狂也に向かって一歩を踏み出すと、狂也も一歩下がる。

 ガクガク震える足に何かが当たった。

 それに目を向けるとそこには一丁の銃があるり、狂也はその銃をすかさず拾い上げ自分に向かって来ている祐一に向ける。

「来るな……来るなァァァ!」

 ヒステリックに叫びながら、トリガーを連続して引く。

 祐一は発砲された弾を軽々と避けながら真っ直ぐ狂也に向かう。

「ひっ! た、頼む。命……命だけは助けてくれ」

 狂也はとうとう壁側まで追いつめられた。

「キサマは今までそうやって命乞いした人達を自分の欲のために何人殺した?」

 祐一はゆっくりと……

 本当にゆっくりと、相手に恐怖を与えるように間を詰めていく。

「まぁ、今更過ぎた事をどうこう言っても意味はねぇ……だがよ――最後の警告だ。二度とあの二人にも、町の住人にも手ェ出すな。じゃねェと……」

 ラグナロクの銃口を狂也の頭に向け、トリガーをゆっくり引き絞る。

「ひっ! ま、待て………おぁあああああ!!!!!」

 装填されている六発の弾丸が銃口を走り抜け、狂也の頭を囲むようにたった一ミリだけ離れた位置に着弾した。

「か……かか……」

「殺すぜ」

 そう言いながら、瞳孔が開ききった金眼で今まで以上の殺気を狂也に向ける。

「!!!」

 殺気の密度、さっきほどまでとは比べものにならないプレッシャー。

 それを受けて、あまりの恐怖に狂也は口から泡を吐き、気絶した。





FenrisWolf's


ACT.3 『ドクタージャッカル』





 狂也の部屋を後にした祐一は階段の手前で足を止めた。 

「何だ、この異様なほどの血の匂いは?」

 祐一は巴が避けて通った階段をラグナロクを握り締めながら降りて行く。

 辿り着いた階下には、むせ返るほどの血臭が漂っていた。

 通路には血溜りがあり、壁や天井までもがどす黒く染まっている。

 人の気配もなく、あるのはパズルの名人でも元の人間の形にするのは不可能なほどに細切れにされ雑多に転がっている男達の死体だけだ。

 それらは最低でも50以上のパーツに分解されていた。

 祐一は全く気にした様子もなく転がっていた死体の腕を拾い上げると切断面を確認した。

 切断面は肉も筋も骨もガタツキもなく、戻し斬りが出来そうなほど綺麗に切断されていた。

「この殺り口に、あの時感じた殺気――間違いなくあの野郎だ」

 持っていた腕を床に置くとある壁と、その下に倒れている死体を見た。

 壁には大量の血――

 死体には額からヘソの辺りにかけての切り傷――

 それらは、誰が見ても分かる文字が書かれていた。

 “J”と――

「やっぱり、あの時感じた殺気はあのヤローのモノだったか……あの最低最悪の男――『ドクタージャッカル』





































 ――祐一の車の中――

「あの、本当に助けてくださってありがとうございます」

 藍が車の後部座席から助手席に座っている巴に礼を言う。

「気にしないで下さい。貴女のお父様から依頼されたんですから」

「でも、あんなにも早く助けが来るとは思わなかったわ」

「そうですか?」

「ええ。だってまだ一時間ぐらいしか経ってないし……警察だってアイツを敵に回そうとはしないのよ」

「そうですね。お父様や町の人からの色々良くない噂を聞きますから」

「『どんな危険な依頼だろうと引き受けた以上は最後までやり遂げる』……祐一さんがいつも言ってる言葉です」

「ふーん、そうなんだ。あっ。ところで貴女の名前は?」

「そういえば申し遅れました。私の名前は御巫巴。祐一さんのパートナーです……それと、お二人にお訊きしたいのですが、祐一さんをご存知なのですか?」

 巴の疑問も当たり前の事だ。

 まだ名前を教えていないのに祐一の事を知っている。

「わたくし達が襲われていた所を祐一さんに助けていただいたんですわ」

 藍は巴にその時の状況を説明する。

「そうなんですか。祐一さんらしいというか何と言うか……」

「ねぇ、御巫さん」

「巴でいいですよ」

 苗字で呼ばれるより名前で呼ばれる方が好きな巴は恋にそう返した。

「じゃあ、巴さん。貴女と祐一はもしか……しなくても恋人同士なの?」

「えっ?」

 恋のいきなりすぎる質問に巴の目が点になる。

「恋ちゃん、御二人は当然そうに決っていますわ」

「いえ、違いますよ。私と祐一さんは仕事のパートナー、ただそれだけです」

 そう言って、巴は前を見る。

 恋と藍は気づいた。

 ルームミラーから見える巴の表情は悲しみに染まっているのに。

 その瞳はどこか、ここではない遥か遠くを見つめているように思えた。

(そう、私は只のパートナー。祐一さんの隣に居て良いのは輝夜さんだけなんですから……)

「……巴、さん?」

「はい?」

「う、ううん。なんでもない」

「そうですか……ところで、お二人に恋人は居ないんですか?」

「い、いないわよ、そんな人!?」

 巴のいきなりの言葉に恋は顔を真っ赤にして否定する。

 だが、その顔を見るだけで恋人は居なくても、好きな人がいる事は一目瞭然であった。

「あら、でしたら恋ちゃんも素直になられてお兄様に告白なさればよろしいのに」

「あ、藍!!」

「お兄様?」

「はい、麻生大輔さんと言いまして、恋ちゃんのお兄様で……と言いましても、御二人に血の繋がりがなく義理のご兄妹ですが」

「あ、藍! それ以上余計なこと言わないで!!」

 藍にそう言って今度は巴の方を向き否定した。

「巴さん、勘違いしないでね! 私は大輔の事なんか何とも思ってないから!!」

「そうなんですか?」

「そうよ! それに、私は別にあんな奴……」

「好きではないと?」

「そうよ!!」

 恋が力いっぱい否定する。

 だが、大親友の藍には分っていた。

 恋が意地っ張りな性格だと……

 そして、それは巴にも分っていた。

 まぁ、顔を真っ赤にして否定してる時点でバレバレだが……

「お兄様は人気がありますわ。取られてしまってもよろしいのですか?」

「そんなに人気があるんですか? その大輔さんという方は?」

「はい。彼の幼なじみの橘天音さんと七城柚子さん。先輩の君影百合奈さんに教育実習生の篠宮悠さん。わたくし達と同い年の美咲彩さん。以上ですわ」

「そんなにですか?」

「はい。ですから恋ちゃん、頑張って下さい」

「な、なにをよ?」

「お兄様を取られないようにですわ」

「だ、だから!」

 恋がさらに否定しようとするがそれを遮り藍がこう言い放った。

「それに、わたくしも恋ちゃんに負けないくらいお兄様が大好きですから」

 突然の藍のライバル宣言。

「な、な、なっ」

 口をまるで魚のように動かしている恋、かなり面白い見せ物である。

「どうした?」

 そこに戻って来た祐一が運転席のドアを開けながら恋の様子を巴に訊いた。

「あっ、祐一さん。何でもないんです。気にしないで下さい……ところで、あの男はいましたか?」

「いや、居た痕跡はあったが、気配はなかったよ……ま、出くわさなくて正直良かった」

「ですね」

「まぁ、それはともかく、鷺ノ宮邸に行くか」

 祐一は車を走らせる。





































 ――狂也の部屋――

「クスッ。あれが伝説の漆黒の戦狼ヴェーア・ヴォルフ相沢祐一君ですか」

 男――緋影零毀は部屋の中から祐一の車が去っていくのを見送りながら呟く。

 零毀の服装はまるで血で染め上げた様な黒いロングコートにつばの広い黒い帽子。

 通称『ドクタージャッカル』と呼ばれる裏世界に生きる男。

 零毀は特定の仕事には就いていない。

 彼は依頼があればどんな仕事――届け屋、護り屋、殺し屋などやるからだ。

 つまりは祐一達と同じ何でも屋だ。

 だが祐一達とは違い、基本的に人を殺せる仕事しかしない。

 零毀の仕事の価値は『その過程がいかに楽しめるか』それのみにある。

 だから、彼は時には世界に逆らい時には逆らわない、どちらにもよらない存在だ。

「クスッ。君と殺し合える日が愉しみですよ。本当に」

 零毀はどこか嬉しそうに呟く。

「う……うん」

 狂也と部屋にいた男達が目を覚ます。

「おや、気づかれましたか?」

 狂也は辺りを見渡し声を発した者を見る。

「な、なんだ貴様は!?」

「緋影零毀と申します」

 零毀は帽子を取って胸に当てると、紳士らしく深く頭を下げる。

 下げた後帽子を元に戻し、冷笑のまま狂也達を見る。

 その笑みを見て、狂也達は恐怖を抱き本能的に悟る。

 ――この男は危険だ

 ――さっきのガキよりヤバイ

「き、狂也様! ここは私達が抑えます!! 早く逃げてください!!!」

 男の一人がそう言うと男達は銃を抜き零毀に照準を合わせる。

「わ、分かった!」

 狂也は背を向け部屋から一気に逃げ出す。

「ふぅ、無駄な足掻きですよ。まったくね。では、そろそろ始めますか……」

 零毀は胸の前で拳を握る。

 するとヒュンッ、と握られた指の間から四本のメスが現れた。

『なっ!?』

手術オペを――……」

 零毀は冷笑を保ち、細目から少し眼を開け男達を見る。

 目が少し開いたと同時に殺気が溢れ出す。

 その気は寒気が走るには充分。

 何より零毀が平気で人を殺すことを男達は瞬時に理解できた。

 そして……

 それは、その男達の生涯最後に見たものだった……





































「はぁはぁはぁはぁ」

 狂也は死に物狂いで屋敷の中を走り出口を目指している。

 屋敷のあちらこちらから血の匂いがしているが気づいていない。

 否、そんなのを気にする余裕もない。

 この屋敷で生き残っているのは狂也と零毀の二人だけだろう。

 そして狂也にもすぐ死が近づいている。

「あひゃ!」

 床に在った血溜りに足を取られ、血の海にダイブし体中に血が染み付く。

 そして、辺りを確認する。

 見渡す限り赤い血の海とバラバラにされた人の肉塊。

「鬼ごっこはお終いですか?」

「!?」

 狂也は零毀の声に驚き背後を振り返る。

「この屋敷で残っているのは貴方だけですよ」

「た、助けて……助けてくれ!!」

 狂也は立ち上がり有らん限りの声で助けを求める。

 その姿を見て零毀はどこか諦めた様に溜め息をつく。

「――もういいですよ」

「た、助けてくれるのか?」

 狂也の顔に安堵の色が広がる。

 だが次の瞬間、狂也の額からメスの先が生えた。

 零毀は狂也の頭に後ろから突き刺したメスを綺麗に、それでいて滑らかに縦に下ろしていく。

 そして腰の辺りでメスを横に引き少しだけ上げる。

「貴方のような殺し甲斐もない方を相手にするのはもういいですよ」

 狂也はフラフラと数歩前に進み膝からガックリ崩れ落ちた。

 その狂也の背からは零毀が書いた文字がはっきりと読めた。

 “J”と……





































 ――鷺ノ宮邸――

 鷺ノ宮邸のリビングで向かい合わせに五人が座っている。

 片方のソファーには祐一と巴が、もう片方の席には藍と恋と髭を生やした人の良さそうな男性――藍の父で今回の仕事の依頼人の鷺ノ宮茂雄が座っている。

「本当にありがとうございます」

 茂雄が祐一と巴に頭を下げる。

「依頼されたら、最後まで遣り遂げるのが俺達の仕事ですから。それと、あの男があなたの娘さんに手ェ出す事はもう二度とないと思います」

「と言うと?」

「思いっきり脅しをかけました」

「祐一さんの恐ろしさを知ってしまえば、祐一さんの言葉に逆らおうと考える者達は出てきませんから」

 巴が付け足す。

「そうですか。本当に、ありがとうございます。それと、こちらが報酬の500万ウェルになります。確かめて下さい」

 茂雄が封筒を巴に差し出す。

 巴がその中身を確認し金額を数える。 

「……はい。確かに500万ウェル受け取りました」

 巴が確認し終わったのを見て祐一が茂雄に訊く。

「受けた俺達が言うのもなんだが、誘拐ぐらいにこんな大金を払っていいんですか?」

「ゆ、祐一さん!?」

 突然の祐一の発言に驚く巴。

(余計な事は言わないで下さい! 言ったら減らされるかもしれないじゃないですか!?)

 巴の驚きは祐一の疑問とは全く関係のない事であった。

 だが、祐一の疑問も無理はない。

 今までも、今回のような仕事を受けた事はあるが、それでも、依頼料は10万から50万前後だ。

 今回のように大したリスクもなく100万単位の依頼料を貰ったのは初めてだ。

「確かに、破格の依頼料かもしれません。ですが、娘達の命に比べれば安い物です」

 その言葉にも、目にも迷いも偽りの欠片も感じられない。

 それは、彼自身が心の底からそう思っている証拠。

「もっとも、人の命に代えられる物なんてこの世にはありはしませんが……」

「そうですか」

 祐一は笑みを浮べながら簡単に答えた。

「んじゃ、巴。そろそろ次の町に行くか?」

 祐一がソファーから腰を上げそう言った。

「あっ。待って下さい。もう遅いですし、今日はここでゆっくり休んで行って下さい」

 藍はそう言って二人を引き止める。

「けど……」

「いいんですか?」

「構わないよ。君達は娘達の命の恩人だ」

「祐一さん、どうしますか?」

「こう言ってんだ。素直に受け取ろうぜ」

 祐一と巴は茂雄達の方を向き、お世話になりますと声を揃えて言った。