蜻蛉のような時代の中で
         第二話「一つの平和の形」



 北泉の町に着いたのはもう日が高く昇る頃だった。
 一応は季衣帝国の領土とはいえ幾つもの小勢力や種族が合従連衡を繰り返している季衣北部の北華地方の南端に位置するこの街は西の尾根連邦や他の小国との国境にもさほど遠くないこともあってか、傭兵やならず者などが街のなかに多いように祐一には見えた。
「いやー、本当に助かりましたよ。馬は賊に買い戻させられるとあきらめかけていましたからね」
 その北泉の中の酒場で、一人の少女が祐一たちに酒や食事を振舞っている。
 はっとするような白い肌と、触るだけで折れてしまいそうな身体つきの少女。
 菓子折美沙と名乗るこの少女が、祐一たちの雇い主だった。最近に季衣帝国の北西部ではそれなりに聞く名前の新興の商人だ。
 別のキャラバン(商隊)に預けていた馬が取られてしまったから取り返してほしいと、祐一は帝都で彼女に声をかけられた。
 まだ若い。もしかすれば祐一よりも年下なのではないかとも思えた。
「宝石や金銀細工ならともかく馬はどこかに隠すなんてこともできませんからね。だから賊達もよく狙うのでしょう。特に最近では北華だけでなくほかのところでも争いが多いそうじゃないですか。そのせいか私たち商人仲間からもよく賊の被害にあったという話を聞きますからね」
 ささやかなお礼、という美沙によって一行にはこの酒場で酒や料理がふんだんに振舞われている。
 薄暗いながらも店の中は広く、そして戦場かそれに近い場所で生きる者逹特有の気配とならず者逹の下卑た笑い声で充満していた。
 少なくとも、数分前までは……。
 そして今は、
「キャハハハ! みんなあ! 飲んでる〜!?」
「「オォォ!!!」」
「川澄舞、イッキいっきま〜す!」
「「イッキ! イッキ! イッキ!」」
 舞が麦酒でいっぱいになった大杯を一気にあおる。きれいな白い喉が幾度と無く上下して、
「プハァー! この一杯の為に生きてるんだよなぁ! 貴様らは!!」
「「ウィィィッス!!」」
 いつの間にか舞が中心となった飲み比べ大会に変貌していた。



「なあ相沢」
「うん?」
「俺、あの川澄って人はもっと物静かな人だと思ってたんだが」
ああ、と祐一は一度息を吐いて、
「俺も初めて舞と飲むまではそうだと思ってた」
「つーかすげぇ。もう八人抜きだってのにこっからじゃまったく酔ってるように見えねえぞ」
「北川さん、また一人倒れたから九人抜きです」
 美沙が北川の言葉を訂正する。
 そして祐一は唖然としている二人に付け加えた。
「何よりすごいのはあれだけ飲んでても記憶が飛ぶどころか二日酔いにすらなったことが無いんだ。舞は」
「それは……すごいです」
 そして祐一、北川、そして美沙の三人はそんな舞をあきれ半分驚き半分といった目で見ながら机をかこんでいた。
 ちなみに真琴は明け方の魔法の反動か、一杯目を飲んだ時点で机に突っ伏して寝息をたてている。
 いかに彼女が人よりも膨大な魔力を持つ魔族であっても、儀式も道具もなしで一人で戦術規模の魔法を行使することは相当な負担を彼女の身体にかけてしまったようだった。
 そんな真琴の寝顔を優しそうな目で見守りながら、北川は美沙に訊く。
「しかし、こんなにも貰ってしまってよかったのか? 一週間程度の仕事にしては破格のの報酬だぞ」
 北川はさっき受け取った報酬を取り出す。
 それは十二人全員に分けても、一人ひとりの分量がかなり多かった。
 彼の感覚では慎んだ暮らしをするならば一年くらいは十分にやっていけるのではないだろうかと思えるほどの額だ。
 だが美沙はその北川の問いに、笑って答えた。
「買い戻させられることと比べたらそれくらいはした金みたいなもんです。最近の商人はキャラバンを組んで商売することが多いんです。なにせ商売の規模を大きくできますから。
 でもその分、賊に会ったときの被害も大きいんです。今回みたいに馬が五百頭もの数だったら賊が捨て値で売ってきてもその数倍にはなるんですよ」
「護衛とか私兵を雇ったりしないのか?」
 祐一の疑問に、美沙は力なく首を振った。
「たとえ百の兵を雇うことはまぁ簡単でしょうね。でも、その兵たちを指揮する信用できる指揮官がいないんです。
 もし百人の兵を雇っても百人の賊とは戦わないかもしれない。そればかりか、もしかすればその護衛がまるごと賊に代わってしまうかも知れないんです。実際にそうして財産をすべて失った商人も大勢います。
 だから何人かの信頼できる護衛を雇った商人が徒党を組んでキャラバンを作るのは、そんな理由もあるんですよ
 最近はそれでも追いつかなくて、多少の損害は覚悟で何十何百もの私兵を雇う商人も増えてきてますけどね。
 なにせそうしなければ裏切りで財産を失う前に賊の被害で全部失ってしまうくらいなんですから」
 そして、机に身を乗り出すようにして美沙は北川と祐一を順に見る。
「その点、私は運がいいです。ここにいる十二人の皆さんなら信用できる。どうです? 私は今度二百人ほどの兵を雇おうと思っています。
 最近は尾根との国境やタイプムーン近くが不穏な感じになってきたので、その指揮を皆さんにとってもらえたらこんなに心強いことはありませんし」
 質素に暮らすならば一年ほどは暮らせる程の金額をはした金と言い切る商人の兵の指揮官。普通に考えたならば相当に魅力的だろう。
 だが、
「俺と、あそこで酒飲んでる舞。その二人以外なら好きにしてかまわないぜ。特にこの北川潤と沢渡真琴の二人はどうだ?
 この二人の力で、馬をこの北泉の町まで運んでこれたようなものだし」
「ありがたい申し出だけど残念ながら俺もパスだ。実は先約があってな。今はその休暇中に来てるようなもんなんだ」
 それほど残念でもなさそうに北川は言う。
 眠っている真琴の髪を手ぐしですくいながら言葉を続ける。
「それに、この子のお守りもあってな。今はあっちこっち飛び回る生活は出来ないな」
 優しい目で真琴を見つめる視線を美沙に移して悪ガキのような顔で北川は笑う。
 それにつられて美沙も、そして祐一も笑い出した。

 
「それじゃあ、仕方ないですね
 ひとしきり笑い終えて、美沙が言った。
「悪いな」 
 祐一の謝罪に、美沙はまた笑った。
「いえいえ。五百もの馬を自分の身体のように操る舞さん。何の用意も道具も無く大きな魔法を使いこなす真琴さん。一騎当千で走り回る北川さん。そして誰一人として失わずに馬を取り返してきた祐一さん。
 こんな凄い人達と知り合えただけでも幸運と思わないと」
 美沙の言葉に北川は頷く。
「そうだよなぁ。帝都で最初に相沢に雇われたときなんてただのお坊ちゃんに見えたけど全然違ったよな。眠り薬入れた酒を賊に飲ませて酔いつぶれさせたときもそうだったけど、明け方に賊と向かいあった時の目は怖いくらいだった。
 それにしてもよく一人で賊に向かって突っ込んでいったよな。真琴ちゃんの魔法で崩れかけてた敵だけど、最終的に崩れたのは相沢が一人で突っ込んでいったからだし」
 祐一は北川の言葉を黙って聞いていた。ただ必死だった。夢中だったといってもいい。
 ケンカこそ負けたことは無かったが、祐一にとってこれが初陣といってもよかった。
 小さいながらも一応は指揮官で、ならばどうすればいいかをただ考えていた。
 とにかくなにか言おうと酒の入った壷に手を伸ばそうとした祐一は、ふと風を感じて、祐一は入り口に視線を向けた。
 視線の先で一人の少女が店内を見回している。
 傭兵かなにかだろうか。軽装ではあるがその少女は鎧を身に纏っていた。
 店の中をさまよっていた彼女の視線が一点でとまる。
 祐一がその視線を追うと、そこでは北川が少女に向かって手を振っていた。
「知り合いか? 北川」
「ん? ああ、まあな。美汐ちゃん。こっちこっち」
 北川が呼ぶ声にしたがって、美汐と呼ばれた少女が近寄って北川のそばに立つ。
「遅かったですね、隊長。なんで帝都に行って帰ってくるだけで二週間以上かかるんです?」
 本来は容貌と同じようにかわいらしい声なのだろう。しかし今はそんなのを吹き飛ばすくらいにおどろおどろしい声だった。
「え〜と、まぁいろいろと」
「はぁ……隊長、いい加減その何か面白そうなことにすぐ加わる癖、いい加減に直してください」
 不満をぶちまけて、美汐は北川の隣に座る。そして、美汐は初めて祐一たちに気がついたようだった。
「隊長、この人達は?」
「こっちの男が相沢祐一。そしてこっちが……」
「菓子折美沙です。北川さんには賊に獲られた馬を取り返してもらって感謝してます」
 美沙が美汐に微笑する。
「天野美汐といいます。隊長の、北川さんの傭兵団の団員です」
 美沙に挨拶をかえした美汐が、ジト目で北川を見据える。北川はあからさまに視線をずらして口笛を吹いていた。
「隊長、帰りが遅いと思ったらやっぱり……」
「いや、ほら、やっぱり手ぶらで帰るのもなんかまぬけだし」
「隊長だけじゃなく真琴さんもいるんですから寄り道はしないでくれとあれほど言ったじゃないですか!」
「いやまぁ、報酬はかなりなんだぞ」
 北川は先ほど美沙から受け取った袋から一枚の金貨を取り出した。
 北川からその金貨を受け取った美汐はその金貨を歯ではさむ。
 昔から知られる金貨の確認法の一つで、金は軟らかい金属なので歯で噛むとその部分に歯形がしっかりとのこる。歯形がつかないものは混ぜ物が多いか、それとも黄銅という偽物だ。
 美汐が噛んだ金貨にはしっかりと歯形がついていた。
「その袋の中全部これですか?」
「あと真琴ちゃんのも合わせるとこの二倍かな」
 北川の台詞に美汐が固まる。
 硬直が解けたかと思うと、美汐は北川の手を取った。
「隊長。私、一生隊長に尽いて行きます」
 あまりにも現金な美汐の台詞に祐一と美沙は椅子から滑り落ちた。
「祐一、何してるの?」
 声のした方へ振り返る。そこには舞が椅子から滑り落ちた祐一を不思議そうな目でみていた。
 その舞の後ろを見れば二十人近くもの人が床に突っ伏していた。時折うめき声を上げているので生きてはいるのだろう。しかし地獄の底から響いてくるような声はなんとも言えず不気味だった。
 どうやら全員を飲みつぶしてきたらしい。
 それ以上にそれだけ飲んでも多弁になる以外はまったく普段と変わらないのは異常だろう。本当に同じ人間なのだろうかと祐一は時々思う。
 舞が祐一のとなりに座って料理に手を伸ばした。


「そういえば、君はなんで帝都にいたの? さっき話聞いた限りではなにか用があったみたいだけど」
 舞が北川にそんな問いを投げかけたのは、食事も終わろうとしていたときだった。
「んーっと、お使いみたいなものかな」
「お使い?」
 北川は懐から一枚の封筒を取り出す。
「ああ。俺達は今北嶺の司令に雇われてるんだが、その人の命令で、この報告書を持って行ったんだ」
 北嶺。それは季衣帝国西部に存在する町であり。尾根王国、タイプムーン連合との境界線に位置する軍事戦略上の要衝でもある。ここ数年はタイプムーンと尾根の戦争の為に重要度は減ったものの、ほんの数年前までは季衣帝国の二国にたいする最前線として最重要の城砦都市でもあった。
 その封筒を見て、美汐が再び腹の底へと響いてくる声で北川を問い詰める。
「何で隊長、まだそれを持ってるんです?」
「え? あれ?」
「まさか、帝都まで行って、届け忘れた……とか言わないですよね?」
「え〜と……そうみたい」
 ハハハと力なく笑う北川。それとは対照的に、美汐の笑みには黒い怒りがこめられているように見える。
 そのまま北川を問い詰めようとした美汐を、舞が遮った。
「まあまあ。その封筒、誰に渡すの?」
「確か宰相の水瀬秋子だったような腕が千切れるように痛いぃぃぃ!! 美汐ちゃん、腕はその方向には曲がらないてぇぇぇぇ!!」
 美汐は北川の腕をつかむと、ねじきりそうな勢いでその腕をひねり上げる。
「いや違うって! 何度行っても会えなかったんだよ。直接渡せっていわれたから何度も役所とか訪ねたけどまったく音沙汰なしで、だから美汐ちゃん、その関節はそっちには曲がら骨が砕けるように痛いぃぃぃ!!」
 美汐は何も言わずに笑うとまた北川の腕をひねり上げた。
 そんな光景に、祐一は苦笑する。
「それなら着いてくるか? 俺の叔母にも帝国宰相の水瀬秋子っていう人がいるし」
 その言葉に、ピタリと美汐の動きがとまる。そのまま祐一の方向へ向き直る。
「それ、本当ですか?」
「別に信じなくてもいいぜ」
 美汐が祐一の目をじっと見つめてくる。しかし、しばらくするとその視線をそらした。
「嘘をついてる目ではないですね。分かりました。お願いします」
 そう言って、美汐が頭を下げる。その際、握っていたままだった北川の腕が不思議な音を立てて、北川が倒れる。
「あれ、隊長。大丈夫ですか?」
 美汐にゆすられながら泡を吹いている北川を見ながら、今まで黙っていた美沙がつぶやいた。
「平和ってこんなことを言うのかもしれませんね」







あとがき
第一話と違ってなんかぐだぐだに。いや、一話十分ぐだぐだかもしれませんけど。
読みにくいところは多いかもしれませんが楽しんもらえたら嬉しいです。
キャラが変なのは……すみません作者の趣味です。