陽炎のような時代の中で

第五話「時代変える狼煙(後編)」








 街が赤く燃えている中を水瀬時菜は走っていた。

 ただ走っていたのではない。言うならば、時菜は逃げていたのだ。

 いつ、自分は殺されるかわからない。実際はそんなことは無くても、彼女にとって、そのもし、とい可能性自体、恐怖だった。

 カノン地方の中心でありその名を冠した華音平原での言い伝え。それは彼女にとってあまりにも重いものだ。

 なにせ自分は姉である名雪の能力を半分奪ってしまったようなものだから。

 姉は、母は、そして同居している従兄弟はそんなことはないと言ってくれる。しかし、そう言ってくれるもは家族だけで世間の人たちは皆こう言っていることを時菜は知っていた。

 ああ、三代宰相を務めた水瀬家も娘の代で滅びるだろう。何せ双子なのだから、と。

 水瀬家が帝国宰相を勤める今の情勢を望む者たちは以外と多い。単独では選帝公などの大諸侯に対抗できない小貴族達でも対等の立場に立てるように水瀬家が取りはかってきたからだ。

 そうして、そういう者達はいつ時菜を暗殺しにきてもおかしくなかった。双子の片割れが死ねば、分けられた力は一つにまとまるといわれているからだ。

 母の秋子は家族に手を出した者に容赦ないということは有名だから普段はそれほど心配はない。

 しかし、華京全土が燃えているほどの混乱の中ならひそかに殺そうという者が出てくるかも知れない。

 そう考えてしまうと怖くなった。止まっていたらいつ殺されるか解らない。その恐怖が時菜を燃える街の中で走らせていた。

 息が切れる。足がもつれる。体に酸素が回らない。恐怖で体が震える。

 体が休息を欲して軋みを上げ、顔が炎以外の要因で赤くなる。

 なぜ私は逃げないといけないのだろう? 私が何かした? 

 それは問いかけの言葉。物心つき、自分は望まれなかった子だと理解するようになってから何度となく繰り返してきた言葉。

 どうして自分はこんな目にあわないといけないのだろう。

 逃げ惑う人々に逆らって時菜は逃げる。人の波を縫うように走っていると城門が見えてきた。

 視界の端に、姉の姿が映った。

 多少、姉の方がのんびりした性格をしていることを除けば、体格から顔立ちまで似通っている姉は火から逃げようとしている市民を誘導していた。

 姉を頼ろうか。

 そう思って足を踏み出そうとした時菜は名雪の傍に駆け寄ってきた人影を見てその足を止める。

 美坂香里。選帝公である美坂家の次期当主は時菜を見て困ったような顔をする一人だった。

 差別や偏見を許さない高潔な女性だが、それでも帝国で最上位に君臨する貴族に連なるものだからどうしても体外的にはある種のポーズを取らなくてはならない。

 自分と会えば親友と家族との間で姉が困ることが解るから、時菜は彼女達が向かった方とは逆に外に飛び出した。

 城外の市場。前夜祭とばかりに市が立っていた街道沿いは炎こそ無かったが、十分に混乱していた。

 気が急いていた時菜は目の前にいた人影に気づかずにぶつかってしまった。

「きゃ!」

 ぶつかった拍子に尻餅をついてしまう。

 目の前にいたのは自分と同い年くらいの少女だ。

 同じく尻餅をついていた彼女を助け起こそうとあわてて立ち上がった時、野太い声が飛んできた。

「てめぇ! お嬢に何してくれてんだゴラァ!」

 声と同じくいかつい顔をした男が馬車の傍から向かってくる。体格もすさまじい。腕が時菜の腰程もありそうだ。

 あからさまな「あれくれ」が時菜をつかみあげようとしたとき、時菜とぶつかった少女が男を制止した。

「やめなさい」

「しかしお嬢」

「私がやめろと言ってるんですよ」

「ですがこいつは」

「それよりもまず荷物をまとめなさい」

 どうやら少女のほうが圧倒的に立場が上らしい。少女の言葉は穏やかだったが、男はそれ以上何も言わずに戻っていった。

 手馴れた動きで散らばっていた荷物を纏め上げていく男を見ていた時菜に、少女が頭を下げた。

「こちらの者の不手際、深くお詫びいたします」

「いえ、こっちこそ前を見てなくて」

「そんなに急いでどうしたんです?」

 少女が不思議そうに聞く。

 時菜は黙っていた。見ず知らずの人間に話すことではない。自分でもありえないと思っていることなのだ。

 それでも、もし、ということを考えるだけで震えずには、逃げずにはいられない。

 それだけだ。

 震える体を押し込めて時菜が口を開こうとした時、開きっぱなしだった城門から騎馬が飛び出してきた。

 進路上にいる人々を蹴散らしながら騎馬の軍勢は街道沿い、つまり時菜がいる方向へ向かってくる。

 逃げ出そうとしたが足が動かない。炎が上がってから今の今までずっと走り続けていた体は言うことを聞かなくなっていた。

 向かってくる騎馬の群れを見ながら、時菜はぼんやりと死ぬんだなと思った。

 相変わらず体は震えているが、いざとなれば死ぬことはそれほど怖くないのかもしれない。

 双子だから、などと考えずにやりたいことをやればよかったな、という考えが少しだけ頭をよぎったくらいだ。

 その思考が引っ張られた。

 ぼんやりと立ち尽くしていた時菜の腕を少女が引っ張り、いつの間にか傍に来ていた馬車に時菜ごと乗り込んだ。

 即座に馬車は騎馬の進路から離れる。そのすぐ横を騎馬兵の群れは駆け抜けていく。

 正面から見たときは気づかなかったがかなりの数だ。五十騎は超えているだろう。先頭を走っていた男だけ、造りが違う鎧を着ていた。

「あれは……尾根兵?」

 馬車から駆け抜けていった騎馬兵を見ていた少女が横の執事然とした老人に問う。

「ええ。騎馬の乗り方が尾根式でした。あれは一朝一夕で習得できる乗り方ではありませんし、間違いないかと」

「そう見せかけた謀略という可能性は?」

「ならば何故にカノン式の鎧を着ていた者がいるのでしょうな。この街に乗り込む為に着ていたというのがもっとも考えられることかと」

 くくくと老人は低く笑う。少女も同じように笑った。

「少し楽しくなってきた。ということでしょうか?」

「でしょうな」

 何が楽しくなったのだろう。疲れで回らない頭で考えていた時菜に、少女が向き直った。

「貴方はこれからどうしますか? 私たちはこれから西へ行こうと思っていますけど貴方は降りますか?」

 それとも、付いてきますか?

 最後に言葉を付け足して、少女は時菜に問う。

 しかし時菜は質問に答えず、逆に問い返した。

「一つ、質問していい?」

「どうぞ」

「楽しくなるって、どういうこと?」

「多分、戦争が起きます。尾根が帝都に乗り込んできた。間違いなくこの火災は尾根の仕業ですね。

 ここまでコケにされたんです。選帝公らはともかくとしても宰相府や華音平原の貴族たちは間違いなくこの喧嘩を買いますよ。自分たちの庭が荒らされた訳ですからね。そうしないと体面が保てない。

 そうなったら一万二万の小競り合いじゃ終わりませんね。カノン派の総力十三万が間違いなく動きます。

 ここまでいくと他の派閥も動く可能性もでてきます。桜坂派、エア同盟、風音の紫光院家が動くと兵力は二十万を超えるかもしれません」

「……尾根と季衣が戦争?」

「ええ。規模で云えば多分十五年年前の宰相戦争並み……いえ、超えるかも知れません」

 十五年前、帝国宰相位を決める為に帝国全土を巻き込む大戦争があったという。

 八つある選帝公を全て巻き込み、選帝公の一つ天沢家を事実上滅亡させたその戦争を勝ち抜いて宰相位を手にしたのが何を隠そう時菜の父である水瀬幸広である。

 広司自体はその直後に暗殺され没するが、宰相位はその妻である水瀬秋子が反対する者達を打ち破って宰相位を手にする。

 これが、十五年前に行われた宰相戦争と呼ばれる権力争いである。

「戦争のどこが楽しいの?」

 時菜の問いに、馬車の中にある荷物を示すように両手を広げた。

「私たちは商人ですから。戦争みたいな大きな商いのチャンスは楽しみですよ。危険もありますけどね。

 それで、貴方はどうしますか?」

 一度死んだと思った身だ。別に命が惜しいとは思わない。

 それにさっき思ったばかりだ。

 どうせなら、やりたいことをやればよかったと思ったばかりだ。

 これがやりたいことかはともかくとして、今までの生活に戻るよりはましだろう。

 だから、時菜はうなずいた。

「しばらくお邪魔させてもらうよ」

「歓迎しますよ。お嬢さんフィトリエルネ

「お嬢さんはやめてよ。私の名前は水瀬……ううん、ただ、時菜って呼んで」

「菓子折美沙です」

 美沙が手を差し出した。その手を握る。

「これからどこに行くの?」

「とりあえず北嶺に行こうかと思ってます」

 馬の嘶きとともに馬車が動き出す。

 流れていく景色を見ながら、華京以外の街を見たことの無い時菜はまだ見ぬ街に想いを巡らす。

 いつの間にか、体の震えは消えていた。





 突然の事態に、街は混乱していた。人々は逃げ惑い、兵士達は暴動を沈め、避難者を誘導し、不審者達を逮捕していくく。

 しかし混乱の度合いで言えば、神聖季衣帝国の中心である華京の宮殿内部も似たりよったりだった。

 いや、ある意味では市街よりもこの突然の事態に戸惑っていたといってもいいかも知れない。大陸最大の帝国の首都が、何の前触れもなくこんなテロ行為の対象になっているのだから。この件の首謀者を帝国の威信にかけても必ず見つけないといけない。

 しかし今は、それ以前にしなくてはならないことがあった。この混乱を沈めることである。

 実際のところ突発の事態に呆然としたのはほんの一瞬で、法服貴族たちはすぐさま帝都内外の兵士と連絡を取って混乱の収拾にあったっていた。

 後世腐敗と権力争いに終始したと思われている帝国末期の貴族たちだが、実はこの時代、大陸でもっとも優秀な能力を持っていた官僚集団でもあった。なにせ後に『蜻蛉』と呼ばれた戦乱の主役はこの時代の貴族たちなのだ。

 この時代、帝国貴族とは有能、あるいは勤勉という意味の代名詞として使われていた。

 そんな状況の華京城の城内では、帝国東部最大の領主にして選帝公の一つである倉田家の長女である倉田佐祐理も他の貴族たちと同様、混乱しながらも事態の収拾に当たっていた。

「東門付近はどうなってますか?」

「第三区画の延焼が激しいです!」

「南門付近に不審な軍勢を発見とのこと!」

「雪に翼の旗印!? 馬鹿野郎! そいつは雪花からの救援だ!」

「第三通りで戦闘が発生。救援求むと伝令!」

「戒厳令出せよ! それが一番手っ取り早いだろうが!」

「んなことできるか!」

 入れ替わり立ち代りに報告が入り、臨時の司令部となっている会議場は怒号が渦巻いている。次々と入る報告は矛盾や誤報、ついでに主観で捻じ曲がった報告が次々と入ってきて、その場にいた貴族たちで突発的に組んだ臨時司令部では飽和状態に陥っていた。

 なにせ数が少ないのだ。休日であることもあって登城していた者の数自体が少ない。それに、相手はご丁寧にも華京城の内部でも騒ぎを起こしてくれたらしくそちらにも人手をとられている。

 さらに最後にはほとんどの者達がこういう事態に不慣れだということもある。

 いかに季衣の法服貴族が優秀といっても純粋に能力の限界を超えていた。

 しかし、突然の事態に慌てて登城してきた者も増え、次第にはっきりとした状況が見える余裕が出来てきた。

 どうやら第一波は帝都外周で七発。しかも同時にだ。どれも相当に爆発の規模がでかい。魔法で言うならば戦闘規模の魔法だ。それが第二波、第三波と次々に発生している。

 だが、まったくに近いほど前兆が確認されていないことから魔法であるという可能性は低い。

 卓越した魔法使いなら話は別だろうが、そんなのが何人もいてたまるものか。

 大魔法を使うよりも魔法を使うの際に生じるマナの異常変異を隠す方が難しい。

 その痕跡をまったく残さない程の魔法使いが七人もいれば大陸を統一できるかもしれない。いやマジで。

 そのことを念頭において考えてみると、佐祐理の頭に浮かんでくるものがあった。

 火薬。

 本来魔法が使えないもの達でも炎の魔法を使うことを可能にする触媒。

 『新しい魔法』あるいは『古き知恵』と呼ばれる技術、科学に必要不可欠な品だ。

 まったく、やってくれますね。誰だか知りませんが許しませんよ。

 心の中で有罪を宣告して指示に戻ろうとして、佐祐理はあることに気がついた。

 宰相である水瀬秋子が何もせずに考え込んでいるのだ。指示を仰がれれば答えはするが、自分から命令を下すことが無い。

 普段なら率先して騒ぎの鎮定にあたる彼女にしては珍しいことだ。

 状況についていけない、ということは無いだろう。

 佐祐理も聞き知っているだけだが、十五年前の内乱では夫の暗殺者達を周到な手段で殺しつくし、反対派との戦争でも非凡な手腕を見せたという。

 名実ともに帝国最大の領主である父が唯一的に回したくない相手といった女だ。

 『微笑みの氷石像』

 それが、水瀬秋子の二つ名である。

 こんな程度でおたつく器ではないはずだ。

「どうかしましたか秋子さん?」

 秋子はゆっくりと顔を上げた。

「どうか、とはどういうことです?」

「何か考えこんでいたみたいですから。今は混乱の収拾が先決ではないですか?」

 にっこりと秋子が微笑んだ。

「皆さんの働きもあって混乱は収拾に向かってますよ。私がでしゃばってもいいことは無いでしょう」

「そうかもしれませんが考え事をするより先に、やることはやっておかないと」

「ですね」

 佐祐理に同意するが、それでも積極的にかかわる気もなさそうだ。二,三指示を出すと再び自分の世界に入っていく。

 我慢できなくなって、佐祐理は秋子に問いかける。

「何を考えているんですか?」

「何を考えているんでしょうね」

 それは佐祐理の問いへの返事というよりも自分へ問いかけた言葉のように佐祐理には聞こえた。

「誰が・・・・・・です?」

「この事件の首謀者ですよ。わざわざこの帝都でこんなことをする必要は無いですよね。兵士はほとんど諸侯が持っていますから軍事的にどうこうなる訳でもない。

 それだったら国境で騒ぎを起こしてその間に侵入すれば良いだけのこと。どうにも解せませんね」

 手にしている羽ペンをくるくるともてあそびながら一度息を吐く。どうやら秋子には誰がこの事件の首謀者かをおぼろげながら解っているらしい。

「首謀者が解ったんですか!」

「大体は。これだけ大規模なことが出来て、ついでに今季衣と戦える余力のある勢力。華音平原の地下組織がここまですることは無いでしょうし、東の諸国も問題外。と、なれば・・・・・・」

 そこまで言ったところで、扉の外が騒がしくなった。

 今までの騒ぎと違い、揉めているような騒ぎだ。

 兵士が一人、吹き飛ばされて会議室の中に入ってきた。

 それに続いて誰を押しとどめようとする声。それを吹き飛ばし、二つの影が入って来た。

「まったく礼儀ってものがなってないよなここの兵士は」

「私が思うに普通に勤勉な兵士だよ」

「いきなり剣を向けてくるのは勤勉なのか? 最低な国だなここは」

「宰相刺し殺したいんでどこにいるか教えてください、なんて言ってどうにもならない方が最低だと思うよ」

「いやいやここは『墓ならあちらですよ糞野郎』くらいは言ってくれるべきだろう」

 漫才のような会話をしながら少年と少女が入ってきた。

 身につけているのはどちらもカノン地方でよく使われる装備だ。武器は少年が剣を、少女の方は杖を持っている。

 少年の剣と帷子から赤い雫が滴っていなければ伝令兵と間違えたかもしれない。

「貴様っ!」

 叫んだ兵士が後ろから少年に向けて槍を突き出す。無警戒だった少年の背中に槍が突きつけられる。

 しかし、

「うっさいな」

 無造作に振られた剣で、逆に兵士の首と胴が永遠に二つに分かれる。

 からんと音を立てて槍が床に転がった。

 あまりに鮮やかな手つき場が一斉に静まる。

 やがて衝撃から立ち直った一人が声を荒げる。

「貴様、いきなりのこの振る舞い無礼だぞ!」

 だが少年はその怒声に動じた様子を見せずに兜の淵を押し上げた。

 若い。その顔を見てまず始めに思うのはそれだろう。多く見積もっても精々佐祐理の二つ上くらい。つまり二十になるかならないかくらいではなかろうか。

「無礼・・・・・・ねぇ」

 こんこんと少年は剣の柄で兜を叩く。

「普通に無礼だよ」

 少女があきらめたように溜息をつく。

 やがて少年は仰ぐように天井を見上げた。

「お前の爵位は何だ?」

「何故そんなことに答えねばならん!」

「良いから答えろ。減るもんじゃあるまいし」

 静かな声。だがその声には人を従える響きがあった。

 しばらく思案してから、答えが上がる。

「伯爵だ」

「俺は王爵だ。ついでに全州総督なんてのもやってるがそれは季衣の伯爵より身分が低かったっけなぁ? 宰相さん」

 全州総督。

 それは季衣には無い役職だ。

 それどころか、そんな称号を帯びているのはこの大陸で一人しかいない。

 季衣帝国の西隣に位置する大国、尾根連邦。その地を統べる者の称号なのだから。

 つまり目の前の少年は、折原王国の王にして小坂大公、さらに尾根連邦全州総督として尾根の頂点に立つ男。

 折原浩平。

 大陸第二の権力者である少年は笑いながら、宰相として帝国の実権を握る事実上の第一位権力者に問いかける。

「そんな訳はありませんよ。ところで隣国の王が何のようです? 私たちは忙しいんですぐに帰ってほしいのですが。

 あっ、当然首だけですよ」

 残酷なことを言いながら浮かべられた微笑に、自分に向けられたわけでもない佐祐理の背筋が震える。

 佐祐理だけではなく、この場にいた全員がそうだろう。唯一人の例外を除いて。

 その例外である折原浩平は右手に提げていた剣を秋子に向けた。

「あんた、うちがタイプムーンと殺りあってる間に七瀬家の相続問題に干渉しようと思ってただろう」

「あら、何のことでしょう?」

「とぼける気か? まあどっちでもいいけどな」

「どうしてです?」

「あんたの担ごうとしていた御輿は追放したからさ。この世界からな」

 突きつけていた剣を肩に担ぐ浩平。その仕草に佐祐理は一国の王というよりも冒険者のほうが似合っていると感じた。

「それだけでわざわざ来たのですか?」

「ああ。尾根は尾根だ。いままでみたいに何かあるたびに干渉されたらこまるんだよな。こんなチンケな帝国にさ」

 ピクリと秋子の肩が震えたのを佐祐理は見た。

 それは僅かな動きだが、確かにそうだと確信できる。

 なぜなら、さっきの言葉は水瀬秋子の琴線に触れる言葉だから。

 それでも表情一つ変えずに秋子は先を促した。

「だから俺は宣言しに来た。

 俺達の国は安くないぜ。それでも欲しいんだったらチップに帝国くらいはかけてもらう」

「浩平、そろそろ」

 傍にいた少女が浩平を制した。

 気づけば足音が近づいてきている。この二人を取り押さえる為に兵士達がやってきたのだろう。

 浩平もそれを悟ったのかまだまだしゃべり足りないと不満をこぼしながらも少女に従った。

「仕方ないか。んじゃ、長森、やってくれ」

「わかったよ」

 長森と呼ばれた少女が手にしていた杖を身体の正面に構える。目を半眼に閉じてマナを動かす言の葉を紡ぎだした。

「早きもの精霊の侯爵、近きもの街道の主。風よりも速き者にして大地よりも広き者よ。我は汝の血族にあらねども汝は祈りに答える義務がある。

 天地の戦争にて大地に付きし神々よ、古き盟約とともに我らを他の地に運びたまえ」

 彼女の言葉とともに周辺のマナが急激に活性化し、さながら蒼い風のようになって二人を包む込んでいく。

 転移魔法と呼ばれる魔法だ。その名の通り自身を別の場所へ飛ばす魔法。

 その距離は直線で数百メートルと、必要とされる魔力や詠唱の時間と比べると自分で動いたほうが速いんじゃないかっていう代物だ。

 しかし、兵士が充満しているこの華京城から脱出するには最適の手段だった。

 そこまで気づいた佐祐理は二人を止めるよう指示しようとして、結局何せずにやめた。

 今からでは間に合わないし、もし間に合ったとしても暴風のように彼らを包むマナに吹き飛ばされるのが目に見えている。

 それに、マナの嵐の中から届く声に聞き入っていたのもある。

「どっちにも譲れないもの、捨てられないもの、すがるべきもの、そんなのがあるんだ。それがぶつかりあうんなら」

 続く言葉に込められていたのは決意。決して譲れない想い。

「潰し合おう。誰か一人が生き残るまで」

 雪崩れ込んできた兵士達と入れ替わるように、二人の姿が掻き消える。

 大胆な侵入者が去った部屋は、侵入者が現れる以前と違い静寂が降りる。

 その沈黙は、バキッという何かが折れる音で崩れ去った。

 そこにいたのは手にしていた羽ペンを指だけでへし折った水瀬秋子。

 彼女の顔には笑顔が浮かんでいたが、十五年前を知る者はその微笑を額面通りに受け取ることはしない。

 彼女は十五年前、その微笑を浮かべながら夫を暗殺した天沢家を一人残らず刑場の露へと変えたのだから。

 静かな声で、彼女は告げる。

「動員令を」

「は?」

「帝国全土に動員令を出しなさい。カノン派だけではなく風音、エア、桜坂、他の諸侯も全て」

「し、しかし諸侯が従うでしょうか?」

「従わないならば先にそちらから滅ぼすとでも言ってやりなさい。早く!」

「はっ!」

 秋子の下した命令を伝える為に何人かの伝令が部屋から出て行く。

 その伝令が出て行った後、秋子は呟いた。

 その呟きは佐祐理には届かずに消えていく。

 しかし、そのとき秋子の隣にいた書記官が気まぐれにここで繰り広げられたことを書き記していた。

 それによると、水瀬秋子はこの時、こう言ったと言う。

「西の蛮族程度が、あの人が命をかけたこの国を馬鹿にしますか。その罪は身体で贖ってもらいませんとね」

 時は興樹暦317年十月十日。

 後の歴史家たちはこの日をもって『蜻蛉達の時代』と呼ばれる戦乱の時代の始まりとする。








あとがき

 リス「お久しぶりです。一ヶ月以上後無沙汰していました」

 祐一「だからといってうまく出来たわけでもないんだよな」

 リス「ほっといて下さい。ちなみにこの話ではいくつかの用語を出したのでその説明を。秋子さぁ〜ん」

 秋子「了承」

 リス「一秒了承そこが痺れる憧れる〜」

 祐一「(馬鹿な)作者はほっといて、秋子さん説明をお願いします」

 秋子「今回は大陸の国家について説明したいと思います。国家といっても今回説明するのは神聖季衣帝国の一つだけですが。 

 神聖季衣帝国は読んでわかるとおりに中世ドイツに存在した神聖ローマ帝国をモデルにしています。選帝公とかはもろにそうですね。彼らは一応季衣皇帝を主君としていますが自分たちの領地については完全に近い自治権を持っています。つまりは封建国家ですね。大貴族達のバランスの上に成り立った国といえます。

 ですが小貴族達が構成する官僚集団や帝国議会も全土に一定の影響力を持っているので、その頂点である帝国宰相が帝国の最大権力者になる訳です」

 祐一「じゃあカノン派とかエア同盟とかいうのは何なんですか?」

 秋子「詳しくすると長くなるので省きますが簡単に言うと派閥です。諸侯達の権限が大きいのでいろいろあるんですよこの国には」

 祐一「大変そうですね」

 リス「本文では書いてないけどかなり大変だぞ。しかも大きな派閥ではその中に幾つも派閥があったりするから当人たちにも訳が分からん位に利害が交錯しまくってる。宰相の死亡率一位は過労死だ。

 祐一「大変なんだな」

 リス「ちなみに二番が暗殺だ。この二つでの死亡率は六割を超える」

 祐一「物騒すぎるだろ! それでは次回、「吹き始めた風」でお会いしましょう。ちなみに題名は予告なく変わる場合があります」

 リス「書いてて思った。時菜のところが今までで一番書きやすかったと」