第7話 「襲撃 後編」








































「ん〜、ここだね。 魔術の波動、感じるし。」

祐一、晃也と時を同じくして、お嬢も佐祐理の部屋の前に立っていた。

お嬢は魔術師なので、どんなに微弱な魔力の波動も見逃さない。

死ぬ寸前にある魔術師の弱々しい波動ですら、見逃す事は無いだろう。

「Set…、cancel the magic(応えよ、魔術解除の陣)…。」

魔術師である倉田佐祐理の事だ。

下手をすれば、何らかのトラップを仕掛けてあるかもしれない。

勿論弾き返すのは簡単だが、面倒な事にはしたくない。

念には念を入れて、魔術をキャンセルさせておく。

そこまですると、ようやくお嬢は佐祐理の部屋のドアを開けた。

ガチャ…

静か過ぎる屋敷に響き渡るドアの音。

そこには、明らかに戦闘用の服に着替えた佐祐理が立っていた。

少し表情が固いのは、予想通り罠(トラップ)が作動しなかった為だろう。

「こんばんは、倉田佐祐理さん。 あなたを殺しに来ました。」

いつもの幼い言葉遣いではなく、どこか芝居がかった様な口調で佐祐理に死の宣告を告げるお嬢。

黒いコートが、部屋に通っている風に揺らめく。

月の淡い光が、優しくお嬢を照らし出す。

その光景は、とても神秘的な光景だった。

佐祐理は、自分の置かれている状況を判ってはいたが、目に見えるあまりの光景に思わず言葉を

失っていた。

ああ、言葉を失うような光景とは、こんな物なのだ…と。

命を賭した戦いを前に不謹慎かもしれないが、心からそう思っていた。

「魔術師のあなたなら、この言葉の意味、わかりますよね? 昨日までは転校生と同じクラスの

人間。 でも今は…、命を奪い合う関係です。」

にっこりと笑ってそう告げると、お嬢は掌を開けた右手を前に差し出した。

「『Spiral Arrow(螺旋の矢)』…。」

お嬢の掌から、魔力で出来た矢が飛んでくる。

お嬢の唱えた魔術名通り、その矢は螺旋の回転を以って、佐祐理の心臓を目標に迷う事無く、

空気を切り裂いていった。

「くっ…、『Resistance Fog(抵抗すべき霧の盾)』…!」

佐祐理の前に現れる魔力の霧。

それらは、お嬢の矢を包み込む。

勢いをなくした矢は、自然に地へ落ちた。

『Resistance Fog』…それは魔力で出来た物質を魔力による霧で包み込み魔力を消してしまう、

かなりの防御魔術だ。

使えるのはこの世界で佐祐理1人だけ。

防御の技術が元々高かった佐祐理にとって、かなり信頼の置ける魔術である。

この防御の恐ろしい所は、術者の魔力に比例して効果が増すところだ。

魔術師としてのランクが人と言う種族の中でトップクラスの佐祐理が使えば、自然、効果は部屋までに及ぶ。

そして『Resistance Fog』はお嬢の体に纏わりついていく。

ここまでの佐祐理の戦術は、完璧に近い、素晴らしいものだった。

…普通の魔術師相手なら。

お嬢の体に纏わりつこうとした霧たちは、奪おうとする能力を遥かに超えた魔力によって、

消し去られた。

「へぇ…、すごいね。 そんな魔術、ボクも持ってないよ。」

そう、賞賛の言葉を笑顔で言い、

「それに、ボクと戦うって事は、ボクと魔術を競い合う事だって事も理解(わか)ってる。」  

びっくりするほど冷たい声で、そう呟いた。

佐祐理はその言葉で、思わず詠唱を始める。

今の殺気は危険だ。

魔術師としての自分の本能が、そう警告してきた。

「大地に眠りし鼓動…『Earth Nail(大地を薙ぐ爪)』!!」

途端、お嬢の周りの地面が不自然に盛り上がり、爪の形に変化しお嬢に襲い掛かった。

「…おいで、『Patels Wall(花弁の城壁)』!」

ガギィ! ギッ! ギィン!

それがお嬢の体に食い込む直前、割り込むように花弁の盾がお嬢を守った。

晃也にも教えた、お嬢が持つ最強の防御魔術。

その硬度は、晃也のそれを大きく上回っていた。

爪たちは攻撃対象に触れる事さえ出来ずに、元の地面に戻っていく。

圧倒的な速さで行われる魔術による戦い。

焦りにも見える佐祐理の表情に対し、お嬢は余裕とも見える笑顔だった。

2人の魔術がいったん消える。

一瞬の静寂の後、

「深淵に眠る炎の波動…『Flame Burst(炸裂する炎舞)』!!」

再び佐祐理からの攻撃(アタック)が始まる。

佐祐理の眼前で蠢く炎たちが前方に向かって弾け飛ぶ。

前方にいる敵に逃げ場を与えない様に、炎たちが隙間なく飛んでいく。

しかし、それだけの魔術を前にしてもお嬢の笑顔は変わらない。

むしろそれすら楽しんでいるかのごとく、

「『Fix the Air(固定される大気)』。」

お嬢は魔術名を唱えた。

その言葉で、お嬢に襲い掛かってきた炎たちは完全に動きを止めた。

空中に存在したまま、不自然なほど完璧に動かなくなった。

『Fix the Air』、この魔術はありていに言えば一種の時を止める魔術とでも言えば

いいのだろうか。

大気に魔力を流し込み、前方の空間を固定する。

勿論固定を解除する事も可能だが、圧倒的な意志力と魔力が必要なので、おそらく

現存する人間でこの魔術を破れるのはそういないだろう。

今回は魔術だけを固定したが、お嬢の魔力量で考えれば佐祐理ごと固定する事も充分に可能だった。

だが、あえてそうする事は無かった。

魔力を無駄に使うのが嫌だという事も勿論ある。

だが、それよりも考えを占めているのはこういう事だ。

折角久し振りに魔術を競い合えるのだ。

簡単に終わらせてしまっては勿体無い。

これくらいの考えでしかない。

お嬢らしい幼い、だがそれ故に恐ろしい考えである。

お嬢にとってこの戦い、勝つ事はもはや容易だと確信しているのだから。

佐祐理は自信を持って放った2つの魔術を完璧に破られ、手を出せない。

この魔術を超えるほどの威力があるのは、まだ残ってはいる。

だが、確実に成功できるのはたった2つ。

しかも、威力は自分の切り札よりも落ちてしまう。

とっておきの魔術なら、せいぜい成功率5割前後。

この場面で失敗すれば、それは即、自分の死に繋がる。

命が賭けた状況、それ故に佐祐理は動けなくなった。

「なんだ、もう終わり? こんどは、ボクから攻撃したほうがいいのかな?」

楽しそうに言うお嬢。

お嬢は一番幼いが故に戦闘を『娯楽』の一環だと考えている節を時折見せる。

確かにお嬢も他の種族を恨んではいる。

ただ、お嬢の考えは恨み以外にも存在していた。

人間・魔族たちを殺すのは楽しい。

自分の実力を他人に見せるのも楽しい。

人間・魔族を殺せば、祐一たちが誉めてくれる。

その感情をメインに戦っているお嬢、この感情を表すには『娯楽』が適していると考えれる。

幼さがもたらす、悪魔の様な純粋さ。

それは祐一たちにすらない、お嬢の恐ろしさでもあった。

無論それは、ただの考察であり、真実とは異なったものである。

―真実は、お嬢の胸の内―

「じゃあ、行くよ…。」

そう言ってお嬢が詠唱を始める。  

「 Heretical talent borne by magic
  魔力から生まれた、異端の才   」

『詠唱加速(えいしょうかそく)』を使う事無く、静かに詠唱を始める。

佐祐理は、その隙を好機と取ったのか

「大気に宿りし風…『Tick the Wind(切り刻む風の円舞)』…!!!」

高速の風が、お嬢の命を奪う為に向かってくる。

『Tick the Wind』、高速で対象に襲い掛かり、体を切り刻む魔術。

簡単に言うと、カマイタチである。

だが、それすらも−他の魔術を詠唱しているというのに−再びお嬢の周りに現れた花弁の盾たちが

全ての風を防ぎきった。

からくりの仕掛けは、『Delayed magic(待機する魔術)』。

詠唱してすぐに魔術を展開させず、術者が望んだ時に使用出来るように待機させておく、高等詠唱術。

お嬢は、この展開を見越して静かに花弁の盾を待機させていたのだ。

「It was afraid in all and all were loved.
 全てを恐れ、全てを愛した

 In the inside of the big prairie like it cannot finish catching
 捉えきれぬほどの大きな草原の中で

 I consider the name of only one person and a darling person.
 ただ一人、愛しき人の名を思う

 The prairie which shines with gold
 黄金に光るその草原は

 Although it is immeasurable therefore, it is the fresh ground of lonesomeness.
 広大無辺であるがゆえに寂しさの境地

 Nobody follows and sticks to the place.
 故に誰もその場所には辿り着けずに

 The solitary sanctuary of me only
 今もずっと私1人の、聖なる世界

 さぁ……おいで、ボクの世界…。」

そしてようやく詠唱が終わった。

時間に直して、およそ15秒。

刹那の静寂が部屋を包み込むと、

「……え?」

佐祐理は、呆然とした表情で呟いた。

今まで戦っていたはずの部屋が消え、全く違う場所が現れたのだから。

見渡す限りのススキの生えた野原。

その魔術は『固有結界(こゆうけっかい)』。

それは、黄金の世界だった。

『固有結界(こゆうけっかい)』、その魔術は魔術師にとって最後の到達点。

無論の事、簡単に扱えるような魔術ではない。

人族で使える者は、両手を少し上回る程度しか居ないと言うのに。

それをあっさり使いこなしている目の前の少女に、佐祐理は畏怖を覚えた。

お嬢は、自分より少し短いススキをいとおしげに一撫ですると、

「じゃ、はじめよっか。」

少し上目遣いに佐祐理を見ながら、笑って言った。

その声に反応したのか、ススキがお嬢と佐祐理を囲むように燃え始めた。

炎で作られた即席の闘技場(アドゴウラ)。

おおよそ5m四方といったところだろうか。

無限の世界を誇る場所に、あえて有限を作る。

それは一見愚かしいように見えて、広域戦闘に最も適している戦術だった。

広い戦闘範囲を以って攻撃してくるのなら、範囲を狭くすればいい。

逃げるのならば、逃げられない様な罠を仕掛ければいい。

本能的にお嬢はそれを理解していた。

「じゃあ…、と思ったけどそっちから攻撃してきていいよ。」

攻撃態勢に入ろうとしたお嬢が、突如それを止める。

そして告げた言葉は、

「…え?」

戦闘相手である佐祐理が、意外すぎて硬直してしまうほどの物だった。

「だーかーらー、あなたから攻撃してきていいよって言ったの。 5m四方のリングであなたの

最高の魔術を放てば、流石にボクも防げないかもしれないし。 だから、さぁどうぞ。」

にっこり、笑って告げた。

不可解すぎる。

佐祐理はそう考えた。

罠?

いや、目の前の少女は策を弄して勝ちを得たいとは思っていないはず。

混乱も極みに達している頭で、必死に考えをまとめていく。

思考をまとめるのに要した時間は、僅か2秒。

佐祐理はゆっくりと魔術の詠唱に入った。

相手が邪魔して来る事は無い。

自信の最大の集中力を以って、自信の最大の魔力を以って、相手を倒すだけ。

「…力の全てを此処に!! 『Exceed Limit(限界さえ超越する魔弾)』!!」

佐祐理の全魔力を込めた魔弾が浮かび上がる。

その数、実に60。

炎のリングの上空に所狭しと並んでいる。
 
その魔弾は、全てが一撃必倒の威力を持っている。

『Exceed Limit(限界さえ超越する魔弾)』は、見た目とは違い直接攻撃する魔術ではない。

対象に触れると、対象の体の内側に侵食していき、内部で爆発する。

爆発と言っても、爆破と言う意味ではない。

相手の中に入り込んだ魔術弾たちが対象の魔力を奪い取るのだ。

自然、相手が魔術師なら勝負は決まる。

今の佐祐理が持ちうる、最強の魔術。

これで倒せなければ、自分には本当に後が無い。

「…お願い!!」

佐祐理の声に反応して、次々と魔弾がお嬢に襲い掛かる。

絶望的な速度で、お嬢の逃げ場は失われていく。

お嬢の逃げ場は無く、勝負は決まった。

そう、佐祐理は確信した。

だが、直撃を受けたはずのお嬢は少しの傷を受けただけで、何の揺らぎも感じられなかった。

「うん、いい魔術だったね。 おかげで、少し痛いよ…。 攻撃もさせてあげたんだから、次は

ボクの番でいいよね?」

…佐祐理に、もはや抵抗するだけの気力は残っていなかった。

両膝を地面につく。

もう、強力な魔術を使えるだけの魔力も無い。

目の前にやってきた『死』から、逃れる術は無い。

「これでおしまい。 『Freeze Statue(心まで凍りつく人形の氷像)』。」

佐祐理の体が、お嬢の言葉と共に凍っていく。

「あ…。」

体も、意思も、自分を形成している物が、全て凍っていく。

佐祐理は、抵抗の意思なのだろうか、一筋の涙を流すと、完全に凍ってしまった。

美しき氷の彫像。

涙を流している美少女、と言うモチーフのおかげか、神秘さまで加わっている。

その出来具合に、お嬢は思わず頬を緩める。

「そうだ、これ、晃也と祐一に見せてあげよう!」

そう呟くや否や、お嬢の体がぼんやりと発光する。

お嬢の魔力が、空気を伝わっていく。

目標は、祐一と晃也。

『祐一、晃也、聞こえてる?』

勝手に喜んでしまっている自分の意思を堪えながら、2人の名前を呼ぶ。

『お仕事が終わったら倉田佐祐理の部屋に来て。 面白いもの見せてあげる!』

言うべき事はそれだけ。

後はこの彫像を見てもらって、充分に驚いてもらおう。

「早く来ないかな…。」

まるっきり子供の表情で、お嬢は祐一たちの到着を待った。

その氷像の出来具合に祐一たちが絶句したのは言うまでも無いだろう。

その時のお嬢の顔は、本当に邪気の無い笑顔だった。

「えへへ…、すごいでしょ?」









































氷像の中にいる倉田佐祐理は、消えかけていく意識の中で考えていた。

何故、自分があの娘に殺されたのか、と言う事を。

佐祐理は今の時点では、お嬢たちが『亜族(許されない存在)』と言う事を知らない。

朦朧としていく意識は、答えの出ない自問を繰り返すだけだった。

…これが起こったのは、本当に奇跡だった。

「…佐祐理!!」

1人の少女が、佐祐理の前に現れたのは。

佐祐理は動かないはずの氷の中で、少し笑顔を浮かべた。

夢の中でも、最後に一番の親友に会えたことが嬉しい。

そんな感じだった。