第13話 「交わした約束」









































迫り来る、凶器の数々。

香里をのぞいた3人は、まだ攻撃態勢に入っていない。

あの光景が、まずかった。

儚さ、美しさ、この世の物とは思えない『美』が、あの場面にはあったから。

それなのに、今香里が立って攻撃を防げているのは理由がある。

香里は妹を失っていた。

それも、目の前で。

自分は何も出来ないのに、それを笑顔で受け入れた妹。

ずっと病魔に冒され続け、それでも諦める事無く戦い続けた妹。

その妹が、最後に見せた表情が、晃也のあの表情と似ていたのだ。

「くぅっ!!」

ギィン! ガギィ! ギィ!!

香里の長槍が、次々と飛んでくる剣の群れを落としていく。

長モノで飛び道具を相手にするのは、明らかに不利。

だが、香里はそのハンデを技術と予測によって補っていた。

飛んでくる速度、角度、間隔、位置、その全てを予測し、その予測したところだけに槍を

向かわせていた。

香里の予測は寸分違わず、狂ったような正確さで剣を撃ち落す。

凶器に立ち向かうその勇気も流石だが、何より誉めるべきは、その正確な判断力だった。

元々、美坂香里という人物は優秀と言える人物ではなかった。

親からも、生んでくれた親から出さえも『この子は大成できないだろう』、そう言われていた。

周りの意見も同じくである。

才能の有無で言えば、今は亡き妹の方が遥かに上だった。

そんな事、香里は言われずとも理解していた。

筋力はある方だが、女に生まれた時点で男に劣っているので北川には勝てない。

魔力は人並み程度しかなく、佐祐理や名雪には間違いなくかなわない。

速度もやはり人並みで、舞にはかなわない。

どれ一つとして、美坂香里と言う人物には誇れるほど秀でた物は無かった。

普通の人なら、それを受け入れて平凡と言うう答えを導き出して終わっていただろう。

だが、香里はそんな現実に負けなかった。

誰よりも修練を重ね、愚直なまでに自分の力を高めた。

才能の必要な速度や魔力では勝てなかったが、技術は充分についてくれた。

そして、その努力が最も身を結んだのは、知力だった。

誰よりも先を見据える事が出来る能力、空間を判断する能力、味方を指揮する能力。

そして何より、1%の勝機があればそれを手繰り寄せる事が出来る戦闘倫理。

今挙げた例は、全て才能の様に思われがちだが、実はそうではない。

何よりも必要なのは経験だ。

香里は、知識を充分につけ、そして何度も実践してきた。

友人たちが早々に止めてしまう様な簡単な事でさえ、香里は何度も何度も繰り返した。

その、愚直な鍛錬の集大成が、今この場で発揮されていた。

飛んでくる位置を計算しつくし、角度を読みつくし、長さを計算しつくし、飛んでくる間隔を

計測しつくし、何処を狙ってくるかを予測しつくす。

香里の槍が、未来を予測しているかのように凶器たちを弾いていく。

その光景を見る事によって、ようやく北川たちは体を動かせた。

「倉田先輩は魔術で援護を! 川澄先輩、美坂に加勢しますよ!!」

言う事もそこそこに、一気に駆け出す北川。

俺が守る側じゃないか。

そう心の中で叫ぶ。

双剣を持つ手から血が滲むほどに、きつく、きつく握り締める。

北川にも過去があった。

北川は、北川の血を持つ、最後の1人なのだ。

両親は、自分を守るために殺された。

自分の両親は、誇りだった。

誰よりも強く、優しかった双剣士の父親。

誰よりも賢く、優しかった魔術師の母親。

その2人は、本当に自分の誇りだった。

その2人が突然逝った日は、もうはっきりと思い出せなくなってしまった。

確か、自分が6歳くらいの時のはずだ。

強盗まがいのグループが、一般家庭よりは遥かに裕福な自分の家を襲ってきた。

数は軽く見積もって50。

流石に、2人ではその数には対抗できない。

両親だけしかその場にいなかったら、間違いなく逃げる事が可能だった。

だが、その場には幼く、力を持たない自分がいた。

自分を無視すれば助かると言うのに、そんな事は全く考慮に入れずに

『後ろを振り返らずに逃げろ。』

2人は同時にそう言った。

だから、決して振り返らなかった。

両親と交わした約束だったから。

…それが、最後の約束だとわかっていたから。

その日から北川潤は強くなると、今度こそは護ってみせると心に誓った。

だからこそ、今皆を庇って踏ん張っている香里を見ているだけなんて出来る筈が無かった。

佐祐理も舞も北川の言葉に無言で頷くと、それぞれの役割を果たすために、舞は走り、

佐祐理は詠唱を始めた。

2人もまた、壮絶な過去を持っていた。

佐祐理は、弟を自分の力で救えなかった。

戦争の時に弟と自分は、偶然『魔族』と遭遇した。

襲い掛かってくる爪を、一弥が身を挺して守ってくれた。

幼い頃に見た、もう焼きついて離れない、血液の鮮やかな紅。

成すすべなく血に伏す一弥と、その光景にただ立ち尽くす自分。

『魔族」の爪が振り下ろされた瞬間、大人が来て自分を守ってくれた。

呆然となっていた自分は何とか正気に戻り、一生懸命一弥を治療した。

それでも、傷が深くて、自分では助ける事が出来なかった。

あと1分、もしもあと1分、大人が来るのが遅れていたのなら、一弥は死んでいた。

…そして、自分もその後を追っていただろう。

もう少し賢ければ、もう少し魔力が強ければ、弟−一弥−は自分の力で救えたのに。

その日以来、佐祐理は自らを責める様に魔術を修め続けた。

贖罪の為に、もうあんな思いはしない為に。

舞もまた、戦争で唯一の肉親の母を失っている。

自分の目の前で、殺された母。

『魔族』によって貫かれた、あの姿。

死ぬ直前に、こちらを見て微笑んだ、母親のあの表情。

もう、あんな光景を見たくない。

4人の思いは、一緒だった。

『自分は、守られる側でいたくない。』

それだけだった。

「はぁはぁ…。」

飛んでくる剣を必死で防ぐ香里。

だが、殆ど無酸素で弾かざるを得ない攻撃の速度に、香里の体力は消えていきつつあった。

「おぉぉぉっ!!!」

ギィン! ギィン!!

そこに北川の双剣が走り、飛んでくる剣を落とす。

「…せぇぇぇっっ!!」

ギィン! ギャン!!

続いて舞の鋭い太刀筋が、剣を弾き飛ばしていく。

その様子に思わず、香里は微笑んでしまった。

『お前は1人じゃない。』

言葉にせずとも、その背中がそう語ってくれたから。

今までで出来た疲労が飛んでいくような感覚。

香里は2人に負けじと、再び長槍を振るい始めた。











































「…ごほっ!!」

自分の喉の奥から、血液が流れてくる。

抑え付けるのが無理そうだったから、全て吐いてしまう事にする。

そうして初めて気付いた。

自分が思った以上に命の危険に晒されている事を。

考えられないほどの、大量の血液が自分の足元にある。

…それだと言うのに、自分の体はなぜか痛まない。

「うふふふふっ…、それで終わり? 魔術師さん?」

だから、余裕を持ってその言葉を告げる事が出来た。

体に突き刺さった邪魔な刀身を引き抜く。

鈍い音と共に、また血液が流れるが、やはり痛くは無い。

名雪は思った。

これは自分の母が、力を貸してくれているのだと。

志半ばに殺された、秋子が自分に力を与えてくれているのだと。

…都合のいい考えだった。

実際に、そんな事が起こるはずが無いのに。

『狂気』に染まった名雪には、冷静に考えるだけの思考は持ち合わせていなかった。

今の状況は、痛みさえ感じなくなるほど侵食されているだけ。

『死』は目前に迫っている。

その事実に気が付かないまま、名雪は狂々と舞い続ける

「あははははっっっ!! 私の体を傷付けた分は、お返しさせてもらうよ!

『Insanity Storm(吹き荒れる狂気の嵐)』!!」

名雪が手を振りかざし、魔術名を唱えながらその手を振るう。

乱雑に振られるその手から、風の刃が乱れ飛ぶ。

大量の血を流しながら魔術を放ってくる名雪に一瞬気を取られたのか、お嬢の反応が少し遅れる。

バシュッ!!

大げさな音を立てて、風の刃はお嬢の頬肉を切り裂いた。
 
「さぁ! まだまだ行くよ!!」

名雪の嬉しそうな声に比例するように、風の刃たちが踊り狂う。

それを目にして、

「…掠った程度で、そんなに嬉しい?」

血を指で拭いながら、蔑む様に、冷たい声で言い放った。

「な…。」

その絶対零度を連想させる声に、思わず声を失う名雪。

「それじゃあ、茶番は終わり。 いい加減、あなたを相手にするの、嫌になってきたから。」

持っていたナイフを最初の位置に戻して、お嬢はいつもどおりの徒手空拳に戻る。

意識を、透明にさせる。

心の中に浮かんでいる光景を、目の前に映し出す。

出来る。

今の状況なら、私の持つ完全な『固有結界(こゆうけっかい)』を作る事が出来る。

それは、過去に生きた、悲しい死神の愛した場所…。

「Heretical talent borne by magic
 魔力から生まれた、異端の才

 It was afraid in all and all were loved.
 全てに恐れ、全てを愛した

 In the inside of the big prairie like it cannot finish catching
 捉えきれぬほどの大きな草原の中で

 I consider the name of only one person and a darling person.
 ただ一人、愛しき人の名を思う

 The prairie which shines with gold
 黄金に光るその草原は

 Although it is immeasurable therefore, it is the fresh ground of lonesomeness.
 広大無辺であるがゆえに寂しさの境地

 Nobody follows and sticks to the place.
 故に誰もその場所には辿り着けずに

 The solitary sanctuary of me only
 今もずっと私1人の、聖なる世界                        」

ゆっくりと、『詠唱加速(えいしょうかそく)』を使う事無く、詠唱を唱えた。

さぁぁぁぁ……

風が、黄金のススキを撫でていく。

1秒前までは、確かに違う場所だったそこが、広大な草原となっていた。

黄金のススキが、風になびきながら揺れている。

「みんなを、『亜族』を侮辱した貴女は許さない。 私の世界で、完膚なきまでに…、

殺してあげる。」

それが私の、皆と交わした約束だから。

お嬢の声に反応したのか、流れていた風が完全に止まる。

「力を貸して、みんな…。」

謳う様なその声が響くのと同時に、爆音が響き始めた。













































お嬢と名雪は『固有結界(こゆうけっかい)』の中に入った。

雪の残る道路に残されたのは、祐一と

「………。」

何も喋らない、人工生命体(ホムンクルス)のあゆだけ。

向かい合う2人。

その距離は僅か1メートル。

間にあるのは、あゆからの殺気のみ。

「本当は…、偽者だと判っていても、お前だけは切りたくなかった。」

とつとつと自分の心情を語り始める祐一。

祐一は、『亜族』は仲間を何より大切にする者ばかりだから。

そんな祐一にとって、外見が全く一緒の偽者を切るのに、どれだけ心を痛めるかは想像もつかない。

何より祐一は、自らの目から涙を零していた。

「特に…、俺は、お前が好きだったから。」

…それは、淡い思い出。

「ブラコン気味だった晃也から逃げて、2人で遊ぶのは楽しかった。」

…それは、過去の儚い思い出。

「俺は、お前を、守れなかった…。」

…それは、辛すぎる思い出。

「死んでもなお、お前を利用された。」

…それは、新たに出来た悔恨。

「だから、俺の目の前に立っている出来損ないは、俺が、倒す。 あゆ…、これ以上

お前を汚させたりはしない。 死してなお『仮初(かりそめ)』の生を強制されている

お前の姿を見る事は辛過ぎる。 だから、俺が…、断ち切る。」

そう呟いて、祐一は初めてあゆに向かって刀を構え静かに『神速』の状態に入った。

零した涙の跡は、もう消えていた。










































「はぁはぁはぁ…。」

膝をつき、苦しげに呼吸音を漏らす晃也。

それもその筈、晃也の体はずっと限界なのだ。

とっくに魔力は底をついているのに、それでもなお『固有結界(こゆうけっかい)』を使っている。

自分が、今の状態を保ちながら戦える時間は少ない。

少し離れた所から聞こえる、無数の剣戟(けんげき)の音。

その音は、間違いなくこちらに近付きつつあった。

戦う場所を此処に決めた。

死すらも覚悟した。

もう、晃也には迷いはなかった。

苦しかったはずの呼吸が、嘘の様に整う。

ゆっくりと、自分の切り札である『天魔(てんま)』を引き抜く。

透き通るような、黒。

言い方としてはおかしいかもしれないが、この表現が一番あっている。

「俺の魔力を、吸い尽くしても構わない…。」

もう後悔する事は何もないから、と付け加える。

穏やかな表情だった。

「俺の全てを使っても構わない…。 たとえ2番目の願いで自分が終える事になっても…。」

ただ、己の中の誓い−交わした約束−を守るために、

「舞え…『天魔(てんま)』!!」

漆黒の刀の力を、限界の状態で解き放った。