陽炎のような時代の中で




            第六話「吹き始めた風」






  北華。それはその名の通りカノン地方の北に存在する地である。

 荒野と点在する草原があるだけの貧しい大地だ。北の海から吹いてくる塩性の風のおかげで農作物がほとんど育つことなく、数少ない草を求めて遊牧する民が暮らす大地。

 この地に住むもの達は貧しいながらも独立心が強く、他者に従うことを潔しとはしない。

 かつて季衣は幾度となく制圧の為に出兵したが、完全に従えることが出来ず、北華の西端の北嶺に軍隊を駐屯させることしかできなかった。

 魔族も人族も神族も関係なくその日を精一杯食いつなぐことしか出来ない地。だからだろうか、この北華では種族という概念があまり意味を持たない。そのためか他の地と比べて混血の比率が多い。

 彼らにとって意味があるのは『仲間』か、『それ以外』かという区別だけ。

 十年ほど前に起きた大飢饉。それはつい二年前まで灼熱の時代という戦乱をこの地に巻き起こした。

 仲間を養うための一握りの麦を求めて隣村の人たちを殺し、南の華音平原へと略奪を繰り返し、報復に報復を重ね血で血を洗おうにも飲み物が無いからその血で喉を潤すような時代が終わって二年。北華は少しづつではあるが以前の姿を取り戻しつつあった。

 とはいっても灼熱の時代以前から北華は平和とは程遠い世界ではあったのだが。

 北川はこの北嶺の司令に雇われた傭兵だ。

 灼熱の時代が終わって、食い扶持が無くなるところをこの地の兵として雇われた。

 北川の他にもそのような傭兵は結構いて、その多くはこの地に流れてきていた。そのためにこの地にはかつて季衣と戦った者達も多くいた。

 北川自身、そういう傭兵の一人なのだ。

 北嶺郊外の丘。北川は寝そべりながら空を眺めていた。

 南では大きな戦が起ころうとしている。大陸の中央部を支配する季衣帝国とその隣国である尾根連邦の国境線は以前からキナ臭い匂いがこれでもかというくらい漂っていた。あくまで傭兵としての勘だが

 灼熱の時代が終わり、次の戦はここだろうと思い北嶺に雇われたのが二年前。

 同じ考えを持った多くの同業者達の予想とは裏腹に尾根はタイプムーンとの戦争を再燃させ、季衣は自領の安定を優先した。

 読み違えたか。これがこの二年ほどの多くの傭兵たちの感想だ。いっこうに始まらない戦争を待ちきれずに故郷に帰って帰農する者もいた。

 北川も同じで、北嶺司令の頼みを受け入れて華京に行ったのは、各地の情勢を見て回るという意味もあった。というよりそちらが本来の目的だった。

 そのついでに馬を取り返す仕事に関わったのは、久しぶりに実戦の空気に触れたかったからで。

 そして帰ってみれば何時の間にか戦争が始まっていた。喜び勇んだのもつかの間戦場は北嶺ではなくもっと南、美坂公領から久瀬侯領あたりにかけて。しかも尾根と呼応するかもしれないタイプムーンへの押さえの為に北嶺待機。北川にしてみれば目の前の餌をお預けを食らっている気分だ。

 大体タイプムーンが攻めてくることなどありえない。奴らは内向的で国家としても鎖国的だ。

 それ以前に何故か内乱が絶えない。彼らは外圧が無くなったとたんに内紛が勃発するという歴史を作っていて、尾根連邦と休戦したばかりだというのにすでに武力抗争が始まっている。

 つまり、完全なハズレくじを引いたようなもので。北川としてはふてくされるしかやることがない。

 ただ一人、戦場へと飛び出していきたいという感情に襲われることもある。

 しかしそれは出来なかった。自分ひとりならともかく北川は五十人程の傭兵隊の隊長なのだ。

 戦が無かったとしても、ここにいれば部下を餓えさせることは無い。それに部下の兵達はこの街のことをそれなりに気に入っているのだ。

 仰向けに寝転がりながら北川は呟く。

「あーあ。どこか近くで戦争が起きないかな」

「何物騒なことを言っているのですか」

 視界がふさがる。

 逆光で姿は良く見えないけれども、落ち着いた声音なのに何故かおばさん臭さを感じさせる相手は、北川の心当たりには一人しかいない。

 そんな不名誉なことを考えていると知ってか知らずか、その心当たりであり傭兵隊の財政を一手に握る存在である天野美汐は北川の上からその身体をどける。

「平和が一番ですよ」

 立ち上がりながら少女はだれにともなしに言う。

「俺は退屈が嫌いなだけだぞ。別に戦争が好きなわけじゃない」

「戦闘は好きなんですよね」

「当然だ」

 北川の言葉に美汐は大きく息を吐くいた。馬鹿につける薬は無いとその仕草が語っている。

「いいじゃないか。人生三十年。退屈な三十年よりは刺激的は二十年を俺は選ぶっていうだけなんだから」

 海から流れてくる潮風の性で北華の地には塩が多い。何も無い空にすら塩の粒子が漂っている程で、北華の人間は基本的に圧倒的な塩分過多で他の地よりも早死にする数が多い。

 記録によるとこの時代の平均寿命は五十歳ほどだが、北華人の平均寿命はその半分程度の二十六歳しかない。

 だからなのか、概して北華の人間は刹那的で好戦的だ。それは北川も、そして美汐も例外ではない。

 北川の言葉に美汐は答えない。ただじっと遠い場所を見つめていた。

 そんな美汐に北川は問いかける。

「どうしたの? 美汐ちゃん」

「あれ、見て下さい」

 美汐が声に従って北川の視線が美汐の指先が指した方へと向く。

 何も無いと初め思い、しかし何も無ければ彼女は何も言わないと思い直し目を細める。

 ゆらゆらと何かがゆれている。

 それが煙だと気づくのにそう時間はいらなかった。

 黒い煙がまるで霞のようにみえる。

 北華で黒い煙を出して燃えるものは限られている。荷馬車が精々だ。特にこの季節、燃やせるほどの草など残っていない。

 つまり商人たちが賊徒にでも襲われているのだろう。それ以外のことは、ちょっと北川には思い浮かばなかった。

「隊長〜! あっちで喧嘩やってますよ!」

 丘の下から声がする。

 小上夕陽。

 美汐と同じく北川の傭兵隊の一員で、戦場では先頭に立って敵に向かって切り込んでいく。北川や美汐よりも二つか三つほど年下の少女で、傭兵隊の中ではもっとも年下の一人でもある。

「見たら解る!」

「行きませんか!?」

 食後の散歩に誘うような気安さで少女は言った。

「他の奴らは!?」

「とっくに行ってますよ!」

 どいつもこいつも血の気だけは多いらしい。

 振り返る。仕方無いというように美汐は肩をすくめた。

 地面においていた剣を取り腰に履きなおすと、北川は黒い霧の下にある戦場に駆けた。

 霧の下は乱戦だった。

 秩序だった動きもなく、ここに集ったもの達は敵と思われるものを切り捨てていく。

「なんだ北川、お前も来てたのか」

 そんな声がかけられたのは三人目を斬り倒した時だった。

 声で誰だか解る。北川と同じ傭兵隊長で、北嶺では馴染みの一人だ。

 声のした方に振り向かずに北川は答えた。

「まあな。お前こそ何してるんだ?」

「おいおい。久しぶりの戦場だぜ、いくらチンケなもんでも参加したくなるってもんだろうが」

 つまり、こいつも暇だったらしい。

「来てるのは俺達だけか?」

「いんや。ハルシェと伊井波、あと確認してないけどチリスも来てるらしい」

 誰もが数百人単位で部下をもつ傭兵隊長だった。北川と同じく、部隊ごと北嶺に雇われている傭兵だ。何度か剣を交えたこともある。

「そういや沢渡もきてたぞ」

「・・・・・・マジか?」

 溜息をつく。

 辺りを見回した。

「どれくらい数がいるんだ?」

「さあな。少なくみても二百はかたいけどな」

「賊っていうよりどこかの豪族なんじゃねえの? こいつら」

「違いない」

 二人して笑いあう。

「まあ、どうでもいいけどな」

「まったく」

 北川の言葉に男は頷く。相手が誰だろうと殺すことに変わりない。

 見てみれば商人たち護衛はほとんど壊滅しているようだ。あちこちで荷馬車が炎を上げ、死体が血を大地に垂れ流して息絶えている。

 その中で小さくまとまっている集団があった。二つか三つ程の荷馬車を中心に円を描くように三十近い数がまとまっている。それを取り囲むようにしている賊は八十程か。

 数で押そうとしている賊から集団を守ろうと少女が飛び回っているのが見えた。金色の髪を揺らして双剣を振るって次々と襲ってくる相手を倒していく。

 とはいえ多勢に無勢だ。さらに彼女以外にまともに戦えているのは数人程度なこともあって商人たちは徐々に押されていく。

「仕方ないな」

 横で一人斬り倒していたた夕陽に合図を送る。

 北川が指差す方を見た夕日は頷いて賊の集団に飛び込んでいった。

 姿勢低く飛び込んだ夕陽はいきなりの乱入者に驚く賊を斬り上げる。

「こんガキャ〜!」

「遅いよ」

 振り下ろされた斧を紙一重でかわして、上段から剣を振り下ろす。

 遮るものの無い夕陽の剣は首を切り落とし、そのまま円を描くようにして隣にいた男の身体を両断した。

 少女が行ったとは思えない鮮やかな手並みに賊たちは呆然としている。

 地面に転がった男の服で夕陽は剣に着いた血を拭き取る。

 それをきっかけにして三人が同時に飛び出てきた。だがそれらが夕陽に届くことは無かった。

 一人が崩れ落ちる。額の真ん中が矢で射抜かれていた。痛みすらない即死だろう。

 矢が放たれた元を男たちは追う。

 乱戦のなか、そこだけ入ることが出来ないかのようにあいた線の先で美汐が弓を構えていた。

 突然のことに、再び二人の身体が一瞬硬直する。その間に北川が夕陽との間に割り込んだ。

「なあ、ここらへんで引いてくれない?」

「なめるなよ坊主」

「これでも坊主って言われる年じゃないんだけどな」

「ほう、ではなんという名だ?」

「北川潤」

「北川・・・・・・、っ! 貴様、返血――」

 言い終わる前に、北川は二人を頭蓋ごと両断していた。

 場がしんとした。

 剣を鞘にしまう。その音で賊たちは逃げていった。

 もっとも固まっていたのが逃げてしまったので他の賊も逃げていったようだった。

 賊たちが逃げていったのを確認すると北川は夕陽に声をかけた。

「お疲れさま。みんな夕陽の剣に唖然としてたぞ」

「隊長にそんな風にいわれても嫌味にしか聞こえませんよ」

「そうか?」

「あんな一瞬で人間を二つに裂くなんてどうやったら出来るんだか。潤兄は規格外ですよ」

 北川と夕陽は幼馴染だ。北川が故郷から出ることになったとき彼女もついてきた。傭兵隊を作った時から北川のことを隊長と呼ぶようになったもののたまにかつてのような気安さがでる。

「そういえば美汐さんは?」

「美汐ちゃんならほら、あそこ」

 北川が指差した先には北川の部隊でここに来ていた者達を取りまとめていた。ぱっと見た限りではほとんどが参加していたらしい。

 あっちはまかせるか、と北川は商人たちのほうへむかった。

「よう」

 北川より先に商人たちのところにいた青年が気安く声をかけてくる。

 黒い艶やかな長髪と恐ろしいまでの美形なのが印象的な青年だ。剣ではなく鉄の爪と呼ばれる鉄鉱の一種を武器としていることと、上半身裸に肩飾りをつけていることも特徴といえば特徴かもしれない。

「見ていたよ北川君。君の斬撃は美しい。やはり美とは力なのだね」

 やけに大げさなポーズを取りながらしゃべるのもこの男の特徴だった。

「うっとうしいわよ、チリス」

「ギャァァァアァ!」

 隣にいた少女がチリスを蹴り飛ばす。やけに大仰な声をだしてチリスが吹っ飛んでいった。

 チリスを蹴り飛ばした少女はびしっ、と北川を指差した

「遅いわよ! 潤、危うく怪我しちゃうところだったじゃない」

「真琴ちゃん無茶言わないでくれよ」

 無茶苦茶なことを堂々と言う真琴に北川は肩を落として溜息をつくしかない。

「何が無茶なのよ!」

「戦場に勝手に突貫した奴を守れって無茶そのものだと思うけど」

 ぼそり、と小さく、しかし聞こえるように夕陽が呟く。

「な・・・・・・それはどういう意味よ!」

「そのままの意味。自分も妖狐九尾の一つの長なら自重ってことくらい覚えなさい」

「夕陽・・・・・・あんた喧嘩売ってる?」

「多少は」

 お互いに剣を突きつけあっている二人を仲がいいなぁと思いながら北川は荷馬車に向かう。

 そこには顔見知りの少女がいた。

「久しぶりですね北川さん」

 肩の辺りで切り取った髪、抜けるような白い肌とそれを覆うように纏った茶色のストール。

 間違いなく上泉の街で出会った菓子折美沙だった。

「おかげで助かりましたよ。もう少しで私達もああなるところでした」

 血をながして地面に倒れている身体を示して美沙は言う。

「別に助けようとして来た訳じゃないさ」

「じゃあどうして来たんです?」

 美沙が覗き込むように問いかけてくる。

 なんと返そうか。ちょっと考えた北川だったが結局正直に答えることにした。

 美沙の隣で座り込んでいる少女に手を差し出しながら、北川は言う。

「暇、だったからかな」

 何とでも理由はつけられる。だけどここに集まった傭兵たちの心の底にはその思いがあることは間違いないだろう。

 皆が皆、他の地の奴らにはわからない地獄を生き抜いてきた。

 その生き残りにとって、平和は退屈なだけなのかもしれなかった。

 海から吹く塩を含んだ風をその身に受けながら、北川はつかんだ少女の手を引っ張り上げた。

「大丈夫?」

「は、はい」

「良かった」

「あの、あなたは?」

「俺? 俺は北川潤。ただの傭兵さ」

「私は天野美汐といいます。隊長の傭兵隊のNo2です」

「同じく小上夕陽」

「沢渡真琴よぅ。よろしくね」

 いつの間にか傍にいた美汐たちが個々に自己紹介していく。

 一斉にされたことで混乱したのかあわあわと戸惑う少女。

「それで、あなたの名前は?」

 その姿に苦笑しながらの真琴の問いかけに、少女は答えた。

「時菜・・・・・・水瀬時菜といいます」

 北嶺司令が傭兵達の過半を解雇し、解雇された傭兵達が南の美坂公領へ向かって行ったのはその数日後だった。

 その中には、戦場へ商売に行く美沙達の護衛として雇われた北川達の姿もあった。







 風が吹き始めていた。時代という熱い風が。

 止めることの出来ない風が吹いていた。

 かすかに、だけど確かに、戦場へ向かう傭兵達はその風を感じていた。

 なぜなら彼らは一度、その風を感じたことがあったから。

 だから彼らはその風が何なのかを僅かではあるが理解することが出来た。

 戦争という時代が来ることを。


リス「やってきましたリスロットです。今回は北川君編。オリキャラも登場してきました。まあ前回の時菜もオリキャラなんですがね」

??「ジャムガダイスキ祐一デス」

祐一(偽)「そいつは偽者だ。というか(偽)ってなんだよ!」

リス「あらら今回も出番が無かった祐一君ではないですか」

祐一(偽)「いいからこの(偽)をはずせ!」

リス「ええ〜、解りましたよ」

祐一「これで良いんだよ。ところで今回も遅かったな」

リス「書き始めたら速かったんだけどね。ネタが思い浮かばなくて。

   これでやっと戦争本編に入れそう。次に北川が出てくるのは結構あとになるかも」

祐一「構成は出来てるのか? ロクな文章力が無いんだからせめてシナリオくらいはまともなの書けよ」

リス「気にしてること言わないでください。

   さて次回は『前哨戦』ついに戦争が初まります。とはいえ名前の通り決戦にはなりませんが」

祐一「なかなか進まないな」

リス「すいません。呼んでくださった皆様、のせてくださった神無月様、これからもどうかよろしくお願いします」