第19話 「魔術師、お嬢」






































「晃也、大丈夫?」

残った3万のほとんどが放った魔術をあっさりと防御したお嬢が、晃也に問う。

それは仕方の無いことだろう。

一目で見て、晃也がぼろぼろなのが判るほどなのだから。

「ああ…、生憎少しの間は動けそうにないがな。」

お嬢の出現によって気が抜けたのか、地面に座りながら答える晃也。

腕は小太刀の重さだけでも痙攣するほど、疲弊しきっている。

それを見られまいと、小太刀を地面において寝転がる。

「本当は、お前に戦ってほしくない。 でも今は、この場だけは守ってくれ。 頼む、お嬢。」

眼を細めなければいけないほど光る太陽を見上げながら、お嬢に頼む。

この場だけは。

この場だけは、譲れないんだ。

そう口にする事は無かったが、お嬢には届いた。

その、魂から湧き出るような声が。

語ってしまえば、その価値が下がってしまうほどの戦いだったのだろう。

晃也の満足げな表情が、全てを語っている。

あれだけ嬉しそうな−と言っても、ほとんど無表情だが−表情(カオ)を見せられては。

「うん、任されたよ。 晃也と、助けはしないけどあの人はちゃんと守ってあげる。」

晃也とお嬢が話している間に、『人間』たちは第2陣の魔術を詠唱する。

チャンスはこれっきりなのだ。

傷をあれだけ負っている、この瞬間しか。

だから、必死だった。

自分の持ちうる最強の魔術を、それぞれが詠唱していく。

それは、剣士の者であっても例外ではなかった。

みんながそんな状態なのに、佐祐理はその場から後ずさった。

――――判っていない。

あの魔術師が規格外なのを、みんなは判っていない。

あれは、バケモノ。

普通の魔術師であるうちは、決して勝てないような大きな壁。

あれを超えるには、幾千・幾万の死線を越えなければ追いつけない。

…足が、震える。

これから起こるべき事が、眼にはっきりと浮かぶ。

なまじ戦闘経験があるのがいけなかった。

もし戦闘をしていなければ、私もあの中に入れたはずなのに。

――――迷う事無く、みんなと一緒にこの世から去る事になっただろうに。

足が自分の意思に反応するように、後ろへ後ろへと進んでいく。

逃げ場なんてないのは、佐祐理はとっくに理解している。

それでも、込み上げてくる恐怖に耐えられなかった。

涙が勝手に浮かんでくる。

これから、確実に死ぬ人への哀悼?

…違う。

『亜族』の3人の殺人行為の怒り?

…それも、違う。

ただ恐怖だけだった。

初めて知った。

人は心の底から恐怖するだけで、涙が出てくるものなのだと。

「魔術師、水夏がお相手します。 さぁ、始めよう?」

恐れるべき子供の声が、その場を支配した。

その瞬間、佐祐理の前方から、魔術が放たれた。

先程よりも、若干大きい量の魔力の塊がお嬢を襲う。

あれほどの差を見せ付けられて、まだ判っていなかったのか。

お嬢は余裕の笑みを崩さずに、

「…『Fix the Air(固定される大気)』。」

先程とは違う手で、魔術を完全に防いだ。

自分の前方の空間を、全て固定した。

年端も行かない少女の、呟いた一言によって。

まだ自分は、本気すら出していない。

暗にそう言っているようで。

瞳に映るのは、行き場を失った魔力の塊が。

それを見て、お嬢はまた笑う。

「その程度? それだけ人数がいるのに、この程度なの?」

明らかな挑発。

最も、張本人のお嬢はそんな気持ちを込めたわけではない。

ただ純粋に、この程度なのかと問うているだけ。

お嬢の能力は、これまでの戦闘の中で、飛躍的に上がっていたからこその言葉なのだが。

だからこそ、余計に『人間』の落胆は激しかった。

あれだけ全力で撃ったのに。

それも、数にものを言わせた最強の攻撃だったのに。

それを、1人の少女が、あっさりと防御しきったと言う現実に。

「もう動けないの? じゃあ、終わりにしよっか。」

軽い口調でお嬢が言う。

そして、静かに詠唱を始める。

「……『Gate of Arms(全てを奪う凶器の門)』。」

その言葉によって姿を表したのは、暗い門。

漆黒に穿たれた穴からは、『死』の香りしかしない。

暗い、暗い『死』の世界の門…。

「この魔術は、晃也の世界には勝てないからあんまり使わないんだけど…。 でも、今回は

晃也の後を任されたんだから。 このくらいは、やらないとね。」

そう言って、にっこりと笑った。

この場にそぐわない、本当に和むような笑顔で。

「じゃあ、これでお終い。 晃也を此処までしたんだから…、覚悟は出来てるよね?

さようなら…『人間』さんたち。」

お嬢は、そう言って右腕を前に突き出す。

その瞬間、漆黒の門からは大量の凶器が出現する。

剣・刀・槍…多種多様な凶器達が、次々に現れる。

そしてそれらは、全てが意思を持っているかのように、残った人間全てに襲い掛かっていった。

直後に聞こえるのは、悲鳴だけ。

――――死屍累々。

その言葉が、これほど似合う状況は他にはないと思わせるほどの。 

無限に出現する凶器たちは、見るも無残なほど『人間』を食い尽くしていく。

刺さる所などもうないという者にさえ、容赦は無い。

お嬢の紅の瞳に写るのは、同じ位に紅い風景だった。

――――鮮血の舞う景色。

それは、信じられないくらい、美しい光景に見えた。

…本当に、あっという間だった。

晃也は5万人を殺すのに、あれほどの時間を要したのに。

お嬢はものの10分で、残った全ての人間の命を奪い尽くしていた。

いくら晃也と言えども、どれほど多対一に強いと言っても、お嬢には敵わない。

剣士と魔術師では、その適性に大きな差がある。

こと、多対一に関しては、お嬢は最強だった。

――――それこそが、最強の魔術師と呼ばれる所以(ゆえん)。

晃也もそれを判っているのだろう。

『意地なんて張らないほうが良かったか。』

そんな表情で、お嬢の背中を見つめていた。

抵抗の跡は見えない。

もう、判っていたのだろう。

――――あの、魔術を防がれた時点で。

逃れようのない、『死』の匂いに。

屍だけが残る場に、まだ1人『人間』が立っていた。

それは、倉田佐祐理だった。

足は恐怖によって震え、眼は虚ろな状態の。

自分が描いていた未来が、本当に出来上がったことに絶句するしかない様子で。

呆然と、その場に立っていた。

「貴女は、こんな魔術では殺さない。」

お嬢の冷たい声。

「ボクの甘さのせいで、晃也をこんな目にあわせてしまった。」

表情は、不自然なほどの笑顔。

「甘い自分も許せない。」

ただ、その姿からは、明らかな『怒』の雰囲気を感じた。

「でも、それ以上に姑息な手段に走ったあなたが許せない。」

ゆっくりと、佐祐理の元に歩いていく。

「だから決着は、あなたとボク、2人だけで決める事にした。」

お互いの距離は2メートルほど。

そこまで来て、ようやくお嬢は立ち止まる。

「さぁ、お互いの命を賭けて…殺しあおう?」

紅い瞳を輝かせて、お嬢はそう言った。





































「くっ…。」

痛む体に顰め面をしながら、祐一は立ち上がった。

今は、こんな所で泣き言を言っている時じゃない。

不自然なくらい、晃也の気配が薄くなっている。

魔力の波動も、信じられないくらいに薄い。

これは、何かがおかしい。

晃也の事だから、万が一にも死ぬ事は無いとは思う。

だが、この気配は、明らかにおかしい。

「くそ…、過去を振り返る時間もないのかよ…。」

呪詛の言葉を吐くように、拗ねた口調で祐一は呟いた。

『人形(あゆ)』の体から、『高月(こうづき)』を引き抜く。

相当精巧に出来てあるのか、擬似的な血液らしき物まで出てきた。

その醜態に、思わず舌打ちする。

この顔をしている以上、どうしてもそんな姿を見せられるのは嫌だった。

――――このまま、放っていくわけにも行かない。

祐一は、幾分不得手な魔術を地面に向けて発する。

威力は、かなり加減したのか、出来た穴は人1人がようやく入るほどの大きさだった。 

その穴の中に、Hあゆの体を入れる。

壊れ物を扱うように、ゆっくりと。

土を、再び戻す。

そして、心配事を全て意識の外にやって5秒だけ黙祷した。

その5秒は、本当に全てを忘れ、ただあゆの事だけを祈った。

――――あの頃の記憶が、嫌なくらい鮮明に浮かび上がる。

それは、幸せな記憶から、最悪の記憶まで。

自分がどれだけ幸せで、自分がどれだけ失ったのかが容易に判るほど。

それでも、この記憶は大切だから。

失うわけには、いかないんだ。

どんなに嫌な思いをしていても、これは俺が愛した奴との思い出だから。

全てを覚えている事は出来ないかもしれないけど。

絶対に無理だって言われるかもしれないけど。

でも俺は、覚えていたいと願うから。

今でも眼を閉じれば容易く見える。

蘇りしは、あの頃の僕ら。

愛しいと想えた、瞬間。

もっと感じていたかった、心を。

できるなら、いつまでも過去にすがりたい。

いつまでもそこに居たい。

いつまでも、たゆたっていたい。

わかっている。

手から滑り落ちたものはもう戻らない。

過ぎ去りし時は戻らない。

――――それでも。

できるならもう一度。

この手で。

俺の、この両腕で。

抱きしめたい。

貴女だけを。

俺の愛した、月宮あゆを。

『必ず…、終わらせるから。』

口には出さず、そう伝えた。

そして、後ろを振り返る事無く走り出した。

あとは、ただ仲間の為に走らないといけない。

痛む体を強引に動かしつつ、祐一は晃也のいる場所へ走った。

まだ自分のやるべき事は終わってない。

確信に似た何かを、抱きながら。