雨が舞っていた。

 強く地を打ち付ける音と共に己を地に散らしていく。
 
 ザアァッ・・・と絶え間なく響く雨音。それは果たして彼女に届いているのだろうか。
  
 彼女は舞っていた。
 
 その身に雫を宿し、ただ、まっていた。
 
 ずっと、ずっと、ずっと―――。


                  言ノ葉の雫

 
 傘を雨が打つ音が響く。パシャパシャと水を弾きながら舗装もされていない砂利道を特に行き先も決めず歩いていた。
 
 雨が好きではないがどこか落ち着いた雰囲気になれた。何日も部屋に籠もってれば当たり前かもしれないが。
 
 適当に理由を探して出てきたが特に何がしたいわけでもない、どちらかというとその理由を探しに歩いているようなものだった。そういう意味ではこうやって歩いていることで目的はもう達成してると言えるのかもしれない。
 
 どうにも頼りない傘越しに雨を眺めながら歩いていた。特に用事もなく出てきてこの雨だ、ただでさえ行く場所は限られてくる。金銭的には多少の余裕があるのだが生憎と近くに喫茶店やファーストフード店などという気の利いたものは存在しない。
 
 田舎だった。いろいろと挙げるべきはあるけれどとりあえず田舎だった。都会の喧騒から離れた静かな場所で受験勉強を、というにしても些か味気なさ過ぎる気がする。母さん側の田舎らしいのだが過去に訪れた記憶など残っていなかった。

 知らない田舎。その雰囲気はあまり落ち着けるものではなかった。それも家に居たくなかった一因かもしれない。
 
 そうして散策のようにしてふらふら歩いていると遠目に神社の鳥居を見かけた。石造りの階段の先にあるそれはいかにも、といった雰囲気を醸し出していた。
 
 少し考え、そちらに足を向ける。ご利益などを信じるわけではないが理由付けぐらいにはなるだろうと考えて。
 
 水を弾きながら階段を上がっていく。そんな間にも雨足は強まっているようだった。水が大量に靴に入ってどうにも歩きにくい、雨宿りでもついでにしようかなとか思ったりした。
 
 それなりに長かった階段を上りきり鳥居を潜ると思ったとおりの広い石畳と砂利の境内が広がっていた。それとこっちは意外と思えるほど小奇麗な社。そして。

「え・・・・・・・・・?」

 少女が舞っていた。

 朱色の肌着に薄い、それこそ羽衣というような白い布を纏って少女は傘もささず、舞っていた。

 白い袖からとめどなく水滴が滴る。体が回転するだびに重そうに装束もその後を追う。されど、少女は舞う。舞い続ける。

 その舞はどこか自分の中にあった日本的な舞のイメージとは異なっていた。思い浮かべた舞というのは儀式的な、そう厳粛なイメージがあった。静かな祈りに似たそのイメージ。舞うものの感情は押し殺され、舞は祝詞の言の葉へと代わりをなすように。

 けれど、少女は舞っている。あらゆる感情を舞に込めるようにして。想いのままにステップを踏み、舞って、ある時は止まって、空を見上げて、また舞って。

 雨に打たれながら、ただ、想いのままに踊りつづける。願いを乗せて、まるで懇願を舞いにのせるようにして。そう考えるとこれもまた舞としての一つの形なのかもしれない。そんなことを感じながらその様子をただ、魅入られたようにぼぉっと見つめていた。

 どれくらいの時間がたったのか、少女の動きが止まった。一点を、こちらを見つめて。

 視線が交錯した。舞っていたときとは違い能面のような無表情。こうして見ると少女という年ではないように思えた。自分より二つか三つか、そのくらい下ぐらいか。

 そんなことを考えてるうちに少女の顔に感情が戻ってきていた。こちらに薄く微笑んでから。

「こんちにわ」

 柔らかい声だった。間を埋める雨の音がやけに場違いに感じる。

 濡れた髪から雫が落ちる。それでやっと少女の今の格好に気がついた。

「風邪、ひくよ」

 そんな他愛のない一言。それを少女は表情を変えずに。

「引けたらいいんですけどね」

 でも、と。

「こんな殊勝な巫女さんに神様が風邪なんてひかせないですよ」

 悪戯っぽい笑みを浮かべてそんなことを言った。

「何て罰当たりな巫女さんだ」

 苦笑交じりで応えて、ゆっくりと少女の方に歩みを向けた。どちらにしろこのままでいるのは良くない。傘に入れるにしろ雨宿りするにしろ早めにしたほうが良かった。

「そうですね。でも――」



「――神様なんていませんから」



 だったら、引けるかもしれないんです。そう表情を変えずに。

「え・・・」

 踏み出した足が地に張り付いた。

「あれ、信じてるんですか、神様?」

「いや、そういうわけでもないけど・・・」

 神様の存在を否定する巫女というものが果たしていいものかどうかとは思う。

「ですよね」

「でも、さっきのは・・・」

 先ほどまでの舞を思い出す。あれはそのような存在に向けたのではなかったのか。ただ、溢れる感情のままに?それは・・・違う気がした。

 少女の眼がこちらの眼を捕らえる。そして柔らかい、どこか悲しげな笑みを深めて。

「・・・・・・ってたんです・・・・・・」

 小さく紡がれた言葉は雨にかき消されていく。

 小さくもう一度、雨の音とは違うところで響くようにそれは明瞭に届いた。

「あなたを、まってたんです」

 雨とは違う雫が少女の頬を伝って落ちた。聞こえるのは雨の地を叩く音。

 少女は、まっていた。その身に雫を宿し、ずっと。

























 夏といえど雨の日は冷える。だからこそ冷えた体に入れてもらったお茶はありがたかった。少女のほうはさすがに濡れた服のままでいるわけにもいかず着替えにいったが。

 神主か、誰用かは分からないが神社の仕事に従事する人のための居住空間のような場所だった。ござっぱりしていて生活用品も最低限しかない。所々におかれた多種のぬいぐるみが女の子の住む場所なのだと認知できる程度。神社の居住施設としては適当なのだろうけど、一人の女の子の住むところにしては殺風景過ぎるような気がした。

「お待たせしました」

 そういってはいってきた少女――姫井憂は先ほどと同じ装束に身を包んでいた。おそらく替えが何着かあるのだろう。

「あぁ、いや悪いね。上がらして貰っちゃって」

「いえ、いいんですよ・・・・・・ええと・・・」

「空也。甲立空也」

「甲立、さん?」

「あぁ、空也でいいよ。甲立って呼ばれるのは予備校の中だけで十分だ」

「じゃあ、私も憂でいいですよ。苗字で呼ばれると距離感じますし」

 品のよい笑みを浮かべた、けれどどこか親しみのある笑顔。つられてこちらも笑った。

「空也・・・・・・さん、空也さんはどこから来たんですか?」

 よいしょ、と自分で座布団を持ってきてその上にどっかりと足を崩して座り込む。正座もなにもあったもんじゃない。どうにもイメージと行動が合わない子だ。

「あぁ、東京の外れから。よく分かったね俺が余所者だって」

「いえ、この時期に地元の人はきませんし」

 余所者、というところは否定しないようだ。事実なのか、気づいていないのか。

「へぇ・・・こんな立派なのにか」

 信心がないのかもな、とどこかで思った。先ほどの憂の言葉を思い出す。あれは憂だけではなくこの村の風潮なのかもしれない。他人のことを言えたものでもないのだが。

「えぇ、しょうがないんですけど。この時期に来るのは鳥とか観光者さん、時々写真家さんぐらいです」

「来るのは閑古鳥じゃないのか・・・・・・それに残念ながら俺は観光・・・でもないよ」

 えっ、と本当に、心底驚いたように憂は目を見開いた。

「観光・・・・・・じゃないんですか、じゃあ・・・・・・?」

「母親の田舎なんだよ、ここ。とはいっても来るの随分久しぶりらしいから記憶とか思い出とか、ないんだけどね」

「そうですか・・・・・・」

 少し、考えるように目をふせる。そうやっていれば随分と装束が様になっているように見える。

「そうだ。そんなに人来ないんだったら何で巫女さんなんてやってるんだ」

「・・・・・・・・・お祭りがあるんです。その前準備ってところですかね」

 今度は相応に微笑んだ。ずずっと行儀悪くお茶を啜る音が響く。

「お祭り?あぁ、何かいいな、それらしくて。いつあるんだ?」

「・・・・・・多分、一週間後に」

「一週間後か・・・・・・あー、次の日に模試がある。その時には東京に戻ってなきゃ、だな・・・」

「そうですか」

 残念です。と表情を変えずに言った。

 雨の音が屋根越しに響いていた。繋がる会話に紛れもせず、途切れさせもせず心地よい音を奏で。

 無駄話と世間話の中間のようなことを話していると、雨が建物を叩く音が弱くなっていた。時刻を見ると、もういい時刻になろうというところだった。

「おっと・・・・・・そろそろ、帰んなきゃな。これ以上は言い訳もできない」

「あ、そうですか?」

「あぁ、親が何も知らない割にうるさくてね。お茶ご馳走様」

「はい、あの、えっと・・・・・・」

 視線を逸らして何か言いずらそうに言いごもった。

「どうした?」

「その、よければ・・・・・・また来てください。私、ここにいますから」

 暇なんです、と付け加えた割りにどこか真剣みを帯びた目だった。内心苦笑する。なんだが初めて女の子らしいところを見た感じがした。

「あぁ、寄らしてもらうよ。じゃあね・・・・・・憂、ちゃん」

 茶化さずにしっかりと答えた。自分で言っといて、名前を呼ぶのに少し照れた。中学生じゃあるまいし、と自嘲する。

「えぇ、またお茶用意しときますよ。空也さん」

 笑顔。社交辞令のそれとは違う自然な笑みだった。

「期待してるよ」

 ぴちょん、とどこかで水滴が落ちた音が聞こえた気がした。























 そんなに足しげく通ったわけではないけれど何度か憂に会いに行って、時間を共有して、たわいない言葉を交わしたりした。何も話そうとはせずただ、二人そこに一緒にいるだけで別々ことをやってたこともある。けれどそれでも別に良かった。
 
 お互いがただ、そこにいるということだけで良かった。最初はこれが田舎の静寂がもたらすものかと思っていたけれど、他の人と話したり、一緒にいたりしてもそう感じないのだから憂という少女個人が持つ雰囲気の産物なのだろう。

 それが心地よく、何もしていないそんな中で充足に近いものを得ていたように感じた。

 しとしとと小雨がちらつく。奥の縁台に二人腰をかけながら、憂はその様子を湯飲みを片手に眺め、こちらは単語帳のアルファベットを目でつらつらと追っていた。けれどその文字列は頭に情報として認識されない、特に集中しているわけでもないからそんなものだ。

 二人の間を埋めるものはない。弱い雨音は耳には届かない。沈黙ではなく静寂。心地よい時の流れに身を任す、ただお互いが傍にいることを感じながら。どこかそれを感じながら内面的な何か――臭い言葉で彩るのならば『心』で繋がってる様な気がした。

 思い込みだろうか、と小さく笑う。

 横目で憂を見やる。変わらない横顔・・・というより姿。初めてあった日から変わらない装束に身を包んでいる。どうやらお祭りまで人目に出るときはこの格好でなくてはいけないらしい。

「真面目にやらないと駄目なんじゃないんですか」

 いつから視線に気づいていたのか、憂はくすっと小さく笑いながらこちらを向いた。

「そうだけど、な。どうにもこれが本当に必要なのかなとか思いまして、と」

「そんな中学生みたいなこと言わないでくださいよ」

 だってな、と単語帳を憂の方に放った。適当にページを捲った憂は凄く嫌そうな顔をして「うわ」と呟いた。そんな顔をされるとこれからそれをやらなくてはならない身としては気力が萎えてくるというものだけれど。

「実際、意味はないんだろうしな」

「んーでも手段って考えれば割り切れるんじゃないですか。大学に入るためのーって」

「手段、ねぇ」

 手段、手段とその言葉を確かめるように呟いてみる。どうにもしっくりこないような気がした。

「あんま大学に行って、どうこうって考えがないからかな」

「え。そうなんですか」

「んー、大学で先を考えるっつーか」

「へぇ・・・・・・いいですね、それ」

 何処か羨ましそうな目でこちらを見た。

「憂ちゃんもこっちに来ればいいんだよ。高校卒業したら・・・・・・」

 何て無責任な台詞だと言ってから気づいた。勝手で無慈悲な言葉。自分の境遇を他人に勝手に重ねた。巫女という立場のこの少女がどれだけの責務を背負っているのかも考えずに吐いた言葉だった。

「・・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・悪い」

 俯いてしまった憂はその言葉に応えない。

「・・・・・・・・・・・・」

 沈黙が間を埋める。小雨では役不足だった。

 何の言葉もかけられない。どんな言葉も薄っぺらいものになってしまうに違いないから。言葉には想いが籠もる。想いのない言葉など虚言もいいところだ。だから。

「・・・・・・・・・・・・ふふ」

「え?」

 けれどゆっくりと顔をあげた憂の顔には笑みが浮かんでいた。

「冗談ですよ。空也さんが真面目な顔してるから、つい」

「そ、そうだったんだ」

 はい、と屈託なく笑う。陰りはそこには見れない。

「何か勘違いしてるみたいでしたし、それと・・・高校卒業って私、空也さんと同じ年です」

「へ・・・・・・」

「あー、何ですか、その顔。だから『ちゃん』付けだったんですね。しょっくですよ。仕事はしてないですけど、これでも19です」

「そうだったのか・・・・・・いや、すまん。何か勘違いしてた」

「いいですけど。でも何か新鮮ですよ幼く見られたのなんて初めてですし。ねぇ空也、くん?」

「そっか・・・・・そうだな・・・・・・憂」

 ははは、と二人して笑う。雨はまだ降り続いている。

「これだって、昔からやってるわけじゃないんですよ」

 装束の端を手で摘みながら憂は小さく言った。

「え、あぁそうか、バイトか。そういえばバイトの巫女さんもいるらしいしな」

「・・・・・・そうですね。お金ももらってますし、バイトなのかもしれないです」

「けど、バイトの巫女さんてのも、こういうとこじゃ珍しいんじゃないか。何ていうか血筋の子がとかいうんじゃないのか、普通」

「違いますよ」

 やけにはっきりとした否定だった。湯飲みをそこに置いて、憂は歩き出す。縁台をおりゆっくりと歩を進めていく。小雨がちらつく中を憂は境内の中心に向かって歩いていく。

「憂ちゃ・・・あ、ええと憂・・・・・・?」

 どうにも様子がおかしかった。呼びかけにも応えない。そして真ん中に着き、くるりとこちらに向き直る。

 その表情には初めて会ったときと同じ表情を、無感情な冷たい表情を浮かべていた。

「巫女には血筋なんて関係ないの。分かる、空也くん?」

 表情と同じく抑揚の感じられない言葉だった。言葉に籠もる声もどこか、違う。まるで憂の体を借りて別の人間が話している、そんな印象を持ってしまうほど。

「あるいはそうだったかもしれない。でも今は違う。かつては巫女は神とこちらを繋ぐ存在だった、けれど」

 早口でまくし立てていく。小雨が肩口を濡らしていた。

「神様なんて、いない」

 かつて聞いた言葉、その言葉が何故かそう自分に言い聞かせてるようだと心の隅で思った。

「いたとしても人は崇めるだけで繋がることなんてできはしないの。けれど巫女は結ぶのでなく、立証させる存在となった。私は、私たちはあなたを崇めてます、と。存在そのもので立証させる。そのためにある巫女なんてものは唯の―――」

 一瞬、無表情が揺らいだ気がした。浮かべようとしたのは悲しみか、それとも。





「―――贄」






 その言葉は明瞭に聞こえた。言葉だけのはずなのに寒気すら感じてしまった。憂、と呼びかけるもそれを意に返さず少女は続ける。

「狂った自己陶酔。人の傲慢が生み出した、唯の幻想。そう、それは幻想でしかないのに」

 遠くで蝉の声が聞こえたような気がした。繰り返し、繰り返し。

「それはまだ、続いている。隔絶された村では風化されずに、まだ」

 何も言えない。何のことを言ってるのかさえもまったく分かりはしない。けれど、酷く悲しみに似たものを感じたような気がした。

「現代に既存しながら、狂気じみたことを繰り返す。人の思いを省みずに、ただ繰り返す」

 無表情に捲くし立てるその姿は何故か泣いている子供のように。

「だから巫女は心のどこかで待ってるんです。この壊れた世界から救ってくれる、しがらみのない世界から来た人を・・・・・・・・・でも、どこかで分かってるんです。変わらない、変われない・・・・・・何も変わらないって」

 そこでふっ、と憑き物がおちたかのように目に光が戻ってきた。淡く少女は、憂は微笑んだ。

「だから、ね」

 その微笑をこちらに向けて

「健気な巫女さんは今でも王子様の迎えを待っているのです、と」

 そこでやっと安心できた。

「・・・・・・まるでヨーロッパのお姫様だな」

「日本版っていうことで」

 濡れるよ、と手を出すと憂は優しく笑んでこちらの手を取った。そして、小さく。

「ありがと。空也、くん」

 ただ、あぁと応えた。遠くにある不安を、思いを隠して。ただ。


 

 
















 それでも時間は流れていく。直ぐに一週間などたって、帰りの日は翌日というところまで来ていた。

 憂には昼に一応の別れを告げ荷物も片しておいた。けれど、どこか不安めいたものがしこりとして残っていた

 雲はあるものの珍しく星が見えている。昼間は暑かったが夜になれば風が心地よいぐらいの温度にはなっていた。

「ふぅ・・・・・・・・・」

 パタンと単語帳を閉じる。集中できないわけではない。単純な詰め込み作業を繰り返せば無駄なことを考える時間なんてなくなる。けれどその合間に思考が割り込んでくる。

「おつかれだねぇ、空也」

 襖をあけて入ってきたのは母親だった。おにぎりと麦茶ののったおぼんを机の上に置く。

「うん、まぁでも今やらなきゃだしね」

「そうかい、頑張りな。それはそうと空也、お前いつまでこっちにいるんだい」

「は?」

 事前に模試があるから明日までと言ったはずだったのだが。

「明後日にお祭りがあるからね。いるんだったら見に行くのもいいんじゃないかと思ってねぇ」

「明後日・・・?」

 模試の日だ。おかしい、憂は確か一週間後にあると言っていた。だから明日だと思っていたのだけれど、もしかしたら一週間後というのは以降、という話かもしれない。

「で、お前はいつまでいるんだい?」

 少し考えてから。



「明々後日まで、かな」


 
 笑って、答えた。


























 翌日は模試の埋め合わせという意味合いも付けて一日中部屋に籠もっていた。さらに翌日になってみるとまた雨が降り出してきていた。それもかなり強く。

 これだけ雨が降るとなるとさすがにお祭りは中止らしいが丸々一日空けておいたのでとりあえず憂のところに行こうと考えた。

 道中というか神社の社にあがる階段の付近に見慣れないものを見つけた。白いバン。人が来ることなどないと憂は言っていたのだが。

 もしかしたら祭りのために来た人のものかもしれない、そう考えながら傘を片手に一気に階段を駆け上がった。

 おそらく憂は部屋か縁台でお茶でも一人で寂しく飲んでいるのだろう。もう帰ったと思ってるだろうし、少し驚かしてやるのも悪くない。

 そして、鳥居を抜けた。その先に――
 


 ――憂とそれをとりまくように数人の男女がそこにいた。



「憂・・・・・・・・・・・・?」

 突然の来訪者に気づいた者たちは一様に眉を顰めた。どう見ても、どう感じても穏やかな雰囲気ではないことが知れた。

 憂を取り巻くようにしてる人たち―――村人だろうか―――の年齢はばらばらで年寄りからあまり自分と年の変わらなそうなものまでいた。

 その中で憂は俯いて立ち尽くしていた。いつもの格好とは少し違う、いつものものとはまた違った厚めの白い羽織りに頭にはやけに今めかしい髪飾りをしていた。

 村人たちの視線にでも気づいたのか憂は顔をあげゆっくりとこちらを向いた。

「え・・・・・・」

 視線が交錯する。憂の顔に表情が戻ってきていた。

「何で・・・・・・っ」

 憂の瞳は驚愕と悲しみに揺れているようだった。まるで戒めのような髪飾りがしゃらんと鳴る。

 見られてはいけないものを見られてしまったように、見てはいけないものを見てしまったように。視線を絡めたままその場に二人立ち尽くしていた。

「知り合いか、嬢ちゃん?」

 村人の中から一人の中年の太り気味な男が前に出てきた。その声は一介の村人のものとしては低く、威圧の籠もったものだった。

 答えない憂の反応でそれが分かったのかまいったなぁ、と全然困っていそうにもない声を出してこちらに向いた。

「悪いな、兄ちゃん。嬢はこれから大事なお勤めがあるんや。引き取ってくれんか」

「お勤め・・・・・・?」

 祭りが中止となった今、何の仕事があるんだと思った。それ以上にこの男の態度と『お勤め』という妙な言い方が気にかかった。

「そうや、大事な、大事な・・・・・・ここの住人にとっちゃ儀式みたいなもんや。だからなぁ、兄ちゃん」

 儀式・・・・・・お勤め、そして装束。何だ。どこかで何かが絡まっている。

「憂・・・・・・」

 憂へと踏み出した足が男に阻まれ止められる。あかんなぁ、あかんなぁといやらしい笑みを浮かべて繰り返した。

 だが、それに構わず。

「憂!!」

 憂はその言葉に答えない。再度繰り返そうとしたところを思いっきり肩を捕まれた。

「餓鬼やないんやから、手間取らせんといてくれや」

 万力のような力で肩をぎりぎりと締め付けられる。けれど

「憂・・・・・・・・・儀式って何だよっ、まさか・・・・・・」

 いつかの言葉。境内の中心で語った夢のないストーリー。それは現実とどこが違うのだろうか。

 憂は応えない。

「憂―――」

「―――そこまでや、兄ちゃん」

 やけに低く、冷たい声だった。両肩を持たれ無理やりに振り向かせられる。

「嬢が何吹き込んだが知らんがこっちには時間がないんや。邪魔、せんといてくれんか」

 否が応にもその裏に含ませるものを感じさせる言葉だった。足が竦み。心臓が震えるように強く鼓動する。

 唾を飲み込む音がやけに大きく聞こえた。

「よし、いい子や。なぁにすぐまた会えるんや」

 ぽんと肩を叩き、大きく笑いながら男は横を通っていく。他の村人も、憂も同様に。

 振り向いた時には憂の後姿すら、もうなかった。崩れるように膝をつき胸を押さえる。

「何で、応えないんだよ・・・・・・笑って違うって言ってくれよ・・・・・・憂・・・・・・」

 憂たちが去っていった方向を睨みつつ、その言葉を搾り出した。

「・・・・・・贄、なのか・・・・・・憂・・・っ」



 
 















 ゆっくりと階段を下っていく。この階段を下りるのは随分久しぶりな気がした。でも今はそんな感傷を抱いている場合じゃない。

「瀬崎さん」

 集団の歩みが止まった瀬崎さん――先頭を歩く老人はその呼びかけに応えない。けれど、歩みを止めたということは言ってみろということなのだろう。

 ふぅ、とゆっくり息をはいてから。

「賭けを、しませんか?」





 
















 生贄。

 冗談もいいところだった。今の現代日本にそんな前時代的なものがあるなど誰が考えるだろう。けれど。

『それは、まだ続いている。隔絶された町では風化されずに、まだ』

 雨でぬかるんだ地面と大量に浸水した靴の両方のせいで何回も転びそうになる。けれど、走る。バンの停車方向からいって方角は間違ってないはずだ。

『狂った自己陶酔。人の傲慢が生み出した、唯の幻想』

 既に傘はほとんど意味をなしていない。上半身はまだ大丈夫とはいえズボンはほとんどびしょ濡れだった。

「くそっ・・・・・・」

 あれだけ目立つバンだ。見ればすぐに分かるはずだ。そう思い家の間を走りぬくがその姿は見えない。

 早くしないといけない。もしかしたら『それ』はもう始まってるのかもしれないのだ。

 まだ、分かってなんかいない。生贄だなんてことは信じちゃいない。けれどがなり立てる不安のままに、ただ。

『巫女なんてものは唯の・・・・・・贄』

 不安は心の中で形を成し胸を苛んでいく。違う、と思い込もうとしても『けれど』ですぐに返される。でも。

「じゃあ、あの笑顔は何だって言うんだよ・・・・・・」

 向けてくれた優しい微笑み。あれが死を目前にした人間の―――

『巫女は心のどこかで待ってるんです。この壊れた世界から救ってくれる、しがらみのない世界から来た人を・・・・・・・・・でも』

『どこかで分かってるんです。変わらない、変われない・・・・・・何も変わらないって』

「――っ、くっそぉぉっ!!!」
 
それを受け入れてはいけない。受け入れるわけにはいかない。それは一点しか示しはしないんだ。

 杞憂だ。杞憂に決まってる。そうだ、それを確かめに行くんだ。

 雨が傘を強く叩く。零れた雫が靴を濡らしていた。

 そして。

「・・・・・・っ」

 白いバンがこれみよがしに停まっていた。見るとかなりの敷地をもつ家の駐車場らしかった。

 玄関に手をかけると鍵は開いていた。田舎の風潮にその時初めて感謝をした。

 憂の履物が綺麗に揃えてあった。自分も靴を脱ごうとする途中で己の馬鹿さ加減に気づき、人の気配がする方向へと走った。
 
『あなたを、まってたんです』

 その言葉が真実なら、俺は―――

 廊下を走りぬけ、多くの人の気配がする部屋の襖を

「憂っっ!!!!」

 自らを鼓舞するような大声とともに力強く開いた。






















「・・・・・・・・・ありがたや、ありがたや」

 大声の後に響いたのはそんな声だった。響いたというのは正しくないかもしれない。皺がれたお婆さんが憂に向かってまるで神像を崇めるかのように手を合わしていた。

「え・・・・・・・・・」

 ぽかんとあっけに取られ一人状況が分かれずにいた。憂はただ、手を合わせるお婆さんに向けて静かに佇んでいる。

 こちらの存在に気づくとお婆さんは今度はこちらにも手を合わせてありがたや、ありがたや、と繰り返す。まったく訳が分からない。

 見回すと一人を除いて皆が黙祷していた。その例外である男―――先ほどの中年の男だ―――はくっくっくとさも可笑しそうに笑い。

「まいったなぁ。嬢、お前さんの勝ちや」






















「――ごめんね、空也くん」

「まぁ嬢の責任やな。生贄とか儀式とか吹き込む嬢が悪いんや」

「儀式って言ったのは紗塚さんですよ・・・」

「そうやったか?まぁ、誤解も解けて万事解決っつうやつや」

 どうやらさっきのお婆さんは神社の維持費やら何やらにかなりの額を寄付しているらしいのでそのお礼というかそういうものらしい。贄という単語を出すとこの男、紗塚さんにそんなもん現代日本にあるかい、と一笑にふせられてしまった。

「それにしても本当に来るとはおもわへんかったな・・・・・・嬢に変なこと吹き込まれてたとは言え、兄ちゃんかっこよかったで」

「そんな・・・・・・」

 今、考えるとどうしようもなく恥ずかしい行為だったと反省する。

「謙遜するなや。しかし、すまんかったな兄ちゃん。あん時は時間も押してて余裕なかったんや」

「いえ、勝手に勘違いした僕も悪いですし・・・・・・」

「まぁ、あれや。これでイーブンっちゅーことでな。それじゃ、こっちはまだやることあるからな。嬢と仲良くしたってくれや」

 そういって紗塚さんは行ってしまった。あのバンを運転していたのは彼らしく傘もささずに走っていった。

「空也・・・・・・くん」

「ん・・・・・・?どうした、憂」

「怒ってる?」

「いや・・・・・・何か、安心したっつーか」

「そっか、空也くん」

 縁台で憂は立ち上がる。微笑を表情に乗せて

「・・・・・・・・・心配してくれてありがとう」

 歯車があったような気がした。違う、歯車は外れていなかったんだ。ただ外れていると思い込んでいただけで。

「・・・・・・お茶でも飲むか」

「・・・・・・入れるの私なんだけどな」

 遠く。曇り空から青天が覗いていた。
 



















「これ、連絡先」

 何の飾り気のない手書きの紙を四つ折にして渡す。

「確かに、受け取りましたよ」

「いつでも電話かけてくれてもいいから」

「受験生が何を言ってるんですか」

 そうだな、と笑う。昨日からというかさっきまで降り続いてた雨はもう止んでいた。ほとんど無人の駅のホームで電車を待ちながらこうして時間を過ごしていた。

「駅員さんがいい人でよかったな」

「そうだね、私も入れてくれたし・・・・・・っと」

 あ、と少し呆けたような声。振り向かなくても分かる、何となくもうそろそろだと分かっていたから。

「来ちゃった、ね」

「来ちゃった、な」

 遠くから電車が近づいてくる。あまり重くもない荷物を背負った。

 音を立てて電車が停止する。それを見ていると。

「ね、空也くん」

「ん、どうし・・・っんんんっっ!!!」

 口を塞がれた。色気も何もない口を押し付けただけの口づけ。

「う、憂っ!?」

 微笑む憂に軽く胸をとん、と押された。いつの間にか開いていたドアの方へ押され、中に押し込まれる形になった。

「じゃあね、空也くん」

「・・・・・・・・・・・・あぁ、またな」

 苦笑した、どうにも俺達らしい。閉まった扉越しの変わらぬ憂の姿を見つめる。

『―――――』

 扉越しに憂が何か呟いた。聞き取れなかったが、何となく意味は分かったような気がした。

 あっけなく遠ざかっていく憂の姿。それが名残惜しくもあったけれど、これからある時間を考えればそうでもないような気もした。

 時間がある、まだ、たくさん。そう考えてドアに寄りかかったままゆっくりと目を閉じていった。







 










 その言葉は届いただろうか。言葉としては届いてないかもしれないけど気持ちとしては届いているだろう、それでいい。

 空也くんから貰った紙をそっとベンチに挟むようにして置いた。これでいい、はずだ。

 ゆっくりと歩みだす。もう、大丈夫だ。怖くない。

 気づけば何人もの人が駅を囲むようにしていた、それを気にせず普段どおりに改札へと戻っていく。
 
 熱心だなぁと何処かで思った。私はそんなこと考えるほど頭も良くないし・・・・・・・・・・・・

 強くも、ないのに。

 空を見上げる。

 うん、満点じゃないけど快晴だ。

 ゆっくりと一歩一歩踏みしめながら歩く。その一歩を惜しむように懐かしがるように歩く。その先に見える確かな終わりに向けて。

 多分、面と向かって言ったら彼は恥ずかしがるだろう。でもいないしもう一度だけなら許してくれるはずだ、そう思うことにして。

「・・・・・・ありがとう―――」

 言葉の裏に込められた切なる想い。想いは言の葉に隠して響く。だから、どうか―――


 


 ――――――どうか決してこの想いが届きませんように





「―――空也」

 ホームの屋根に取り残された雨露が伝い地に落ちて染みを作っていた。
 
 言の葉に込めた想いをそこに落とすように、誰にも知れず雫は落ちていた。

 
 







  あとがき

 さて、あとがきです。どうも風見です。
 
 雨コンペ用の作品の改訂版ということで、ところどころ修正・・・・・・加筆ですね、主に。そのせいでこんなにも時間が・・・・・・

 とりあえずコンペには急いで出したせいもあって推鼓もろくすっぽしなかったんで、ま、これが完成品ということで

 指摘されたところも含めて直せたはずですし(多分

 それでは、短いですが。今度はここのコンペ用かな〜とぁ思いつつ

 それでは、また、風見でした