第21話 「2種類の戦い」
目の前の光景が、信じられなかった。
晃也が、お嬢を庇って倒れた。
――――それも、笑って。
ギリ……!!
血が滲むほど、強く歯を噛み合わせる。
『何で…、もう少し速く来れなかった…!!』
祐一は、目の前の光景を、凝視している。
それだけで人を殺せそうなほどの殺気を纏わせて。
『未練ばかり残しているから…、こういう事になる…!! 判っていた…筈なのに!!』
完全に地面に伏してしまう晃也。
だが、祐一はその場から動かない。
動けるはずがない。
此処で動いたら、晃也の誇りを傷付けてしまう。
――――戦いには2種類ある。
――――絶対に、何があっても勝たなければいけない戦い。
――――そして勝敗とは無関係な、自分の誇りを守るための戦い。
信念を、誇りを賭けた戦いに、手出しする事なんて出来ない。
あの場で晃也に手を貸していいのは、お嬢だけだ。
あの場で手を貸せる権利があるのは、お嬢しかいない。
だから、祐一は刀を抜いた。
――――まだ、残っている…。
岩陰などから漏れている、僅かな気配。
仲間のやられていく姿を見て、真っ先に逃げ出したクチだろう。
――――そんな選択をした奴は、許さない。
――――今の俺は、過去最悪なほどに優しくはなれない。
――――自分自身の怒りを抑えるために。
祐一の目が、徐々に殺意だけを灯していく。
「ふっ…!!!」
『神速』を発動させ、風のように隠れていた者たちの前に立つ。
その数、10人。
相手にもなりそうに無いほど、脆弱な感触。
「ヒッ…!」
一様にそんな声を出して、後ろへ逃げようとする。
「裏切りを考えるような奴だけは、許すつもりは無い。 此処で、死ね。」
それだけ言うと、再び祐一は『神速(しんそく)』を放った。
10秒後、そこは紅(あか)の空間となっていた。
鮮血と、タンパク質の塊が残るその空間で。
あゆの事しか考えられなかった自分を、恥じた。
気付いていたのに、死んだ者を追いかけた自分に。
それで、また失ってしまうかもしれないのに。
その事実を前に、祐一はゆっくりと涙を零した。
目の前には、完全に意識を失っている晃也。
動くそぶりすら見せない。
…酷い、傷だった。
体中の骨と言う骨が砕けているのが丸判りだった。
両腕はそれぞれ逆に曲がり、両足も同様に。
肋骨の一部は体から飛び出ている。
額は割れ、どくどくと血を流し続けている。
――――それでも死んでいないのは、晃也が-完全ではないとはいえ-覚醒していたからだ。
『魔族』としての力を、最大限に。
今の晃也は、再生能力と耐久能力が、前と比較出来ないほどに上がっている。
以前までの晃也のままなら、確実に死んでいた。
尤も、このまま処置をせずに放っておけば、10分ほどで死んでしまうだろう。
虚ろな眼をしたまま、お嬢はゆっくりと晃也の姿を見る。
膝が、笑っている。
手が、震えている。
晃也に手を差し出す事が、これほど難しいなんて。
お嬢は、そんな状態の中、晃也にそっと触れた。
そこでようやく、まだ生きている事を確認した。
体の震えが、唐突に止まる。
――――あぁ、恐怖していたんだ。
――――晃也が目の前で死んでしまうという事に。
お嬢の目に、ようやく光が灯った。
「ごめんね、晃也。 もう少しだけ待っていて。 もう、迷いは無いから。」
簡単な言葉を、眠っている晃也に掛ける。
そして、そっと頬に口付けをした。
聖母を連想させる様な、優しい眼で。
顔を上げる。
「速く決着を付けないといけなくなったから。」
もう、優しい瞳は存在していない。
「始めよっか。」
ただ見える相手を殺すための、魔術師としての瞳に。
「殺し合いを。」
変化していた。
それでも、佐祐理は虚ろな瞳のままだった。
心は何かに預けている様な。
それでも、危険は感知しているのか、魔術の詠唱は始めていた。
「『Collapse Self(崩壊する自我)』…。」
佐祐理の言葉によって現れたのは、またも球体だった。
今度は純白だった。
『Collapse Self(崩壊する自我)』、名前の通り、自我を崩壊させる精神異常系の
魔術である。
神経やその他の重要部分の回路を壊してしまうのだ。
そうすれば人は弱いもので、あっという間に自我は崩壊する。
その白い球体が、お嬢に向かっていく。
だが、今度のお嬢は全く慌てていない。
冷静さを欠いた先程までの状況とは、全く違っている。
自身を殺し、世界を取り込む魔術師の姿へと戻っていた。
「…『Kill Edge(存在すら殺す刃の舞)』。」
静かに唱える。
その魔術もまた、お嬢の本領とはいえない魔術だった。
お嬢の手が、魔力の波動を纏い、その波動が伸びる。
伸びた波動は刃となり、
「…消えて。」
お嬢が腕を一振りすると、白い球体は真っ二つに裂けた。
成す術も無く、消えていった佐祐理の魔術。
今度は、掠る事すらさせない。
今のお嬢は、それほどまでに強かった。
それ以上に、戦局がよく見えていた。
「ボクの甘さのせいで、また晃也を苦しめた…。」
手を包む魔力の波動が大きくなり、さらに長さが伸びる。
その長さは、香里の長槍にも劣らないほどになった。
伸びた刃は、佐祐理の頬を掠める。
音も無く、頬から一筋の紅が流れる。
それでも、佐祐理は微動だにしない。
ただ、お嬢の独白を静かに聴いている。
――――聞こえていないのかもしれない。
――――佐祐理の目は、虚ろなままだから。
――――砕けた心は、未だ戻らぬまま。
だが、そんな事は関係無いと言わんばかりに、お嬢は語り続ける。
「ボクが『戦い』を知っていたら、こんな事にはならなかった。」
手を地面に振り下ろす。
魔力の刃が、地面を抉っていく。
大地が深く裂ける。
――――それは、お嬢の心を表しているようで…。
「さぁ、行くよ…。 『Shoot Edge(命を穿つ刃の弾丸)』…。」
お嬢が手に纏っていた刃が、佐祐理に向かって放たれる。
それは一撃だけではない。
二撃、三撃、四撃…放たれる刃たちは止まらない。
佐祐理は虚ろな目のまま、穏やかに魔術を詠唱する。
「My heart which is not in sight of me.
私には見えない私の心。
The world where it is reflected in my eye.
私の眼に映る世界。
The both are immeasurable.
そのどちらも広大無辺で。
Aim at the point without ending.
果てる事無い、その先を目指して。
Respond.
応えなさい。
『Gate of Gospel(全てを望む福音の門)』。」
佐祐理を守るように現れたのは、白い穴。
お嬢の『凶器の門』の、丁度正反対にある魔術なのかもしれない。
全てを殺すための、『Gate of Arms(全てを奪う凶器の門)』。
全てを守るための、『Gate of Gospel(全てを望む福音の門)』。
そしてその構図に気が付いたのか、お嬢も刃を止め
「『Gate of Arms(全てを奪う凶器の門)』…。」
作られた構図どおりの魔術を使う事にした。
その上で叩き潰すと。
全てをねじ伏せた上で、佐祐理だけは殺すと言う意志を全身に漲らせて。
「………。」
もう、魔術の詠唱意外では、何も喋らなくなった佐祐理。
心は全て、預けてしまったのだ。
たとえこの戦いに勝ったとしても、未来など無い。
…もしかすると、佐祐理はそれを望んでいたのかもしれない。
全てを失ってしまった。
ほんの1週間前までは全てあった幸せが、全て消えてしまったのだから。
父もいない、弟もいない…親友さえもいない。
そんな世界で生きていけるほど、倉田佐祐理は強くなかったのかもしれない。
目は虚空を捉えたまま。
対するお嬢は、全く違う。
眼には明らかに生気が宿っている。
自分のやるべき事が何なのか、しっかりと判っているから。
やるべき事をやるまでは、自我を失う事は出来ないから。
それが、今のお嬢を動かしている。
「決着をつけよう、人間の魔術師。」
その言葉が、引き金。
お嬢の黒き門から、一斉に飛び出していく凶器たち。
それを全て飲み込んでいく、佐祐理の白き門。
白が黒を飲み込むのか。
黒が白を飲み込むのか。
それだけが、この勝負の分かれ目。
――――時間が過ぎていく。
1分、2分、3分…、着々と晃也の気配が薄くなっていくのがわかる。
焦ったら負け。
そんな事は、判っている。
それでも、失うわけにはいかない人だから。
…誇りを捨ててでも、この一瞬で倒す…!
先ほど浮かんだ全てをねじ伏せると言う意思とは裏腹に、空いている左手に魔力を込める。
狙うはただ一つ、隙だらけの佐祐理の右脇腹…!
お嬢の眼に、違う意識が灯った瞬間、
――――不意に、晃也の声が聞こえた。
『頑張れ。』と。
瀕死に近い状態で、自分の事を気にしてくれた。
そのせいで、余計に苦しむ事になると言うのに。
――――ああ、やっぱり自分は馬鹿だった。
それを気付かせるには、充分だった。
この戦いは、今この場での戦いだけは、晃也の戦いなんだ。
晃也が最も大切にする誇りを捨てて、晃也が喜ぶはずがない。
『ごめんね、晃也。 もう少しだけ、我慢してて…。』
その瞬間、お嬢の魔力が一気に膨れ上がった。
何かが、お嬢の魔力と合わさったように。
黒が、白を飲み込んでいく。
まるで、絵の具のように。
純白のキャンバスが、黒く塗られていくように。
お嬢の黒が、佐祐理の白を完全に飲み込んだ。
ザシュッ…………!!!
表現するのもおこがましいほど、とてつもない音が辺りを包んだ。
お嬢から放たれた全ての凶器が、一瞬で佐祐理の体を蹂躙した。
倉田佐祐理と言う小さな的に、余す所なく刺さった凶器たち。
その目の前の光景を一瞥すると、お嬢はその場に背を向けた。
――――守るべきこと、見失わなかった。
お嬢のその表情は、輝かしいほどに綺麗だった。
いつもの幼さを、感じさせないほどに。