第1話 「始まりの国」
音も無く3人は雪の降る道を歩いていく。
彼らが目指している国は始まりの国『Kanon』。
全ての国は、この『Kanon』を中心として出来ている。
人口、土地、共に最大の大国である。
今までに潰してきた村−昨日のも含め、およそ30−は、言ってみれば予行にしか過ぎない。
それほど『Kanon』を潰すと言う事は意義のあることだった。
先導している晃也は一言も発さず、後ろの祐一とお嬢も喋りはしているものの、いつもの様な
明るい雰囲気にはなれなかった。
それもそのはず。
『Kanon』には、個人的な恨みがある奴等がいるから。
祐一・晃也・お嬢、3人とも『Kanon』の人間に殺されている。
幼い頃に瞼に焼きついた、『Kanon』の紋章。
それは、祐一たちにとっては負の産物のような存在だった。
「…くしゅっ!」
そんなシリアスな雰囲気の中、不意にお嬢がくしゃみをした。
これは、間違いなく天然だ。
いくら魔術に長けているとは言え、まだ15歳の少女なのだ。
寒くないはずが無い。
祐一と晃也は眼を見合わせ少し苦笑すると、自分たちのコートをお嬢に差し出した。
「あっ、ありがとう!」
それをうれしそうに羽織るお嬢。
見せる表情は、本当に人間の少女と変わりなかった。
その光景に微笑むと、また歩き出した。
祐一たちは、確固とした目的がある。
どんな事があっても、必ず人・魔族を殺すこと。
その為には、多少の無理は厭わない。
それを判っているからこそ、お嬢も何も言わず晃也の後ろに続いた。
「ねぇ…、後何分で着くの?」
1時間ほど歩いただろうか、お嬢が耐え切れなくなったのか祐一に尋ねる。
「さぁな。 たぶんもうちょっとで着くとは思うけど…。」
「祐一の言うとおりだ。 もうすぐ肉眼で確認できる。」
祐一の言葉に続けて、晃也が言う。
晃也の目線を追うと、うっすらと白い城壁が見えてきた。
始まりの国、『Kanon』に違いない。
「時間に直すと、後5分。 疑われると面倒だから、魔気は消しておけ。」
素っ気無く言い捨てる晃也。
普通の人にしてみればなんと気遣いが無いと思うだろうが、裏では晃也が気遣ってくれている
事をちゃんと判っている。
心配してくれていなければ、わざわざ魔気を消せなどとは絶対に言ってこない。
晃也は無駄な事は殆ど喋らないのである。
ちなみに魔気とは魔族、もしくは亜族が持つ特殊な雰囲気の事である。
一定のレベルを超えた者なら比較的簡単に消す事はできる。
祐一とお嬢は互いに頷くと、魔気を完全に消した。
続いて晃也も魔気を消す。
「…入国許可をお願いします…。」
『Kanon』内でもわりと高級なホテルの一室を借りる事にする。
セキュリティーが甘い所では、自分たちの存在を話の節々で気付かれる可能性があるからだ。
金銭に余裕のある祐一たちは、大きな都市に泊まる時は、必ず少し高めのホテルに泊まる事にしていた。
何事も万全の状態で始めたいからである。
「では、今回の作戦内容だ。 …今回は、『Kanon』でもわりと有名な久瀬の家を中心に叩き潰す。
…何か質問は?」
簡潔な説明を終える晃也。
効果は最大限、無駄は最小限が晃也の基本。
それにこのメンバーの中では遠慮などは一切無い。
判らない事があれば即座に聞く。
自分の命がかかっているのだから真剣になるのは当たり前かもしれない。
それに加えて祐一たちには目的がある。
だからなおさら、死ぬわけにはいかない。
「なんで久瀬からなんだ? もっと下っ端から潰した方が警備は薄くなるんじゃないか?
わざわざ相手側を面倒くさくする必要はないだろ?」
「…だったら俺からも質問だ。 お前はそれで満足できるか?」
静かな声で、晃也が言う。
その声は、大きい声でもないのに部屋中に響き渡った。
「なるほどな。 確かに俺たちはそれくらいじゃ満足できない。 相変わらず最高の作戦だ、晃也。」
「ほんと。 晃也っていつもすごいね。」
「…別に誉めてもらう様な事ではない。 お前らの性格が判っているから、これが一番良いと判断
しただけだ。」
無表情のまま、晃也は呟いた。
戦争の結果無表情の仮面をかぶった晃也だが、誉められた時でもそれは揺るがない。
それでも、祐一とお嬢には晃也の感情が少し見えていた。
『照れくさい』という、少年らしい感情が。
「決行は今夜の午前0時。 今日の数は5000だ。」
それだけ言うと、晃也は部屋を出て行った。
祐一とお嬢は顔を見合わせて、そして笑った。
A.M 0:00
祐一・晃也・お嬢の3人がホテルから出てきた。
『Kanon』の夜は早い。
一年中雪が降るその土地柄、夜になるのが非常に早かった。
今夜は珍しく雪が降っておらず、綺麗に澄み切った星空が、月が祐一たちを照らしていた。
3人には月が良く似合った。
そして3人とも、月が好きだった。
無遠慮に照りつける太陽よりも、優しく照らしてくれる月が好きだった。
3人が3人とも黒いコートに身を包み、悠然と空に輝く月を見上げた。
「さて、行くか!」
「…了解。」
「じゃー頑張って行こうね。」
お互いの声で確認すると、滑るように走り出した。
雪は足元に積もっていると言うのに、全く音はしなかった。
その光景は、少し神々しさが感じられた。
「…早速で悪いが、お嬢、『Bloody Force(全てを奪う紅)』は使えるな?」
久瀬の館が眼に見える所まで来た途端、晃也はお嬢に言った。
「うん、使えるよ?」
「手間を省く。 『Bloody Force(全てを奪う紅)』が発動してから、3分後に突入する。
久瀬の当主は任せたぞ、祐一。」
「ああ、任せとけ。 お前らは久瀬の息子だったよな?」
「…そうだ。 本当は2人がかりなどしなくても余裕だが、一応俺もついていく。」
「とにかくわかったから、2人ともちょっと離れて?」
お嬢が話をさえぎるように言う。
お嬢自身、頭自体はとてつもなく良いのに、なぜか小難しい話は大嫌いなのだ。
「……『Bloody Force(全てを奪う紅)』……。」
短い詠唱の後、紅い帯が久瀬の屋敷とその周辺の屋敷を次々と取り囲んでいく。
晃也にはやや薄く、祐一には本当に薄ぼんやりとしか見えていなかったが。
「じゃあ、こっからは別行動だな。 任せたぜ、晃也、お嬢。」
闇に紛れる様に、祐一は消えた。
気配も絶っているので、視覚でないと確認できない。
恐らくはもう突入している事だろう。
「…俺たちも行くぞ、お嬢。」
「うんっ!」
二人も祐一に続くように、闇に消えていった。
「さすが晃也。 あいつの作戦、本当無駄がないな。」
祐一が感嘆の息を漏らしながら、久瀬の館を走り抜けていく。
館に配置されていたSPたちは、みな魔力不足と生命力不足のために、地面に伏していた。
無駄に広い屋敷の一番奥。
この屋敷の中でも一際豪華な扉。
お嬢の『陣地解析』の位置と相違は無い。
祐一はその扉を堂々と開け放った。
パァン! ギィン!!
それは一瞬の攻防。
一応魔術師の端くれである久瀬は館の異変に気付いていた。
その為眠りにつく事無く、息を殺して銃を構えていたのだ。
だが、そんな健気な行為も祐一の前では無意味だった。
祐一や晃也、お嬢には銃、それも実弾銃はまず当たる事は無い。
死すら生温いような地獄を味わって来た者にとって、素人同然の銃技が当たるはずも無かった。
「お前が、久瀬達臣(たつおみ)で間違いないな…。」
先程までの表情とは全く違う、冷たい表情で問う祐一。
この瞬間に、祐一は復讐者に戻っていた。
対する久瀬は沈黙。
いや、喋る事が出来なかったのだ。
祐一の、あまりの威圧感に。
「沈黙は肯定とみなす…。 俺たちは、過去の罪を償わせる為に此処に参上した。 貴様には此処で
死んでもらう…。」
間違いようの無い、死刑宣告。
その言葉が終わると同時に祐一の体がぶれる。
『神速(しんそく)』。
感覚時間を引き延ばし、超高速移動をする最強の歩方。
達臣の目には祐一の姿は殆ど映ってない。
ただ、何の前触れも無く死が襲ってくるだけだ。
「…死ね。」
祐一が達臣の後ろに姿を現す。
右手に持っていた刀を鞘に戻す。
キンッ!
小気味良い音が部屋に響き、その音と同時に達臣の首が飛んだ。
表情は恐怖に駆られたまま。
何をする事も出来ずに、久瀬の当主は死んだ。
「後は、晃也とお嬢に任せれば大丈夫だろ。 俺はもう戻っておくか…。」
小さく呟くと、祐一は音も無く黒いコートを翻し部屋を出た。
黒と紅に彩られたコートが、月夜の淡い光に輝いて、とても美しく見えた。
祐一が達臣を殺す前の時間を遡る事、2分。
「ここか、お嬢?」
「うん、間違いないよ。 微弱だけど、魔力を感じるしね。」
晃也とお嬢は久瀬達臣の息子、達人(たつひと)の部屋の前に立っていた。
「今回はどちらが殺る? お前がいくのか?」
「うーん、どっちでも良いよ。 晃也がやる気出ないんだったらボクがやっても良いけど。」
にっこりと笑って、お嬢が言う。
その屈託の無い笑みに、晃也は少し微笑った。
「では今回は俺が殺る。 お前は何もしなくていい…、俺が完全に守りきってやる。」
「うん、じゃあ任せるね。」
それで会話は終わり。
此処からは、復讐者として行動しなければならない。
部屋の扉を無造作に開ける。
「『Aqua Bullet(水の弾丸)』!!」
開けた瞬間に、達人の魔術が襲ってくる。
達人は、今の不穏な雰囲気を感じ取っていたのだ。
部屋の扉の向こう側からの魔力も感じていた。
だから先手が取れたのだ。
しかし、晃也の瞳は小揺るぎもしない。
「…ふっ!」
即座に小太刀を抜刀すると、全ての水を叩き落す。
魔術であるが故に個体としての性能を持っているから、簡単に水の弾丸たちは地面に落ちた。
「そんな微温(ぬる)い魔術で俺を殺すつもりか? 俺を殺すのならその程度の魔力では永遠に不可能だ。」
小太刀を鞘に戻しながら、無表情のまま、晃也が言う。
だがその眼には明らかな侮蔑の感情がこもっていた。
「な、何だと…!」
その言葉と眼に、達人は激昂する。
久瀬は有名ではあるが、魔術師の家系としては2流だった。
それでも、プライドはある。
鍛錬を重ねてきた魔術を否定されたのでは仕方ないのだろう。
もっとも、それを口に出せば『その程度で鍛錬したと言えるのか?』と余計に見下されるだろうが。
「気に障ったか? ならもう一度、魔術を撃たせてやろう。 お前の最高の魔術で、俺を殺して見せろ。」
そう言って、少し微笑った。
その笑みは、どこか狂気に近いものが感じられた。
「後悔するなよ…! 深遠に眠る全ての炎よ……………、我の手に!
『God Flame(神さえ滅ぼす紅蓮の炎)』!!」
達人の手から爆炎と言ってもおかしくは無いほどの炎が迫ってくる。
恐らくは上級魔術に位置するであろうそれを撃たれても、晃也は全く動じる事はなかった。
「微温(ぬる)いな…。 『Ice Wall(氷の障壁)』。」
声と呼応して、晃也の前方に大きな氷が出現する。
晃也1人を守るには大きすぎるが、お嬢には指一本触れさせないと約束したので、それを律儀に
守っているようだった。
達人が放った渾身の炎渦は、晃也の氷の壁によって完全に相殺された。
「…気は、済んだか? では、消えてもらう…。」
晃也が小太刀に手をかける。
その構えのまま、『神速』に入った。
晃也の体が掻き消える。
全ての時間をスローに感じながら、晃也は進んでいく。
…死を届ける為に。
「…『薙旋(なぎつむじ)』…!」
ザシュッ! ザシュッ! ドシュッ! グシャッ!
4の斬撃音が部屋に響くと、達人はそのまま命を手放した。
部屋中に飛び散る鮮血。
当然、返り血が晃也に飛び掛る。
それを避けようともせず、晃也は自分の小太刀に付着した血糊を、まるで汚らわしい物を
払うように一振るいした。
「お嬢、返り血は…?」
「うん、大丈夫、一滴も当たってないよ。 ありがとう、晃也。」
「…約束だからな。 今回は指一本触れさせないと…。」
無表情のままだが、そっぽを向く晃也。
その姿を見て笑うお嬢。
本当に不器用、と思いながら…。
「じゃあ、いこっか? 祐一も待ってると思うよ?」
「…ああ、行くか。」
二人は並んでその部屋を後にした。
残されたのは死体のみ。
『亜族』の復讐が、また一つ成就された瞬間だった。
「よう、遅かったな。 手間取ったのか?」
既に戦いーと呼ぶには些かあっさりしたものだったが−を終えていた祐一が軽く言う。
「…愚問だ。 先に魔術を撃たせてやっただけだ。」
「詠唱が無駄に長いから、時間がかかっちゃったんだよね。」
憮然とした表情で晃也が、くすくすと笑いながらお嬢が言う。
「なるほど。 まっ、これで今日の任務は成功って事か。」
「ああ。」
「完璧だよね〜。 私は出番が無くてつまらなかったけどぉ。」
口々に言いながら、3人はハイタッチを交わした。
始まりの国『Kanon』での復讐の第一ラウンドは、『亜族』の圧倒的な勝利で幕を閉じた。