第10話 「覚醒」
「なんで…。」
呆然とした様子で、目の前の少女を見つめる。
あの日、確かにあゆは殺されたはずなのに。
なぜ、今、この場にいるのか?
考えは纏まらない。
祐一の頭の中では、今が戦闘中だという事実でさえも抜け落ちている。
それほどまでに、目の前の光景が信じられなかった。
「…落ち着いて、祐一。 あの子は、あゆさんなんかじゃないよ…。」
秋子を睨みつけながら言うお嬢。
どうやら、このカラクリに早くも気付いているようだった。
視線は何時に無く鋭く、それが許されないコトだと語るように。
「流石は、最強の魔術師ですね。 ええ、この子は本物では無いですよ。」
今の状況からは、およそ不似合いなほど笑みを浮かべて語る秋子。
子供が親に誉めてもらう時の様な、無邪気とも言える笑みで。
「この子は、私が作った人工生命体(ホムンクルス)ですから。」
…瞬間、空気が凍った。
恐ろしいほどに感じられる殺気。
それは、先程まで呆然としていた祐一から発されていた。
「…貴様らの都合で命を奪って、その上利用したのか…あゆを!」
殺意の波動が収束し、祐一の身体を渦巻いていく。
現在(イマ)の祐一は『亜族』と言う形を取った殺意の塊。
「ええ。 『亜族(ゴミ)』の命に、価値なんてありませんから。」
だが、その殺意の権化を見てさえはっきりと、何でも無い事の様に断言する秋子。
事実、秋子以外の人間も大抵は『亜族』をこの程度にしか思っていない。
ギリ…!
強く歯をかみ締める音が聞こえた。
それは、お嬢からだった。
仲間を侮辱されたのだ、死んだ者も生きている自分たちも、全てを。
しかし、その事実を完全に思い知った祐一は、笑った。
…明らかに、狂気を含んだ笑みで。
「…よく言った、人間。 ならば、貴様は此処で殺してやる。」
祐一の体が掻き消える。
一気に『神速(しんそく)』の状態に入り、『高月(こうづき)』を抜き放ち、秋子の首を狙う。
対象の秋子は、少しも動こうとはしない。
ただ、笑みを浮かべるだけ。
祐一が秋子の首目掛けて、刀を振るおうとする。
「…ゆういちくん…。」
その瞬間、秋子を庇うように、あゆが立ち塞がった。
機械的な声。
だが、その声はまさしくあゆのものだった。
「なっ…、チッ!」
慌てて刀の軌道を変える祐一。
ホムンクルスと判っていても切る事が出来なかった。
あゆは、大切な『仲間』だったから。
間一髪の所で、あゆには当たらず、『高月(こうづき)』は虚空を切り裂いた。
だが、出来た隙は大きかった。
「終わらせてあげます…『Snow Air(凍りつく大気)』。」
秋子の魔術が、これ以上無いというタイミングで祐一に放たれる。
避けようにも、祐一の体勢は崩れている。
これで下手に体を動かそうとすれば、筋肉が断裂してしまう。
いくら鍛えていても、あまりにも無理な動きには対処できないのだ。
…覚醒しきっていない、今の身体では。
「だめっ! まもって、『Patels Wall(花弁の城壁)』!!」
それを判っているのか、後ろにいたお嬢が高速で魔術を唱える。
現れる最強の防御力を持つ花弁が祐一を包み込み、相手からの攻めてを封じ込む。
…だが、それでも一歩及ばなかった。
「ぐっ…!」
お嬢の盾のおかげで、全身までには至らなかったが、右腕が凍り付いている。
『Snow Air』、それは対象となった人物を凍らせる魔術。
そしてこの魔術の特性は、少しでも氷が相手に出来たならそこから侵食していくのだ。
祐一は利き手の右腕を凍らされた。
溶かそうと思えば溶かせなくも無いが、そのせいで隙が出来る。
そこを逃すほど目の前の人物は甘くない。
水瀬秋子、自らの血縁であり人間族最強の魔術師と呼ばれる女性は。
「祐一さんが動けるのは…あと10分。 それまでに倒せますか? この私を。」
くすりと微笑みながら言う秋子。
この戦いにおいて、秋子は完全に流れを掴んでいた。
それだと言うのに、
「ククッ…。」
祐一は笑った。
狂気を含んでいるような、今までの祐一とは明らかに違う笑みで。
「このくらいで勝った気になるとは、さすがは人間だ。」
凍りついた右腕を一瞥すると、残った左腕で高月を納刀し、もう1本の刀を抜く。
見た目は『高月(こうづき)』と同じ、日本刀。
だが、その刀身の色が、見るものに畏怖を覚えさせた。
透き通るような、真紅。
いったい何をすればあれほどの紅が出るのだろうか。
一遍の淀みも無い、完璧な紅。
「お嬢、雑魚の相手は任せるぞ。」
「うん、こっちは心配しなくても大丈夫だよ。」
祐一の気持ちを汲んだ発言。
その答えに、祐一は微笑みで答えた。
「この『空魔(くうま)』で、お前の命を食らい尽くしてやる…。」
祐一は、ゆっくりと構え直した。
…目を刀と同じ真紅に染めて。
「はぁはぁはぁ……。」
殆どの魔力と体力を使い果たした晃也。
膝を地につけまいと、気力だけで体を支える。
残る人間は、およそ7千。
だが、その殆どが戦意を失っている。
当然だ、この短時間で5万近い人間が殺されたのだから。
…たった1人の少年によって。
その少年が疲労困憊であろうと無かろうと関係ない。
1度覚えた恐怖は中々拭えない。
しかし、それでもなお、晃也に向かってくる者がいた。
「やはり、貴様か…。」
晃也が無表情のまま呟く。
目の前には、昨日死んだはずの倉田佐祐理が立っていた。
それに続くは学園でも屈指の実力を誇る北川・美坂・川澄の3名。
「はい…。 昨日、佐祐理は舞に救ってもらいましたから。」
少しおびえの残る表情で−だが、その眼は真っ直ぐと−晃也を視界に捉える佐祐理。
「…そうなる可能性はあったのに、見逃した俺のミスか。」
晃也がしくじったわけではない。
それでも、絶対に仲間のせいだとは言わない。
何があっても、仲間に責任を押し付けたりしない。
晃也の、本当の優しさだった。
2本の小太刀を握りながら、4人を睨む。
こんな所で、魔力を無駄使いするわけにはいかない。
『天魔』は、ここぞと言う時の切り札なのだから。
「あなたには…、ここで死んでもらいます。」
冷たい瞳で晃也を見ながら、そう言い切る佐祐理。
いつもの明るい表情は、此処に来て完全に影を潜めている。
怨嗟の色さえも見えない。
ただ、『無』の表情。
完全なる『無』。
普通の人間なら寒気を覚えるような、張り付いた無表情。
そんな状況なのに、晃也は微笑った。
自分にとって、最後になるかもしれない戦い。
命を賭した戦いで、こんな表情の出きる者と戦う事が出来るという嬉しさで。
「お前たちに…、殺せるか?」
「ええ、今のあなたなら。」
「ならば、見せてもらおうか。」
小太刀を構え直す晃也。
血で濡れた銀色の牙と雪の白さを持つ虎が幻想的な美しさを見せ付ける。
紅と銀と黒で構成された晃也の姿は限界ギリギリの体の筈なのに、そんな様子は一遍も感じられない。
ただ、静かな殺気と闘気だけを放出させている。
「…ただし、隙を見せれば、『死』が貴様らを狙い打つ…。」
それだけ言うと、晃也は『神速(しんそく)』を発動させた。
倒すべき敵を、ただ確実に屠るために。
「来い…、『空魔(くうま)』…!」
祐一が『空魔(くうま)』の力を発動させる。
『空魔(くうま)』は祐一の言葉に呼応するかのように、形状を変えてゆく。
…それは、青い、ただ蒼い刀。
長さが変わったわけでもない。
晃也の『天魔(てんま)』のように刀身が増えたわけではない。
ただ、刀身の色が変わっただけ。
紅色の刀身が、透き通るような蒼に。
…それは、ただ美しかった。
「フフ…、それでどう私を殺すおつもりですか?」
挑発するように言う秋子。
実力差はともかく、有利・不利で言えば秋子が完全に有利だった。
こうやって話している間にも、祐一の体は凍っていく。
今は完全に右腕を侵食し、下半身へと進んでいっている。
もう後5分もすれば、美しい氷の像が出来るだろう。
昨日お嬢が作った、佐祐理を越える完璧な氷像が。
「少々雅さに欠けますが、それも致し方ないでしょう。 相沢祐一、あなたは叔母という関係に
ある私が、せめて血縁の者に殺してもらえれば満足でしょう。 それが…、あなたにかける唯一の
情けにもなります。」
口の端が歪む。
もう、勝利は見えていた。
それだと言うのにその眼は、未だに『空魔』から逸(そ)らせない。
魅入ってしまっているのだ、感覚の全てが。
鮮やかなまでに染まった、蒼に。
「慌てるな、これが『空魔』の全てではない。 …これが本当の『空魔』だ…。射殺せ『空魔』…!」
祐一の叫び声にも近い音量の声に反応して、『空魔』の刀身が伸びる。
蒼の槍が襲い掛かってくるようにも見える。
『空魔』が狙うべき目標はただ一つ、水瀬秋子の心臓のみを狙って突き進む。
無論、秋子ほどの実力者になればそんな事などお見通しである。
そう言わんばかりに、実力差を見せ付けるように余裕を持った表情で、紙一重で避けた。
そして、
「深淵より誘われる氷の世界…。」
自信の持つ最大級の魔術を叩き込もうとする。
仕掛けてきた者には容赦の無い死を。
前言などまるで気にしないように、魔力が収束していき形作られていく。
だと言うのに、祐一は笑った。
それは、蔑みさえ感じられるほどの微笑。
「チェックメイトだ、水瀬秋子。」
ザシュッ!!!!
「…え?」
祐一の言葉と同時に、『空魔』は背後から秋子の胸を貫いた。
自分の胸から突き出している、蒼の刀身。
『何て綺麗な、蒼(あお)。』
場違いにもそう思った次の瞬間、水瀬秋子は地に伏した。
流れ出る血液。
その紅と、刀の蒼の融合がとても美しかった。