていた。
なぜだ?
思い起こせば、妙なことを言っていたのに気づく。
――伝説の殺し屋・『漆黒の戦狼』が、あたしと同年の男の子だって教えてもらったけど、まさか本当だったなんて。
教えてもらったけど、と留美は言った。
一体誰から教わったというのだ?
「あら、驚いたみたいね。なぜ俺の名前を知っているのかって顔してるわよ」
「……答えろ。誰から聞いた?」
「あんたもよく知ってる筈よ。円卓の騎士が一人『煌の剣聖』の存在を……ま、今は行方不明で除隊……殉職扱いになってると思うけどね」
『煌の剣聖』
会ったことはないが、そのコードネームなら聞き覚えがある。
祐一自身は噂で訊いた程度のことだが、士郎と同等かそれ以上の実力らしい。
御神流同様に八つの流派の一派に属する古流剣術・飛天流――正式名称【永全不動八門一派・飛天無明流・太刀一刀術】の使い手。
そして剣術家に置いて最高の称号でもある『剣聖』を持つ。
普通、殺気とはある程度コントロールできたとしても、相手が自分に向けて殺気を発すれば自ずと反応して出てしまう。
それを自由自在にコントロールできるということは、すなわち無心の境地『剣聖』の域にまで達しているということだ。
眉唾もので祐一自身あまり信じていない、というよりは興味がないといった方が正しい。
「あんたは知ってる? あの人がどこにいるのか?」
「知るかよ。誰がどこにいよーが俺には関係ねェし、興味もねェよ」
冷めた物言いをする祐一に留美は呆れるどころか、何かを思い出したような表情を浮かべる。
その間も祐一は腕をモゾモゾ動かし抜けようとするが、全く抜けない。
「聞いてた通りみたいね。こいつは似てる。昔のあたしに」
祐一は無理やり固められている関節を外し、留美の腕から抜け出た。
そして左手でラグナロクを奪い取り、留美の対面にある椅子に掛けられているコートを肩にかけてベッドの上まで跳躍する。
「自分で関節外すなんて、無茶するわね」
「……死ね」
銃口を留美にすかさず撃つが、撃鉄が落ちても弾は出ない。
「残念だったわね。弾は全部抜かせてもらってたのよ。噂通りなら必ずあたしを撃ち殺すだろうと思ってね」
そう言ってポケットから六発の弾丸を取り出し見せる。
「チッ」
軽く舌打ちをして留美を睨みつけると、窓を突き破り外に躍り出る。
留美の部屋はアパートの三階らしくかなりの高さだ。
でも祐一にとってはたいした高さではない。
だけども左太腿も撃たれていたらしく着地と同時に傷が開き血が吹き出る。
そんなことはお構いなしに留美をもう一度睨みつけると、そこから立ち去った。
立ち去る祐一を窓から見下ろしながら改めて留美は実感した。
「ホント昔のあたしにそっくりだわ。歩んできた人生も、ね」
相沢祐一と七瀬留美。
この時の二人の関係はコインの表と裏、光と影というものだった。
だがこの二人は殆ど同じ人生を歩んできていたのだ。
七歳の頃、両親を何者かに殺された祐一。
八歳の頃、施設にいた家族を皆殺しにされた留美。
その頃から父に教わった銃技で幾度となく死線を潜ってきた。
その頃から独学で覚えた狂剣を振るい幾度となく死線を潜ってきた。
命を取られそうになる事も、その逆も慣れっこになってしまっていた。
人を信じることは裏切られるコトに繋がっていると本能が語っていた。
生きるために誰かを殺し、殺されない為に誰かを殺した。
二人は常に孤独だった。
夜中に誰もいなくなると孤独で体が震えるのを耐え続けた。
気がつくと誰も寄せ付けない抜き身の刀みたいになっていた。
そして互いに師との出会い。
二人の師は変わっていた。
信じれば裏切られるだのといった“常識”を超越していた。
『怖い』という感情を祐一と留美の中に呼び戻したのはその男達だ。
それなりに見る機会は多かった高級車に乗ってきた。
――誰だキサマは……消えろ。殺されてェか?
――誰よあんたは……失せなよ。殺されたいの?
こちらが威嚇の台詞を吐いた途端に蹴り飛ばされた。
持っていた銃を取り上げ、口に捩じ込みながら士郎は言った。
――小僧……強くなりたいか? 生きるために強くなりたいか?
持っていた刀を取り上げ、首筋に押し当てながら男は言った。
――嬢ちゃん……強くなりたいか? 生きるために強くなりたいか?
士郎はそう言って祐一をヴァルハラに連れて行き、自分の剣・御神流を授けた。
男はそう言って留美をヴァルハラに連れて行き、自分の剣・飛天流を授けた。
二人は本当に似た人生――違う場所、違う時間の中を歩んできた。
それは精神的双子と言っても差し違いないだろう。
だから留美は思う。
自分が変われたように祐一もきっと変われる。
お節介かもしれない……
自己満足かもしれない……
それでも留美は変えてやりたいと思った。
自分と同じ孤独の道を歩み、自分と同じ境遇の祐一を――……
ヴァルハラの支部へ任務終了の報告を終えた祐一は二人の男女に捕まり一室に連れ込まれた。
二人の服装は祐一と同じで黒のシャツに黒のズボン、その上からボタンを留めずに羽織っている黒のロングコートという円卓の騎士の正装を着ている。
「やっほー祐ちゃん。任務で怪我したんだって」
ニヤニヤ笑いながら面白そうに女性――沢渡まことは言った。
眼は少々釣り目で黒い髪を腰まで伸ばし、後頭部の所で髪留めで止めている。
「ま、祐一も人間だってコトだな」
まことの言葉に男性――不破士郎が頷いた。
ちょっと癖のある短髪の茶髪に相手を射抜くような鋭い目付き。
まことは第5の騎士・『氷裂の牙』と呼ばれ、士郎は第2の騎士・『双刄の剣神』と呼ばれている。
まことは体術を、士郎は剣術【永全不動八門一派・御神真刀流・小太刀二刀術】を祐一に叩き込んだ師でもある。
「まこ姉、士郎さん何か用ですか?」
祐一の問いに二人は顔を見合わせて頷くと、士郎はストレートに祐一にとって辛いことを通達する。
「長老達には俺から言っておくからお前は怪我が治るまで任務をする必要はない」
「なぜですか? 俺は動けるし、銃も撃てる。小太刀も握れる。十分任務を遂行出来ます」
「ダメだ。任務をして怪我が悪化したらどうする? いいな、休め。これは命令だ」
例え命令でも今の祐一はの生きがいは任務遂行のみだけだ。
だから頑なに任務はすると士郎に言うと、士郎は額を押さえながら溜め息をついた。
見ると、まことも似たようなコトをしている。
「全く、お前って奴は」
士郎はソファーから立ち上がり祐一の傍まで歩いて行く。
すると祐一の体がぐるりと、回転し絨毯の上に叩きつけられた。
傷口に走る激痛に耐えるように歯を食いしばる。
だがそんな祐一を無視して士郎は身動きできないように祐一の関節をガッチリ固める。
「祐一、最後の警告だ。任務はするな、分かったか?」
「お断りです。拷問されても任務はします」
「どうやらキツイお仕置きが必要なようだな」
拷問でもするのかと祐一は思った。
別にやられても耐えられる自身はある。
なんせ拷問の訓練においては最高の特Aを叩き出したのだ。
だが祐一はすぐに後悔するコトになる。
苦痛だけしか訓練してないのをとても後悔することに――……
「………く、ちょ、や…め………はははははははっははははは!! ………こ、この…程度で……あっはははははは!!!」
部屋いっぱいに祐一の笑い声が響き渡る。
流石に士郎相手ではどんなに暴れてもビクともしない。
今の祐一の状況は士郎が彼の脇、横腹をくすぐっていた。
この状態では関節を外すことも不可能だ。
士郎もまことも滅多に見られない祐一の状況を面白そうに、楽しそうに見ている。
まことにいたっては携帯で写真をとったりしている。
「おらおら、祐一。笑い死にってのは傍目にはギャグに見えっけど、窒息並に苦しい死に方だぞ。さぁ、任務は引き受けないといえ! さもないと更なる地獄がお前待ち構えてるぞ!」
このままでは祐一の死は笑い死にと言う全く持ってギャグ死で終わってしまう。
しかも確かに苦しい訳で、程なく祐一は屈した。
「わ、判りました! 任務はやらない……だから! や……め……!」
ようやく士郎はくすぐるのを止め、拘束も解いた。
起き上がることなく絨毯の上に倒れている祐一。
体力を強制的な爆笑に使わされたのだから無理もない。
「んじゃ、祐一は最低二週間は任務はなしだ。いいな?」
「はい」
「ま、たまにはゆっくり休養するのも大事だ。お前は働きすぎなんだ。あ、当然だが修行も禁止な。もししてるトコを見つけたら今の倍の地獄がお前を待ってるから」
そう言って祐一のラグナロクを没収する。
「っと、小太刀は家か。まこと後で取りに行ってくれ」
「りょーかい」
凄い念の入れようだ。
「……では、士郎さんは俺に何をして居ろっていうんですか?」
自慢じゃないが、祐一は休日にすることなんて殆ど何もない。
休日が一日やそこらなら寝て過ごすか、修行するかだが後者は封じられている。
二週間ともなると流石に無理だろう。
「そんなもん自分で考えろ。色々あるだろ。買い物をするとか散歩をするとか」
「無理です。俺、人混み嫌いですから……ま、適当に過ごしますよ」
そう言って部屋から出て行った。
祐一は人が多い所が嫌いなのではない、人が多いとそれに紛れて襲い掛かってくる奴がいるかもしれないから嫌いなのだ。
「仕方ねェ。昼夜逆転するか」
祐一はそう結論付けるとさっさと帰って寝ることに決めた。
深夜零時の川沿いの道を祐一は歩く。
町は寝静まり、僅かな明かりが町を照らす。
元々、夜は好きな方だった。
星の輝く夜空も好きだが、星が雲に隠れて見えない闇の空も嫌いではない。
「あら、あんたも散歩? 奇遇ね」
後ろから少女の声が聞えてきたが、祐一はそれを無視した。
どうせ自分じゃないだろうと思って。
だがそれがマズかった。
なぜなら少女はこれでもかって言うぐらい短気なのだ。
「シカトぶっこいてんじゃないわよ!」
助走をつけて祐一の後頭部目掛けて飛び蹴りを放つ。
迫って来る殺気を感じ取り、祐一は反射的にラグナロクを抜き撃つ――できるワケがなかった。
士郎に取り上げられていたのを忘れていたワケじゃない。
無意識の内にラグナロク又は小太刀を抜くという条件反射が体に染み付いてしまっていたからだ。
祐一は仕方なく迫って来る蹴りを下から掬い上げる。
すると少女の体もぐるりと回転し、顔面から地面に落下した。
祐一はそれを見届けると何事もなかったようにそこから歩き去る。
「って、あんた声をかけるとか、助け起こすとかしなさいよ!」
少女は祐一の前に回りこみ、睨みつける。
「……邪魔だ。退け」
だが祐一はそんな少女――留美のコトを気にも留めず押し退けて先に進もうとするが、押し退ける為に肩に置いた手を掴まれ投げられた。
そのまま祐一の体は芝生の坂の上を転がっていき、川縁で停止する。
「……キサマ」
「あんたはあたしを攻撃した。これであいこよ」
先に攻撃してきたのは自分だと言うことを忘れたのだろうか?
「……キサマ、本気で殺されたいらしいな」
「キサマじゃないわよ。あたしの名前は七瀬留美よ。今日……もう昨日かな。言ったの忘れたの、相沢君?」
「……キサマの名なんざに興味ねェよ」
留美が坂を降り、祐一と対面する形で立つ。
「うっわぁ〜。失礼しちゃうわねぇ〜」
ワザとらしく落ち込む留美を無視して祐一は距離を詰める。
近距離から放たれる右ストレート。
留美はそれを捌き、ハイキックを祐一の側頭部に放つ。
祐一は屈んで躱しながら、足払いで留美の軸足を払って体勢を崩す。
そのまま起き上がりながら倒れて来る留美の顔に蹴りを繰り出す。
留美は蹴りを放った祐一の足を掴み、それを支えにして体を持ち上げそのまま蹴りを頬に叩き込む。
両者は地面に倒れ込む前に腕を地面につけバク点の要領で体勢を整える。
今度はさっきとは逆に留美が間合いを詰めてくる。
そのまま勢いを乗せた拳を祐一に向かって打ち出す。
軽く左の裏拳を打ち込み、拳の軌道を変えると同時に留美の懐に潜り込み、交差法ぎみに鳩尾に肩から当たりに行く。
鳩尾に食らった衝撃で棒立ちになる留美に追い討ちをかけるように、無防備となった留美の胸部に双掌を打ち込んだ。
留美の身体がくの字に曲がり、次いで大きく後方へと吹き飛ぶ。
だが祐一が感じた手応えが薄い。
留美は自分の意思で後ろへ跳んだのだ。
双掌の直撃を喰らう寸前、後方へ跳ぶ事によって衝撃を軽減。
幾ら祐一の渾身を込めた一撃であっても、ダメージは殆ど皆無。
己から吹き飛んだ為、宙に舞っている状態でも体勢は安定している。
留美は身体を器用に動かし、着地した。
二人は再び同時に駆けた。
二人は地面に大の字で寝転がり荒い息を吐いている。
所々服が破け、血が滲み、あるいは流れ出ている。
空が明るくなり始めているところを見ると今は夜明けだ。
つまりこの二人は5時間以上も夜通しぶっ続けで戦っていたのだ。
アホである。
「あんた、怪我してるって言うのにやるじゃない。流石は円卓の騎士の一人だわ」
「……ふん。キサマもな」
祐一は身を起こし、そこから立ち去ろうとしていた。
「ん? どこいくのよ?」
「帰って寝るんだよ」
それだけ言うと未だ寝ている留美をその場に残して立ち去った。
後ろからバイバ〜イ、という声が聞えてきたが無視していた。
「七瀬留美、か。面白い女だ」
祐一は気付いていなかった。
この戦いを切っ掛けに、少しだけ、ほんの少しだけ留美に心を開き始めていることにまだ気付いていない。
余談ではあるが、祐一がアパートに帰ってきた時、まことが朝飯を作りに来てくれていた。
そしてボロボロになって帰って来た祐一を見て、問答無用で殴り飛ばし、説教をしたのはまた別の話。