その早朝。

 ルークは、診療所を脱走、、していた。

 いや、何も悪いことをしたわけでもないし、何か後ろめたいことがあるわけでも無い。

 というか本来ならば脱走する必要も無い。

 ならば、何故なのか。

 その理由は、その診療所にあった。

 いや。正確にはその診療所に勤める、美坂栞という少女に、だ。

 あの少女が、診療所という仕事に対して真剣であることも、人を助けたいという気持ちがあることもルークにはしっかりと分かっていた。もう、痛いほどに。

 だから、故の性格なのだろうか。あれは。

「もう足の疲労が少しあるだけなんだから……散歩ぐらいいいじゃん」

 と、ぽつりと漏れたルークの呟きも当然。

 何故ならばあの栞という少女、完全に体に悪いところが無くなるまでベッドはともかく、診療所の外に出ることすら許してはくれないという、なんとも強情な性格だったのだ。

 いや強情というのも語弊があるかもしれないが……まぁ、そんな感じでルークは診療所を脱走することを思いつき、今に至っていた。

 

 ……そう。

 本当に、脱走しなければよかったなぁ、とルークも思わざるを得ない、今の状況に。

 

「……ここ、何処なんだろうなぁ」

 道を知るはずの無い王都カノン。

 その中で、しかもこんな誰も歩いていないような時間帯。

 ルークは、しっかりと迷っていた。

 

 

 

   神魔戦記三次創作『永久の未来へ』

    第二話 脱走のち観光

 

 

 

 とりあえずは適当に歩いてみようか、と思い至ったのは、悩み始めてから五分ほどしてからだった。

 幸いなことに、ルークは致命的な方向音痴というわけでもない。むしろ、そういったことには強い方だ。

 まぁ、それでも迷ったのにはこのカノンという国の凄まじい広さがあったからこそなのだが……まぁそれは割愛。迷ったことに変わりは無いのである。

 

 とりあえずは予想をつけた方角に歩けばいいだろう、というポジティブ思考を持って、その姿は今歩いている人などいない通りを歩いていた。

「どうしたものかなぁ」

 もっともルーク。道が分かったところで診療所にすぐ戻る気はさらさら無い。

 戻ればきっと――いや間違い無く、栞に捕まり今日一日は確実に外へ出る機会を失うだろう。

 となれば、外を堪能せずにいつするのか。

 そんな結論――自己完結とも言う――を出し、ルークはいざカノン国内散歩と歩き始めた。

 

 

 

「……え?」

 美坂栞がそれを発見したのは、早朝。

 患者のいる病室を早朝に回るのはもはや日課となっている彼女にとって、その光景は今までに無く、だが衝撃的なものだった。

 空なのだ。

 元エア第四部隊、ルーク=アルスザードのいるはずの病室が。

 

 すっからかん。もぬけのから。

 

「に……逃げましたね……」

 栞だって、そんなことが想定外だったわけではない。

 だが。

 だが、だ。

 仮にもルークは、数日前にここへ来たばかり。

 さらにその上、先日栞はあと一日――二十四時間計算――は安静にした方がいいと、釘をしっかり刺したはずだった。

 

 ――なのに……脱走、します? 普通。

 

 迷う心配とか、とりあえず色々と無いのだろうかあの少年には。

 

 とまぁ、そんな感じに頭を抱える栞。

 そしてそんな栞の想いに答えるかのように、ルークは現在進行形で迷子であるのだが、それを栞が知る由も無かった。

 

 

 

「うわぁ……」

 だが当の迷子――もといルークは、静かなその街並みを歩きながら見物していた。

 場所は変わりそこは大通り。

 先ほどまでいた通りとは違い、こんな時間からでもぽつぽつと人影が見受けられた。

 なので、既に道行く人に診療所の方角は訊いてあるのだが……やはり、戻る気は無いらしい。

 先ほどの感慨深い呟きが何よりの証拠である。

 で、そのルークは何を見てそんな呟きを漏らしたかと言うと、

「立派なもんだなぁ……。この国の子が羨ましいよ」

 ルークの視線の先にあるもの。即ちそれは、このカノンが誇る王立学園だった。

 

 別に、エアに学園が無かったわけではない。

 だが、それでもここまでの規模があったわけではなく、故に通える生徒もある程度限られてしまっていた。

 しかしだ。

 この規模の学園であれば、そんなことはありえない。この王都内にいる子供達皆がここに通っても、きっとまだ余裕があることだろう。

 だが、今のキー大陸の状勢。決してカノン王国とて裕福、というわけでも無いだろう。

 ならば、なぜここまで立派な学園があるのか。

 

 考えてみて、不思議と結論はすぐに出た。

 

 ――それがカノン王、相沢祐一……か

 正解。

 

 その学園の校舎や校門、何かを象徴しているのか、その中心に飾られた一本の大剣などなど。

 中へと入るのは無理だろうと判断したルークは、その場から見れる限りのものを見て、その場を後にした。

 

 

 

 美坂栞は、非常に困っていた。

 過保護――というわけではないが、自分が看た患者は最後まで看ないと気が済まない性格の彼女である。

 なので、例え脱走した非常識な患者であろうがなんであろうが連れ戻して最後まで看るのもまた、彼女だ。

 だが栞は困っていた。

 自分はこの診療所で働く身だ。だからここを抜けるわけにはいかない。

 しかし、そうなると、逃げたルークを待つだけになってしまう。

 栞とて、ルークはもう足の疲労がほんの僅か残っているだけということは分かっている。

 だが、やはりそれでも連れ戻さないと気になるのだ。

 なので、しつこいようだが栞は困っていた。

「どーしましょー」

 あまり困ったようにも聞こえない口調で体を小さく左右に揺すりながら、あっちへウロウロこっちへチョロチョロ。

 落ち着きの無いことこの上ない。

 

「……美坂、栞さん?」

 

 と、そんなとき。

 不意に後ろから、そう声が掛かった。

「あれ? 美凪さんじゃないですか。どうしたんですか? それもこんな時間に」

「……私からすると、あなたの方がどうしたのか気になるんですが」

「え……」

 と。それを言われ、栞は改めて自分の行動を振り返る。

 ……そして気付く。

 今までは、自分だけだったからよかったものの……

 ――……う、うわぁ。み、見られちゃいました?

 そうなると、凄い恥ずかしかった。

「あ、あははー……。気にしないで下さい……こっちのことですから」

「? なら、いいですけれど……。あ、では本題を。忘れないうちに」

「はぁ……」

 本題って、何だろう。そう思ったと同時。

 

 いきなり、美凪はその頭を下げた。

「ありがとうございました」

 謝られた。

 

「……え、えぇー?」

 

 そして栞は混乱した。

 

「この間のお礼、しっかり言えませんでしたから。相沢さんが、この時間なら起きていると言っていたので、今の内に改めて、と思って窺ったんです。

……本当に、ミチル達の治療を、しかも面倒をみてもらって、本当にありがとうございました」

「い、いえ、治療は私の仕事で当たり前のことですから……。頭上げてください。……えと、それに、実はこっちも謝らないといけないこともしてしまいましたし……」

「……はい? 謝ること……ですか?」

 そう美凪に首を傾げられ、栞ははいと頷く。

 

 だが同時。

 栞の目が光った。

 

 そしてその美凪の肩をガシッと掴み、驚愕に目を見開く美凪を気にすることもせず、栞は告げた。

 

「美凪さん、お願いがあるんですけれど」

 

 

 

 空も完全に明るくなってきた頃にはすでに大通りは活気が溢れ始めていた。

 いくつかの店は既に開き、そこへ向かう客。

 散歩目的なのか、その様子を見ながら歩いていく通行人など、少し前までは疎らだった人影も今では多く見ることが出来た。

「賑やか、だよね」

 そしてその光景を見ながら、ルークもまた歩いていた。

 間違い無くエア以上であるその活気に、関心半分驚き半分といった感じに視線を彷徨わせる姿は実は観光客以外の何にも見えないのだが……まぁ気付いていないようなのでいいだろう。

 それに、ルーク達はこの国への受け入れを許してもらえたとはいえ、この国に詳しいはずもない。

 だから実際、ルークは今はこの国の観光をしているといってもいいのだ。

 ……いやまぁ、現在進行形で脱走中兼、だが、今はそれはさて置く。

 どうせ戻ったら云々、というわけで、今は観光を楽しもうとルークは少しばかり歩調を速めた。

 だが。

 さり気なく、自然に歩調を速めたつもりだった。だが。

 その気配に、ルークが気付かないはずもなかったのだ。

 だがそれでも、ルークの肩は、その気配の主に引っ掴まれた。

 

「何処へ行くんですか? ルークさん?」

 もうこれ以上ないぐらいの呆れ顔をした、美坂栞に。

 

 

 

 経緯はこうだ。

 

 栞は初めは美凪にルークを探すのを頼もうとした。

 だが、美凪もルークと同じくこの王都の道を知っているはずはない。

 だから、栞は診療所での自分の代わりをほんの少しの間だけ美凪に頼み――それに、第四部隊の人達にはそっちの方がいいと判断した――栞はルークを探しに出たのだ。

 それに、実は美凪は栞にお礼を言うためだけではなく、もう一つの目的――ミチルのお見舞いもあったため、なお都合が良かった。

 そしてそこからは、ちょっとばかり連絡水晶を用いてマリーシアと連絡を取って、ルークの所在をしっかりと確認して、そして今に至る。

 

「本当に……お願いですから、私の立場も考えてくださいね?」

「うぐ……ごめん」

 確かに、治す立場としてその相手が逃げるのは……駄目だろう。

 それぐらいはルークにも分かる。……いや、それでも脱走したけど。

「まぁ、確かにルークさんはもう悪いところは殆どありませんし、動きたいのは分かりますけれど、別に今日だけじゃないんですよ? ルークさん達はもうこの国に受け入れられて、この国の住民なんです。

ですから、見て回るんでしたらそれから、です。脱走なんてもってのほかですよ」

 もしこの言葉が自然のうちに出てきているのだとしたら、この少女はなかなか凄いと思った。

 そんな言葉、実際は簡単に見えて考えるのも言うのも難しい言葉だ。

 だがそれをいとも簡単に口にして見せた、この少女。

 どうやら、ルークはこの栞という少女を甘く見ていたようだった。

 凄い、のだ。この少女は。

「……確かに、そうだね。分かった、今度からは、そうするよ」

「でしたら、結構です。……まぁ、今回は仕方ないですし、よかったらこのまま観光しますか?」

「……いいの?」

「はい。それに、実は今、美凪さんが診療所に来ていて、私の代わりを頼んでいるんですが……その、まだ時間は必要だと思いますし」

 あぁ、なるほど、と。ルークもその一言で大方の事情はわかった。

 確かに栞の言う通りならば、もう既に美凪によってその仕事は終わっているはずだ。

 となれば、次に美凪がするのは、ミチルのお見舞い。

 まだ目を覚ましてないにしろ、覚ましているにしろ。美凪としては、しばらくはその時間を静かに過ごしたいのだろう。

 そんな栞の気遣いに感心しつつ、ルークは頷いた。

「でも、今度こそ私の傍からは離れないで下さいね? 私は、そういう患者が一番嫌いです」

 そして極めつけに放たれたその言葉に、もうルークは苦笑しか返せなかった。

 

 

 

 

 

 

  あとがき

 

 どうも、昴 遼です。

 第二話ですが、今回はかなりほのぼの風味でお届けします。

 で、先に謝っておきます。

 ……栞と美凪の性格が凄い違和感あるかもしれませんが、気にしないで下さい(オイ

 所詮これが私の限界なんですはい。

 

 で、とりあえずは前回話せなかったこのお話のことを少し。

 

 神魔戦記三次創作ということで書いているこの物語ですが、一応はキー大陸編の完結にあわせてこちらも完結させたいとは思っています。

 ですが、もしかしたらちょっとした茶目っ気を発揮させて三大大陸編にも続かせるかも(ぇ

 ……いえまぁ、所詮予定は未定です。お気になさらず。

 それで、皆さんもう普通に分かってはいるとは思いますが、主人公のルーク=アルスザードはオリキャラですね。

 元・エア第四部隊という設定です。つまりは美凪の後輩(?)で知り合いです。

 まぁ、特にこれといった特徴も何も持たないキャラなので、詳しい説明はいらないでしょう。

 読んでくださっている方がいれば、もう大方の予想はついているでしょうし。

 

 ではでは、とりあえず今回はこの辺りで失礼します。

 まだ次回に、お会いできることを祈って。