第16話 「君が好きだったから」






































『神速』の状態で、祐一は、ゆっくりと構える。

刀を水平に返し、やや前傾姿勢でHあゆを見据える。

「お前の存在は、許さない!!」

渾身の速度と力を込めた、祐一の一撃。

ザシュッ!!

Hあゆは、『神速(しんそく)』の速さに対応しきれず、肩口に『牙突(がとつ)』を喰らってしまう。

その一撃は、今までとは次元が違った。

Hあゆが成す術も無く吹っ飛んでいく。

突撃の勢いは止まる事は無い。

その勢いを殺さないために、『高月(こうづき)』を手放す。

Hあゆはたっぷり10メートルは吹っ飛んで、背中から地面に落ちる。

「……いたい…。」

言語機能は大した事はないらしく、機械的に言葉を発するHあゆ。

その言葉もまた、生前のあゆの声にそっくりだった。

ギリ…

悔しさから、思わず歯軋りする祐一。

なぜ、此処まで『亜族(じぶんたち)』は利用されなければならなかったのか。

死んでからもなお、利用され続けられねばならないのだろうか。

怒りを完全に前面に出すわけには行かない。

そんな事をすれば、今の祐一なら名雪と同じように『狂気』に取り込まれるかもしれない。

それ程、怒りは深かった。

『空魔(くうま)』を手に取る。

これ以上、あゆに恥はかかせない。

それ以上に、この手で、この偽者だけは、討たなければならない。

相沢祐一と言う男は、月宮あゆと言う少女が好きだったから。

君が好きだったから、許す事は決してない。

「お前は、此処で消えろ。 射殺せ…『空魔(くうま)』!!」

紅の刀身が、蒼天の色へと変化し、刀身が伸び、Hあゆの命を奪う為に移動する。

風を切り、ただ命を喰らう為に『空魔(くうま)』は突き進む。

祐一の眼に映る、スローモーションで流れていく。

『空魔(くうま)』がHあゆの胸を貫く瞬間が。

…あぁ、何故この場面でこんな事を思い出すのだろう。

何故、出てくるのが今なのだろう。

楽しかった、あゆと過ごした日々の記憶が浮かんでくるのが。

目の前にいる少女が同じ顔をしているからだろうか。

取りとめも無く、祐一が生きていて最高と言える時間の映像が流れていく。

『あぁ…、俺はこんなにもあゆの事を…。』

愛していたのか、とは口に出さずに虚空を見あげる。

あの空の向こうで、あゆは皆と一緒に笑っていてくれているだろうか。

もしかしたら、怒っているかもしれない。

自分たちの為に危険な事するなんて、と。

涙が、知らないうちに流れる。

薄く輝く雫が、止まる事無く地へと落ちていく。

嗚咽はあげない。

あげてやらない。

月宮あゆをからかうのは、相沢祐一の役目だから。

こんな場面で嗚咽なんてあげたら、記憶の中のあゆは必ずからかうに違いない。

だから、虚空に向かって笑いかけてやった。

泣き笑い。

だがその表情は、どんなモノより美しかった。

零れる涙を拭い、前を見る。

目の前には絶命したHあゆ。

せめて亡骸だけは、ちゃんと葬ってやろう。

そう思い、ゆっくりと近づいていく。

…それが、間違いだとは気付かない。

…それが、自分の命を犯すモノだと理解っていない。

Hあゆの体を、慈しむように抱き上げる。

その瞬間、Hあゆの閉じていた眼が開き、

「がっ…!」

Hあゆの右手が、祐一の胸を貫いた。








































「あははははっっ!! 「『Freeze Bullet(穿つべき氷の弾丸)』!!」

狂った笑いを止める事無く、名雪が魔術を放つ。

最大級の魔力が込められている弾丸たち。

その威力は、相当のものだ。

だが、その相当の威力は、絶対の威力の前にひれ伏した。

ブゥン!!

超重の鎌を、何でもない表情で一振りするお嬢。

その風圧だけで、氷の弾丸たちは行き場を失ったように地面に落ちる。

お嬢の紅く輝く眼は、もう『楽』の表情を消していた。

過去の『死神』だった時以上に、『死神』の表情をしている。

それ程、許しがたい言葉を、目の前の水瀬名雪が言ったから。

名雪は完全に魔術を防がれたと言うのに、狂った笑みを崩さずに魔術を放つ。

同じ光景を繰り返していく。

名雪が放ち、お嬢が消す。

それを10度ほど繰り返した時、ようやく名雪が魔術を撃つのをやめた。

「なんだ。 その大きな鎌は防御する為だけにあるんだ。 私を殺すんじゃなかったの?

 それがしたいんなら、早くかかってきたら?」

冷たく言い放つ名雪。

言葉だけ聞いていると、狂った様子は全く無い。

しかし、『狂気』は間違いなく名雪を侵食している。

表情は、もう名雪のモノではない…あの、狂った笑いは。

あの、嫌悪感しか浮かんでこない、醜い『亜族(自分たち)』をみる眼は。

「言われなくても。 貴女があまりにも賢しいまねをするから、興が削がれただけ。 

 さぁ、今から、貴女を…殺してあげる。」

対するお嬢の言葉も冷たい。

絶対零度を思わせる言葉。

その一言を言って、お嬢は大鎌を構えたまま動いた。

狙うはただ一つ、水瀬名雪の首。

その大きな鎌は、軌道を乱す事無く名雪の首に向かっていく。

片腕片足の名雪がそれを避けられるはずも無い。

あっさりと、その首に『死神』の鎌が貫通していく。

ぞぶり

そんな鈍い音を立てて、首の肉がだんだんと肉体から離れていく。

そして名雪の首は、笑った表情のまま地面に落ちた。

呆気ない幕切れだった。

超重の大鎌は、まるで血を吸い取っているかのように血塗れて紅く光っている。

結局は、この程度。

大切な、好きだった人たちを殺した種族の力は、所詮この程度。

こんなに簡単に、殺せるのに。

守れなかった。

あの時の自分は、こんな弱い奴らからも守れなかった。

ただ、守られるだけで。

「…あれ?」

涙が流れる。

それは悲しみの涙。

祐一や晃也といる時は絶対に見せない悲しみの涙。

この10年、嬉しくて泣く事は−数少ないけれど−確かにあった。

この10年、悲しくて泣く事は、絶対にしなかった。

泣く事は、全てを終えてから泣こう。

そう決めていた筈だったのに。

名雪が言った言葉が、頭の中で繰り返される。

『亜族なんて皆死ねばいいんだよ!』

…皆、自分たちを残して死んだ。

『亜族も魔族も皆要らない!』

…もう、亜族はこの世界には3人だけ。

頭の中で、何度も何度も繰り返される言葉に、再び涙が溢れてくる。

気付いた。

この世でたった3人しかいない『亜族』の、孤独に。

『死神』の鎌が、ゆっくりと虚空に消えていく。

空気に溶けるように消えていく鎌を泣きながら見送って、お嬢は黄金の草原に寝転んだ。

仰向きに、太陽が見えるように。

作られた世界に見える、自分を照らしてくれる偽証の太陽。

他の敵は、仲間に任せても大丈夫のはず。

だから自分は、この涙が枯れるまで、自分の過去で泣いていよう。

そう決めると、お嬢は声を上げて泣き出した。

悲しみが途切れる事の無いように。

お嬢の涙もまた、止まる事はなく…。











































「舞え、『天魔(てんま)』…。」

増えていく刀身が、北川たちの身を削り取っていく。

さっきまでは何とか防げた『天魔』の攻撃を、防ぎきる事が出来なくなっている。

それは、単純に疲労のせいもあるだろう。

完全に回復している晃也と、戦い続けて体力を消耗している4人。

この差は、間違いなく大きい。

だが、それ以上に『天魔』の攻撃速度が上がっていた。

先程までは1本の刀身が攻撃し終わり、次の刀身が攻撃してくるまでに、多少のタイムラグが

あったのだ。

それが今では完全に消えている。

その生で予測を立てようにも体がついていかず、ダメージは蓄積されていく。

晃也が『神速(しんそく)』の状態のままだと言う事もネックだ。

体が回復した後は、惜しげもなく3段階目を使い続けている。

そのせいで4人の目には、晃也の姿はほとんど映っていなかった。

「炎・氷の相反する属性が、今ひとつに! 『Freeze Flame(凍りつく炎の刃)』!

天・地の相反する属性が、今ひとつに! 『Hevens Field(天に届く大地の鳴動)』!!」

佐祐理が、持ちうる最強の魔術を晃也に撃ち放つ。

それは前面で戦い続ける香里達の援護もかねてである。

だが、その高威力の魔術でさえ今の晃也には無意味なものだった。

『天魔(てんま)』の刀身が意思を持っているのか。

数本の刀身が一ヶ所に固まり、魔術を薙ぎ払う。

魔力で出来ている『天魔(てんま)』と言う刀との戦いは、純粋に含まれる魔力の量となる。

当然佐祐理の魔術が、今の晃也の『天魔(てんま)』にかなうはずも無く消えていく。

その間も『神速(しんそく)』をかけたまま、無限に増える『天魔(てんま)』を操り続ける晃也。

まるで踊っているような優雅さを感じさせるその剣舞。

刀身だけが増えた、異形の刀を操るその姿でさえ、神秘さを感じるほどに。

「はぁぁぁぁっっ!!」

折れた指、痛む体を全て無視して、香里が晃也の心臓を狙って攻撃を繰り出す。

『天魔(てんま)』の攻撃を少々喰らってもかまわない。

この一撃で、必ず殺せればいい。

香里は、自分に残された力の全てを、この一撃に注いだ。

ザシュッ!!

「ぐ…あっ…!!」

香里の槍は晃也に届く事無く、『天魔(てんま)』に阻まれ、

「まずは…1人。」

『天魔(てんま)』の無限の刀身が、香里の体を貫いていた。

自分の体から血が流れていく。

それを、どこか他人事の様に見つめていた。

香里がやられたのに動揺したのか、北川と舞も一瞬隙を作ってしまい、

「がっ…!」

「…あ…。」

『天魔(てんま)』にその体を蹂躙されてしまう。

何とか心臓に一撃を喰らわない様にするのがやっと。

必死の抵抗もむなしく、地面に伏してしまう北川と舞。

晃也は、一瞬悲しげな表情を2人に見せる。

だが、それで終わり。

「これで、3人。 あとは貴女だけだ、倉田佐祐理。 もう、貴女を手助けする者は

いない。 今度こそ、確実な『死』を届けてみせる…。」

そう言って、『無』の表情で、佐祐理を見据える。

晃也が再び『神速(しんそく)』で動く。

その光景を、香里は失われていく視界でぼんやりと見ていた。

佐祐理も、あと数秒で自分と同じように倒れてしまうだろう。

――――勝ちたいか。

何処からか、声が聞こえてくる。

周りの風景は、なぜか止まっていた。

…勝ちたい。

目の前で、大切な人を殺されるのは、嫌だから。

――――強さを、求めるか。

…求める。

もう、守られる側には、なりたくない。

――――それで、全てを失う事になっても、後悔しないか。

…後悔なんて、しない。

私は、自分が望んだ事には、後悔なんてしない。

――――ならば、力を与えよう。

…ありがとう。

聞こえてくる声に、返事する。

その途端、体に力が戻り、

ガギィッ!!

体は勝手に晃也の『天魔(てんま)』を弾いていた。

「な…に…?」

困惑の表情を見せる晃也。

当たり前だ、香里は先程心臓を貫かれたのだから。

即死して当たり前の攻撃を受け、何故立っているのか。

…まさか。

ありえない考えが、晃也の思考を巡る。

…まさか、香里は…、

「美坂香里…、お前は『亜族』の末裔だと言うのか…?」

そんな、ありえない言葉を、信じられないような顔で晃也は言った。