陽炎のような時代の中で





 第四話「時代変える狼煙(前編)




季衣帝国 帝都(華京) 宰相執務室


 溜まりにたまっていた仕事をやり終えて、秋子は執務室の椅子の上で大きく背を伸ばした。

 この帝都全域で行われる大きな祭りが近いせいで、ここ最近の仕事量は以前と比べて相当に多い。

 今日とて本来は休日なのに宰相でなくては裁定できない案件がいくつか出来たということで休日出勤することになってしまったのである。

 これなら宰相になんてなるんじゃなかったかしらと、あながち冗談ともいえない口調で秋子はつぶやいた。

 思った以上に仕事が多かったというのも理由の一つである。そもそも山三つ分の書類を『いくつか』と言うのはおかしいだろうと思う。しかし、そうとでも言わないと出てこないと踏んだのだろう。

 実際、秋子も此処まで仕事が多いと知っていたら絶対に出てこなかった。

 ついでとばかりに仕事を押し付けてきた部下達には後でお返しをしてやろうと決めて、秋子は鞄の中から先ほど祐一から受け取った封筒を取り出す。

 何も書かれていない無地の封筒。しいて言うなら、薄く翡翠に色づいているだけのどこにでもあるこんな封筒を出してくる相手を、秋子は一人だけ知っていた。と言うより、一人しか知らない。

 祐一が言っていた通りに、今はタイプムーンや尾根との国境付近にある北嶺の長官をしているはずだ。

 捺印もなにも無いこんな封筒が、宰相である自分に素直に渡ることなど無いと分かりながら運ばせるというそんな底意地の悪いことを笑いながらする老人だ。そいつは。

「さて、今度は何が書いてあるのでしょうね」

 前回は確か、宰相に就任したときに祝っているのか馬鹿にしているのか分からないような手紙を送ってきていた。

 封筒を開く。

 そこから出てきたのは、何も書かれていない白い紙。

 相変わらず無駄なことには労力を惜しまない人だと苦笑して、口の中で言葉を紡ぐ。

 マナが秋子の指先に集まり、小さな灯火と化した。

 その灯火で白紙をなぞると、何も書かれていない紙から文字が浮かび上がる。

 炙り出し。

 ある特殊な薬品を使って書かれた文字は熱に反応して焦げたように変色する。今となっては伝承にしか残らない「科学」の産物で、知っている者は数少ない。

 現れた文字を目で追う。やはり書かれているのはそれほど重要ではないことだけだ。大体、必要なことは別に報告書を出してきている。こんな届くか届かないかも分からない手紙に、重要なことなど書くはずもないのだが。

「ん?」

 身体が揺れた気がして、秋子は手紙から顔を上げた。

 気のせいかと再び手紙に目を戻そうとしたとき、今度は空気が震えるような低い音とともに城全体が揺れた。

「何ですか?」

 あわてて、窓のカーテンを開ける。

 眼下に広がるのは帝都の町並み。そこからは煙が立ち上っている。

 帝国最大の都市であるこの帝都にとって火事は珍しいものではない。特に冬は火を使うことが多いので、毎日どこかで火事が起こっているといってもいい。

 だが、目に付くだけでも何十とあがる煙の数は、あきらかに異常だった。

 すぐに、秋子は手紙の最初の部分に目を戻す。

 タイプムーンと尾根の戦争はしばらく膠着している。

 それは、秋子もつかんでいたことだ。確かに去年はどちらも数万単位の兵力を投入した大戦役だったが、それ以前は国境線付近で押しつ押されつの小競り合いをしていただけだ。むしろ去年の方が異常といってもいい。

 そして、手紙の最下部に指を這わせる。熱に反応して、白紙から文字が浮かびあがる。

「なるほど」

 浮かびあがった文字を見て、秋子はつぶやく。指先に力をこめて指先の火力を上げる。火はまるで生きているかのように揺らめきながら手紙を灰に変え、その灰ごと窓の外へと散っていく。

 秋子自身が持っている情報。手紙に書かれていた情報。そして今眼下で起こっている火災。

 それを無関係な出来事だと考えるほど秋子は愚かではなかったし、能天気でも無い。

 ハンガーにかけていたコートを羽織りながら、秋子は執務室から出て行った。

「今夜の晩餐会は楽しみでしたのに。邪魔をするなんて許せませんね」

 微笑ながら残したつぶやきは、誰にも聞かれずに消えていった。












 祐一達が爆音に気が付いたのは、兵舎への道半ばといったところだった。

「なんだ? あれ」

 次々と立ち上がる黒い煙を見て、祐一がつぶやく。この街では火事は珍しくは無いものの、一度にこんなに幾つもの煙が立ち上ることなどありえないといってもいい。

「そんなもん見れば分かるでしょう。火事ですよ、火事。ありゃあ、第二街区の方だな。しかし、なんであんなトコが燃えてんだ? あそこは軍事区……」

 最も多くの煙が立ち上っている方を見ていた舞人は、そこまで言ってはっとしたように押し黙る。

 腰に差してあった剣を確認すると、いまだに腕を握っていた祐一の手を振りほどいて走り出した。

「おい舞人! どこ行くんだよ」

 それまでどこかじゃれていた舞人が発した普段とは異なる雰囲気に、祐一は面食らう。

「馬鹿ですかあなたは。第二街区は軍事区ですよ。ある意味この帝都の中で最も安全な場所だっていうのにいくつも火の手が上がっている。つまり」

 腰に下げていた剣を掲げて、舞人は走りながら顔だけ祐一の方へ向けて言った。

「おもしろそうなことがあるってことですよ」

 心底楽しそうに、舞人は笑みを浮かべた。

 それだけ言って走り去っていった舞人を追って、祐一も走り出す。

 確かに、舞人の言う通り、一番多く火の手が上がっているのはこの帝都の第二街区。俗に、軍事区と呼ばれる、衛兵や、騎士団の駐屯地が多くある地域だ。当然のごとく、何かがあった時には対応が行われるまでの時間がこの帝都でもっとも短い。ただの火事だとすれば、隣に燃え広がる前に処理できるほどだ。

 それが、今はちらっと見ただけでも片手よりも多くの煙が上がっている。それどころか、まだまだ燃え広がっているように見える。

 普通に考えて、火事が自然にいくつも同時に起こるはずもない。第一に、第二街区は民家が少ないので火種自体、他と比べて圧倒的に少ない。

 なら、考えられるのは一つ。舞人の言を借りるなら『おもしろそうなこと』があったということ。

 そこまで考えて、祐一は舞人の背を追った。もし舞人の考え通りなら今あそこでは冗談ではすまないことが起こっているはずだ。学生時代からの付き合いなだけあって祐一は舞人のことを良く知っていた。

 二人は角を曲がり、第二街区に入る。近づくに強くなっていた熱気が、巻き上がる炎によって生み出させら熱風とともに顔を打つ。

「ひでぇ」

 顔を抑えて、舞人はうめいた。寄せてくる熱風は冬だというのにやけどしそうなほどに熱い。人の形をした炎が地面を這うようにもがく。

 赤い。もしこの場所を言葉に表すのならその一言で十分だろう。視界に入るすべての場所が赤い炎が揺れ踊り、まだ燃えていない場所を見つけては、攻め立てるように広がっていく。炎こそすべての支配者といわんばかりに炎はその勢力圏を広げ、それに応じて被害者の数も増していく。

 世界すべてが燃えていると錯覚させられそうになるその場から逃れようと右に左に逃げ惑う人々を、兵士たちがどうにか誘導しようとしていた。

「舞人、俺達も手伝うぞ」

「へいへい」

 駆け出そうとした祐一に背中をなでられたような悪寒が襲う。

 振り返る。億劫そうな舞人の後ろから飛び出してくる影。その手に握られているものが、炎の光を反射して輝いて見えた。

「舞人っ! 伏せろ!」

「へ? ――ッ!」

 祐一の言葉にぽかん、としていた舞人だが後ろから殺意めいたものを感じて地に伏せる。

 一瞬前まで舞人の首があった位置に、後ろから刃が振り下ろされていた。

「ちっ……」

 舞人に向けて剣を振り下ろした男は舌打ちする。

 身に纏った衣装は黒。顔を隠すように真黒の布が巻かれていたが、体格から男だと分かる。

 男は地に伏せている舞人を狙い再び手にした剣を振り下ろす。

 地面に伏せたまま、舞人は剣を上に上げた。金属同士がぶつかり合う甲高く澄んだ音が響く。

 剣を打ち合う反動を利用して、舞人が後ろに飛びのいた。相手の剣が届かない所まで跳んで立ち上がろうとする。

 だが、男のほうが少し速かった。舞人が立ち上がる前に駆け寄った男は舞人の喉をつかんで地面に叩きつける。

 自分が立ち上がろうとした勢いと叩きつけられた衝撃で、舞人の呼吸が止まる。

 男は舞人の上に馬乗りになり、剣先を舞人に向けて剣を振り上げた。

 しかし、その刃が振り下ろされることはなかった。

 祐一が手にしていた槍を投擲し、空気を裂くような音を立てた穂先が男の腹に突き刺さる。

「大丈夫か? 舞人」

「お前の助けなどなくてもこのイケメン舞人様にかかれば余裕ですよ、よ・ゆ・う」

「やばっかったように見えたけど」

「ヒーローっていうのはピンチになってから力を発揮するのですよ!」

 駆け寄ってきた祐一にいつも通りの軽口を返して、舞人は立ち上がった。

 仰向けになってうめいている男に視線を向けながら祐一は舞人に問いかけた。

「しっかしお前、いきなり襲われるなんて何か恨まれるようなことやったのか?」

「なっ……! この貴公子オブ貴公子とご近所どころか帝国全土で有名なこの俺がそんなことするとでも思っているのですか君は!」

「まぁ舞人が馬鹿だっていうのと同じくらいには。……おい、お前どこのどいつだ?」

「相変わらず失礼しちゃうわねまったく。……しゃべったら治療してやるぜ」

 二人とも言葉の後ろ半分は互いに向けたものではなく、倒れている男に向けた言葉だった。先ほどの動きは火事に錯乱した男の動きではなかった。しっかりと訓練された、プロの動きだ。

 だが男は二人の問いには答えずに胸元から笛を取り出して、最後の力を振り絞ってその笛を吹いた。

 ピィーーー! と、どこか間抜けな音がが、その笛から鳴り響く。

 慌てる祐一達に向け男は口元をゆがめて、そして事切れた。

 笛が拳から滑り落ち、しゃらんと鳴った。

 すぐに足音が聞こえてくる。それも、一人二人ではない。足音からして十人はいるだろう。

 男から槍を引き抜きながら祐一はぼやいた。

「お前の言う面白そうなことってこれか?」

「知るかっ!」

 服に付いた汚れを払い落として舞人は剣を構えた。

 それほどたたずに、建物の影から足音の主たちが現れた。

 数は十二、三人ほど。剣だけでなく、杖を持つ者も数人ほどいた。

 誰もが全身を黒長衣で覆っている。

 誰かが魔法を使ったのか祐一達の目の前が爆発した。巻き上がった煙にまぎれて頭ほどの大きさの火の玉も飛んでくる。

「って魔法かよ! ほれ逃げるぞ相沢。ここにいては蒸し焼きか照り焼きになってしまう!」

「早く逃げろよ〜! そこ危ないぞ」

「すでに逃げていらっしゃる!?」

 出会いがしらに魔法をぶつけられて、祐一達は相手に背を向けて逃げ出した。

 何の用意もなしに魔術師を含めた相手と戦うのは少々、いやかなり厳しいものがあるのだ。

「相沢、お前何か魔法使えないのかよ!」

「俺の魔力の少なさは知ってるだろうが! 俺には火種一個作る魔力も無いんだぞ」

「使えねー! 草葉の陰の雑草くらい使えねぇ〜」

「うっさい!」

 後ろからはひっきりなしに飛んでくる火の玉や氷の槍が飛んでくる。言い争いながらもそれらをかわしながら二人はまだ燃えていない建物の中に逃げ込んだ。

 兵の駐屯所として使われていたらしいそれは、すべての窓が閉じられているせいだろうか。どこか不気味なほど薄暗い。

 二人を追って、男たちが建物の中に入ってきた。

「どこだ!? どこに行った?」

 男のうちの一人が怒号を上げながら部屋中を見回す。他の男たちも屋敷の中に慎重に足を踏み入れて二人を捜索する。

 業を煮やした男の一人が苛ついたように叫んだ。 「あの餓鬼! どこ行った!?」

「こっち」

「なにっ!?」

 声のした上を振り向いた男の顔面を同じく上から降り注いだ槍が貫いた。二階の手すりから飛び降りた祐一は男の身体から槍を引き抜くと隣で呆然としている別の男に穂先を突き出す。槍の先端は男の心臓を狙い誤たずに貫き男の命を刈り取った。

「終わったか?」

 さらに向かってきた二人ほど突き倒して、祐一は後ろを向いた。

「とっくに」

 剣に付いた血を布で拭いとって舞人は答える。全身血まみれだが、返り血だけで特に傷は負っていないようだった。

「畜生、今日おろしたてだっていうのに血まみれとか勘弁してくれホントに」

「でも後は魔術師だけだろ。楽なもんだ」

 今ここに倒れている男の数は九。ちょうど全体から杖を持っていた数を引いたものに等しい。

 こうなるとあとは簡単だった。

 魔法を使うにはどうしても詠唱によるタイムラグが生じる。祐一の知る限りでは二発目以降は修行によって短縮したり術者によっては省略したりも出来るらしいが、一発目ではそれは絶対に不可能だ。

 だから魔術師は壁役がいないとあまり役に立たない。詠唱中にばっさりとやられてしまうからだ。祐一も舞人も普段からは想像できないが強い。並の魔術師ならば詠唱が終わる前に切り倒すことくらいわけは無い。

 キキィィィ

 かすれた木の軋む音して扉が開く。

 不意に開いた扉に向け慌てて祐一は槍を構え、舞人は手にしていた布を放り捨てる。

 昼だというのに炎を纏ったせいで赤い光と、その光をさえぎる人の影。

 扉が開ききった瞬間に、祐一は右から、舞人は左からそれぞれの得物を影に向けて振り下ろす。

 同時ではなくわずかな時間差で振り下ろされた二つの刃を侵入者はやすやすと受け止め、かわして見せた。そのままフワリと姿勢を沈めた侵入者はばねの反動のような勢いで室内に入り込む。

 外から入ってくる光を背にして、祐一は油断なく槍を構えた。屋敷の奥から、舞人が祐一に視線を向けた。その意味を受け取って、面倒臭そうな顔をしながらも祐一は肯く。

 音高く床を踏みしめて、祐一が槍を突き出す。相手の足首を狙った一撃を途中で強引に軌道を変えて下から逆袈裟に振り上げる。腕を狙ったその一閃を侵入者はあっさりと受け止めた。

 だが、その間に後ろに舞人が後ろに回りこみ、上段に構えた腕を振り下ろす。

 開きっぱなしの扉の向こうから、少女の叫びが部屋の中に響いた。

「桜井君、祐一君、冬華君も何やってるのさ!」

「さっきはよくも俺を売ってくれやがったな! 久瀬ぇぇ!!」

「桜井? フベラァァ!」

 侵入者こと久瀬冬華の頭に、舞人はついさっきの恨みを叫びながら鞘をぶち込んだ。剣ではなく鞘なのはさすがに洒落ではすまなくなるからだろうか。

 後頭部を殴り倒された久瀬はそのまま床に音を立てて倒れる。泡を吹きながら身体をピクピクと痙攣させる姿は、部屋の中が薄暗いこともあってどこか不気味だ。

 しかし鞘とはいえ立派な鈍器だ。それで後頭部を殴られて気絶だけですんでいるのだから意外とこの男はしぶといのかも知れない。躊躇なく振り下ろした舞人も舞人で問題があるが。

 あわてて扉から駆け込んできたあゆと、どこか満足そうな舞人を見比べて祐一は呟いた。

「さてと、遅いかもしれないけど救助活動に移りますか」

 扉から入ってくる光は、先ほどよりも紅に彩られていた。舞人を問い詰めているあゆの矛先がこちらに向かないうちにと、そろそろと祐一は建物から出て行った。

 季衣帝国帝都華京の空に舞い上がる黒煙が告げる意味を知る者は、まだ居なかった。










  あとがき

 リス「なんかやっと物語に入っていけそうです。いやぁ長かった」

 祐一「じゃあいままではプロローグかよ! あんなにグダグダなのに三話もかけてんじゃねぇ!」

 リス「すみません」

 祐一「なんか今日は素直だな」

 リス「自分でも書いててそう思ってしまったので反論できない」

 祐一「それはともかく、今回は前後編か」

 リス「一応はそのつもり。しかし予定は未定な訳で」

 祐一「最悪だな」

 リス「うっさい! それでは拙い文章ですが読んでくださった方、載せてくださった管理人さまありがとうございます。これからもどうかよろしくお願いします」