日が地平線の向こうに沈もうとしている。
 この季節の夕暮れはどこか現実ではないような光をこの地に降り注いでいる。
 吹きすさぶ風が、男の身体を心地よく打った。
 夕暮れ時の紅が、雪がちらちらと残る荒野を幻想的に染めあげていた。
 冬だというのに、身体を巡る血潮は熱い。
 地響きが木霊するその荒野を数人の若者が馬に乗って駆け抜けていた。
 数百頭の馬がその後に続き、さらにその後ろにも数人の若者が馬を守るように広がりながら駆けていた。
 先頭を駆ける男が馬を止めた。いまだ少年の面影を残す彼は声を張り上げた。
 喊声。気づけば二十騎程が左の丘から駆け下りてくる。先頭を走っていた少年が片腕を上げ、しばらくしてから振り下ろす。
 馬群が方向を変え、二十騎の方へ向かって行く。


 
    陽炎のような時代の中で
             第一話『荒野』

 突然のことに浮き足だす相手に、彼らは斬り込んだ。
 二十騎を蹴散らすのに、手間はかからなかった。ほとんど最初の突撃で逃げていたのだ。
 二十騎の内、半数は斬り倒されて死んでいた。
 こちらは十五人の内、怪我をしたものもいなかった。
 丘の間の草地に馬を小さくまとめた。一瞥しただけなので正確とは言えないが約五百頭。成果としては十分だろう。
 「これから馬を小さくまとめて北泉まで向かう。ざっと二百湖里(約90キロ)。二日で駆け抜けるぞ」
 「ちょっと待てよ、五百もの馬があるんだ。俺たちで売っぱらって山分けしちまおう。このまま引き渡しちまうなんてもったいないぜ」
 「馬を北泉まで運ぶ。そして依頼主に引き渡す。そういう条件で雇ったはずだ」
 「そりゃあな。でも誰も賊から取り返せるなんて思って無かったから付いて来ただけだ。取り返せたのは偶然かさもなきゃ運だ。この運を逃す手は無いぜ」
 帝都の酒屋で雇った、三人の内の一人だった。この三人は仲間なのだろう。他にも何人か同調しそうな気配がある。
 少年の背後に、一人の少女が回り込んだ。古い付き合いの友人。彼が信用しているのは彼女一人だけだった。
 「俺は、馬を取り返すつもりだった。その成算もあった」
 「だから運だ。これ以上やると運が逃げる」
 「こんな程度で逃げてく運なんて俺は要らない。それにこのまま馬を運べば礼金だけじゃなく、信用も手に入る」
 「何が信用だ、このご時勢に」
 「男には、いや人間には、こんな時代だからこそ守らなければならないものがあると信じている。それが信用だと俺は思う」
 少年は輪の外にいる一組の男女を見ながら言った。彼らは特に本気を出した様でもないのに、賊を相手に軽々と立ち回って見せたのだ。
 今この場で手傷を負った者がいないのは彼らのおかげといってもいい。
 祐一の言葉に男が嗤った。仲間だろう二人も歯をむき出しにして嗤う。
 輪の外にいた一組の男女が、ゆっくりと近づいてきた。草原に靡く草のように、視界の端に映る赤い雲がゆらゆらとゆれているような気がした。
 「五百頭の馬を二日で北泉まで運ぶ。そんなことお前にできるのか?」
 問いかけてきたのは男の方だった。
 背に長剣を結びつけ、光の加減で黄色く見える髪をしていた。
 「ああ。だがうまくいくとも限らない。少なくともここで近くの街で馬を売るよりは失敗するだろうな」
 「一人になっても?」
 少女の方が訊いてくる。
 「少なくても付いてきてくれる仲間が一人いる」
 「へぇ、面白いな。お前」
 男がくっくっくと笑った。この十五人の中では一番薄汚れていたが、決して下品な笑いではなかった。
 「お前らは消えな」
 男が顔を上げて言った。
 「なんだと。俺たちを除いた人数で馬を売り払う気か?」
 「残りたければ残ればいい。だけど、馬は運ぶぜ」
 「無茶だ。この先には賊が待ち構えてる。しかもさっきみたいな少数じゃなく何百人もいるんだぞ」
 「だろうな。だがこいつは成算があるといった。馬を取り返したときもこの男には策があった。地形もよく知っていたし、ついでに用兵もうまかった。そしてついでに、俺は馬を北泉まで運んでみたいしな」
 「ちょっと〜、それ以上ごちゃごちゃ言うんだったらみんな焼いちゃうわよ」
 少女が掌を突き出して皆を見渡すように言った。
 結局去っていったのは三人だけだった。十二人が残った。
 「ありがとう。君らがいなかったら内輪もめになるとこだった」
 「気にすんなって。俺はさっき言ったみたいに馬を運んで見たかっただけさ。ついでにお前のお手並みも拝見したかったしな」
 「ともかくありがとう。俺の名前は相沢祐一だ」
 「北川潤。んでこっちが……」
 「沢渡真琴よぅ!!」
 少女がことさらに胸をはって答える。
 真琴と名乗った少女からゆらゆらと陽炎のようなものが立ち上る。そして、北川に負けず劣らず夕日の中で黄金色に自己主張する長い髪が、彼女がただの人間でないことを証明していた。
 「妖狐族……?」
 季衣帝国の最北方に位置する魔族。人よりも速く、そして莫大な炎の魔力をもつ北の有力種族。
 「だから何?」 
 声音にあきらかな不満をにじませて、ジト目で祐一を見据える真琴に、祐一は苦笑いしてごまかす。
 「まあまあ。ところでこれからどうするんだ? あいつらじゃないが一日くらいの距離に賊が待ち構えてるのには変わりが無いぜ。特に今回襲ったやつはこの辺の顔みたいなもんだからな。百か二百、それくらいは少なくても集まる」
 「詳しいな、北川」
 「何度かかち合ったことがあってな」
 「まぁ、いますぐにぶつかる訳じゃない。今はとりあえず進もう」
 馬の群れを進発させる。
 先頭に祐一、馬群の左右に北川と真琴。そして最後方に少女が一人。あとはなんとなくという風に一塊になって駆けた。
 深夜までに北泉から北に約二十二キロの距離までかけてきた。
 祐一は交代で歩哨に立たせた。皆疲れて眠りたがったが、叱咤して見張りにも立たせた。
 真琴は不満げだったが、北川は丸一日中駆け続けていたというのに疲れた様子すら見せずに、疲れた者の分まで見張りをしていた。
 「丘の向こうにざっと百五十人くらいいたわよ」
 夜明け前に斥候にたった真琴がなんでもないように言った。
 聞けば、どうやら手ぐすね引いて賊が待ち構えているらしい。
 夜に襲ってこないのは馬を逃がしたくは無いからだろう。驚いた馬は、どんな風に逃げるのか解らないのだ。下手したら、すべて逃がしてしまうということもありえる。
 「……馬を逃がさないで駆け抜けさせる自信はある」
 馬群を後ろから操っていた川澄舞が言った。祐一とはもう何年もの付き合いになる。祐一の知り合いの中では馬の扱いが最も上手く、それを見越して祐一は彼女を誘っていた。
 普段無口な彼女の断言。
 どうやってするかの具体的な説明は無かったが、そこは信じるしかなかった。
 「わかった。賊を抜いたら、北泉まで一目散に駆けろよ、舞」
 舞がうなずく。
 「それでどうするつもりなんだ。相沢」
 「夜が明けると同時にまず斬り込んで混乱させる。そしてその混乱からたち直らないうちに馬を駆け抜けさせる。あとは北泉まで一直線だ」
 「それだけなの」
 「真琴ちゃん、とりあえず北泉までは従うって決めたんだ。今は相沢の言うことに従おう」
 「うぅ〜、わかったわよぅ。でも、斬り込む前に真琴は真琴でちょっとやらしてもらうわよぅ」
 「何を?」
 「それは見てのお楽しみ」
 真琴が祐一に向かって笑った。
 眠っていた者を起こす。
 丘の上まで駆け上がる。目の前には賊徒がしっかりと陣を組んでいた。装備も遠目ですら上等なものだとわかる。
 こちらと違い、衣装も統一されている。何も知らなければ、正規軍と間違えただろう。
 盗んだ馬を持って逃げる賊徒を迎え撃つ正規軍。
 この場面だけ見たらどう考えてもそうとしか見えないな、と祐一は少しおかしく思った。
 「まったく、どっちが賊なんだか」
 同じ意見なのか、北川が大きく息を吐く。だがどこか面白がっているように見えるのは気のせいなのだろうか。
 舞と、あと数人を残した全員が祐一の周りに集まる。
 馬はずっと後方だ。合図と一緒に駆け出すことになっている。
 痛いくらいに槍を握り締めた右手を上げて、振り下ろした。
 同時に、真琴も天に掲げていた両腕を一斉に振り下ろす。
 瞬間、賊徒の目の前の荒野が爆発した。
 一度だけではなく、規模こそ落ちていくものの、二度三度と周辺で続けて爆発が起きる。一度賊徒の真ん中でも爆発し、賊徒達が吹き飛んだ。
 合計で全部で十度ほど地面が吹き飛んだ。
 「触媒も何も無い状況だからこれが限界よぅ」
 腕を振り下ろした状態のまま、息も絶え絶えな様子で固まっている。
 「十分」
 祐一は馬に飛び乗った。
 賊は十分な『対魔法障壁』を張っていなかったのだろう。
 当然だ。たかだか二十人足らずの集団が普通こんな戦術規模の魔法など使える訳が無い。
 ただ、この少女は人族でなく、そして妖狐族の中でも相当な使い手だった。それだけだ。
 今、敵は混乱している。突っ込むなら今だった。
 祐一は馬の腹を締める。
 丘を駆け下りる。賊徒の正面。そのまま斬りこんだ。
 目の前で慌てふためく賊に槍を突き出す。槍が賊の身体を貫く。引き抜こうとしたが賊から槍が抜けなかった。馬から落ちかけている相手を祐一が支えている格好だった。そのまま槍を横に振る。すぐ横にいた別の賊を打ちのめして、やっと外れた。吹きだした血を、祐一は頭からかぶった。
 次の敵に当たろうとしたがもう近くに敵はいなかった
 息を吐く。辺りを見回そうと首をひねった。
 突然、前から何かが顔を掠めた。そうとしか思えなかった。
 頬に熱い線が走る。手を当てると、赤いしずくがついていた。
 横を向いていなければ、間違いなく額の真ん中に突き刺さっていただろう。
 地響き。馬群がすぐそこまで来ていた。
 舞に率いられた馬群が賊徒に槍の穂先の様に吸い込まれていく。
 ただでさえ真琴の魔法と祐一たちの突撃で浮き足立っていた賊は馬群に追い散らされていく。
 舞が剣を振るうたびに進路にいた敵の身体から血が吹き上がる。
 「運がよかったな。相沢」
 北川が近づいて言う。背負っていた長剣だけでなく、賊が持っていた矛も小脇に抱えていた。
 ちょんちょんと、指で頬をついた。
 「矢が当たらなかったことじゃない。俺達を雇ったことだ。見てな、あれくらいならどうにかしてやるよ」
 北川が背中に背負っていた剣を右手に、相手から奪った矛を左手に持って振り回していた。
 余った手綱を口で操りながら駆ける。一振りするたびに、触れてはいけないものに触れてしまったように相手は馬から叩き落とされていく。
 真琴は北川ほど動きまわっていないように見える。静かに近づき、振り上げ、振り下ろす。
 剣に炎でも纏ってあるのだろうか。そのたびに相手は火達磨になって切り倒されていった。
 他の者も闘っていたが、百五十人の賊はこの二人に押しまくられているように見える。北川が両腕を振るうたびに血が飛ぶ。真琴が止まる度に一人ずつ燃え上がっていく。
 「言っただろ。俺達に声をかけたあんたは運が強いって」
 北川は口の端だけで笑う。気づけば、遠くに逃げさる敵がいるだけだった。
 「馬を追うぞ」
 祐一は無意識に叫んでいた。いくつもの死体を乗り越える。
 こちらは、誰も手傷を負っていないように思える。祐一も頭から血をかぶっていたが、どこにも傷は負っていなかった。
 馬群の砂煙が見え始めたのは、もう北泉に程近くなってからだった。





あとがき
はじめまして、リスロット申します。
処女作ですので至らぬところ、そして訳の分からないところもあるかもしれませんがよろしくお願いします。
皆さんが面白いと言ってくれるような作品を作れるようがんばっていきたいと思います。