どさり、と軽い音を立て、少女の身体は支えを失い地面に倒れた。

 

「……っ」

 

 それと同時、太もも辺りに鈍痛が走り、少女は思わず顔を歪めてしまう。

 倒れたままそこを見てみると、地面に石でも落ちていたのか、抉ったような傷が生々しく口を開いていた。

 その傷を少女自身が認識した瞬間、更なる痛みが少女を襲う。

 

「――ぅ……っ」

 

 咄嗟に傷口を押さえるが、意外にも深いらしいその傷口から流れ出る血は止まってはくれない。

 しかし、既に何時間も休むこともなく歩き通しの少女には既にそれ以上のことをする体力は残ってはいなかった。

 今まではそこをただ一つの確固たる目的から来る気力で無理矢理補っていた。

 だが、それは歩くことに限定した際の話。

 既に少女の身体は限界で、何とか歩くことは出来ても倒れた身体を物理的に起き上がらせるだけの力はもうどこにも残ってはいなかった。

 

「――っ」

 

 声も疲労のあまり聞き取れないほどまで掠れ、もはや少女が出来ることは傷口を抑えながらもう片方の手を使って地面を這い蹲るぐらいのことだった。

 だがそれでも、少女は止まろうとはしなかった。

 ずるずると、地面を這い蹲りながらも何とか前に進もうとする。

 しかし少女の腕には少女自身の身体を引き摺るだけの力も残されてはおらず、それはただ地面をかき寄せるだけに終わってしまう。

 

 それでも少女が止まろうとはしないのか、何よりも目的達成の意識が強いからか、はたまた既に意識が朦朧としていてそこまでを理解出来ていないからか。

 どちらにせよ、少女は既にその場から動けないような状態になってしまっていた。

 

 そんな時だ。

 

 

 

「あぁ――こんな所にいやがったか」

 

 

 

 ぞっとするような寒気が、少女の全身に走った。

 悪寒――というよりは、恐怖。

 

「……ぁ」

 

 掠れた声が零れる。

 

 ここまで来た少女にとって、その声は何よりも聞きたくは無いもの。

 意識が朦朧としていてもはっきりと頭に浮かぶ恐怖の感情。

 "あの場所"に連れ戻される――そんな最悪の結果が少女の脳裏に浮かんだ。

 

「勝手に動き回るんじゃねぇよ……おかげで半日探し回るハメになっただろうが」

 

 少女の恐怖を知ってか知らずか、煩わしそうな口調で声の主は続ける。

 

「折角掴んだ手掛かりも集めたデータも、今回のことで全部水の泡だ」

 

 ため息を一つ吐きながら、声の主は手に持っていた何かを軽く真上に投げてはキャッチする動作を繰り返す。

 

「もっとも、あれだけ時間を掛けても結局こっちの欲しい答えには近づきもしなかったんだがな」

 

 そして、不意にその動きを止めると、低い、何か一言では言い表せないような黒い感情の篭った声色でこう告げた。

 

 

 

「だから、お前のことは正直もうどうでもよくなった」

 

 

 

 そして、カチリと声の主の手にある球体状の何かが音を立てた。

 

「だから消えろ。少しでもこっちの情報を漏らされると厄介なんだ」

 

 ゴトリ、と鈍い音がして、球体状のそれが地面に落とされる。

 それを声の主は足で蹴ると、地面に倒れて動けないままでいる少女の方へと転がした。

 

「っとに……初めからあの場所から動かなけりゃ、こっちもここまで面倒な手順踏まずに済んだってのに……」

 

 再びため息を吐き、相変わらず煩わしげな口調のままで声の主は続ける。

 

「ま、いい。とりあえずお前はそれでさっさと消えろ。こっちにはまだやらなきゃいけないこともあるからな」

 

 最後にそれだけを言い残し、声の主は踵を返した。

 そしてそのまま振り返ることも無く、その場を立ち去った。

 

 そうして残されたのは少女と――転がされた球体状の物体のみ。

 

 

 

   神魔戦記三次創作『いつか見る明日へ』

    第四話 騒乱の最中 後編

 

 

 

 よく考えれば、それは難しいことではなかった。

 ただ、それによって引き起こされた結果があまりに大きすぎて、そのことまで考えが回らなかった。

 

「あの爆発はタイミングが良すぎたと思うんだけど……どう思う? レイナ?」

 

 球体状の爆弾を手に持ちながら、シフォンは重い息を吐く。

 念のため爆弾としての機能が完全に停止しているのは確認済みなので、そのもの自体には既に危険は無い。

 しかしそれは逆に、これが爆弾としての機能を果たしたことになる。

 

「他にそれらしい物も、魔術が発動した痕跡も無し……となると、決まりですね」

 

 確認ということで周囲をもう一度見て回っていたレイナと呼ばれた少女も頷きを返し、シフォンの手にある爆弾へと視線をやる。

 その手の平に収まるほどの小さな物。

 決して爆弾としての質は上質なものとは言えないが、今回起きた爆発の規模を考えるとむしろ相応の物とだろう。

 

 それを踏まえた上で、二人は一つの結論に達した。

 

「うん。この混乱、誰かが狙って引き起こしたって考えて間違いないと思う」

 

 ふつふつと自分の中からこみ上げてくる感情を押し留めながら、シフォンはその事実だけを告げる。

 

 今回の混乱は、遅かれ早かれ起きる可能性は大いにあった。

 それが今回は『相沢祐一が目を覚ました』という情報によって一気に加速したに過ぎない。

 

「こんな物、普段から持ち歩いてるような人はいないからね」

 

 加えて、それはただの一般人が気軽に手に出来るような物でもない。

 そんな物がこうしてここにある事実。

 それは即ち、以前からこの事態を想定し、用意していた者がいるということだ。

 誰が何の目的でかは分からないが、意図的にこの爆弾を起動させ、この混乱を招いたのはまず確実と見ていいだろう。

 

 だが――実は大きな問題はそこではない。

 

 混乱を招いた、ということは、その混乱に乗じて何かを狙っている可能性が高い。

 ただ混乱を招くの目的といった愉快犯であれば、そもそもこんな物を用意はする必要も無いからだ。

 そしてそう考えると、自然と一つの事実に辿り着く。

 

「本当に混乱が目的だとすると……まだ、小さい」

 

 この混乱は、何をするにしてもその隠れ蓑としてはまだ小さかった。

 確かに人々は慌て、逃げ纏ってしまっている。

 だがそれでも怪我人らしい怪我人は見てきた限りでは殆ど出ておらず、それはまだ国民達にもある程度の理性が残っていることを意味する。

 その状態での混乱というものは、少し時間が経てばある程度の拡大の後に間違いなく落ち着くし、何かおかしなことがあればまだそちらに意識を向けることは出来る段階だ。

 本当に危険なレベルの混乱となれば、それこそ兵士達が一時的な武力行使すら厭わずに止める必要性が出てきてもおかしくは無いのだ。

 それ故に、単純だが例えば火事場泥棒をするにしても、この状態ではそれを見つけられてしまう可能性がある。

 

「もう一つか二つ、同じ物があると考えたほうがよさそうですね」

 

 ならば、そのことを考える者はどうするか――その答えは簡単だ。

 さらに同じことを起こして、その混乱をさらに煽ってやればいいだけのこと。

 

 即ち、この混乱が収まりを見せる前にもう一度爆弾を起動させてしまえばいいのだ。

 ……突拍子の無い発想だ、ときっと誰かは言うだろう。

 だがそれでも、可能性として存在する以上それを見過ごすことは出来ない。

 

「……勘違いってことになってくれるといいけど」

「その時は、二人で職務放棄ってことで罰を受けましょう」

「そうしたいなるといいね」

 

 軽口を言い合い、二人はその場から動き始めた。

 もしまた爆発を起こすのであれば、人通りが疎らになったこの近辺でもう一度起こすとは考えにくい。

 となれば次に考えうるのは、人通りが多く、それでいて人の目には付きにくいような場所だ。

 

「次に同じことをされたら、今度は怪我人どころの騒ぎじゃなくなります」

「うん。だからそうなる前に見つけて、止めるよ」

「私は知り合いで自由が聞きそうな人に声を掛けてみます。人手は多いほうがいいでしょうから」

「そうしてくれると助かるな」

 

 お互いにすべきことが見えてきたところで、二人は行動を起こすために歩を早め始める。

 

「じゃあ、また後でね、レイナ」

「シフォンこそ、気を付けて」

 

 出来ればこの考えが勘違いであることを祈って。

 しかしどこかで、その可能性は無いだろうと分かってしまっていた。 

 

 故に二人は同時に逆の方向へと駆け出す。

 

 残された時間は、そう長くは無い。

 

 

 

 

 

 

「ここが食堂にです。……といっても、今は皆さんの休憩所としての役割の方が大きいですけれど」

 

 そう言って次に案内された先は、確かに食堂と呼ぶに相応しい広さのある場所だった。

 みれば壁際には配膳用の物が幾つも見受けられるし、奥には立派な厨房も見える。

 

 ……しかし何故、この場所が食堂と明言出来ないのか。

 その理由はこの空間の現状に問題があった。

 

「……皆さん、お疲れのようで」

「あ、あはは……」

 

 ソラがそう言うのも無理はない。

 何せ、幾つも並ぶ食卓には食事時ではないというのもあるだろうが食事らしい食事は一つも見当たらず、食事を目当てとして来た人が座るべき椅子には幾人もの兵士と見受けられる者達がダウンして横になっているのだ。

 これでは本当に食堂かと疑いたくなるのも無理はないというものである。

 

 とは言っても、今起きている混乱を静めるために出張っている兵士も多くいるのだろう。

 一応ぱっと見れば食堂とは分かる程度ではあった。

 

「朝はもっと凄かった」

「……そうなのか?」

「うん。昨日の夜に帰ってきた人達が皆ここで寝ちゃったから」

「あー……」

 

 その光景は、容易に想像できてしまった。

 ソラはシフォンを見ていたから、復興作業がそう簡単ではなく、凄まじい体力を消費するのは分かる。

 そして、中には帰る場所が無い――ソラみたいに家を失ってしまった人もいる。

 故に戻る場所を失い、それでもこの国のために働いた者達が少しでも休める場所――即ちこの場所に集まり、そのまま眠りに付いてしまったのだろう。

 そんな者達を、誰が咎められるはずもなく……と言う感じだろうか。

 

「あはは……そんなこともありまして、今は基本的に休憩所として使われてるんです」

「なるほどな」

 

 しかしこれでは食堂としての本来の役割が果たされているのかが疑問になるところだった。

 まぁ、食べる場所は別にここで無くともいいので、臨機応変ということなのだろうが。

 

「どっちにしても大変そうだ」

「そうなんだよ……大変なんだよ」

 

 返事を求めた発言ではなかったのに、返事があった。

 それも、まるで予想しない方向から、明らかにマリーシアやリリスとは違う声で。

 

 そちらを見ると、先ほどまで机に突っ伏していた神族の少女がいつの間にか顔を横に向けてこちらを見ていた。

 年齢的にはソラと同年代ぐらいの少女は、何故か疲れたような顔をしていた

 

「あ、あれ? あゆさん……?」

「あゆ」

 

 ソラが何と返そうかと考えていると、それよりも早くマリーシアとリリスがあゆと呼んだ少女へと歩み寄っていた。

 どうやら二人は、あゆと呼ばれたこの少女のことを知っているらしい。

 

「マリーシアちゃんにリリスちゃん……おはよう〜」

「お、おはようございます?」

「おはよう。あゆ、元気ない?」

 

 少女もまたマリーシア達のことは知っているらしかったのだが、リリスのいうように余程元気が無いのか、机から頭すら起こさずに手と口だけを動かしての応答となっていた。

 そのせいで頬が机に押し付けられ、年頃の少女としてはあまりよろしくない感じの顔になってしまっていたのだが……まぁそこは触れないでおこう。

 

 それよりも、どうしてこんな所に神族が? と一瞬考えてしまったが、おそらくは相沢祐一の仲間の一人なのだろう。

 城下にも何人も神族の者はいたのだから、ここにいるのだっておかしくは無い。

 

「うぐぅ……ほぼ徹夜で働いてたからさすがに疲れたんだよ……」

「徹夜って……もしかして復興作業ですか?」

「うん……」

 

 はぁ、と息を一つ吐くと、少女は気だるそうに身体を起こした。

 背中の翼が元気なく揺れているように見えるのは多分気のせいでは無いに違いない。

 それからごしごしと頬を擦ったが、そんなことでしばらく押し付けていた跡が消えるわけもなく、そこだけが赤くなってしまっていた。

 

「街が壊れちゃった原因はボク達にあるからね。楽をしてるわけにもいかないよ」

 

 やはり、とは思わなかった。

 少女が相沢祐一の仲間だというのは予想が突いていたし、驚く理由はなかった。

 

 眠気を飛ばすように伸びを一つした後、少女は今度はソラの方を向いた。

 頬が赤いままなのは多分気づいてはいないのだろう。

 

「そっちの人は、マリーシアちゃん達の友達かな?」

「友達というよりは知り合いだな。ソラ=リースティンだ」

「ボクは月宮あゆだよ、よろしくね」

 

 なんの躊躇いもなく手が差し出される。

 そこには神族によく見られる多種族を見下すような態度はまるで感じられず、ただ純粋な気持ちからの行動だというのがすぐに分かった。

 だからソラも差し出された手に自分の手を差し出し、握手を交わす。

 

「……わ」

「?」

 

 ……が、何故か握手を求めた当の本人が、手を握り返したソラを見て軽く驚きを見せる。

 

「あ、ごめんね」

「どうかしたのか?」

「ううん。……ただ、ソラ君は何も躊躇わずに対応してくれるんだな、って思って」

 

 苦笑気味の台詞で、ソラはあゆの言わんとしたことを悟る。

 きっとあゆは、現状に反対派の者のことを考えているのだろう。

 今はまだ国民の多くがそちら側にあり、ソラもそちら側、という予想をあゆはしていたのかもしれない。

 ……それでも躊躇いなく先ほどの台詞を言い、手を差し出してきた彼女はある意味大物かもしれないが。

 

「まぁ、そんな細かいことは気にしないことにしてるんだ」

「……」

 

 何でもなく答えたソラに、あゆは呆気に取られたような顔をする。

 しかしそれも一瞬で、すぐに満面の笑みを浮かべた。

 

「ソラ君、いい人だね」

「どうしてそうなった」

「あはは、ボクがそう思っただけだよ」

 

 ソラのような者は、もしかしたら意外に少ないのかもしれない。

 あゆからしたら、ソラのようなことを言う者が珍しいのだろう。

 種族間同士でのいがみ合いというのはもう長いこと続いてきたことでもあるのだし、そう簡単に割り切れない者が多いのだろう。

 

「ところで」

 

 ふと窓の方に視線を送り、あゆは首を傾げた。

 

「何だか外が騒がしいけれど、何かあったの?」

「……」

 

 どうやら彼女の評価には、どこか抜けているという点を加えておく必要があるかもしれなかった。

 

 

 

 結局あゆはあの後、現状をソラ達から聞くなり食堂を飛び出していった。

 城下へ向かったか仲間の誰かと合流しにいったのかは分からないが、見る限りそれなりの鍛錬も積んでいるようだったし、別に危険もないだろう。

 

「ソラ?」

 

 不意に袖を引かれて、ソラは思考を中断させた。

 

「ああ、悪い。ちょっと考え事してた」

「ぼーっとしてた」

「考え事をしてる人っていうのはそうなるもんだよ」

 

 心配してくれたらしいリリスの肩を軽く叩いてから、ソラは辺りを見渡す。

 

「しかし、本当大したもんだな。この中庭は」

 

 素人目に見ても分かるぐらいに見事に整えられた城の中庭は、見事の一言に尽きた。

 食堂のあと、他にも幾つかの場所を巡ってここに辿り着いたのだが、こればかりは驚かざるを得なかった。

 きっと優秀な庭師でもいるのだろう。一種の職人技ここに極まれり、といった感じの風景がそこには広がっていたのだから。

 

「私も初めて見た時は驚きました。木一本でも、作り物みたいに綺麗に整ってますから」

「マリーシア、その時ぼーっとしすぎて転んでた」

「リ、リリスちゃんそれは秘密って!?」

「……忘れてた」

「リリスちゃぁん……」

 

 ……聞かなかったことにしてあげよう。

 それに、実際に見入ってしまうぐらいに見事な中庭であるのは確かなのだから。

 

「こんな状況でもなければ、誰かしら休憩なりで人がいてもおかしくは無い場所だな」

「そ、そうですね。お弁当とか持ってくると楽しいと思います」

「いやそこまでしなくてもいいと思うけど……」

 

 別にピクニックをしたいわけでもない。

 それに、さすがにこの中庭目当てに弁当持って城に来るのは何か間違っている気がする。

 まぁ、確かにそれは子供らしい発想だとは思うのだが。

 

「リリスちゃんはどう思う?」

「うん。リリスも楽しそうだと思――」

 

 不意に、ぴくっとリリスの身体が震えた。

 話していた言葉を途中で切り、急に身体を回して城壁の方を見る。

 

「どうした?」

「リリスちゃん?」

 

 ソラ達もリリスが見ている方向に視線を向けたが、そこには城壁があるだけで他には何も見えない。

 

「何か、聞こえた」

 

 いや、違った。

 リリスは城壁を見ていたのではない。

 城壁の、"さらに向こう側の何か"を見ていた。

 

「……マリーシア、何か聞こえたか?」

「い、いえ……私には何も」

 

 城壁という分厚い壁を挟んでいるためか、外の混乱の声はここまでは殆ど聞こえてはこない。

 仮に聞こえたとしても、それはソラ達が気にすべきことでもなければ、特別反応する必要があるようなものでもない。

 

 しかしリリスはじっと城壁の方を見たまま、視線を動かそうとはしない。

 

「『助けて』って――聞こえた」

「……」

 

 嘘を言っているような様子ではなかった。

 そもそもリリスは嘘をつくような子でもなければ、この状況で嘘をつく必要もない。

 しかし、いくら耳を澄ませたところで、ソラには何の声も聞こえてこない。

 

「ソラさん」

 

 どういうことかと考えた時、マリーシアがソラの腕に触れた。

 

「耳じゃなくて、魔力の感覚を澄ませてみてください。……私にも、聞こえました」

「……ん」

 

 マリーシアに言われた通り、耳ではなく身体全体――魔力に対して感覚を集中させる。

 それは一瞬で済み、それと同時にソラの頭に、今まで聞こえなかった声が――。

 

『――た……け、て』

 

 ――聞こえた。

 

「こっち」

 

 同時、リリスが急に走り出した。

 

「あ、リリスちゃん!」

「追うぞ、マリーシア!」

 

 それに遅れ、ソラ達も駆け出す。

 リリスの言う通り、助けを求める声は聞こえた。

 それは実際の声ではなく、念話のような要領で発せられたものなのだろう。

 ただ――連絡水晶があるわけでもなし、姿も見えない相手の声が直接頭に響くというのが疑問だったが、聞こえたことに間違いはない。

 

「ソ、ソラさん、あの一瞬で聞こえたんですか!?」

「これでも魔力運用と操作は得意分野、感受性はそれなりだ!」

「な、なるほど……!」

「無理して喋らなくていい、バテるぞ!」

「はいっ」

 

 リリスの速度は大したものだった。

 子供だというのに、ほぼ全力で追いかけるソラが追いつける気配が無い。

 心配なのはマリーシアだったが、いざとなればソラが抱えて走ればいいだろう――本人は嫌がるかもしれないが。

 

 声のした詳しい位置は分からないが、何となくの方向は分かったのでリリスとそれを追う二人は真っ直ぐにその方向を目指す。

 城門を出たところで混乱する国民達の中に飛び込むことになってしまったが、辛うじて間を駆け抜けれないレベルではなかった。

 いきなり城の中から飛び出してきたリリス達に警備の兵が戸惑っていたが、悪いと思いながらも気にせずソラ達も駆け抜ける。

 

 城前の通りを抜け、大通りに差し掛かる。

 そこで、唐突に前を走っていたリリスの足が止まった。

 

「リ、リリス……ちゃん。ど、したの……?」

 

 既に息が切れ切れになってしまっていたマリーシアだったが、何とか声を絞り出してリリスへと問いかける。

 

「……声、聞こえなくなった」

「……そういえば」

 

 リリスに言われ、また感覚を澄ましてみる。

 しかし、先ほどまで聞こえていた声は既に聞こえなくなっていた。

 

「意識を失ったのかもしれないな」

 

 息絶えた――という線は考えにくいだろう。

 声は確かに助けを求めるものだったが、もうすぐにでも息絶えそうなほど細いものでもなかった。

 助けを求めてたところで限界が来て、意識を失ってしまったというところだろう。

 

「とりあえずリリス、大体の位置まででいいから行こう」

「うん、分かった。……マリーシア、大丈夫?」

「わ、私は平気……。気に、しないで」

「ん」

「キツかったら言ってくれ。背負うよ」

「は、はい……分かりました……」

 

 と言いつつも、マリーシアの性格上ギリギリまで我慢しそうな気がしたが、いざとなれば無理矢理にも抱えてしまえばいいだろう。

 ただ、極力無茶はさせない方がよさそうだった。

 一応、立場的にはソラの方が今は二人の保護者に当たるわけなのだし。

 

「歩いて行こう、この人ごみだとさっきみたいに走るといつか誰かにぶつかる」

「分かった」

「は、はい」

 

 ソラも声が聞こえた大体の位置は分かっている。

 ここは大通りで混乱で戸惑っている人も多い。

 ならば急がず、出来る限り接触を避けて動いた方が結果的に早く進めるはずだ。

 

 そう判断してソラ今度は先頭に立って歩き出し、その後ろにリリス達が続いた。

 声の方向は大通りから少し外れた辺りだ。

 それでも人通りは少ない場所ではなかったはずなので、おそらくはそこにも人が溢れているだろう。

 

「路地にいるかもしれないな」

「分かるの?」

「人通りがある場所で、誰も助けを求める状況の人に気づかないとは思えないからな。こんな状況でも、まだ皆それに気づけるぐらいには理性も残ってるはずだ」

「さすが、頭はちゃんと回ってるね」

「馬鹿にす――……おい待て」

 

 聞き慣れた声に、ソラはゆっくりと振り返った。

 

「や」

「……シフォンか」

「シフォンだ」

「マリーシアちゃんもリリスちゃんもやっほ」

 

 シフォンは軽く手を上げると、三人のすぐ傍まであるいてくる。

 

「混乱を何とかしに行ってるんじゃなかったのか?」

「ちょっとそのために問題が出来てね。時間無いから説明省くけど、ソラ。その助けを求めてたって人のところまで案内してくれる?」

 

 いつもなら笑顔を浮かべながら会話にも、今のシフォンは真顔だった。

 時間が無い――というより、おそらく切羽詰った状況なのは確かなのだろう。

 付き合いが長いだけあって、それぐらいはさすがにすぐに分かる。

 だからいちいち、この状況で「何故?」と聞くようなことはしない。

 

「行こう。シフォン、マリーシアとリリスがはぐれないように気をつけてやってくれ」

「うん、ありがとう。行こう、二人とも」

「あ、はい」

「うん」

 

 シフォンがリリスとマリーシアの手を取り、歩き出したソラの後ろに続いた。

 

 

 

「この辺り、だな」

「うん。この辺から聞こえた」

「……パッと見、おかしなところは無いけど」

 

 目的の場所に着いたが、やはり辺りを見渡しても人々の姿が見えるだけで、助けを求めるような者の姿は見えない。

 

「となると……やっぱり路地になるか」

「手当たり次第に調べてく?」

「……それしかないか?」

 

 見る限り、路地の数は結構なことある。

 この人ごみの中を縫って全てを探していくのは、かなりの重労働になってしまうだろう。

 

「こういう時に『そら』が飛べるといいんだけどなぁ……」

「分かりにくいニュアンスで俺に飛べとか要求するな」

 

 ため息混じりに吐き出し、もう一度周りを見渡す。

 探すにしても、手当たり次第だとあまりに効率が悪い。

 せめて何か当たりを付けないと――。

 

「……っ! こっちです!」

 

 そんな時、今まで黙っていたマリーシアが急に走り出した。

 あまりに急なことだったのでソラはぽかんとしてしまったが、残りの二人はどんな反射神経をしているのか、すぐにマリーシアに続く。

 ソラも何とかそれに遅れて駆け出した。

 

「マリーシアちゃん、なんで分かったの?」

「わ、私、気配とかには敏感なんです! まだ上手く読めないですけれど……これぐらい近ければ、何とか!」

 

 そういえばそうだった。

 マリーシアが気配とかに敏感、という話をすっかり忘れてしまっていた。

 

 マリーシアを先頭に三人は人ごみの間を抜け、一つの路地に入っていく。

 そこからさらに入り組んだ路地を何度か曲がると――。

 

「っ! いたっ!」

 

 シフォンが叫び、全員が見る先に、一人の少女が倒れていた。

 

「だ、大丈夫ですか!?」

「ストップ!」

 

 咄嗟にその少女に駆け寄ろうとしたマリーシアを、シフォンが手で制す。

 

「まさか一発目でビンゴとか運がいいのやら悪いのやら……」

 

 そう言ってシフォンは恨めしげに少女を――いや、少女の脇に視線を送る。

 そこにあったのは――球体状の、ソラは見たことが無いような物体。

 

「シフォン、あれは?」

 

 シフォンへとそう問いかける。

 少なくともシフォンのさっきの対応を見るに、安全な物ではないのだろう。

 ソラの問いかけにシフォンは一瞬口を閉じかけたが、この状況で黙っているのも意味がないと判断したのだろう。

 

「……爆弾だよ。最初に起きた爆発も、あれと同じものが原因」

 

 にが虫を噛み殺したようなその発言に、背筋がぞっとした。

 当然シフォンの声色にではない。

 そんな代物が、今この場にあるという事実にだ。

 

「え、じゃ、じゃあ早く助けないと――っ!?」

「だからストップだって! いつ爆発するか分からないんだから、マリーシアちゃんは近づいたらダメ!」

 

 シフォンは走り出そうとしたマリーシアの腕を掴み、その動きを無理矢理に止める。

 

「で、でも!」

「ああいうのは私達の仕事だよ、とにかく――近づかないで」

「リリスも?」

「当然。おねーさんの言うことは聞くものだよ」

 

 リリスにも釘を刺し、その上でシフォンは懐から携帯用の連絡水晶を取り出す。

  

「こちらシフォン。レイナ、聞こえる?」

『聞こえています。見つけましたか?』

「うん。入り組んだ路地にあったけれど、位置的に多分建物一つ挟んで大きめの通りがあると思う。こっちの気配追える?」

『問題ありません。そこの避難誘導をすればいいですね?』

「うん、お願い。あと、城の方に行って報告も頼める?」

『可能性はあるかもしれない、ということで報告は既にしてあります。爆弾の停止は出来ますか?』

「多分魔力を用いたものだと思うから、最悪はこっちの魔術で凍結停止出来るよ。私一人で問題なし」

『分かりました。シフォン、気を付けて』

 

 短い会話の後、シフォン連絡水晶をしまった。

 おそらく会話の相手は内容から察するに知り合いの兵だろう。

 どういった方法かは分からないが、事前に爆弾があることを知り、一緒に探していたのかもしれない。

 

「そういう訳だから、三人ともここから離れてくれる? あれは私一人でも何とかなるから」

「で、ですけど――」

「大丈夫なんだな?」

 

 納得が行かない――というよりはただ純粋に心配なのだろう。

 それでも口を開こうとしたマリーシアを、ソラは手を出して制する。

 代わりに一言、シフォンにそれだけを聞いた。

 

 シフォンはその言葉に、一瞬の迷いも無く笑みを浮かべ、

 

「もちろん」

 

 頷いた。

 

「ん」

 

 それを確認し、ソラはマリーシアとリリスの手を取る。

 

「行こうか、二人とも」

「うん、分かった」

「い、いいんですか……?」

 

 リリスは素直に頷いてくれたが、やはりマリーシアは思うところがあるらしい。

 が、残念だがあまり問答している時間が無いのも事実だ。

 ここは少しばかり強引にいかせてもらうことにする。

 

「ああ見えてもシフォンは馬鹿じゃないからな。出来ることと出来ないことの区別は付けれるよ」

「ちょっと、『ああ見えても』ってどういうことさ」

「……ま、あんな感じに突っ込むぐらいの余裕はあるんだ」

 

 よくもまぁ爆弾なんてものに気を配ったままこちらに突っ込めるものだと思うが……。

 ともかく、基本的にシフォンは頭が働く方だ。

 以前本人が言っていたようにじっとしていられずに動くこともありはするが、それでも完全に考え無し、ということはあまり無い。

 長い付き合いで彼女のそういったところは分かっているし、それ故にこういった場面では基本的には従うようにしている。

 一般人のソラと兵としての経験があるシフォンでは、どちらの判断の方が従うに値するかは明らかなのだから当然と言えば当然なのだが。

 

 もう一度マリーシアの手を引くと、やっとマリーシアはそれに従ってくれた。

 ……それでも納得したという表情では無さそうだったが、もはやこれは彼女の性格からくるものに違いない。

 しかし今はここを離れるのが最優先。

 悪いがその辺りを気にしているわけにもいかなかった。

 なので少しでも早くこの場から離れようと、ソラは二人の手を引いて歩き出し――。

 

 

 

「……ぉに……ん……」

 

 ――その声を、聞いた。

 

 

 

「え――」

 

 思わず振り返る。

 

 そんなことがあるわけがない。

 頭ではそんなこと分かりきっていた。

 "彼女"の声が聞こえるわけがない。

 絶対に、そんなことは有り得ない。

 

 だが、振り返ったソラの視界に映った少女。

 その姿は、ソラの知る"彼女"と瓜二つで。

 年月こそ経たが、はっきりと分かるぐらいにそっくりで。

 

 だからこそ、ソラは信じることが出来なかった。

 

 

 

 だって、"彼女"は――。

 

 

 

「……ア、キ?」

 

 

 

 ――アキ=リースティンは――。

 

 

 

「え、嘘……?」

 

 

 

 ――もう、この世にはいない存在なのだ。

 

 

 

  あとがき

 

 どうも、昴 遼です。

 無駄に長くなりましたが、後編をお届けします。

 

 さて、今回の重要人物がもう一人出てきました。

 まぁ1シーンだけですが……彼(彼女?)もまた重要な役割を持っているキャラです。

 今後にどう絡んでくるのか、お楽しみに。

 そしてもう一人。

 前回の発言などで分かってた人も多いと思いますが、こちらもまた重要なキャラ。

 そして、ソラに対してもっとも影響力の高いキャラです。

 ……正直一番動かし方が面倒なところなので、今後どうなるかちょっと不明ですが……まぁ見守ってくださいませ。

 

 

 

 では少々キャラについて補足。

 シフォンですが、文中でも言われているように決してバカじゃないです。

 きちんとその状況に基づいた思考と判断が出来、行動もしっかり取れる子です。

 ただしその性格上、我慢出来なければ飛び出す――といった具合のキャラ付けになっています。

 まぁたまに抜けている面も当然あるわけなのですが……そこは割愛。

 

 こんなところかな?

 もうちょっと補足したいところとかキャラもいるんですが、あんまり言ってしまうとネタバレになりかねないので今回はこの辺りで失礼します。

 

 それでは、また次回会えることを願って。