リーン―――

鐘の音が響く。

どこからか聞こえる、喧騒。子供の声、客寄せ、太鼓の音。

リーン―――

祭り。

今日は、嫌な事を全て忘れて。

今日だけは、嫌なやつとも肩を並べて。

歌おう。

踊ろう。

さあ、祭りの始まりだ―――


神魔IF『祭り』


「エクレールさん、時谷さん、こっちです!」

溢れる様な人込みの中を、一人の少女が行く。

雨宮亜衣。

小さな少女は、しかし、見た目からは想像できないほどの戦闘力を持ち、神殺しの使い手として、民間協力者扱いではあるものの、カノン軍を支える一人の戦士だ。

「あ!ほらほら、あの白くてモコモコの!綿あめですか?食べたいです!」

…しかし。

このような祭りの中では、はしゃぎ、年頃の娘らしい様子を目にする事ができた。

「…亜衣。少し落ち着いては如何です?」

そんな彼女を見守る、二つの影。

「まったくだな。だいたい、何で俺が付き添わなきゃなんねぇんだ?テメェ一人で十分だろうが」

斉藤時谷。

彼もカノン軍の一人で、主に体術に於ける、亜衣の師匠だ。

人間族である亜衣の師匠が魔族である時谷、という関係図は、カノン他、数国でしか見る事はできないだろう。

「汚らわしい魔族が話しかけないでいただけますか?…何だって亜衣は、魔族なんかを誘ったのでしょうか…」

そしてもう一人。ぼやく様に呟いた女性は、エクレールと言う。

かつて、ホーリーフレイムと言う悪魔狩り組織の幹部として、カノン国王相沢祐一を討伐するために、ジャンヌに付き添い侵略者としてやって来た彼女。

今では、亜衣に絆され、軍には協力していないものの、亜衣個人の友人として(エクレールは全力で否定するだろうが)、彼女の力になっている。

「んだテメェ、俺だって好きで来てんじゃねぇんだよ。だいたい、誰が好んで人込みなんかに近寄るかってんだ。…ったく、気分悪くなって来るぜ」

「それなら可及的速やかに立ち去れば宜しいではないですか。わたくし、止めませんわよ?」

この二人、ひょっとしなくても仲が悪い。顔を合わせる度に、この様な舌戦が始まり、激しい時は流血沙汰になることもしばしば。

「もうっ。二人とも、せっかくの祭りなんですから、楽しみましょうよ。ね?」

その都度、亜衣に窘められ、しぶしぶ、といった様子で両者矛を納める光景は、
最近では頻繁に目にする事ができる様になっている。

と、いうのも、この二人が顔を合わせる時イコール亜衣が絡む時、と実に分かりやすい等式が出来上がっており、亜衣もそれに気が付いていながら、わざと二人と時間を過ごしている感があるからだ。

「ハッ、言われんでも帰るさ、バカバカしい」

不機嫌に吐き捨てて、踵を返す時谷の前に、亜衣が回り込む。

そして。

「…時谷さん、亜衣たちと回るの、嫌ですか?」

「うっ…」

うるうる目の上目遣いプラス胸の前で両手組み。もちろん、思わず構いたくなる小動物系オーラは標準装備だ。

亜衣は、かなりの美少女に分類される。さらには、エクレールも人目を引く容姿をしているし、人間族と魔族、という組み合わせも、なかなかに珍しい。

当然、自然と視線を集める一向。

そんななかで、突然少女が涙目になり男を見上げていたら、何かあったのか、と周りの視線の、種類が変わる。具体的には、とてもよろしくないものに。

普通ならば、それだけで堪えられなくなるだろう。

しかし。良い意味でも悪い意味でも、時谷は普通では無い。

それでも、今回は相手が悪かった。なにせ、亜衣なのだ。彼が絶対的に苦手とし、しかし何故か構わずにはいられない、彼にとって不可解な存在。加えて、美少女。しかも今は涙目。

健全な青年男子なら、陥落しない方がおかしい。

「……」

「う…あ…」

そして悲しいかな。

確かに時谷は普通では無い。しかし、健全な青年男子ではあった。

「…分かった。わぁったから、そんな顔するな」

げに恐ろしきは天然で自覚のない少女也。

時谷は、くしゃ、っと亜衣の頭に手を乗せてから、進行方向を変え、祭りの中心部に向かう。

「…あっ!ま…待ってくださいよ!」

嬉しそうな顔をして、時谷を追いかける亜衣。

エクレールは、少しだけ不機嫌そうに歩く速度を速め、時谷に並び、

「…助平」

「うるせぇよ」

その反応に満足して、歩調を緩め、亜衣の横に並んだ。

―ったく、分かっちゃいるんだがなぁ…。

軽く顔が熱い。

自覚は、ある。何故か、彼女に強く押されると、否とは言えない。

だが、時谷はそれを、妹に対するものと同じものだ、と思っている(もっとも、
彼に妹はいないが)。

―はあ。俺も、修行が足りんのかね…。

ちら、っと件の少女を見やる。

エクレールと並んで、まるで本当の姉妹の様に戯れ合いながら、時谷の葛藤など露知らず、無邪気に笑っているのだった。


ヒュゥゥ…

ドォォン!

「うわぁぁ!凄い凄い!」

夜空に、赤い花が咲く。

「炎魔術の応用か?…祐一のやつ、無駄な事に力入れてんな…」

喜び、はしゃぐ人々を尻目に、時谷は溜め息を吐いた。

「…仮にも自国の王に向かって、その言い草は無いのでは?」

そして横から、呆れた様な口調のエクレールに窘められた。

「しかし、テメェもそう思うだろ?こんな事やる暇があったら、真面目に公務に精を出せ、ってんだ」

「…それには同感ですが、噂では、この案を考え付いたのは、折原王の様ですよ?」

「あ〜…」

あの人なら、やりかねない。時谷は、強く思った。

「…しかし、それをうちで使うってのも、なあ?」

「わたくしは、なかなか良いと思いますが。…ほら、綺麗ではないですか」

エクレールの言葉と同時に、また一つ、夜空に光が生まれた。

「…まあ、確かに、な」

夜空を見上げる。幾多もの光が、空に上がり、弾ける。

その残滓がまるで、流れ星の様に尾を引き、地上に降り注ぐ。…なんとも、幻想的な光景だ。

それから、また亜衣を見る。

彼女は、飽きる事なく空を見上げ、一つ、光が弾ける度に、周りの子供たちと同じ様に、喜び、歓声を上げていた。

「…今、何を考えているか、当てて差し上げましょうか?」

突然のエクレールの発言。

「ずばり、『こういうのも悪くない』…ですね?」

「…ご明察」

本当に当てられ、思わず苦笑する時谷。

「良く分かったな?」

「ええ。…わたくしも、同じ事を考えていましたから」

少し恥ずかしそうに、エクレールは言った。

「今の亜衣を見ていると、普段とは違った意味で、嬉しくなります。…ああ、彼女にも年相応な表情ができるのだな、と」

「…たしか、孤児だったか」

「ええ。…それ以来彼女は、戦うために力を求めた。始めは、復讐のため。今は、この国を守るために」

「…強ぇ、よな、あいつ」

「そうですね、人並みには、ですが。…今の時世、戦争で孤児になり、復讐のために剣を取る子供など、幾らでもいますよ。それこそ、掃いて捨てるほどに」

「彼女の場合、運が良かったのでしょう。その場に、相沢王がいて、彼女自身に、あれだけの才能があって。そして、わたくしたちに出会った」

師匠とも呼べる、二人に。

「…でも。強さゆえに忘れがちですが、彼女もまだ、普通ならば友達と遊び、学び、初めての恋に心ときめかせる時期です。…まだ、小さな少女なのです、この世界で、一人で生きるためには」

そこで、エクレールは言葉を切り、時谷の顔を見やる。分かっていますね?そう尋ねる様に。

「…だから、俺たちが側にいて、あいつを支えてやる。この世界で、潰れない様に、希望を無くさない様に、……あいつ自信が、誰かの希望となれる様に」

「はい。貴方にしては、上出来ではないですか」

「馬鹿にしてんのかテメェは」

憮然とした表情の時谷に対して、エクレールは薄く笑い、そのまま亜衣の方に向き直った。

無邪気に、年相応の笑顔で笑う、亜衣。しかし、束の間の休息が終われば、彼女はまた、戦場に立つための力を求める日々になる。

―なら、今くらい楽しんだって、罰はあたんねぇよな?

空を見上げる少女。

ふと、彼女が視線を下げた際に、時谷と目が合う。

ブンブン、と嬉しそうに手を振る姿に、思わず笑みが零れる。

―…こういうのは柄じゃねぇ。柄じゃねぇ、が。

「…悪くない、かな」

視線の先、楽しそうに笑う少女を見て、時谷は深く、強く思った。


リーン―――

鐘の音が響く。

聞こえる、喧騒。子供の声、客寄せ、光の弾ける音、祭り囃子。

今日は、祭り。

かつて敵であった者とも肩を並べ、過酷な日々の中に、ほんの僅かな優しい日々。

今だけは、戦士たちよ、休息を楽しめ。

―――祭りは、まだまだ終わらない。