第18話 「本当の別れ」






































「はぁはぁはぁ…。」

粘度の高い血液が、体外へと流れていく。

少しずつ、意識が遠くなって行くのを感じる。

そして、祐一の意識と同じく、世界も消えていこうとしている。

時間が無い。

こんなところで、終わるわけには行かない。

――――ただ、約束を守りたいんだ。

――――あの日に誓った、約束を。

「いくぞ…『空魔(くうま)』!!」

掲げた右手の指を鳴らし、左手の『空魔(くうま)』を解放させる。

そして、失われていく体力を全て使うと言わんばかりに『神速(しんそく)』を発動させる。

勝負は、この一撃。

無限の−明らかに歪な−剣たちは、迷う事無くHあゆへと向かう。

そして、『空魔(くうま)』も。

祐一の全てが、淀みなくHあゆに向かっていく。

「あぁぁぁぁっっっ!!!!」

祐一の叫びが、歪な世界の中に響く。

そして、全ての剣がHあゆの体を貫いた。

それで、全てを使い果たしたのか。

祐一は、結果を見る事無く、その場に伏した。

さっきまで出ていた血は、もう止まっていた。

自分自身を構成している、全ての細胞を完全に破壊されたHあゆ。

――――もう、動く事は無いだろう。

1度の願いに答えてくれた、剣の世界が消えていく。

――――夢を、見ている。

あの日の夢。

全てを、一瞬で失ったあの日。

そして、残された3人で誓った約束。

でも俺は、みんなの為に誓ったんじゃなかったんだ。

俺が救いたかったのは、たった1人。

――――1人だけだったんだ。

俺の目の前で殺された、あゆ。

俺が愛した少女の為だけに、あの日誓ったんだ。

ごめん、嘘をついてて。

でも、こればっかりは訂正しない。

確かにみんな大切だったけど、あゆは特別なんだ。

全てが特別すぎて、どう形容すればいいか判らないほどに。

『ありがとう。』

……え?

何処からか、死んだはずのあゆの声が聞こえてきた。

目の前が、薄く発光している。

すると間もなく、あゆが実体を伴って現れた。

『ありがとう。 ボクをそんなに、大切に思ってくれて。』

……あゆ?

『うん。 今祐一くんが眠っているおかげで、こうやって喋れるんだ。』

…そっか。

久し振りに聞いたな、あゆの…優しい声。

『うん。 ボクも久し振りに聞いたよ、祐一くんの優しい声。 こうやって、ずっと話して

いたいけど、時間があんまりないんだ。』

どうして?

俺は、このままあゆたちの所に行くんじゃないのか?

『違うよ、祐一くん。 祐一くんは、まだやる事が残っているから。 だから、ここで最後の

お別れをしないと。』

…お別れ?

どういう事だ、あゆ?

『もう、こうやって声を聞く事もなくなると思うんだ。 ボクは、もう死んじゃってるから。

だから、こうやって言える内に、しっかりと言っておきたくて。』

…嫌だ!

お別れなんていうな、あゆ!

俺は、ずっと聞いていたいんだ!

お前の、声だけを…!

『ありがとう、ボクをそこまで思ってくれて。 本当に、嬉しいよ。 でも、だからこそ

ちゃんとお別れがしたかったんだ。 祐一くんがボクを思ってくれているように、ボクも

祐一くんが好きだったから。 お兄ちゃんがいっつも怒ってたけど、ボクは祐一くんとの

時間が大好きだったから。 だから、大切だから、ちゃんとお別れしないと。』

…嫌だ、嫌なんだ!!

お前がいない世界なんて、意味がないんだ!!

俺は、お前が必要なんだ!!

『それは、嘘。 祐一くんらしい、とても優しい嘘。 大丈夫、祐一くんはもう乗り越えてる。

ボクたちみんなの『死』をちゃんと受け入れて、前に進んでる。 晃也お兄ちゃんも、お嬢ちゃん

もみんな祐一くんと同じように、前を向いている。 こんな所で、嘘を吐きながら後ろを見ようと

しなくても良いんだよ。』

そんなの、あゆが勝手に決めた幻想だ!

晃也やお嬢はともかく、俺はずっと後ろ向きなままだ。

俺が前向きになるには、お前が必要なんだ、あゆ!!

『ううん。 どんなに祐一くんが願っても、ボクにはもう体はないから。 だから、お別れ。

ちゃんとしたお別れ。 言っておきたかったんだ、ずっと。 祐一くん、これからも頑張って。

本当に…さようなら。』

あゆ?

あゆ!

返事をしろ!!

こんなの、認めないぞ!!

なんで、勝手に消えるんだよ!!

どんどん輝きが消えていく、あゆの体。

それは、まるでユメの一滴の様な儚さで。

祐一が光に向かって手を差し伸べた瞬間、あゆは完全に消えてしまった。

「……あゆッ!!」

ズキッ!

「ぐっ…!」

あゆの幻影を少しでも留めようと、手を伸ばした所で目を覚ました。

いきなり体を起こしたせいか、体中に痛みを感じる。

傷は塞がっていても、やはり痛みは抜けない。

最も、今の祐一は『亜族』の血が覚醒した事も判っていない。

だから、これはあゆが生きろと願ったからだと考えた。

―――――でも。

「お前がいない世界で、生きるのは辛いんだよ…。」

本当に泣きそうな表情(カオ)で、祐一は昼の空を見上げた。

さんさんと照る太陽が、いつも以上に煩わしく思えた。


















































カラン…

香里の長槍が、地面に落ちる。

あの一瞬で負けたのは、香里だった。

速度も、技の威力も負けていたのかもしれない。

だが、それ以上に負けていた。

―――――信念。

幼い頃に、全てを捨てて誓った約束を持つ晃也の信念に勝てなかった。

全身の筋肉が弛緩していくのが判る。

全ての緊張が、解けてしまったらしい。

途端に痛みがやってくる。

「ごほっ…。」

血が混じる咳をしてから、ゆっくりと自分の体を眺める。

…痛いはずだ。

香里の体には、3対の傷が出来ていたのだから。

今までの速度の『薙旋(なぎつむじ)』では、傷跡は2対しか出来ないはずなのに。

あの一瞬で、晃也も成長したのだろう。

『死』を感じる場面でこそ、人は成長するものなのだから。

―――――ああ、満足した。

負けたけど、戦う者としての心は、満足してしまっている。

これほどの戦いが出来た事を。

守りたいものを、守る事は出来なかったけど。

この戦いに関しては、髪の毛1本程の悔いさえもない。

――――守れなくて、ごめんなさい。

――――後の事は、任せるわ…。

――――栞…、今からそっちに行く事になりそう。

――――今度こそ、仲良くしようね?

声にすることは出来なかったが。

そう、唄う様に言葉を呟いた。

それは、どんな気持ちが込められていたものだったのだろうか。

そして香里は、勝者の方に1度目をやると、少しだけ微笑って意識を手放した。

眼には、大粒の涙を浮かべながら。

勝者の晃也も、地面に膝をついていた。

当たり前だ、禁忌である『神速(しんそく)』4段階目を解放したのだから。

破れた毛細血管は、日を置かないと治りそうもない。

歩けないほど深刻な状態になっていなかったのが、唯一の救いだった。

『亜族』の覚醒は、もう止まっている。

あの状態になれるのは、当分ないだろう。

それだけ、今回の戦いは相当なものだった。

下半身を中心に、体全体が痛む。

香里を倒す事は出来たが、こっちだって大分やられている。

槍の攻撃で傷付けられたせいで、体中が真っ赤だ。

下手をすれば、意識が飛んでしまう。

だが、そんな楽な選択は、絶対に出来ない。

この勝負に勝った以上、絶対にこの場で倒れる事は出来ない。

でなければ、晃也のプライド以上に、命を賭して戦った美坂香里にも失礼だ。

今、この瞬間だけは、『人間』嫌いを改めても良い。

そんな風に晃也は思っていた。

よろよろと2本の小太刀を使って立ち上がる。

――――まだ、終わってはいない。

先程までは戦意喪失していた3万の軍勢が、一斉に攻撃しようとしているから。

その中には、倉田佐祐理の姿も見える。

――――あれだけの数で攻撃してくれば、確実に香里を巻き込む。

そんな事は、誰が見ても判るはずなのに。

それさえも無視して、『亜族』、イレギュラーの晃也を倒そうとする『人間』達。

「本当に…、趣を解せない連中だ…。」

聖域と言っても過言ではない、今のこの場に立ち入らせたくはない。

だが、晃也は限界だった。

体力も魔力も、完全に底をついている。

今立っていられるのは、気力のおかげで。

小太刀を、もう一度握り直す。

…手が、震える。

「もう、無理…か。 だったら…、仕方ない。」

晃也は、ふらつく足を懸命に前に進ませる。

1歩歩くたびに、言う事を聞いてくれなくなっていく両足。

それを気力だけで動かし続ける。

人間側は、晃也が近付いて来るのを恐れたのか、詠唱を早めているようだった。

晃也はそんな事は気にしていない。

気にする余裕なんかない。

ただ、この場を汚させるわけには行かないだけ。

あの戦いを踏みにじらせる事なんて、戦士として、出来ない。

倒れた香里を庇える場所まで、ようやく辿り着く。

香里は、意識を完全に失っている。

即死ではないのが、奇跡的なほど抉られた傷跡。

もう数分もすれば、出血多量で死ぬだろう。

――――それでも。

真っ当に戦い抜いた騎士には、自分の手で生涯を終えて欲しい。

「はぁはぁはぁっ…。」

立っているのも辛い。

視界が、だんだんぼやけてくる。

そして、足が崩れそうになった瞬間、『人間』たちが一斉に魔術を撃ってきた。

――――それは、残された『人間』の怨嗟の声のようで…。

晃也はその光景から、目を逸らさない。

死ぬ時は、最後の一瞬まで生きていた事を思いながら、死ぬ。

それは、誓った約束と同じくらい、晃也にとっては大切な事。

『祐一、お嬢、後は任せた…。 俺の願いの、2番目になるが、お前たちだけは…。』

そう、口にする事なく、心の中で呟いた。

「『Patels Wall(花弁の城壁)』!!」

晃也の声では無い声が、突如としてその場に響いた。

晃也の眼の前に、花弁の盾が出来上がる。

鼓膜が破れそうなほど、大きな音が鳴っている。

そして、花弁に守られてから1分後。

撃たれた魔術は、全て消え去っていた。

「駄目だよ。 戦いをちゃんと理解しないと。」

そう言って目の前に現れたのは、少女。

黒いコートに身を包み、にっこりと笑う少女。

目元を大きく腫らした、少女。

『死神』だった、少女。

現在(イマ)は『亜族』の、お嬢が立っていた。