第20話 「崩壊 −序曲−」
日を改め、あの夜と同じように、2人の魔術師が向かい合う。
だが、あの夜とは心持が違いすぎる。
佐祐理の心には、怯えしか映っていない。
――――勝てるはずが、ない。
あの日、あれだけ手加減されて殺された。
舞がいなければ、確実に消えていた命の灯火。
今日の『死合(しあい)』は、完全に本気。
羨むほどの魔力を持ち、最強を思わせる魔術を行使する少女。
その存在、遠すぎるその存在が、本気。
手が、震える。
足はもう、震えっぱなしだ。
膝が笑っている。
「甘えは許さないよ。 あなたは、それだけの事をした。」
冷たい声。
前から聞こえてくる冷たい声が、私の心を砕いていく。
私のせいなのかもしれない。
こんな事をしなければ、北川さんも舞も香里さんも死ぬ事はなかった。
『Kanon』のみんなも、死ぬ事はなかった。
…ごめんなさい。
私があの夜助かったせいで、死なせてしまった。
…ごめんなさい。
それなのに、自分が助かる事しか考えていない自分がいる事を。
「…戦う事も、しないつもり? みんなを巻き込んで、自分だけ逃げるつもり? そんなの…、
絶対に許さない。」
また、前から冷たい声が聞こえる。
私の心を全て見透かしているような声。
そう、倉田佐祐理は今でも逃げる事しか考えられないから。
怖い。
死ぬのは、怖い。
見慣れていることだけど、自分が死ぬのは…、怖い。
一弥も死んで、大切な友達が死んで。
それでも、怖い。
私しか生き残っていないのが判っていても。
「話も、通じてないようだね。 じゃあ、もうお終い。 あなたは、あなたの罪の大きさに
潰されながら、この場で死になさい。」
目の前に見える、魔力の輝き。
…あぁ、間違いなく死ぬ。
あれが当たれば、どんな奇跡が起こったって助からない。
死ぬ。
死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ…!!
魔力の塊が、目の前にやってくる。
――――嫌だ。
死にたくなんて、ない!
「いやぁぁぁっっ!!!」
無我夢中で自分の目の前に盾を形成する。
此処に来て、なぜか目の前の魔弾が止まった様な速度に見える。
これなら、間に合う。
震えている全部の部分(パーツ)を強制的に動かして。
目に見える魔弾を、消滅させる…!!
「『Broken the Dream(砕け散る空の夢)』!!」
何も考える事が出来ないまま、頭に浮かんだ言葉を詠唱する。
目の前が、真っ白に光る。
…暖かい。
その温かさの中に、まどろむ様に体を預けた。
「………。」
お嬢は、何も言えなくなる。
あれほど怯えていた佐祐理が、この一瞬でこれほどの魔術を繰り出すとは予想もしなかった。
こんな魔術、見た事がない。
自分が全力で打った魔術を弾き返せる防御魔術は、数少ない。
そんなお嬢の魔術を、佐祐理は消し去った。
危険。
危険危険危険危険――――――――!!!
その言葉が、壊れたテープのようにお嬢の脳裏に流れる。
数え切れないほどの死線を潜り抜けてきたお嬢の勘が、そう告げていた。
だから、唱えた。
「『Wolf Fang(白狼の爪)』!!」
お嬢らしくない、魔術師らしくない、心が動揺したままの状態で。
それを、今の佐祐理は見逃さなかった。
眼は虚ろなまま。
どこかに心を預けてしまったような、そんな表情。
だが、口はひとりでに魔術を詠唱し始めている。
透過した心のまま唱えられる魔術は、魔術師にとって最高の結果を伴い、。
「『Patels Wall(花弁の城壁)』…。」
自分の口が、勝手に最強の盾を形成していく。
昨日、初めて見た魔術を。
目の前で起こる、魔術のぶつかり合い。
――――ああ、そういえば。
目の前の少女は、『私たちの戦いは魔術を競い合う事』って言っていた。
ぼんやりとした思考の中で、佐祐理はそんな事を考えていた。
――――つまりは、この戦いだ。
今なら、勝てる。
魔術が爆ぜる様な音を立てている。
花弁たちが軋む音を上げ続けている。
佐祐理は、それを全く気にした様子もなく。
「All the lives that state this world.
この世を謳う、全ての命。
The world is a limitation.
世界は有限を。
The heart expresses infinity.
心は無限を。
"existence" and "nothing" -- a crystal
『有』と『無』の結晶よ。
inconsistency is symbolized -- a crystal
矛盾を象徴する結晶よ
A figure is shown here now and my enemy can be shot.
今ここに姿を示し、我が敵を討て!!
『InfinityLimited(有限に潜む無限の鼓動)』!! 」
己が内から浮かんできた言葉を、口にした。
そこに出来上がったのは、漆黒の球体。
…『InfinityLimited(有限に潜む無限の鼓動)』、それは禁忌の魔術。
過去にたった1人だけ、使う事の出来た魔術。
弱気『人』の中で、最も強いと言われていた魔術師が使う事を許された魔術。
ガンドという拙き魔術を最上級にまで昇華させた、最強の――――。
それは、あまりにも危険すぎる内容だった。
漆黒の球体が、自我すら崩壊させる。
そんな『狂気』と呼べるほどの痛みを伴った、魔術。
それが、お嬢の元へと向かう。
ただ真っ直ぐに、恐ろしいほどの速さで。
周りの景色を喰らいながら、突き進んでいく。
――――瞬間、一陣の風が吹いた。
それは何か大切な物が、壊れるような雰囲気を残して。
それは何か大切なモノが、消えてしまうような感覚を感じながら。
目の前の視界が、突如として消える。
体が、飲み込まれていくようだった。
その光景を。
自分が受けるはずだった魔術を、目の前で見ていた。
ただ呆然と。
大切な人が、自分を庇って倒れていく姿を。
滅多に笑わないくせに。
場違いなほど、一生懸命に笑みを浮かべながら。
一番大切な晃也(なかま)が、倒れていく姿を。
目の前で、行われている魔術戦。
だが、戦闘に参加しているお嬢は、いつもと様子が明らかに違う。
動揺したまま、魔術を放っていた。
「チ…!」
思わず舌打ちをしてしまう。
状況判断が出来ていない状態で、お嬢は魔術を行使した。
それはすなわち、攻撃が失敗すれば確実に殺されるような行為。
魔術師が最もやってはいけない事を、お嬢はやってしまった。
予想した、最悪の状況になっていく。
このままでは。
あの魔術を受ければ、お嬢は確実に死ぬ。
だったら、こんな所でのうのうと座っているわけにはいかない。
受け持った所の責任を快く引き受けてくれた奴を、死なせるわけにはいかない。
――――同じ『亜族』だけは、死なせるわけにはいかない。
――――まだ、今の時点ではそれを許すわけには行かない。
―――――あくまで、幕を引くのは――――
「…ッ!!」
痛む体。
軋む筋肉。
崩壊していく体。
それらの音を聞きながら、
「あああぁぁぁぁぁっっっ!!!!」
身体の悲鳴を完全に無視し、『神速(しんそく)』を発動させた。
―――――ただ自分の目的の為に。
漆黒の球体の速度は、半端じゃない。
1段階目…全然足りない。
2段階目…まだ、足りない。
3段階目…もう、少し。
心が、意思が4段階目に移行しようとする。
だが、体が受け入れるのを拒否し始める。
――――使えば、死ぬぞ。
だから、どうした。
救ってもらった命、今の仲間の為に使わずに何処で使う。
――――自分には関係ない、放っておけ。
そんな事。
俺が俺である限り、絶対にありえない。
仲間を守る、そう誓ったから。
今はまだ、それを反故する事など出来ない。
――――全てを、失う事になるぞ。
知っている。
そんな事、百も承知だ。
だが、やらなければならない。
俺の命は、『亜族』の皆と、あいつの魂と共にある。
終わらせる時は、今じゃ駄目なんだ。
――――頑固者が。
ああ、知ってる。
そんな事、7年前以前じゃないと覆せないさ。
済まない、最後の最後まで我が侭に付き合わせて。
体が吐露してきた弱音を、全て叩き伏せる。
そして、ようやく晃也を司る全てが、迷う事無く『神速(しんそく)』4段階目を発動させた。
「ぐあぁぁぁぁっっっ!!!」
自身の心までが砕け散ってしまいそうな痛み。
負担は足だけにしかかからない筈なのに。
腕も、体も、頭でさえも動かなくなっていく。
完全にスローモーションに映る、漆黒の球体。
その球体とお嬢の間に、体を滑り込ませる。
――――あぁ、間に合った。
――――これで、守ることが出来る。
――――大切な人の命と、神聖だったあの闘いの地を。
――――…良かった。
そして、全ての力を失ったのか。
体の力が、全て抜けた。
「……っっっ!!!!!!!」
猛烈な痛みが、意識と体を刈り取っていく。
だが、声には出さない。
出してしまえば、お嬢は正気を取り戻して、俺を助けようとする。
そうなったら、2人ともやられるかもしれない。
だから、出さない。
絶対に出してなんかやらない。
体が、ばらばらになっていくような感覚。
『神速(しんそく)』を乱発した体が、終わりを求めている様だ。
――――限界、か。
漆黒の球体の、拷問の様な責め苦が終わる。
球体が消え去ったと同時に、晃也は体を支えられなくなった。
倒れる前にお嬢の顔を見る。
呆然として、でも泣きそうで、何が起こっているのかを理解できていない顔。
――――愛しい顔。
でも、そんな顔を見たいわけじゃないんだ。
――――だから、お願いだから。
――――いつものように、笑ってくれないか?
だから、晃也は精一杯の笑みをお嬢に向ける。
痛みに引きつりながらも、真っ直ぐお嬢に。
場にそぐわないほどの、眩しい笑顔で。
そして、晃也は、完全に地面に伏した。
呆然と立ち尽くしたままの、お嬢を残して。