第5話 「襲撃 前編」











































「で、今日の予定は? どうするの?」

学生寮の一室で、お嬢が尋ねる。

学園の生徒になった時点で、通学が不可能な者は寮住まいを許可される。

Aクラスは無条件で、Bクラスは上位の者が個室を与えられている。

ちなみに今集まっている部屋は祐一の部屋である。

閑話休題…路線復帰

「どうする、晃也?」

「…今日は倉田、美坂、もしくは北川だな…。 距離的に一番遠いのが北川。 その代わりに

付近の住民が少ない。 倉田はその逆。 美坂が2つのちょうど中間だ。」

どれにする、と目で軽く問う。

「うーん…、いっぱい殺せる方が良いんじゃない?」

「そうだな。 今日は倉田にするか。」

あっさりと答えは決まった。

…間違いなく難易度は一番高いであろう、倉田家の襲撃に。

「…では、今日は倉田だ。 襲撃はいつも通り午前0時。 今日は雪が降っているから、

特にお嬢は防寒対策をしておけ。」

無表情のままそっけなく言う晃也。

だが、その言葉には深い優しさがあった。

元々、晃也は人を気遣う事を苦にしない、優しい性格だった。

他の者が嬉しくて笑っていると自分も笑い、悲しんでいると本当に親身になって相談を受ける。

『いい人』を地で行く素晴らしい少年だったのだ。

だが、今はその面影は殆ど見えない。

時折、祐一やお嬢に見せる程度になってしまった。

祐一とお嬢は、今と昔の晃也の差に、戦争の業の深さをいつも感じている。

その度に、耐え切れなくなるほどの憎しみが自分の中を渦巻いていく。

それが、今の祐一たちの行動概念だった。

全ては仲間(あぞく)たちの為に。

祐一たちは、今日も『復讐』の舞台に上がる。


















































しんしんと雪が降る『Kanon』の国。

寝静まった銀色の国は、黒い3つの影を鮮やかなまでに映し出していた。

黒いコートにうっすらとかかっていく銀の結晶。

それは、幻想的な光景だった。

目の前にあるのは倉田の屋敷。

今日の復讐劇の舞台である。

「…確認する。 倉田の実力者は3人、当主倉田厳治、娘佐祐理、息子の一弥だ。 祐一の担当が

一弥、お嬢が佐祐理、俺が厳治を殺る。 今回もお嬢に乗り込む前に『Bloody Force(全てを奪う紅)』

を使ってもらう。 …頼むぞ、お嬢。」

「うん、ボクに任せといてよ!」

にっこりと笑うお嬢。

それは掛け値なしの真っ直ぐな笑顔。

すでに『陣地解析』と言う魔術を使用して、屋敷の見取りを二人に伝えた時に褒められて

いるので、やたらと機嫌が良かった。

「で、俺の相手は一番未熟な倉田一弥かよ…。」

うなだれながら、祐一が言う。

晃也から一刻でも早く勝利を挙げたい祐一は、なるべく強い者との戦闘を望んでいた。

今回それに当たるのは、剣士のクラスとしてはかなりの実力者の厳治だろう。

一弥は良く見積もっても中の中〜中の上程度の使い手止まり。

はっきり言って祐一の相手にはならない。

そして祐一が戦いたい厳治を相手するのは晃也だった。

また差が開いてしまう、焦燥にも似た気持ちが少し出てくる。

「…そう言うな。 魔術を行使する剣士である倉田厳冶、『空魔』があるとはいえ戦術的に
 
 こちらの方が確実なんだ。」

「判ってる。 お前の作戦に外れは無いからな。」

が、こればっかりは仕方ないと割り切る。

倉田一弥も弱い、と言うわけではない。

たくさん攻撃をさせて、その中で使えそうな技をいただこう。

…祐一は割と狡猾だった。

この狡猾さ、抜け目の無さが自分の実力を上げている事を、祐一は気付いていないのだが。

そして、それを自覚すれば更に強くなると言うことを二人は知っていた。

「…では、健闘を祈る。」

「ああ、頑張ろうぜ。」

「まかせといてよ。」

3人は拳をつき合わせると、そのまま屋敷の中へ入っていった。 













































「さて、本命の敵では無いけど、せいぜい楽しむとしますか。」

屋敷の中を走りながら、祐一は呟く。

祐一にとって戦闘は復讐以外の価値は殆ど無い。

相手が自分よりも格下ばかりだから。

自分と同等の、もしくは自分を越える者との戦闘こそが、自分の実力を上げる最良の方法だと、

祐一は知っている。

晃也に勝つ為には、もっと死線を潜り抜けなければならない。

まだ霞んでしか見えない高い、高すぎるほど遠くにある壁。

それを乗り越える日は何時になるのだろうか。

だが、高ければ高いほど、登った時は気持ちがいい。

倉田一弥の部屋に到着する。

最強の2文字を諦めると言う選択肢は、最初から無い。

だからだろうか。

眠っていた倉田一弥をわざわざ起こしたのは。



































祐一が一弥の部屋に侵入したというのに、当の本人は眠っていた。

久瀬の屋敷の時とは違い、完全に気配を隠していたのだが、それにしても無防備すぎる。

静かな寝息を立てて、すぐ隣に待つ『死』に全く気付いていなかった。

戦場に生きる者としては、信じられないような失態である。

「…馬鹿か、コイツ?」

呆れたように呟く祐一。 

いや、実際呆れていた。

確かに『Kanon』は治安の良い国として有名ではある。

だが、昨日5000人と言う大量の人間が死んだ−恐らくは他殺だろう、そう新聞には書いて

あった−その夜に此処まで無防備なのは、はっきり言って戦う者としての資格すらない。

殺そうと思えば、眠ったまま倉田一弥を殺せる。

だが、それでは何の意味も無い。

普通にやっても殺せる相手なのだから、精々役に立ってもらう事にしよう。

そう祐一は決定して、静かに気配の封を解いた。

…途端に騒ぎ出す殺気と言う死の風。

そこでようやく一弥は目を覚ました。

枕元に置いてあった剣−洋刀で、長さも一般的のツーハンドソードだろう−を握り、こちらを

睨んでいる。

「…何か、僕に用ですか?」

固い構えのまま、見当違いも甚だしい問いを尋ねる祐一。

…祐一の視線が、氷の様に冷たくなった。

殺意の波動は、さっきとは比べ物にならないほど膨れ上がっている。

「眠ったまま死ぬのは嫌だろうと思ってわざわざ起こしてやったんだが、お前には興醒めしたよ。 

倉田一弥、自身の力の無さを知り、嘆きながら死ぬといい。」

祐一の『高月(こうづき)』が面を上げる。

日本刀、『高月』。

自分達を庇って逝ってしまった、大好きだった二人の名を一文字ずつ付けた祐一の愛刀。

その美しい銀の輝きが、緊張感を更に高めていく。

祐一は『高月』を抜刀したまま、一歩も動かない。

一弥は洋刀を握ったまま動けない。

そう、倉田一弥は動く事が出来なかった。

幼い頃病気がちだった自分を、姉の佐祐理や父の厳治が過保護に育てすぎた。

16歳になったというのに、まだ1度たりとも実戦をこなしていない。

死に瀕する事は、一切一弥にはやらせなかった。

その結果、本物の殺気の前に体が動かなくなった。

ただそれだけの事である。

「…そうやって、一歩も動かずに死にたいのか? 折角、こっちから撃たずに待ってやってるんだ。

全力で来いよ。」

祐一の容赦ない言葉。

その言葉で、ようやく一弥の体が少し動いた。

完全に固まっていた筋肉が、少しずつ柔らかさを取り戻していく。

固かった構えも、いつも通りの構えに戻る。

『これなら…行ける!』

軽いステップを2つほど入れて、一弥は祐一に迫る。

祐一はそれでも動かない。

一弥の動きを、観察する様にじっと見つめていた。

ブゥン!!

大きな音を立てて、一弥の剣が打ち下ろされる。

それを半歩、後ろに下がって避ける祐一。

…まだ攻撃しようとはしない。

一弥は打ち下ろした剣を、重力に逆らって強引に上に押し上げる。

ブゥン!!!

今度は祐一の前髪が数本舞った。

それでも、祐一の表情は変わらない。

そこで一弥は一旦間合いを取った。

自分ばかりが手の内を見せているだけでは負ける。

それを本能的に一弥は知っていた。

祐一の攻撃を待つ一弥。

その意図に祐一が気付いたのか。

一つ舌打ちをして少しだけ怒りを込めた表情をして、独特な構えを取った。

刀を水平に返し、左手に刀の先端を添えるような構え。

右手は勿論刀の柄を握っている。

「お前の実力では、これは避ける事は出来ない。 動かなければ『死』に気付く事無く、楽に

死ぬ事が出来るぞ。」

「…動けば?」

「激痛にのた打ち回り、失意の中で死ぬだけだ…!」

そこまで言って祐一の体がその場から消えた。

一弥にとっては勿論初見の技、『神速(しんそく)』。

それも、2段階目。

動体視力を良くする訓練を受けている一弥であっても−いや、学園内でBだのAだので喜んでいる

連中では恐らく見切る事は出来ないだろう−祐一の姿は見えていない。

それは偶然だった。

当たる直前に祐一の姿が−霧がかかった様にだが−見えたのは。

「『牙突(がとつ)』…!」

ザシュッ!!!!!

「ガッ…!!」

一弥の左胸に、一筋の刀傷が入る。

それだけでも十分に死に至る傷だと言うのに、祐一の『牙突』はまだ止まらない。

一弥の体を前に押し出しながら、壁に叩きつけた。

ドォン!!!

「がっ…はぁっ……。」

背中から壁に打ち付けられる一弥。

足は地面についていない。

『高月(こうづき)』が一弥の胸を貫いたまま壁に刺さり、それが一弥を支えていた。

体重の重みで、徐々に体は下に降りていく。

一弥の体は−それに呼応するように−切り裂かれていく。

「ギッ…いっ…。」

人間であれば間違い無く耐え切る事は無理であろう痛みを、受け続ける。

徐々に地面に近づく体。

徐々に機能を奪われていく体。

『高月』から滴り落ちる一弥の鮮血。

致死量は、もうとっくに越えている。

どさっ…

「アギィィィッッッ!!!!」

ようやく一弥の体が地面に到着した。

劈くような狂気の悲鳴と共に。

「…だから忠告してやったと言うのに。 動けば激痛にのた打ち回る事になる…と。」

「ギッ……!!」

ずぶり、肉の裂ける鈍い音を立てて『高月(こうづき)』を一弥の体から引き抜く。

取り出された『高月』は、柄の部分までが一弥の血によって紅(あか)く紅く−それは明らかに狂気の色−

染まっていた。

べたつく自分の愛刀に思わず舌打ちをすると、

ズシャッ!!!

遠慮も情けも一切かけず、一弥の首を切り落とした。

一息遅れて流れ出す大量の血液。

それは、血の噴水の様だった。

「俺の大切なモノを汚した報いだ。 死んだのは、自分の弱さのせいだ。 せいぜい自分の弱さを呪い、

地獄での生活を送るといい。」

それだけ言って祐一は簡易魔術で水を取り出す。

その水で丁寧に血を取り除く。

綺麗に洗われた刀を一振るいし、祐一は呟いた。

「任務完了、だな。 …ちっ、結局使える技も手に入らなかったか。」

それだけ言うと祐一は一弥の部屋を後にした。










































『祐一、晃也、聞こえてる?』

突然、頭の中にダイレクトで音声が伝わってきた。

声の主は恐らくお嬢。

と言うか魔力を使って声を伝達させるような奇妙なマネはお嬢以外出来ない。

『お仕事終わったら、倉田佐祐理の部屋に来て。 面白い物、見せてあげる。』

嬉しそうな口調でそれだけ告げると、プツンと音声は途絶えた。

残るのは闇夜と静寂。

「しかたねぇな…。」

一つ大きな溜息を吐くと、祐一はお嬢の元へ走り出した。

前回は、色んなモノのパーツをあわせて出来上がったヒトに近いモノだった。

はたして今回は、どんな魔境が出来ているのやら。

期待半分、恐れ半分の微妙な気持ちを抱えたまま。

少しだけ笑みを浮かべて、仲間の所へと急いだ。