空が白み始めてもいない、早朝と呼ぶにも早い夜中に陽司はぱちりと目を覚ました。

 硬い地面から身体を起こす。

(おはよう『無心』)

『おはよっ、ヨージ』

 立ち上がり、大きく伸びをした。

 軽く動かして強張っていた身体を解していく。

『調子はどう?』

(万全だ。どんな相手にも負ける気はしないな)

 周りを見渡すと、大変な状態だった。

 多くの人影がそこらに転がって寝ている。

 結局あの後、陽司お気に入りのこの場所、カノン王城の天辺で宴会を始めてしまった。

 飲めや歌えやの大騒ぎで、声を聞きつけた他の兵が様子を見に来る始末だ。

 結局他部隊の兵士も巻き込んでの大宴会となってしまった。

 明らかに飲み過ぎな者も何人かいたが、陽司が寝る前に状態異常回復の効果がある結界を張っておいたので大丈夫だろう。

 寝違えは治せないので首が痛いまま戦う輩が出るかもしれないが、そこまでは面倒を見ない。

 さほど広くないこの場所から落下する者が出なかったのも結界のお陰だった。


 イビキをかいて寝ているこいつらが起きたら上司として多少叱ってやるつもりだが、仲間達には心底感謝している。

 昨夜のままの状態では、身体はともかく心が万全の状態で戦えなかっただろう。

 今は違う。自分が『現在』護るべきものの為に全力を振るえる。

 仲間のため、王のため、そして仕える国のため。

 まずやるべきは、と陽司は両手を大きく開いた。

 そしてパン!と勢い良く両の手の平を打ち、

「起床!」

 全員が泡を食って起き上がった。


 慌てて各自の準備に散った兵士達を尻目に、白み始めた空を見上げる。

 決戦の日が始まる。


























                とある守護者の追憶 第十話『決戦と襲撃』




























 大地を踏み締め、行進する兵士の列。

 今まさにクラナドとカノンの国境線を越え、国境都市ラドスで休息を取っているところだ。

 その兵士の群れの中、陽司は装備を再確認していた。

 大部分は前回のワン防衛戦と変わりないが、今回は新たに手を覆うグローブを装備している。

 陽司の持つ『戦鎧』等とは違って特殊な効果も何も無い、丈夫なだけのグローブ。

 これはいざという時、拳での格闘戦を想定して用意したものだ。

 専門でやっている者ほどではないが、戦士として陽司にも格闘の心得はある。

 出来れば使いたくは無い。万が一の為の備えだ。

 対奈緒に使えそうな創作魔術もピックアップしてある。


(―――やっぱり、戦うんだろうな)

『戦いたくない?』

(そりゃ当然、幼馴染だからな)

 幼い頃は家族のように、一端の戦士と魔術師になった後は相棒として。

 思えばずっと一緒にいた。

 だからこそあの地震の日に奈緒を守れなかったことは衝撃だったのだ。

 住み慣れた故郷を捨てて修行に出るほどに。


 それでも奈緒は、自分がいない間も故郷を守ってくれていた。

 奈緒までいなくなっていたら、きっと村人の半分も生き残れなかったろう。

 そんな相手と戦うのは、覚悟をしていても気が重い。

(でも躊躇してたら勝てない相手でもあるんだよな)

『そうかな?』

(……お前、この前食らった炎の槍は防御もギリギリだったろ)

『"三式"なら余裕だってばー。"二式"を三枚くらい重ねても防げるんじゃん?』

(魔力を出すのは俺だからって、気楽に言ってくれるな……。

 "三式"は消費が激しいからあんまり使いたくないし、大体"二式"の多重展開は俺の能力じゃ実用に堪えん)

『ボクがもーちょっとやれたらいいんだけどねー……』

 その口調に少し暗いものが混じったのを陽司は不思議に思った。

 陽司の魔力操作が足りないから扱えないのに、どうして『無心』が凹むのだろうか?

(何、そのうち俺だけで十分になる)

『それはそれでなんか癪だよー』

 そうして雑談している内に、集合時間が近付いていた。

 最初から集合場所にいた陽司の周囲に兵が集まってくる。

 間もなく隊列が解散前の状態に戻った。

「よーし、全員いるなー?

 こっから本番だ。気張っていくぞ!」

 クラナド侵攻部隊総指揮、ワン王折原浩平の号令で隊が動き出す。

 ラドスを出れば間もなく首都クラナド。到着と同時に戦闘開始の流れとなる。

 気迫を漲らせ、カノン・ワン合同軍は歩み出した。





























 先頭ならば首都クラナドがギリギリ見えるという距離で、進軍が一度停まる。

 クラナド王宮沢和人の妹、現カノン王妃である有紀寧が説得を行うという。

 皆成功しないだろうと思ってはいたが、反対を受けようと有紀寧は譲らなかったのだそうだ。

 気持ちは分かる。

 自分の生まれ育った故郷、それも敵の大将は実の兄である。兄率いる軍と戦いたくなどないだろう。

 上手く行くとは思っていなかったとはいえ―――


「……まさか、聞く耳すら持たんとはなぁ」

 再度進軍を始めた侵攻部隊の眼前、ぽっかりと空間が出来ていた。

 有紀寧の護衛役の攻撃によって城門が丸ごと消し飛ばされたのだ。

 一人の少女が放った光の魔術。天から雲を割って降り落ちた一撃を受けた城門は跡形も無い。

 世の中にはまだまだ強い人々が一杯いる。


 ―――俺もその中の一人になってるといいんだけどな。


 ここで戦果を上げれば注目くらいはされるだろうか。

 どちらでもいいことではあるが。

 速度を上げる軍勢に合わせ、陽司も走り出す。

「軍靴を鳴らせ! 面を上げろ! 胸を張り、示せ俺たちの意思と力をッ!!」

 先頭を走る浩平が声を張り上げた。

「祐一の言葉を思い出せ! 俺たちの意思はなんだ!?」

「生き抜くこと!!」

 応じて皆が声を上げる。

「俺たちの力はなんだ!?」

「安らぎ帰る場所があるということ!!」

 守るものがある者は強い、と言われる。

 事実、そうだ。

 古い考えに囚われたエアやクラナドに対し、自ら道を創っていくカノンやワンは勝利を重ねた。

 皆と共に、行きたいから。

 家族や友人と、生きたいから。

 だからカノンは強い。士気に満ちた軍勢は止まらない。

 そして陽司の意思と力は、

「行くぞ、『無心』。―――皆が未来へ進む、その背中を護るために」

『合点承知!』


「良い返事だ! ……突っ込むぞ野郎どもッ! 俺に続けぇぇぇぇ!!」

 今カノンとワンが城門のあった場所を越え、首都クラナドへの侵攻を開始した。

























 カノン・ワン合同軍は首都に入るや否や三方向に分かれて戦闘を開始した。

 真っ直ぐに王城を目指す部隊と、左右に分かれ最も敵戦力の多い地域を迂回して王城に攻め込む部隊だ。

 普通ならば兵力の分散は愚策だが、兵力差の無い今なら十分に勝機がある。

 士気の低いクラナド軍は、王城を押さえてしまえば終わりだ。

 戦力で上回っているからこその策と言えた。


 陽司率いる天海部隊は、左側からの侵攻部隊に入っていた。

 カノン・ワン側は三方でそれほど戦力差をつけていない。

 だから中央以外は難なく攻略出来る筈だったが、

「予想以上に敵の数が多いな……!」

 どうやら後方に待機していた部隊が中央と左側に大半投入されたらしい。

 とはいえ苦戦するほどでもない。

「天海部隊、攻撃陣形の三番! 一気に押し切るぞ!」

(『無心』、"挟潰陣"用意!)

『はいはいー、っと!』

 鳴り響く笛の音と同時、天海部隊前衛が大きく広がった。

 前線を押し切られぬよう防御中心で持ち堪える。

 後衛もそれを結界や、速度・数重視の魔術で援護する。

 守られる陽司は様子を見ながら、

「"護法・三式"―――」

 右手を天に、左手を地に向けた。

「"二重展開"」

 両手に一つずつの魔法陣が出現する。

 翠光が走り、発動する。

 現れたのは二つの巨大な一面結界。

 一つは大地の表面に、もう一つは空を覆うように。

 突如として上下から照らされたクラナド軍は驚き、それに攻撃を加えた。

 しかしビクともしない。

 当然だ。本来これは防御に使う結界。防護の力に特化した『無心』の神剣魔術。

 一般兵の攻撃では何十と重ねたところで破ることなど叶わない。

『操作連動―――確定!』

 『無心』の宣言と同時、結界が揺れ始める。

 陽司の右手が揺らげば天の結界が。左手が揺らげば地の結界がその身を震わせる。

 それを確認するや否や、天海部隊が一斉に下がり始めた。

 頭上を覆う天の結界から逃れるように。

 陽司の前から兵が消えたのを見たクラナド軍は今こそ好機と踏み出す。

 地面の結界に踏み込む形で。

「全く……自分達の使った戦法に引っ掛かるとは、学習しませんね」

 やれやれ、と呟き、陽司は右手を振り下ろした。

 左手目掛けて手の平を下に、まるで羽虫を潰すように。



「―――"挟潰陣"」



 その手の動きに応じるように、天の結界がクラナド軍目がけて降り落ちた。

 突如として発生した瞬間的な動きに反応出来ず、天地の結界に打撃される。

 圧縮された大気が逃げ場を求め、結界の隙間から爆発的に噴出した。

 その爆風が更に周囲の兵を吹き飛ばしていく。


 ……結界が消えた後、その周囲にいた兵士は全てが昏倒していた。


 死んではいない。陽司は両手を叩かず、僅かな隙間を空けて止めていた。

 クラナド軍は潰されたのではなく、急に頭部を打たれて気絶しただけだ。

 その隙間を埋めるようにカノン・ワン軍が進撃を再開した。

「―――っはぁ……」

 陽司はその場に膝を突き、道具袋から魔力回復用のポーションを取り出して一息に呷った。

『ヨージ、大丈夫?』

(大丈夫だけど、やっぱりちときついな……)


 "護法・三式"は範囲防御用の防護結界。サイズの設定が自在で、出力そのままに範囲を狭めることで硬度を上げることも出来る。

 その大きさを"一式"ほどまで落とせば超魔術クラスの防御力を得ることすら可能となる。

 "挟潰陣"はそれを天地両方に同時展開し、挟み込むことで打撃とする広範囲制圧攻撃だ。

 天の結界の硬度はそのまま打撃力へと変換され、地の結界は打撃力を余すことなく伝えると同時、地面への逃亡を防ぐ効力もある。

 しかし大出力の結界を二枚、しかも位置変更まで行うのは、『無心』の補助があるとはいえ魔力消費も精神的な疲労も計り知れない。

 使った後はこうして小休止が必要になる。

 だがそんなことを敵は知らない。味方ですら、天海部隊の面々を含め僅かな者が知っているだけだ。

 またあの攻撃が来たら、という恐れは兵の勢いを鈍らせる。

 だからこそ初手で消費の激しい技を使ったのだ。


「クラナド側の動きは……明らかに鈍ってるな」

 三桁単位で兵を無力化されたのだ。士気の低下も実戦力の低下も著しい。

 最初から押していたカノン・ワン側を止められず、前進を許している。

 あとは放っておいても王城へ辿り着くのは時間の問題だ。

 それを見た陽司は気配を隠し、前進する部隊から離れて一人走り出した。

 天海部隊は突入前に、陽司が一撃を入れたら他部隊に混ざって戦闘を続けるよう伝えてある。

 陽司には、個人的にやるべきことがあった。


「この辺でいいか」

 首都を囲む城壁まで誰にも見つかることなく辿り着いた。

 身体を包む翠の光は気配隠蔽の結界だ。

 魔力の気配を外に漏らさない代わり、発動中は光を放つ為に肉眼では見つかり易いという欠点もある。

「はっ!」

 『無心』を振るい、城壁に人が通れる程度の穴を空ける。

 最初の突入で首都を覆う結界は破壊されている。城壁のみの強度ならば大した障害にはならない。

 その穴から外に出て、気配隠蔽の結界を解除した。

 武器を腰に収め腕を組み、今度は逆に意図的に気配を大きくする。

 ここにいるぞ、と主張するように。

 今は首都の内部にいる幼馴染に向けて―――
























 目の前に飛び出してきた魔族を炎剣で斬り捨てる。

 横手から襲い掛かる人間兵の攻撃を装飾剣で受け流し、姿勢を崩したところを魔術で吹き飛ばす。

 背後からの攻撃を屈んでかわし、振り向きざまに炎剣を突き込む。

 くるりくるりと舞うように全周囲からの攻撃を捌くこの戦闘スタイルを身に着けたのは、相棒たる青年が村を出てからのことだ。

 自分の身を自分で守るようになって、初めて相棒の大切さを実感した。

 剣の扱いは触り程度にしか知らなかった自分がここまでやれるようになるには、長い時間が必要だった。

 時を同じくして魔術が使えなくなった為に、唯一の戦う術として死に物狂いで修行した。

 オリジナル魔術は使えるのだと偶然解ってからは、魔術の創作と並行して隙を作る為の剣術を習得した。

 村を守るため。そしてかつて相棒だった青年に―――


「この……数が、多いッ!」

 防衛隊の右翼で群がるカノンとワンの合同軍を迎撃していく奈緒は、炎の魔術で迎撃しながら思わず毒づいた。

 前回のワン国境での戦いで、最も戦力の低下が著しいのがクラナドだ。

 ワンの奮闘に、シズク王による精神支配。戦力の損耗率は八割を超えていた。

 クラナドには名のある個人戦力が少なく、更にカノン侵攻の際には魔術師部隊長である一ノ瀬ことみが魔力を封じられている。

 個人戦力で大きく遅れを取り、兵力も同等かそれ以下。状況から見てもクラナド軍は敗色濃厚で、実際今も押されている。

 だが、ここで負ける訳にはいかない。

 クラナドに忠誠など誓ってはいないが、魔族の国に支配されるのは許し難い。

 それに生き残った村の皆も一時的に首都クラナドへ移り住んでいる。

 この戦闘に勝利し、情勢が落ち着いたら故郷の村をシズクの手から取り返すのだ。

 だから、

「邪魔を、するなぁ!」

 部隊の仲間に前衛を任せ、詠唱を開始する。

 大気中の火のマナへ直接働きかけ、望む『形』へと練り上げていく。

 決まった詠唱通り放てばいい一般魔術と違い、自力で行う部分が多く難解ではある。

 重要なのは詠唱文よりもイメージ。魔力で空間中の火のマナを掌握し、具体的なイメージを以って魔術は発動する。

「"薙ぎ払え"、『業炎の災禍』!」

 天より火球が降り落ち、弾けた炎は舐めるように広い範囲を焼いていく。

 威力はそれなりだが多数の敵を相手にするには良い魔術だ。

 そこを狙って飛び込んでいく仲間達を見やり、自分もまた戦闘を始めようと―――

「……え?」

 ふと気になる気配を感じ、彼方の空に目を向けた。

 いきなり現れたようにも思える、急に膨れた大きな気配。 

 とはいえそこから感じられる力の大きさだけなら、既にもっと大きなものが戦場に点在している。

 奈緒が気になったのは、その質。

 全てを包むように穏やかで、伏臥する龍のように威圧する、その気配を知っている。

「………陽司………!?」

 場所までハッキリ分かるほどに大きなその気配は、明らかに自然なものではない。

 呼んでいる。

 奈緒はそう感じた。

 そちらへ今すぐに向かいたい。

 だがこの場所は戦況が厳しい。自分が抜けて果たして持ち堪えられるかどうか。

 迷う奈緒に、最前線で戦っていた一人が振り向いて笑った。

「成瀬、行け! お前の旦那がお呼びだ!」

「だ、旦那って―――馬鹿なこと言わないの!

 それに、この状況だとそれどころじゃないでしょ!?」

 もう一人が朗らかに笑いながら、敵の剣を弾いて言う。

「大丈夫だって。ナオちーがいないくらいでやられたりしないよー。

 この気配、ナオちーが前言ってた幼馴染のやつでしょ? 呼んでるんだから行ってあげなきゃー」

「でも、ここで負けたら……」

「いや負けるよこれー無理無理ー」

 あっけらかんとした口調で告げられたその言葉に、奈緒は絶句した。

 他の一人も頭を掻きながら、

「どうにもならんなこりゃ。戦力もそうだけど、士気が違い過ぎらぁ。

 俺達みたいなのと違って、自分の国が大好きな連中なんだな。羨ましい限りでえ」

「つーわけで、ナルナル君一人が抜けたところで戦況は変わらん、ってね。

 幸いカノンもワンも風の噂では捕虜の扱いが相当良いらしい。降伏した相手に手も出さないそうだしな」

 だから、と斧を振るいながら、

「―――行け。決着つけてこい!」

「……ありがとう。ゴメン、皆。死なないで!」

 言葉を残して、奈緒は走り出した。

 仲間が空けた包囲の穴を駆け抜け、待ち構える青年の下へと。




「おめぇ格好付けすぎだろうよぅ」

「うっせ、良い女に格好付けて何が悪い」

「うわー他人の恋人に手を出すなんてサイテー」

「恋人? 本人はブン殴ってやりたいって言ってたぞ?」

「それは所謂『つんでれ』というものではないでしょうか」

「あー、憎さ百倍ね」

「まぁそれはいいとして―――この状況どうするよぅ?」

「囲まれてるねー」

 緊張感の無い口調で話す彼らに、包囲するカノン軍の一人が呼びかけた。

「クラナド兵だな? 降伏するならば悪いようにはしない。大人しく捕虜になってくれ」

「噂通りだな。戦場で、随分と甘いことを言ってくれる」

「甘くて結構。我々はそんな甘い理想を実現していく王の下で戦っているのだからな」

「おおぅ、勇ましいなぁ。この戦況見るに今んとこ上手く行ってるみたいだのぅ。

 ―――とはいえ、はいそうですかと捕縛されるほど腰抜けでもねぇのよぅ儂らは」

 大技の連発で残り少ない魔力を掻き集め、詠唱を始める。

 その顔に戦いへの疑問は欠片も無い。

「……何故だ! もう負けは分かっているのだろう!?」

「うん、そだよー? あ、別に国への忠誠なんか無いからねー? あの国王なんかキライだしー」

「―――!?」

「俺らにも戦士の誇りってもんがあるんだよ。まだ戦えるのに降伏なんてつまんねぇしな」

「それは誇りじゃなくて貴様の欲望だろう。あと我らまでバトルフリーク扱いするんじゃない。

 ……元々我らは傭兵経験のある者や、国外からの移住者でな。あくまで此処は一時的な場所、というわけだ。

 いわば金で雇われてるのと同じだ。国への愛着は薄いが、貰った報酬分は働かないとな。

 成瀬も頑張っているだろうし、我らもここで意地を見せなければ」

「そういうわけで―――」

 ふわり、と風が巻き起こり一人の女性が宙へと浮かぶ。

 手に持つは双剣。くるりくるりと高く舞い上がり、直後に剣を構えて包囲の一角に急降下を掛けた。

「私達の意地に、付き合って下さいな!」





































 近付いてくる。

 目を閉じていても、『無心』を通した感覚が彼女の居場所を教えてくれる。

 カノン・ワン合同部隊を出来る限り回避し、最短ルートでこちら向かっている。

 やけにくっきりと気配が分かるのは、昔ずっと一緒にいたからか。

 かつてよりも大きく、そして今は感情に影響されてか荒ぶっている。

 その原因は自分。彼女の願いに応えられなかったこと。

 だからせめてここでその意思に応えよう。

 旅を通して自分が掴んだものと、その先に見据える未来を示そう。


 ゆっくりと目を開き、正面を見据える。

 その先に現れたのは息を弾ませた一人の少女。

「はぁ、はぁ……陽司ッ」

「―――待っていたぞ、奈緒」

 足元に突いていた『無心』を握り締め、用意していた神剣魔術を発動する。

「『癒法の陣』」

 地面に魔法陣が展開され、翠光が二人を包み込む。

 体力や魔力の回復力を高める結界だ。即座の回復ではない代わり、消費魔力が抑えられる。

 自身の回復力も向上するので長時間使えば使用量を回復量が上回るため、連戦では重宝する。

「これは……どういうこと?」

 息を落ち着かせながら奈緒が問い掛けた。

「どれのことだか分かりかねるな」

「しらばっくれないで!」

「なら全部答えようか」

 結界を展開したまま、語り出す。

「まず一つ目に、わざわざ気配を分かり易くしたのは奈緒との決着をつけるため。

 二つ目に、こんな街の外を選んだのは俺達の戦闘が周囲に被害を出しやすいから。逆に邪魔もされたくないしな。

 三つ目はこの結界のことかな? これは回復力を高める結界でな。全力をぶつけ合おうと、そういうことだ。

 こんなところか?」

「まだあるわ!

 ……なんで、このタイミングで侵攻してくるのよ!?

 カノンに有利な状況だってのは分かるけど、シズクがまたいつ襲ってくるか―――!」

「やっぱり知らないんだな。

 ワンとカノンは連名で停戦の使者を送った。エアとクラナド両国にな。

 エアは拒絶し、クラナドは使者が帰って来なかった。恐らく王直属の部下に殺されたんだろう」

「……!?」

「キー大陸内で争ってる場合じゃない。ああ、同感だ。

 だからカノン・ワン同盟はエアとクラナドの首都に同時侵攻を掛けている。

 四国の戦争に決着をつけ、打倒シズクへと動き出す為に」

「……魔族がキー大陸を支配するため、じゃないの?」

「カノンの掲げている理想は『全種族共存』。魔族に限ったことじゃない。

 実際今のカノンには人間族と魔族と神族、それらのハーフに獣人族やスピリットまでいる。

 相沢王だって半分魔族で半分は神族だ。配下に魔族が多いのは神族から虐げられたからだろうな。

 今でこそ旧カノンの兵が入って種族はバラバラだが、最初はほとんどが魔族だったらしいし」

「そこに疑問は抱かないの?

 つまり以前は魔族の親玉だった奴が王様やってんでしょ?」

「そんな事は関係無いね」

 言い切ってやる。

 奈緒の懸念は、クラナドで生まれ育った身として当然のものだ。

 隣国エアの影響で反魔族の意識が強いこの国では、魔族が悪であるという固定観念がある。

 陽司とて国を出て実際に魔族と接するまでは、多少の忌避感があったのは否定出来ない。

 そしてそんな陽司だからこそ言えるのだ。

「魔族も神族も、俺らと大差無い。種類によっては魔物すら似たようなものだ。

 魔族にもお人好しはいるし、神族にだって手に負えない悪人はいる。

 外見が違おうと、生まれ育った環境が違おうと、須く同じ生き物だよ」

 愕然とする奈緒に対して、平然と陽司は言い切った。

 意思が通じ、言葉が交わせるならば、仲間になれないわけがない。

 甘い考えだろうし世界にはその道理が通じない相手だっているだろうが、

 少なくとも今のカノンはその理想を実現している。

「俺はその理想に共感して、カノンの兵士をやっている。

 ……一時的なもので、いつかは故郷に戻ろうと思ってたがな」

「なら今戻ってきなさいよ!

 シズクから村を取り戻して、また皆で住めるよう手伝いなさい!」

 村を取り戻してシズクを追い払って、それから償わせてあげる」

「有難いね。村を取り戻すのも言われなくたって手伝おう。

 ……だけど、今クラナドには行けない」

「なんでよ!」

「シズクが、いるからだ」

「だからシズクを追い払おうと―――」

「違う」

 奈緒と交わす『シズク』という単語には大きな違いがある。

 それは立場故、現在護るべきものの違い。

「奈緒が言う『シズクを追い払う』というのは、クラナド国内、ないしは村近辺からシズク兵を追い出すということ」

 そうすれば取り返したククドの村は以降安泰。元通りの生活に戻る。

 村を護りたい奈緒にとっては現実的な選択肢だ。

「俺の言う『シズクを倒す』というのは―――言葉通り、シズクという国を叩き潰すということだ」

 陽司にとって護るべき対象は、カノンとカノンの協力者、そして将来カノンの味方となるであろう全て。

 そもそもカノンの掲げる『全種族共存』の御旗は今までの世界に対する反逆でもある。

 "たかが"シズク一国に邪魔をされるわけにはいかないのだ。

「なっ……そんなこと、出来るわけないでしょ!」

「本当にそうか?

 今までの情報を見るに、シズクは月島拓也一人が国民全員を精神支配して成り立っている国だ。

 ……いや最早国家とは言い難いな。あれは月島拓也の私軍と言ってもいい。

 他国から奪い取った兵力は無尽蔵に近く、その一人一人が肉体の限界を超えて動く強力な兵士。

 でもそれを操っているのはたった一人。つまり月島拓也を葬ればシズクは終わりだ」

 無論、並の戦力では倒すどころか精神支配を受けて取り込まれてしまうだけだ。

 しかし精神支配を受け付けない少数精鋭で挑むならどうか?

 敵の数が莫大とはいえ一度に戦闘を行える数には限りがある。

 兵士の群れを突っ切り、月島拓也を倒せばいい。

 または複数の国で連合軍を組み、シズクを上回る兵力でもって殲滅戦を仕掛けるのも手だ。

 リーフ大陸諸国は常にシズクの脅威に晒されている。キー大陸側が連合を持ちかければ乗る可能性は十分にある。

 その内容を軽く話す間、奈緒は黙って聞いていた。

 陽司が語り終えた後、ゆっくりと口を開く。

「……そんなことが、可能だとでも?」

「可能だから言ってる。無論、生半可な道ではないけどな」

「……そう。それが今の陽司なのね」

 一言呟くと、奈緒はゆっくりと剣を構えた。

 魔力を漲らせて結界を吹き散らす。

「あたしはそんな賭けをするつもりはない。

 だからあんたをブン殴って言う事聞かせるわ。村を護る為にね」

 対する陽司も『無心』をクルリと回して右手に構え、回復の結界を解除して左手に幾つもの暗い魔法陣を展開する。

「俺は未来に賭ける。カノンを護り、村を取り戻し、シズクを打倒してやる。

 理想を追い求める皆を支える。それが俺の求める道だから」

(力を貸せ『無心』。奈緒は強いが、ここは勝たなきゃ駄目だ。

 俺達の力を見せ付けてやるぞ)

『んー、友達と戦うのに何で張り切ってるの?』

(これは戦いじゃない。

 ―――喧嘩だ。相手に言う事聞かせる為の喧嘩なんだよ)

『もっと悪くない?』

 その発言は無視して一つの魔法陣に魔力を通す。

 同時、奈緒も詠唱を開始した。


 意地のぶつかり合いが、始まる。




























 魔法陣の一つを発光させ、陽司は左手を前に掲げた。

「させないッ! "撃ち貫け、『火焔の矢雨』"!」

 しかし、させぬというように奈緒の魔術が奔る。

 空中に出現した炎の矢群が複数の方向から陽司を襲う。

 今発動しようとしている神剣魔術では防御し切れない。だが中断して結界を張るには遅すぎる。

 故に陽司は淡く『無心』を発光させ、

「―――ここだな」

 軽く跳んで身を捻る。

 その首元を、脇を、足元を、炎の矢が掠めつつも当たることなく抜けていく。

 魔術の方が避けたとしか思えないその動作に、奈緒が驚愕を顔を表した。

 その反応も当然だ。この矢は奈緒の制御を受けての誘導が可能なもの。

 自動ではないが、それ故に回避の先を読んでの操作を行えるのだ。

 だが今の陽司は誘導が間に合わないギリギリの位置で回避してきた。

 奈緒の制御すら考慮に入れて、だ。

「あんた、未来視を……!?」

「そんな大層なもんじゃない。教えないけど」

 着地し、完成した魔法陣を発動する。

「"一式改―――舞台結界"」

 地面に同形の魔法陣が大きく広がり、翠光が空間を満たした。

 何が起こるのか、と警戒する奈緒。

 しかし数秒様子を見ても何も起こらない。

「……ハッタリ!?」

 接近を図る陽司に向かってすかさず同じ魔術を放つ。

 数を先程より増やし、今度こそ回避出来ないように。

 出現した炎の矢は陽司に向かって飛び―――

「無駄だよ」

 その言葉と同時、矢は弾かれたように方向を変えた。

 奈緒が反射的に方向を修正しようとしても、また逸れてしまう。

 何とか陽司の近くまで行った矢も『無心』の一振りで砕かれる。

 何度も方向を変える内、そのサイズを小さくして最後には消えてしまった。

 一発も当たることなく陽司は突っ走る。

 何かした様子は無い。つまり、

「この変な結界の効果ね!?」

「正解だ。教えないけどな」

 奈緒は魔術師だ。『凌ぐ』ことを中心にした剣術は習得しているが、近接戦のみで勝てる程の技量は無い。

 しかしこの奇妙な結界が遠距離戦を拒否してくる。

 ならば選択肢は、奈緒の得意とするカウンター一択だ。

 陽司の得物はメイス。威力は高いが攻撃後の隙が大きい欠点がある。

 前回もその隙を突いて、もう少しで勝てるところだった。

 陽司が接近する。

 同じようにメイスで打撃してくるが、

「はっ!」

 同じように受け流す。

 そして、

「"逆巻け"、『紅蓮の太刀』!」

 炎剣が走る。

 予想通り。回避は不可能。

 予想通り過ぎる展開に、逆に奈緒は疑問を抱いた。

 陽司は努力家だ。そして一見無茶な戦闘方法だが意外に用心深い。

 そんな陽司が、こんな『隙』を残しておくだろうか?

 疑念を持ったまま炎剣を振るい、陽司は前回と同じように身体を捻って輝く左拳を叩き付け、

「ふん!」


 拮抗―――することなく、炎剣が吹き飛ばされた。


「はッ!」

 炎剣を殴った動きのまま身体を一回転。右踵の後ろ回し蹴りが奈緒を捉える。

 辛うじて腕のガードが間に合ったが、勢いを受け止め切れずたたらを踏む。

 その隙を逃さず、陽司の追撃が二撃、三撃。

 右の強力な打撃の隙を左の高速の打撃が埋め、反撃を許さない。

 神剣の身体能力上昇と魔力による強化が重ねられ、その動きはかなり速い。

 一発一発を受け流したところで次の攻撃がすぐに飛んでくる為に防戦を強いられる。

 それでも陽司の本分は武器戦闘。徒手格闘による連撃は慣れてないのか所々隙があった。

 しかし高い身体能力任せに打ち込まれる強引な拳打は、むしろ予測不能で対応が難しい。

 隙を見て距離を取ろうと退避するも、

「『獅子吶喊』!」

 足裏を爆発させ強引に距離を詰めてくる。

 逃げられない。

 反撃しようにも十分な魔力を練る暇を与えてはくれない。

 ならばと剣による攻撃を仕掛けるが、その全てを魔力を帯びた腕が阻む。

 陽司が腕に纏う光は炎剣すら弾き返す強力な防護の力だ。

 これほどの強度を維持すれば並の戦士ならすぐに魔力が尽きてしまう。

 だが陽司の魔力量は生粋の魔術師である奈緒のそれを大きく上回るほど。

 例え全身を防護したとしても長時間の戦闘が可能。

 そしてそれだけの時間があれば、奈緒は防御し切れなくなり攻撃を食らってしまうだろう。

 現状、打つ手が無い。

 敗北を悟り、胸から熱いものが込み上げてきた。

 感じる熱さをそのまま陽司に言葉として叩き付ける。

「これだけ強いのに―――まだ、戻ってくる気が無いの!?」

「当然だ!」

 陽司も応じるように心のままに言葉を返す。

「カノンだけでも俺より強い人が何人もいる! 世界にはもっと沢山、もっともっと強い奴らがいるだろう!

 俺はそれを超えて、誰よりも強くなる!」

「強くなって、どうするのよ!?」

「皆を守る! 誰よりも強ければ、誰が襲い掛かろうと守れる!

 俺が強かったなら、あの時奈緒だって危ない目に遭わず済んだんだ!」

「やっぱりアレのせいか―――」

 その言葉に怒りで頭に血が上り、思わず拳を握った。

 迫る攻撃を無視し、眉を下げた陽司の顔目掛けて、


「―――この、勘違い野郎ぉぉぉぉぉぉぉ!」


 フルスイングでの平手をブチ込んだ。

 驚きつつも反射的に受け止めた陽司に対し、剣を捨てて更に平手を打ち込む。

 魔力強化もせず感情のままに平手を打ち込み続けながら、

「あれは! どう見ても! あたしの不注意でしょうがッ!

 後から聞いたら助けてくれたのアンタだし! 美談を勝手に負い目に思ってんじゃないわよ!」

「で、でも俺がもっと素早く動けたら―――」

「それが勘違いって言ってんのこの自惚れ野郎!」

 陽司の動きに戸惑いが現れる。

 身体強化も解除され、ただ立ち尽くして、反射で平手を受け止めているだけだ。

「アンタは何!? あたしの保護者気取り!? 自分の身くらい自分で守るってーの!

 それともあたしは! アンタに守られなきゃならないほど! 弱いとでも思ってるの!?」

 その台詞を聞いて、陽司の瞳に光が戻った。

「―――そんなこと、思ってない!」

 打ち込んだ右手を掴まれる。

 引くような押し返すような、不自然な体勢の中、陽司が言い返す。

「俺の我侭だってのは分かってる! でも奈緒が弱いだなんて思ってない!

 どうして分からないんだ、俺は全部守りたいだけで―――!」

 相変わらずの言葉に頭が沸騰した。

「だから…………!」

 左手を掬い上げるように走らせる。


 陽司がその動きに気付いて押さえようとするも間に合わず―――パン、と肉を打つ音が陽司の頬に弾けた。


「なんで、一人で背負い込もうとするのよ!」

 激情のあまり目尻から涙が零れる。

「言ってくれれば特訓だって何だって付き合ったわよ!

 専門外でもあれだけ見てれば戦闘での悪い癖だって分かる!

 あたしが何年アンタの背中を見続けてきたと思ってるの!?」

 いつも敵に飛び込んでいって隙を作ってくれた。

 陽司が窮地に陥らないよう、取り囲む敵を薙ぎ払った。

 持ちつ持たれつ、弱点を埋める最高のコンビで、陽司も同じように思っている。

 そう信じていたのに―――


「なんでいつも、何も言ってくれないのよぉ……!」











 崖から転落し、意識が戻った時には既に陽司は旅立っていた。

 陽司が残したという書置きを見て、まず最初に沸き起こったのは怒りだった。

 相棒たる自分に何も言わず修行の旅に、それも長期出ると思われる文面。

 一方的に護っているとでも思っていたのかと憤った。


 次に感じたのは悲しみだった。

 強くなりたいのなら相談してくれればいい。互いの弱点を補っていた二人だからこそ、その克服も望める筈だ。

 神剣保有者の陽司は魔術を扱えないが魔力の繰り方なら教えられるし、永遠神剣関係の研究者の当てもある。

 自分は信用されていなかったのかと思うと胸が苦しくなった。


 魔術が使えなくなってると判明した時は、陽司を恨みもした。

 村における戦力の要は陽司と奈緒のコンビだった。あとは実力で一段劣る若者や引退した元戦士くらいのもの。

 凶暴な魔物やある程度以上の規模がある盗賊団となると奈緒達以外で相手に出来る者は居なかった。

 勿論そういった相手はそうそう現れるものではない。

 近場で強力な魔獣は奈緒達が生まれてから数える程しか確認されていないし、実際村人が襲われたこともない。

 それでも近年はクラナド軍が当てにならない以上、備えが無いというのは村を不安にする。

 奈緒は慣れない剣を物にしようと、血の滲むような努力をした。

 正規ではない雇われの兵士としてクラナド軍へ潜り込み、幾度かの実戦と多くの訓練を経て実力を伸ばしていった。

 魔術師団長のアドバイスを元にオリジナル魔術を覚えたのもこの頃だ。


 そうして実力を手に入れ新生カノン王国への侵攻作戦に参加し―――予想もしなかったことに、陽司と再会した。

 前線で大暴れするカノンの兵に対して魔術を撃ち込んだら相殺されて驚いた。

 貫通性の高いあの一撃を真正面から砕ける者はクラナド軍内にもあまりいなかったから。

 更にそれを成したのが旅に出た幼馴染であると分かり、驚愕した。

 だが予想外の再会に、喜びもしたのだ。

 近くにいる。そして旅を経てこれだけの実力を得たのだ。きっとすぐに戻ってくる。

 逸る気持ちを抑えて、作戦通りに行動した。

 今の陽司ならばあの状況とはいえ死ぬ事は無いと確信していたから。

 だが撤退し、村で待てども陽司は帰ってこない。

 今日はどうか。明日は来るかな。いつ戻ってくるのだろう。

 密かに歓迎の準備をして、陽司の帰郷を待った。

 戻ってきたらまず一発叩いて説教して、それから無事だったことを祝ってやろうと。

 そうやって今か今かと待ち侘びていたある日、ついに来客があった。


 ―――瞳の光を失った不気味な人の群れが、村を訪れる。


 奇声を上げ、あるいは無言で、目に付くもの全て破壊し襲い掛かる狂気の軍団。

 一番の戦力である奈緒は村を守る為に先陣を切って必死に戦った。

 だが一人一人の身体能力が半端ではなく、更に痛みを無視したような行動を取る兵士達に対してあまりに無力だった。

 奈緒一人で数人を焼き払い、更にそれ以上の数を人体として行動不能なレベルまで負傷させた。

 しかしそれも多勢に無勢。事前に村を火の防壁で覆っていたが、死を恐れない兵士はそれに構わず飛び込んでいく。

 押さえ切れない数十の兵が村へと入り、無秩序な破壊を振り撒いた。

 物見の報告で予め可能な限り村人を退避させたものの、逃げ遅れていた人や動けない病人が犠牲になった。


 命からがら首都クラナドに避難し……数日間はショックでまともに動けなかった。

 自分はそれなりの実力を備えていると思っていたのに、村を守れなかった。

 人を焼く感覚にも慣れてはいない。

 死体同然の歪な黒焦げが奇声を上げて飛び掛かってくる光景がフラッシュバックし、何度も吐いた。

 夜には自分の無力を噛み締め、枕を濡らした。


 そうしている内に動ける程度には段々と落ち着いてきて、クラナド軍へ正式に入隊を申請した。

 一時的に首都へ移住した村の皆を支援する為、お金が必要になるからだ。

 それに情勢が落ち着いたら村の奪還作戦を行う可能性もある。

 今まで傭兵として所属していただけあって入隊にはアッサリと許可が下りた。

 ワン侵攻を控え、戦力を増強したかったのもあったろう。

 すぐに部隊へと編入され、更に数日後には侵攻作戦が開始された。


 そこで、見た。

 ここぞというタイミングで現れたカノン軍の中に、カノンの鎧を着た陽司の姿があるのを。


 それはつまりカノン軍へ正式に所属したということで、カノンに腰を落ち着かせたということで。

 近くにいるにも関わらず、クラナドで共に過ごすよりもカノンを選んだ。

 その事実に、陽司への怒りは憎しみにも似た感情へとシフトする。


 言葉と力を叩き付けた時の陽司の顔はよく覚えている。

 こんな筈じゃなかった、と表情が告げていた。

 呆然と立ち尽くした陽司は、こちらが魔力を迸らせても何も反応を返さなかった。

 詠唱をしながら、このまま死ねと半ば本気で思った。

 この程度の現実に耐えられないあんたは理想を砕かれて死ね、と。

 直前でシズクの横槍が入ったのは幸か不幸か。

 一時的に立ち直った陽司の神剣魔術によって周囲の兵の多くは支配されることなく離脱出来た。

 自身の秘められた体質の一つも判明した。


 クラナドに帰還し落ち着いて考え決めた。

 陽司を連れ戻す。直接戦闘不能にして、あるいはカノンを潰して。

 そして自分の相棒としてコンビを再結成し、村を救うのだ。

 今なら村を襲ったシズク兵など二人だけで相手に出来る。

 二人肩を並べて戦える。

 なのに当の陽司は。この馬鹿は。

「そんなに守りたいなら、見せてよ。強くなったあんたの力を!」

 距離を空け、両手に魔力を掻き集める。

 手加減は無い。自分の残存魔力を考えれば、加減をして扱える魔力量ではない。

 今までのモノとは全く異なる術式。

 これはオリジナル魔術と別に、自分が扱えるもう一つの魔術。

「どうしても村に帰ってこないってんなら、あたしを打ち負かして好きな所に行きなさい……!」






















 頬を打たれて想いを叩き付けられ、ようやく理解した。

 自分の行いは奈緒の信頼を裏切るものだったのだと。

 気が動転して思い詰めていたから、と言い訳をすることは出来る。でも奈緒にとっては同じこと。

 だから言っているのだ。力尽くで連れ戻す、と。

 だが陽司とて今すぐにカノンを離れる訳にはいかない。故郷の村人達は気がかりだが、今護るべきものはカノンにある。

(『無心』、アレを使う。展開中・準備中の神剣魔術を全てキャンセルしてくれ)

『―――りょーかい。全力でぶつかってあげて。あの娘のこと、大事なんだよね?』

(当然だ)

 周囲の空間を覆っていた翠光が消えた。腕の防護も解除する。

 身体強化すらも解き、奈緒から更に距離を取る。

 そして魔術が最も効果的に扱える間合いで対峙した。

 先程から奈緒から感じる魔術の気配。『無心』越しに感じるその術式はオリジナル魔術とは異なる。

 詠唱を必要としないその魔術は―――

「古代魔術、か」

「その通り。……威力に優れる火属性の古代魔術、例えあんたでも防げないでしょ?」

「そうだな」

 超魔術クラスならば防御、ないし逸らすことは今の陽司なら可能だ。

 しかし古代魔術となると威力が高過ぎて手持ちの神剣魔術では打つ手が無い。

 圧縮展開した"三式"を重ねれば可能性はあるが、それは陽司の力量を大きく超えている。

「随分とあっさり答えるわね。回避するつもりも無さそうだし、この程度で諦めるなんて―――」

「諦める? 何言ってるんだ」

 鎧を外し、その下の上着も投げ捨てた。

 腰を落とし身体を捻って右拳を握る。

 『無心』は使わない。神剣魔術でどうにもならないのだから使う意味が無い。

 だが一つだけ、対抗出来る手持ちのカードがある。

 それは澪を始めとした皆の力を借りて訓練を重ねた、陽司最大の切り札。





『陽司くんは筋が良いの。特に魔力を大きく放出する才能はかなり高いの』

『でも使い道が無くて……呪具でどうにか攻撃手段にしてるんですけど、効率が悪過ぎるんですよね』


 そんな陽司に澪が渡してくれた、一枚の紙。

『こんなこともあろうかと』

『……笑うとこですかね?』

『美咲ちゃんと反応が一緒なのー……』


 神剣保有者である陽司でも扱える魔術の、魔術書。

 分類を考えれば非常に扱い易く、しかしその莫大な使用魔力から発動が困難という曰く付きの地属性魔術。


『一発撃ったらすっからかんですね』

『それはどうにもならないのー』

『魔術書を読む限りでは、出力調整も理論上は可能みたいですが』

『そんな余裕ある?』

『……無いです、はい』


 僅かな時間を見つけて佐祐理にも相談した。

『―――なるほど。面白そうですね。ご協力します』

『お忙しい中申し訳ありません』

『いえいえ、佐祐理の勉強にもなりますからー』


 これは、旅で得た全てと周りの協力によって物にした魔術。

 奈緒のそれと同じ―――古代魔術。




 溢れる魔力による風で裾が暴れる。

 服の下に隠された肌に多くの文様が姿を露にした。

 これは魔力消費軽減の文字魔術。地肌に特殊な墨で直接描かれた文字魔術は大きな効果を発揮する。

 効力が発動しているのを確認して、訓練通りに魔術のイメージを思い描く。

 魔力で生成した土を圧縮し対象を打撃する、単純かつ豪快なその魔術を。



「この術式は……!」

 奈緒もここに至り気が付いた。

 陽司が発動しようとしているのは、自身のそれと同じ古代魔術であると。

 しかも魔力量が半端ではない。元々かなりの魔力を持つ陽司の、内包魔力ほぼ全てを使用しているとしか思えない量。

 だが魔術師でもない陽司のそれは不安定で、時々揺らいでいるのが分かった。

 どうする、と奈緒は考えた。

 今発動しようとしている魔術をキャンセルして出の早い魔術に切り替えれば、妨害は容易だろう。

 この規模の魔術に対して自分の力量で正面からぶつかって勝てるかどうか怪しい。

 火属性は地属性に相性が悪い。相性で力量差を埋められてしまったら勝ち目は薄い。

 迷う奈緒に、陽司の声が届いた。

「どうした? ―――俺を止めてみせろよ」

 挑発とも呼べない言葉。

 だがその言葉に、奈緒は決心した。

「いいじゃない―――あんたの切り札ブチ破って、言う事聞かせてやるッ!」

 更に魔力を絞り出す。

 後のことなど知ったことか。

 陽司が全魔力を使うというのなら、こちらも全力で相手をしてやろう。

 魔術師としての力量ならばこちらが圧倒的に上。陽司のように慣れない集束で不安定になることはない。

 それにこの古代魔術は貫通力と威力に優れる。

 正面から撃ち貫く。




「ああ、それでこそ奈緒だ!」

『楽しそうだね、ヨージ』

(当たり前だ。全力全開、正面からの衝突だぞ? 燃えない方がおかしい)

『魔力にあてられて頭がおかしくなってない?』

(失礼な。ちょっとしかなってない)

『自覚はあったんだ……』

 ひたすらに魔力を掻き集める。

 文字魔術の補助があるとはいえ、手を抜いて扱える魔術ではない。

 発動するだけで陽司の内包魔力の九割。未熟故に調整もきかない。

 属性としての相性は良い。しかし神剣越しに分かる魔術の性質としての相性は悪い。

 力量の差もあり、条件は互角だ。

「奈緒! 負けた方は勝った方の言う事を聞く、でいいんだよな!?」

「当然! 何でも聞いて貰うわよ!」

『二人とも子供だねぇ』

 荒ぶる魔力。

 陽司の周囲には魔力で生成された大量の土が浮かび上がっていく。

 奈緒の正面には漆黒の火の粉が散り、吹き荒れる。

 二人の全力に空間が軋みを上げ、限界に達し―――

「!」

 先に動いたのは、奈緒。


 火属性古代魔術の最高峰。魂までも焼き尽くす冥界の業炎。

 顕現する漆黒の炎の名は―――!




「『灰燼と帰す煉炎』!!!」




「よっしゃ行くぞぉ!」

 陽司の咆哮と同時、最早姿を隠さんとするほどの土が一斉に陽司の正面へと集束した。

 高速の生成と集束により土塊は急速に肥大化していく。

 規模も圧縮率も地属性超魔術"墜落の地龍道"の比ではない。


 形成されていくのは、視界を埋めるほど巨大な―――拳。

 陽司は右腕と連動したそれを勢いよく振り抜きながら、その名を唱えた。




「『大いなる地神の拳(ガイア・ハンマー)』ぁぁぁぁぁぁァァァァァッ!!」





 全てを焼き尽くす炎と全てを叩き潰す土が、二人の間で激突する。

 高温の爆風を散らしながら行われた激突は、最初こそ拮抗したものの、

「くっそ……やっぱり厳しいか……!」

 土の拳が、じりじりと中心を抉られていく。

 属性の相性は圧倒的に勝っている。込められた魔力量も大きく上回る。

 それでも押されるのは、魔術の性質の違いだ。

 『大いなる地神の拳』は本来対多数を想定した広範囲魔術である。

 その圧倒的な重量と広い攻撃範囲で叩き潰す。特殊性も何も無い代わりに強力な打撃力を持つ魔術。

 対する『灰燼と帰す煉炎』は横方向の攻撃範囲こそ狭いものの、長い射程と高い貫通性を持つ魔術。

 例え使用魔力や相性に差があろうとも、同じ面積で激突すれば貫かれてしまうのは道理だ。

「大人しく負けを認めれば、これ止めてあげてもいいわよ!」

「うるさい、まだ負けてないだろうが―――あああぁぁぁ!」

「!?」

 土の拳が一回り小さくなったかと思うと、炎の進行が止まった。

 陽司が強引な操作で圧縮率を上げたのだ。

 気を抜けば弾き飛ばされそうな右腕を左手で押さえ付けながら、一歩を踏み込む。

 土の拳もそれに連動して一歩分前進する。

 また一歩。僅かだが、着実に炎を押し返していく。


「―――舐めんなァァァァァァッ!!」

「くっ……!」

 奈緒の気合と共に炎の勢いが増し、陽司の前進が止まる。

 逆に炎が再び進行を始めた。

「あたしはあんたを連れ戻すッ! 村を救って、後は知ったもんか!」

「そんな無責任なことがあるか!」

「夢見過ぎなのよ! あんたが思っただけで全部救えるならこんな世界になってない!

 ならあたしは村だけは救う方を選ぶ!」

「俺だけじゃない、カノンにはそんな夢を見る奴らが集まってる!」

「世界に勝てる気なの!?」

「勝てないと思うならこんなことやるもんか!」

「向こう見ず!」

「我が侭!」


「「この分からず屋ッ!!!」」

『どっちもどっちじゃないかなぁ。……ん、これは……?』





 陽司の前進も、炎の進行も止まらない。

 既に炎は突き出された土の拳の半ばほどまで貫いている。

 しかし拳の先端も奈緒まであと僅かという位置。

「これで―――終わりだ……!」

「貫けぇぇぇぇぇ!!」

 限界を超えて力を振り絞り、正真正銘最後の一発を放つ。


 そして―――






「はぁ……はぁ……」

「もー……魔力無いわ……」

 向かい合って地に倒れ伏す二つの影。

 魔力をすっからかんにした陽司と奈緒だ。

「何で、こんなピッタリ同時なのか……」

「引き分け、ってことかなぁ……」


 最後の魔力を注ぎ込んだ『大いなる地神の拳』はそのシルエットを膨れさせ、奈緒へ届かんとした。

 同時に勢いを増した『灰燼と帰す煉炎』が『大いなる地神の拳』の中核を貫いた。

 土台を砕かれた『大いなる地神の拳』は瓦解し、しかし『灰燼と帰す煉炎』もそこで完全に魔力が切れて消滅。

 結果、両者決死の一撃は互いに命中することなく消え去ったのだった。


「……敢えて言うなら……魔力無しでも戦える俺の勝ちだ……」

「こっちだって……剣があるわよ」

 二人がゆっくりと立ち上がる。

 対峙して、しかし武器を構えることなく歩み寄る。

 見つめ合い、どちらからともなく小さく笑う。


 ―――パン、と肉を打つ音が響いた。


 頬を打たれた陽司は、視線を外すことなく奈緒を見続ける。

「これは、信用を裏切られたあたしの分」

 更に一発、響く。

「これは、心配掛けたあんたの親の分」

 三回。

「これは、村を追われた皆の分」

 そこで、止まる。

「……襲われた人達の分はいいのか?」

「それはあたしがすることじゃない。

 そもそもが八つ当たりに近いものだし。……あんたは勝手に傷付くと思うしね」

「ああ、そうか」

 陽司は大きく頭を下げ、

「―――すまなかった。奈緒にも、皆にも」

「でも村には戻ってこないんでしょ?」

「……そうだな。それも謝る」

 頭を上げる。

「ただ、村の奪還作戦くらいは上申しよう。実現したら俺も参加する」

 あの人なら言わずともやりそうではあるが、と心中で続けた。

「この戦闘の後、恐らく……いやまず間違いなくクラナドはカノンの統治下に入る。

 そうなればシズク戦力の排除は急務になるから。上申も通る筈だ」

「分かった。―――許してあげる」

 奈緒は一歩を下がり、

「そしてあたしもカノン軍に入る。あんたは危なっかしくて見てらんないからね」

「いいのか? 魔族の率いる軍だぞ?」

「半分は神族なんでしょ?

 ……まぁ正直ちょっと抵抗はあるけど、あんたの部隊見る限り悪い奴じゃなさそうだし」

「そうだな。恐ろしいほどお人好しだぞ」

「どんな魔族よ……」

「ま、俺らと変わりないよ」

 はは、と笑い合う。

 その時、沈黙を保っていた『無心』が急に話しかけてきた。

『ね、ヨージ。ちょっと気になることが―――』

(うるさい、もうちょい黙っててくれ)

『ひどっ。……何か変な力の流れがあるんだよー』

(? どの辺りだ?)

『んーとお城の方から一つ。あとこの辺全体というかなんか広い範囲に変な感じがする』

(……戦闘中だからじゃないか?)

『そう言われれば街の方から幾つも変な感じはするけど』

 自身でもよく分かっていないのか、曖昧な言い方だ。

 まぁカノン軍だけでも結構な異常者がいるしな、と結論付けた。

 急に魔力を消費した為か少し意識が朦朧とする。奈緒を連れて早めに合流するとしよう。

 背後の空を振り仰いで確認するに、街から感じる戦闘の気配も終結しつつある。

「奈緒、そろそろ―――」

 戻ろう、と言おうとした瞬間、

『ッ! 駄目、逃げて!』

 鋭い『無心』の声に反射で身構えながら振り向く。

 するとそこには、


「………え………?」


 奈緒の腹から何かが突き出ている。

 真っ赤な何か。

 奈緒も不思議そうに見下ろした。

 節のある五本の細いものが平らな丸っこいものから伸びている。

 真っ赤で濡れたように光るそれが飛び出している。

 コレハ、ナンダロウ?

「―――ヒヒッ」

 陽司でも奈緒でもない声が聞こえた。

 奈緒の、後ろから。

 飛び出していた何かが引っ込み、奈緒の腹に穴が開く。

 溢れる鮮血がジワジワと地に染み込んでいく。

「あ―――げほっ」

 口から血を吐きながら崩れ落ちる奈緒。

 背後に立っていた影が露になる。

 それは人間であり、人間ではなかった。

 右手を真っ赤に染め、光の無い瞳と正気とは思えぬ表情を浮かべた兵士。



 シズク兵の襲来だった。






















・あとがき

 こんにちは。月陰です。

 本編で言えば『決戦、クラナド』ですが、この二人はその辺りにあまり関わりません。

 いやまぁ派手に戦果上げてますけども。

 特に陽司は攻撃系の神剣魔術こそ持ちませんが、運用次第で攻撃にも転用できるバリエーションが強みです。

 陽司自身の防御力もあり、対多数戦では無類の制圧力を誇ります。

 ただ攻撃面は魔力に物を言わせたゴリ押しが多いので、長期戦に向かないという弱点も。

 新しく覚えた魔術も、一発撃てば魔力が空っぽになるマダンテです。

 相性三倍の火属性相手にあれだけ苦戦したのは、本来対単体用ではないのと魔術師としての圧倒的なキャリア差。

 比較的扱い易い部類とはいえ、古代魔術をこの短期間で習得した陽司も相当なんですがね。



 そして決着の直後にシズク襲来。

 内臓でろーんはグロ注意の表示をした方が良いんですかね?

 脳むき出しはグロと認定されているようですが、この程度なら大丈夫かなとも。

 甲田氏の作品読んでるとグロテスクとメルヒェンの違いが曖昧になって困ります。

 スプーン一杯のグロテスクで街一つを"泡禍"に叩き込む氏が本気を出したらどうなってしまうのか。


 脱線してきたのでこの辺りで締めるとします。


 H24.3.10 ファンタジー分の補給が必要になりつつある小春日和