「うん……うん。分かったわ。それじゃ」
胸元まである紺色の髪につり目ぎみの紺色の瞳の少女――来栖川綾香が大接間のソファーに座りながら誰かと携帯で話しをしていた。
綾香がいる大接間はかなり広い。
初めて訪れた者は圧倒され、しばらくは立ち尽くすだろう。
敷きつめられた絨毯で足下はふわふわと雲の上を立つような心地よさ。
置かれた家具は、手を触れるのを躊躇うような高級品。
頭上にあるシャンデリアは、金とクリスタルの豪華さだ。
「祐一さんですか?」
そう訊いたのはソファーに座っている綾香の隣に立っている女性――HMX−13型セリオだ。
腰まであるオレンジ色の髪にオレンジ色の瞳に耳に取り付けれた尖った白色のセンサーが特徴だ。
「ええ。そうよ。もうすぐ着くって」
綾香が時計を見て現在の時刻を確認する。
針は14時35分を指している。
「祐一達、引き受けてくれればいいけど……」
「でも、綾香さん。無理に祐一さん達に頼まなくても浩之さんに頼めばよかったんじゃないですか?」
そう尋ねたのは、セリオの隣に立っている少女――HMX−12型マルチだ。
緑色のショートに緑色の瞳にセリオと違う丸みを持ったセンサーが特徴だ。
マルチは感情というものが理解できず表情の変化がほとんどないセリオと違い感情豊かだが、他人を怒るという感情は持ち合わせていない。
双方とも人間にしか見えないが彼女は来栖川グループが作ったメイドロボットなのだ。
耳にセンサーが取り付けられていなければ、目の部分がカメラになっていてそのレンズに気づかなければ、殆どの者は人間と間違えるだろう。
「そうしようと思ったけど、どうやら、すでに別の依頼があったみたい。それに今回の依頼は奪り還えしてもらうだけじゃなく、“コレ”を届けて欲しいんだから」
そう言って綾香は目の前にジェラルミンケースを蓋を開ける。
ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン
「は〜い。どちら様ですか〜?」
ベルの音にマルチがインターホンで応対する。
小型のテレビ画面には祐一の車とインターホンの前にいる巴が映っている。
「あっ、巴さん! 待って下さい今開けますから。車はいつのも場所でお願いします」
マルチが受話器を置き、ボタンを操作して門を開ける。
それが終わると迎えに出ようと玄関に行こうとする。
「マルチ。私が迎えに出るから、マルチは姉さん達を連れて来て」
綾香がソファーから立ち上がるとマルチにそう頼む。
「はいです」
マルチが元気にリビングから出て行く。
「セリオはお茶の準備をお願い」
「はい、畏まりました」
セリオは綾香に頭を下げキッチンに向かって行く。
インターホンの対応の後、鉄格子の門が左右に開き、車を屋敷に向かって走らせる。
いつも通り空いている車庫に車を止めて、玄関に向かった。
玄関のドアが開き、迎えの人物が出てくると思ったが、出てきたのは別のモノだった。
ビュッ、と空を切り裂くようにソレは上段から迫り来る。
祐一はいきなりの踵落とし――というより殺気に気づき、頭の上で両手を交差させ華麗な脚での踵落としを受け止める。
「……ったく、いきなり踵落としたァ、どういうつもりだ綾香?」
「あんたの反射神経が鈍ってないか試しただけよ。それにしても久しぶりね、祐一、巴」
「ああ。久々だな」
「お久しぶりです綾香さん……ところで、祐一さん。祐一さんはどこを見て挨拶をしてるのでしょうか?」
祐一と綾香の体勢は先ほどから全く変わっていない。
すなわち、綾香は踵落としの体勢のまま、祐一はソレを受け止めたままだ。
そして、祐一の視線はスラリと伸びた美脚の付け根の向いている。
つまりは――
「スカートの中」
即座にそう答える祐一に敬意を感じないでもない。
だが答えた瞬間、祐一の体は横に流され壁に叩きつけられた。
右側面の顔が当たってコンクリートの壁は罅が入り、どれほどのパワーだと思わせる。
「綾香さんもスカートで踵落としなんてしないで下さい!」
「いいじゃない下着ぐらい。見られても減るもんじゃなし」
「減る減らないの問題じゃありません! 女性なのですからもう少し慎みを持って下さい!」
「慎み、ねぇ……ま、考えておくわ。ほら、祐一いつまでも寝てないで行くわよ」
声をかけるが返事をしない。
綾香は溜め息をつくと、祐一の傍まで歩み寄ると徐に足を掴み引き摺って巴の傍に戻ってくる。
「はい。巴は反対の足を持って」
そう言った巴は躊躇わず差し出された足を持って二人は来栖川邸に足を進めて行った。
その際、祐一の頭や体を段差などに思いっきり打ち付けていたが、二人は全く気にせずにいた。
大接間に来ると片方のソファーに一人の女性と一人の少女が座っていた。
「お久しぶりです、芹香さん、マルチちゃん」
「はい。お久しぶりです、巴さん、と祐一さん?」
「お久しぶりです、巴さん……と祐一さん?」
頭を下げ小声で挨拶をした女性――綾香と瓜二つの容姿だが瞳がややタレ気味の綾香の姉の来栖川芹香だ。
マルチも芹香も挨拶をした後、倒れている祐一を見て小首を傾げる。
「祐一さん、どうしたんですか?」
「コレですか? 気にしないで下さい」
気絶している祐一をソファーに座らせるが、このままだと仕事の話ができないと判断した綾香は祐一の後ろに廻り両手を肩に置く。
「フッ!!」
「……はっ!」
綾香が活心を使い、祐一が目を覚ます。
「起きた祐一?」
辺りをキョロキョロ見渡していた祐一の隣りに移動して、声をかける。
「ここはどこ?! 俺は誰?!」
「ありきたりなボケをかますな!!」
その言葉とともに祐一の顎に綾香のアッパーが決まった。
体が浮き、そのままソファーの裏に撃沈する。
「がはっ……さ、流石は来栖川綾香……見事な突っ込み。お前には『ツッコミの女王』の称号をくれてやる」
「いらないわよそんなモン」
たった一言で切り捨てられた。
ちなみに、この称号は巴にも捧げられたが、同じように斬り捨てられたりする。
綾香と違い、文字通り天羽々斬でだが。
「祐一さん、あまり馬鹿なことをしていたら仕事の話ができませんよ」
「む……それもそうだな。それにこれ以上ボケたら俺の体が持たん」
顎を擦りながらソファーに腰を降ろす。
綾香はいつの間にか対面のソファーに移っていた。
「お久しぶりです。祐一さん、巴さん」
ソファーに座り、声が聞えてきた方に目をやると盆にいくつかのカップを乗せたセリオがいた。
「よう、セリオ。久しぶり」
「お久しぶりですセリオさん」
セリオは祐一達の前にコーヒーを置くと、空の盆を手にマルチの隣り――ソファーの後ろへと控えた。
一見悪いように見えるが、メイドロボであるセリオ達を座らせると逆に苦痛になるらしい。
「さて、今回の仕事の依頼人はこの子、姫川琴音ちゃんよ」
綾香の隣りに座った腰まである薄紫色の髪に赤色の瞳の少女――姫川琴音が頭を下げる。
「初めまして姫川琴音です。よろしくお願いします」
「琴音ちゃん、だな。初めまして、俺は何でも屋・FenrisWolf'sの相沢祐一だ。俺の事はお兄ちゃんと呼んでくれ」
祐一はとんでもない事を言ったその刹那、巴の右腕がブレ、祐一は壁に叩き付けられた。
「……………………」
「……………………」
「……………………」
何が起きたか解らないといった顔で祐一が叩き付けられた壁を呆然と見ているマルチ、芹香、琴音。
「舌の根も乾かないうちにボケをかますなんて……やっぱ本物のバカね」
コーヒーを飲みながら呆れたように祐一を見る綾香。
「脈拍……少し乱れてますが、命に別状はありません」
冷静に祐一を診察をするセリオ。
「アレのパートナーの御巫巴です。よろしくお願いします」
何事もなかったかのように琴音に頭を下げ自己紹介をする巴。
と、それぞれ違う反応を見せた。
ちなみに、今の出来事を簡単に説明をすると……
祐一が琴音に『お兄ちゃん』発言をした瞬間、巴隣に立てかけた天羽々斬を掴む。
祐一が殺気を感じ取るよりも早く横薙ぎに振り抜き祐一を後方の壁に容赦無く叩き付ける。
その行動には何の迷いも躊躇いも無い。
この間わずか0.2秒という脅威のスピードだった。
「いや、死ぬかと思ったぜ」
数秒で意識が回復した祐一はソファーに座りながら首を左右に動かしゴキゴキと骨を鳴らす。
「相変わらずね、あんた達の漫才は。ほんと見てて飽きないわ」
「悪かったな。軽い冗談のつもりだったのによ」
「祐一さん、仕事の話なんですから真面目にやりましょうね」
笑顔で通告する。
その笑顔には「次、ふざけたら殺しますよ」という意味合いが含まれているのに祐一は瞬時に気づいた。
「あ、ああ。分かった」
「にしても、祐一も懲りないわね」
「五月蠅ェよ! こんな可愛い年下の女の子から「お兄ちゃん(はぁと)」と呼ばれるのは男のロマ――ハッ!!」
祐一はそこまで口走り気付いた。
隣りの巴から発せられる殺気とは違う妙な威圧感に……
「ホント、懲りないわね」
呆れたようにしみじみ言う。
いや、実際呆れているのだが……
「祐一さんはついさっき私が言った事を良く理解していないようですから、一度矯正すべきですね……それとも余程ぶちのめされたかったのですか? マゾですか?」
不気味な笑みを祐一に向ける。
誰が見ても分るぐらい祐一は冷や汗ダラダラだ。
ついでに言えば、こういった事に免疫がない琴音は身体を震わし怯えている。
「いや、今は仕事の話が先決だ。だから、また今度な!」
なんとか逃げようとするがここに、手を差し伸べる者はいない。
いるとすれば――
「巴。殺るんだったら、他で殺りなさいよ。ここだと、琴音ちゃんがいるから」
死地へ追いやる者だけだ。
「はい、分ってます」
「だ、だから仕事の話を……」
「皆さん。少しの間失礼しますね。さあ、祐一さん逝きますよ」
「ですから、今は仕事……」
あくまで無駄な抵抗をする祐一。
それを見て巴は笑顔を浮べ「仕方ないですね」と言いながら祐一の肩に手を置き、首筋に苦無を押し付けながらキスができるぐらい顔を近づけると――
「ウダウダ言ってないで黙って着いて来なさい……でないと、首、刎ね飛ばしますよ」
「………はい」
祐一はそれで静かになった。
仕事モードもしくはシリアスモードに入った巴の前で、ボケをかますのは厳禁という事を祐一は学習していなかった。
それを見た綾香はこう思う。
(うーん。独裁者による恐怖政治の図と言ったところかしら)
あながち間違いではない例えだ。
巴が祐一を引きずりながらリビングを出ていく。
祐一を引きずる力が、とても人間の力と思えなかったのを追記しておく。
ドアから出る前に祐一は綾香達を振り返る。
祐一が見たものは、胸の前で十字を切り合掌している綾香の姿だった。
まさに、死して屍拾う者なしだ。
閉ざされた扉を見て琴音は、
「あの、綾香さん。本当に大丈夫なんでしょうか?」
そう心配そうに綾香に訊く。
「まぁ、気持ちは分かるわ。でも、ああ見えてもかなり頼りになるのよ。私より戦闘能力高いし」
「そう……ですか」
綾香の言葉を聞いてもまだ心配そうな琴音だった。
そして……
「うぎゃあああぁぁぁぁ!!!!」
屋敷の何処かから聞こえる祐一の断末魔に近い悲鳴が琴音をより一層不安にさせた。
「改めまして。何でも屋・FenrisWolf'sの相沢祐一だ。よろしく」
「同じくFenrisWolf'sの御巫巴です。よろしくお願い致します」
二人は改めて目の前に座っている琴音に自己紹介をした。
巴にボコられたはずの祐一は怪我らしい怪我はない。
そして、その事に突っ込む者もいない。
「よ、よろしくお願いします」
さっきの二人のやり取りで物凄く不安になっている琴音。
「さて、ここからは真面目に話すわよ」
その気持ちを察してか綾香が真面目な顔つきに変え祐一達に言う。
「ああ、分ってる。琴音ちゃん、依頼の内容を話してくれ」
祐一と巴も顔つきを変え依頼の話に入る。
「その前に、まずは私から」
「って依頼人は琴音ちゃんだろ」
「まぁ、そうだけどね。琴音ちゃんの依頼はあくまで“ある物”を届けてもらってからなの」
「その“ある物”とは何なのですか?」
「これよ」
巴の質問に綾香が机の上に置いたジェラルミンケースを開け祐一達に見せる。
その中身は爆弾と、およそ300mの起爆コードが入っていた。
「――届けて欲しいのはこのプラスチック爆弾よ」
プラスチック爆弾。
正確にはコンポジションC−4――C−4爆薬、セムテックス――といい、高性能爆薬――ニトロトルエン、ニトロセルロース、ジニトロトルエン、トリニトロトルエン、オクトーゲン、ヘキソーゲン、ワックス等の混ざった油状物質をトリメチレントリニトロアミンと混合したモノである。
高性能爆薬はワックスなどを加えることで安定した固形物質となり外部からの圧力――被弾、引火――等で暴発することがない。
と言うよりもプラスチック爆薬は信管を付けない限り絶対に爆発しない。
これらのプラスチック爆弾は主に粘土状でプラスチックのケースで覆って支給される。
必要量をナイフなどで切り出して自由に使用できる他火をつければ固形燃料の代わりとしても利用できる。
白色のC−4、黄色のC−3が有名でTNTと並ぶ軍用の主要爆薬である。
C−4爆弾はダイナマイトの1.5倍程度の破壊力を持つ。
「C−4、か」
「使い方は単純よ」
綾香はそう言って、ボタンが一つ付いた掌サイズのリモコンを机の上に置く。
ボタンにはケースが付いているので、それを外さないと押せないようになっている。
「このスイッチを押して、10秒後に爆発する仕組みになってるわ。距離は大体50m前後。それ以上離れると起動しないから気をつけてね」
「ああ、分かった。で、コレをどこに届けるんだ?」
「琴音ちゃんの父親のところよ」
「琴音ちゃんの?」
祐一は琴音に目をやる。
「ですが、いったい何を爆破するのですか?」
「それを説明するには……」
綾香は祐一に小瓶を投げ渡す。
小瓶の中には錠剤のようなモノがいくつか入っていた。
錠剤一つ一つには“BA”と刻まれている。
「こいつは……」
祐一の隣りに座っている音夢も覗き込む。
「それが何だか分かる?」
祐一はそれを睨みつけ口を開く。
「麻薬か……それも超高純度のプレミアム・ドラッグ――“Black・Angel”だな」
「ご名答。裏世界でも、悪鬼の巣窟ヘルシティ『暗黒城』でも滅多にお目にかかれない悪魔の粉よ」
麻薬には精神を高揚して上機嫌になるアップ系と、逆に陰鬱に沈み込むダウン系がある。
だが、BAはそのどちらにも当てはまらない。
BAの持つ最大の特徴は、投与した人間の殺戮欲を引き上げるいうモノ。
タイプとしては錠剤タイプと液体タイプの二種類。
前者は一般的に巷に出回っていて、時間はかかるがヤク抜きで元に戻れる可能性がある。
後者はヤク抜きが不可能で、投与したその瞬間に理性も痛覚もなくなり殺人機械に変貌する。
そもそも後者は脳の肉体の限界を知らせる部分に注入するのでヤク抜き以前の問題だ。
そして殺す以外どうしようもない上に、首を刎ねる以外では絶対に死なないという厄介なモノだ。
「で、こんだけで末端価格はいくらになんだ?」
「そうねぇ……300万ってトコね」
その答えを聞いた祐一の耳がピクンと反応する。
「ふーん」
「って、何やてるのよ!!」
祐一が小瓶をポケットにしまおうとしていた。
それを綾香が慌てて取り返す。
「まったく。油断も隙もないわね。これはあとで麻薬シンジゲートに返さなくちゃいけないのよ」
「軽い冗談だよ。本気で俺がそんな事すると思ってんのか?」
「祐一ならやりかねないわ」
「祐一さんですから」
この答えを聞いて、祐一は心の中で泣いていた。
日頃の行いゆえ当たり前と言えば当たり前なのだが……
これが裏世界で未だに恐れられている『漆黒の戦狼』と言われて何人が信じるだろうか?
「で、そんな麻薬を巷に流してる奴は誰なんだ?」
「この町に住む榊十蔵よ。もっとも黒幕はそいつじゃないらしいけどね」
「黒幕は分からないのか?」
「残念だけどね……まぁ、こう言う言いかたしちゃいけないけど……今回の依頼には関係ないわ」
「確かに……な」
「それで、琴音ちゃんのお父さんはどこに?」
「BAを作ってる榊の研究所。琴音ちゃんの父親の姫川幸助はそこの研究員よ」
「なっ!?」
「そんな人道に反する麻薬を作ってる奴の仲間が何で爆弾を?」
「違います! お父さんはそんな人じゃありません!!」
祐一の言葉に琴音が反発する。
涙を流しながら言う琴音の肩を芹香が優しく抱く。
「琴音ちゃんのお父さんは利用されているだけなんです」
芹香が琴音の代わりに説明する。
琴音の父――姫川幸助は薬品会社に務め、人を万病から救う為の様々な薬を作る研究をしていた。
幸助の薬に関する知識に目を付けた十蔵が彼にBAの開発の協力を要請したが、無論、幸助もそんな毒薬の研究に協力する気はなく首を縦に振らなかった。
だが、十蔵は幸助にある条件を通告。
それを聞いた幸助は見る見る顔が青ざめていった。
その条件とは、
――協力しなければ、主の家族を主の仲間を1人ずつ殺していく、というもの。
そして、それの見せしめと琴音の母親、琴美を人質として連れ去った。
「なるほど、無理やり協力させられてるってことか」
「それで、数日前にこの手紙が琴音ちゃんの下に送られてきたのよ」
封筒に入った手紙を祐一に見せる。
「なんだ、これ。所々滲んでんぞ?」
「これ、油性と水性で書き分けてたのではないのですか?」
殆どが滲んでいる手紙を見て巴が祐一に言う。
手紙の内容は十蔵が行っている研究とそれを壊す事、研究所の場所が書かれている。
「そうよ。榊十蔵に手紙の内容が確認されても大丈夫なようにね」
「ふーん。考えたな」
「で、引き受けてくれる?」
「まだ、話は終わってねェだろう。琴音ちゃんの依頼はなんなんだ? まぁ、聞かなくても分るが……」
「はい、お父さんとお母さんを助け出して欲しいんです」
予想通り、と祐一は心の中で呟いた。
「……これが依頼料の200万よ。どう? 引き受けてくれる?」
綾香が帯で止めた札束を机の上に置きながら、祐一と巴に確認を取る。
「この中から前金の一割を先に渡さなくてもよろしいのですか?」
「別にいいわよ。祐一や巴が一度引き受けた仕事を途中で投げ出す事はしないって分ってるからね」
「待てよ。綾香。俺はまだ引き受けると入ってねぇぞ」
「そうですね……それにこの依頼料は受け取れません」
てっきり引き受けてくれると思っていた綾香だが、二人の言葉に思わず目を見開く。
そんな綾香を無視するように祐一と巴は、琴音に注目する。
「この依頼料の200万は……琴音ちゃん君に払ってもらう」
「ち、ちょっと祐一! あんた何言ってるのよ!!」
祐一の言葉に綾香が抗議する。
もし琴音が祐一達の望む回答をしなければ、二人はこの依頼は引き受けないだろう。
「綾香さん、少し黙っていて下さい。琴音さん、どうなのですか? 払うか、払わないか。単純な問い掛けですよ?」
『……………………』
沈黙……
誰も言葉を発しない。
否、発せないと言った方が正しいかもしれない。
祐一と巴の言葉も目も本気である。
そんな中で琴音が口を開く。
「……払います」
そう言って琴音は自分の手提げカバンから財布と通帳とハンコを取り出す。
「今ここに――手元に2万と貯金に40万あります」
琴音は財布から出した2万と通帳とハンコを机の上に置く。
「足りない分は働いて用意します! だから……だからお父さんとお母さんを助けて下さい! お願いします!」
涙を流しながら必死にお願いする琴音を見て祐一と巴は微笑んだ。
琴音の出した言葉は二人が望んでいた回答であったのだ。
「いいだろう」
「祐一、あんた本気なの!」
まだよく分かっていない綾香が琴音の金に手を伸ばす祐一に非難の声を浴びせる。
「ああ、本気だ。琴音ちゃん、俺達……確かにこの依頼引き受けたぜ」
祐一は1万だけ取りそれを琴音に向ける。
「え? あ、あの残りお金は……?」
頭にハテナを浮べて祐一に訊く。
「いいよ。ただ、試しただけだから」
「試したってどういう事よ?」
祐一の言葉に琴音と同じようにみんなが頭にハテナを浮かべている。
「簡単なことですよ、綾香さん。自分の両親を助けるのに他人のお金で依頼するような方なら、私達はこの依頼を受ける気はなかったのです。ですが、琴音さんは自分で払うと言いましたから、私達はこの仕事を引き受けた。それだけのことです」
「なるほど、ね……まったく、あんたも人が悪いわよ。しかも1万で依頼を受けるなんて酔狂ね」
「ははは、まったくだ。借金が約1,000万もあるのにな」
笑いながらとんでもない発言をする。
その発言でその場が沈黙に包まれたのは言うまでもない。
「借金……1,000万って」
綾香の表情が呆れてモノも言えないと言った感じだ。
「はわっ、一体、何をすればそれだけ借金ができるのでしょうか! セリオさん、分りますか?」
「いえ、私には分りません」
メイドコンビが互いに首を傾げる。
「祐一さん、無駄使いはダメです」
小声ながら祐一に説教する芹香。
「祐一さん……何故わざわざ、私達の恥をバラすのですか?」
巴は巴でかなり恥ずかしがっている。
当たり前だ。
わざわざ、自分達の恥を晒したのだから。
それに借金したのは全部祐一だ。
「それだけ借金があって1万で請け負うなんて、あんたにしては優しいじゃない」
「俺にしてはは、余計だ」
談笑しながら話す祐一と綾香だが、巴の言葉により笑っていられない状況になった。
「ま、これで祐一さんのお小遣いを当分の間カットして、その分を借金の返済に回させていただきますから」
容赦ない冷徹さに祐一はものの見事に固まり、油の切れたブリキ人形のような動きで固まった首を巴の方に向ける。
「……と、巴さん、今なんと仰いましたか?」
聞き間違いだ、空耳だと心の中で呟きながら、顔を引き攣らせて尋ねる。
「ですから、祐一さんのお小遣いを当分の間カットして借金の返済に回す、と申したのです」
勢いよくソファーから立ち上がり巴に抗議しようとする。
「ちょっと待てや! いくらなんでもそりゃねェだろ!」
「これは既に決定事項です。覆すことは出来ません」
「鬼! 悪魔! 人でなし!」
「なんとでも言って下さい」
「殺人シェフ!」
あまりの巴の横暴さに我を忘れたのか、祐一は言ってはならないことを言ってしまった。
自分も立ち上がると、祐一の懐に一気に飛び込み、胸に寸勁を放つ。
その一撃で祐一は軽く一メートルは吹っ飛んで、床に倒れこんだ。
「誰が……誰が殺し屋が作ってくれと依頼してくるほどの殺人料理ですかぁぁぁぁ!!」
「誰もそこまで言ってねェだろ!」
そして、また始まるバカ喧嘩。
「仕事の話も一段落したし、今日は解散ね」
綾香の言葉で目の前でギャアギャア喧嘩している二人を尻目に芹香達は大接間を後にした。
綾香はそれを見送ると、二人に目を戻し、歩み寄る。
「私だって……私だって好きで料理が下手なワケじゃないんです! 地獄料理だなんて言わないで下さい!!」
「だから、誰もそこまで言ってねェ!!」
「祐一さんの……ヘタレバカァッ!!」
祐一の顔面目掛けて放たれる鞘に入った天羽々斬の突きは、綾香に腕を掴まれぶつかる寸前で停止した。
「はいはい、喧嘩はそこまで……巴、あんたが祐一を殺るのは自由だけど……」
「ちょっと待てェ! 殺るって何だ殺るって!?」
綾香は祐一の文句をさくっと無視。
「明日の夜には行動してもらうんだから、再起不能にされたらこっちが困るの。分かる?」
「それは……申し訳ありませんでした」
「分かればいいわ。で、二人はこれからどうするの?」
「俺は晩飯まで部屋で寝る」
肩を落としながら大接間から出て行く祐一。
よほど小遣いカットが効いたようだ。
「私はシャワーを使わせて欲しいのですが」
「どうぞ。ところで、巴。祐一に言ったことは本気なの?」
「お小遣いカットですか? もちろん本気ですよ。あの人は少しは反省すべきなんですよ。次から次へ借金ばかり増やして全く減らさないんですから」
「そ、そう」
可哀想に、と心底祐一に同情する綾香であった。