エフィランズまで後退し、補給をするカノン軍。

 完敗と言っていい結果だけに、作業をする軍の者も街の住民も一様に暗い顔をしている。


 治療や休憩の為に作られた陣の中央、対クラナド部隊臨時指揮所。

 そこには、部隊の主要メンバーが集まっていた。

 その片隅に座り込んだ陽司は、消耗した魔力や体力の回復に努めつつ、状況を分析していた。

「撤退には成功したと言える、か……?」

 非常に悪い状況だが、全滅という取り返しの付かない事態にならなかっただけマシというものだろう。

 兵を多く失い、生き残った兵士達もほとんどが負傷している。

 中には命の危機すらある重傷者もいる。

 主要メンバーも時谷を除いて全員が揃っているものの、ほとんどが多かれ少なかれ怪我を負っている。

 怪我を負っていなくとも、消耗の激しい者もいる。

 それも踏まえれば、実戦力は当初の半分にも届きはすまい。

 陽司自身も超魔術による負傷があり、魔力・体力も消耗が著しい。

 まともに戦えば敗北は避けられない。


 そして、懸案事項がもう一つ。

「奈緒……まさか、ここであいつと再会するなんてな」

 先程の戦闘で陽司に対して魔術を放った少女。

 名は、成瀬奈緒。

 彼女の事はよく知っている。



 ―――同郷の幼馴染なのだから。





 隣同士の家に同じ年に生まれ、家族のように育った。

 昔から、燃えるような赤い長髪と勝気な瞳が印象的な女の子だった。

 同世代の多分に漏れず彼女も戦う術を学んだ。

 特に魔術に高い適正を示し、将来は若くして神官位を得るだろうと噂されていた。

 幼い頃は、力をつけて一緒に世界を見ようと約束したものだ。


 その約束を忘れず、しかし破ったのは……ある事件が理由だった。


 数年前のある日、村近くの山に魔術実験用の薬草を採集に行った時のこと。

 既に神剣を所有していた陽司は、護衛として奈緒に付き添っていた。

 一端の魔術師となっていた奈緒だが、腕の立つ魔術師とて一人で魔物も出現する場所に行っては危険だ。

 だから、常日頃から陽司は奈緒の護衛をしていた。

 実際何度か魔物や盗賊に襲われることはあったが、二人で難なく撃破していた。

 防御に優れる陽司と攻撃魔術の得意な奈緒はコンビとしても相性が抜群だった。

 しかし忘れもしないあの日、不意に襲い掛かったのは魔物ではなく―――大地の震動だった。



 今もはっきりと思い出すことができる。

 立っていられないほどの揺れ。

 山道から転げ落ちる赤毛の少女。

 伸ばし、しかし掴めなかった右手。

 何が起こったか分からないという風に呆然とした奈緒の表情。



 揺れが収まるや否や、斜面をほとんど転ぶようにして駆け下りた。

 血溜まりに沈んだ少女の身体を抱え上げたところまでは覚えている。


 気付いた時には、村の診療所で寝かされていた。

 村人から聞いた話では、重傷を負った奈緒を抱えて必死の形相で走り込んで来たのだという。

 怪我をした際の状況を説明し、治療術師が処置を始めたところでその場に倒れ込んだ。

 外傷も特に見られないから陽司はひとまず寝かせておいたのだと。

『奈緒は……奈緒は、無事ですか?』

『ああ、傷はひとまず塞がった。峠も越えたし、もう安心だ』

 意識は戻っていないが命に別状は無いと老魔術師が答える。

 安堵すると同時、疑問も生じた。

 傷をよく見てはいないが、相当深いものだったはずだ。

 自分が長く眠っていたとはいえ、すぐに安定するものだろうか、と。

 そんな陽司の疑問を見透かすように、神妙な顔で老魔術師は話し出した。


 治療中、魔術を施していない部分の傷もゆっくりと治っていったこと。

 斜面を転げ落ちた割には小さな傷が存在しないこと。

 大きな傷の痛みが思ったより遅いこと。

『恐らく、成瀬の娘には……自己再生能力がある』

 最も低いレベルではあるが、それが一命を取り留めた理由の一つとなったのは間違い無いと。

 しかし今まで気付かなかったのも変な話だ、と老人も首を傾げていた。

 重傷には変わりないからしばらくは目を覚まさない、と言い残し、老人は部屋を出て行った。


 陽司は出て行く後姿に顔を向けもせず、拳を握り締めて震わせていた。

 あの時、もう少し早く手を伸ばしていれば。

 安全な道を歩いていれば。

 治療の術があれば応急処置も出来た。

 素早く動ければ、落ちる奈緒を受け止めることもできた。


 もっともっと……力があれば。


 奈緒は助かった。陽司が迅速に村まで運んだお陰なのは事実だ。

 しかし、その前……地震が起きた時に護れていれば、そもそも重傷を負うこともなかったのだ。

 その時護れなかったせいで、『偶然』持っていた自己再生能力に助けられることになった。

 持っていなかったら、助からなかったろう。


 自分は強くならなければならない。

 しかし戦う術を教えてくれた元戦士からは免許皆伝を告げられ、後は独学で腕を磨けと言い渡されている。

 今より強くなるには。



 地震の日の一週間後、天海陽司は生まれ育った村を旅立った。

 世界を巡り腕を磨き、いつの日か帰ると言い残して。

 旅立つ日まで、奈緒には顔を合わせなかった。会っても何を言っていいか分からなかったから。

 しかし何も告げずにというのも気が引け、書置きを残した。



『今度こそ護れると、胸を張って言えるようになったら帰る』と―――




















          とある守護者の追憶 第三話『過去の決意と現在の想い』



















「なに、この空気?もう負ける気満々ってところかしら?」

 不意に響いた声に、ハッと回想から戻り顔を上げる。

 すると、いつの間にか陣の入り口に一人の少女が佇んでいた。

「そんな……」

「いつの間に!?」

 全員気付かなかったのか、誰もが慌てたように声を上げる。

 雪のように白い肌と肩まで垂らした髪が印象的な、童女と言っても差し支えない女の子。

 カノン軍でも、恐らくはクラナド軍でもない。少なくとも先程の部隊には居なかった筈だ。

 疲弊しているとはいえここは拠点の中心。その警備を掻い潜ってくるだけの実力者。

 その事実に皆が身構える。

 しかし当人はそれに何のリアクションも示さず、どこか辟易とした様子で陣の中を見渡した。

「まったく……駄目ね。たかが一人の魔術師にこうも簡単に入り込ませちゃうようじゃ、たかが知れてるってところだわ。

 それでもあなたたちはユーイチの部下なの?」

「……祐、一?」

 魔術師を名乗る侵入者から予想外の名前が飛び出したことに、皆が怪訝な顔をする。

「あなたは……何者なのですか?」

 静まり返った陣の中、美汐が問い掛ける。

 すると少女は、あ、と思い出したように呟き、

「ごめんなさい。そういえば挨拶がまだだったわね」

 そう言うと少女は姿勢を正し、貴族の令嬢を思わせる動作でスカートをつまんで持ち上げお辞儀をしながら、

「はじめまして。わたしはイリヤ。イリヤスフィール=フォン=アインツベルン。

 ユーイチとはちょっとした知り合いなの」

「アインツベルン……?」

 その少女――イリヤの名乗りに対し、壁にもたれかかっていた緋皇宮神那が疑問の声を挙げた。

「……アインツベルンって、フェイト王国の……?」

 陽司も、微かに聞き覚えがあった。

 アインツベルンは何かの研究の権威だったはずだ。そう、確か……

「あら、知っている人がいたのね。驚きだわ。

 それともそれは魔導生命体であるからこそ、かしら?」

 当然のように正体を看破され、神那の眉が跳ねる。

「気付かないとでも思った?アインツベルンは魔導生命体の原点であるホムンクルス技術を提唱した家系。

 その姓を継ぐわたしが魔導生命体に気付かないわけがないわ」

 そう当たり前のように話すイリヤは、神那の反応に興味も示さず視線を外し、

 笑みを作って杏に向かって語りかける。

「でも、いまはこんな話をしている場合じゃないでしょう?

 いろいろと……差し迫っている状況があるんじゃない?」

 先程の戦闘を知っているような口振りだ。

 傍観していたと取れる。つまり―――敵でも味方でもない?

 しかし、それならば此処に侵入してきた理由が分からない。

 それにクラナド軍ではないと考えるのも早計だ。

 警戒を維持しつつ、陽司は状況の推移を見守る。

 注視する陽司の視線の先、杏が口を開いた。

「……なら、まずはあなたがここに来た目的を教えてくれない?」

 質問としては妥当なものだろう。

 答えが返ってこれば敵味方の判別もつく。返ってこなくとも、言い回しで何らかの情報は得られる。

 その意図に気付いたのか、イリヤは薄く笑い、

「良い指揮官さんね。最初からあなたが指揮をしていればあんな結果にはならなかったんじゃないかしら?」

「っ……!」

 美汐が顔を歪める。

 暗に美汐のことを貶める発言。プライドの高い美汐には耐え難い屈辱だろう。

 しかしこの発言から分かったことが一つ。

 イリヤは先程の戦闘の一部始終を何処かで見ていながら、介入するつもりは全く無かった。

 ならばクラナド側ではない。カノン側でもない。完全な第三者としてこの状況を見ている。

 だが敵でも味方でも無いならば何の目的で中心部まで侵入してきたのか。

 その疑問に応えるように、イリヤは年相応の悪戯っぽい顔で、

「あまりにも不甲斐ないから……手伝ってあげようかな、って思ったのよ」

 再度静まり返る陣の中。

 皆の顔には一様に困惑が浮かんでいる。

 当然だ。見も知らぬ人間が突然協力を申し出たら喜ぶ前にまず疑う。

 それにこれ以上無い程の劣勢に、いかな実力者とて一人の魔術師が参戦してどうなるというのか。

 改めて気配を探ってみるが、それほど強大な魔力も持っている気配も無い。

 そんな中、杏が問いを放つ。

「……あなたは先程の戦闘を見ていたのよね?」

「ええ。カノンに向かう途中、戦闘の気配がしたものだから。

 ついでにユーイチの部下がどんなのか見ておこうと思って」

「なら、そう簡単に覆る戦況じゃないことも分かってるわよね?

 それとも……何か策でもあるの?」

「策なんて無いわ」

「……はい?」

 ぽかんと口を開ける面々。

 その様子がおかしいのか、イリヤがくすりと笑う。

「―――ねぇあなたたち、聖杯戦争って知ってるかしら?」

「……聖杯、戦争?」

 顔を見合わせる。

 どうやら、全員知らないようだ。陽司も名前すら聞いたことがない。

「知らないみたいね。

 なら、そこから説明しておく必要があるかしら」

 こほん、と咳払いをし、訥々と語り始める。

「……聖杯戦争とは、名の通り聖杯と呼ばれるアイテムを巡って起こる戦争。

 聖杯とは、魂を糧にその性能を上げる願望器。如何なる願いをも叶える『万能の釜』、『望みを叶える奇跡の杯』。

 参加資格は、サーヴァントと呼ばれる過去の英霊を召喚すること。召喚主はマスターと呼ばれるわ。

 全てのマスターが召喚を行い、聖杯戦争の監督役が宣言することで始まる。

 勝ち残った一人が聖杯を手に入れ、願いを叶えることができる。

 物質としての『聖杯』に本体たる霊体としての『聖杯』が宿ることで、聖杯は初めて意味を持つ。

 聖杯戦争はこの儀式としての役割もあるわ。霊体の聖杯には同じく霊体のサーヴァントでないと触れられないし。

 負けた英霊の強大な魂は聖杯に吸収され、聖杯の性能を上げる。

 良く出来ているでしょう?
 
 ……さて、何か質問はあるかしら?」

 長い台詞に疲れたのか、ふぅ、と一息ついてから陣の中を見回すイリヤ。

 語られたのは非常識な催し事の内容。

 英雄を召喚し、何でも願いが叶う器を巡って戦う。創作物語のような話だ。

 少々迷った末、陽司は壁にもたれたまま手を挙げた。

「過去の英雄を呼び出して戦わせるなんて、相当な激戦になりますよね?

 俺はそれなりに色々な国を回って文献を読んだりしましたが、聖杯戦争なんて聞いたことがありません」

「ふぅん……あなた、フェイト王国を訪れたことは?」

 首を横に振る。アザーズ大陸各地やアリス大陸には行ったことがあるが、タイプムーン大陸には行ったことがない。

「なら、知らなくても仕方ないわね。高名な魔術師でも知らないことがあるくらいだから。

 それに、戦闘自体は激しいものとはいえ人数は手の指で足りるほど。そう目立つものではないわ」

 例外的にフェイト王国では有名な話なんだけどね、とイリヤは呟く。

 得心して陽司が頷くと、今度は一弥が手を挙げた。

「聖杯戦争については分かりました。

 ……しかし、その戦争と今の状況と、何の関係が―――」

「……あなた、もしかして……」

 イリヤが返答するより早く、杏が何かに気付いたように口を開いた。

 その杏の言葉を聞いて、イリヤは笑みを深め、

「ええ、多分お察しの通りよ、指揮官さん。

 ……わたしは、近く開催される第五次聖杯戦争のマスター。

 既にサーヴァントの召喚も済んでいる、正式な参加者よ」

 その言葉に十人十色の驚きを見せる面々を愉快げに見回して、

 再度問い掛ける。

「……さぁ、手伝いは要るかしら?」























 クラナド部隊接近の報告を聞き、カノン軍はエフィランズ西に横長の隊列を組んだ。

 現状数で圧倒的に勝るクラナドに対して薄く広がるという最悪の形だが、エフィランズ防衛を考えればこれ以外の対応は取れない。

 圧倒的不利な状況にも関わらず、カノン軍兵士には戦意が満ち満ちている。

 イリヤの申し出を容れたことによる戦力の増強は既に全兵へ伝わっているが、

 未だ誰も……現在指揮を執っている杏ですら、件のサーヴァントを見てもいない。

 曖昧な情報による士気の上昇なんて高が知れている。

 ならばこれは、兵士一人一人の国を想う心からなのだろう。

 良い国だ、と陽司は改めて思う。

 そんなことを再確認している内に、視力増強の呪具を身に着けた歩哨から部隊接近の報が為される。

 程なくして肉眼でも人の群れが見え始め……互いの声がギリギリ届く位置で、止まった。

 先頭に立つ坂上智代が言葉を放つ。

「エフィランズの砦で篭城戦でも行ってくると思ったんだが……カノン軍は勇猛だな?」

 愚策だ、と言わんばかりだ。

 だがこちらとて何の考えもなしにいる訳ではない。

 臨時指揮官の杏が小さく嘆息し、

「エフィランズの砦は東寄りにあるからね。西から進軍してくるあなたたちに使えるわけないでしょう?

 街をただで明け渡すつもりなんかないし……それに、街民のことを考えれば極力街での戦闘は避けたいしね」

「良い心がけだな。だが、そのためなら負けも厭わないというのか?」

「負ける気なんてないわ」

 言いながら、杏が智代に気付かれないよう隣へちらりと目配せする。

 それに反応し、杏の隣に立っていたイリヤが前へと進み出た。

 智代が眉を顰める。見覚えのない人物がいることにか、とても戦闘要員には見えないことにか、その両方か。

 そんな智代を気にすることなく、イリヤはスカートの裾をつまみ、高貴な生まれを思わせる動作で頭を垂れる。

「はじめまして、クラナドの皆様。わたしはイリヤ。イリヤスフィール=フォン=アインツベルン」

 場違いとも思えるイリヤの素振りに対し、しかし智代は何かを感じたのか表情を引き締め、腰から剣を抜いた。

「敵に対し自己紹介とは随分と余裕だな」

 すぐに動けるよう戦闘態勢をとる智代に対し、イリヤは何の構えも取らない。

「あら? たとえ敵でも自己紹介は礼儀だと思うわ。それに、手向けでもあるし」

「手向け?」

「だってそうでしょう?」

 イリヤの余裕の微笑みが、歪み―――邪悪さを漂わせる微笑みとなり、

「――これから殺される相手の名前くらい知ってないと、死んでも死にきれないでしょうから」

 言葉と同時、一帯を邪悪な気配が包んだ。

 陽司が反射的にそちらへ顔を向けると……空中から巨人が現れ、大地を砕くところだった。

 いや、巨『人』と呼んでいいのかどうかも躊躇われる化け物だ。

 形は確かに人型だが、気配の禍々しさと異常さは到底人のそれではない。

 偶然にも近くにいたクラナド兵がその場にへたり込む。

 陽司は本能的に悟った。とんでもない気配と尋常ではない魔力。

 これは―――この場にいる誰一人として対抗し得ない、怪物だと。

「逃げ―――」

 同じようにこの怪物の異常さを感じたのだろう。智代が周囲へ撤退を命令しようとするが……遅すぎた。

「―――やっちゃいなさい、バーサーカー」

 マスターの命令に従い、巨人が形容しがたい咆哮と共に手にした大剣を振り抜いた。

 直撃を受けた兵士は潰され、断たれる。直撃を免れた者もその風圧だけで紙屑の如く吹き飛ばされる。

 一撃だけで止まる筈も無く、また別の集団、次の集団と屠っていく。
 
 大きさから相当な重量を持つであろうと思われる大剣を易々と、体勢を崩すことなく振り回す様は、
 
 まさに戦いに狂い果てた戦士と呼ぶに相応しいものだった。

 あまりの恐怖に叫び、喚きながらも未だ屠られていない兵士達が殺到するが、

 剣も弓も魔術も全てを身体で弾き返し、バーサーカーは殺戮を続ける。

「こ、こんな馬鹿なことが……!」

「うわぁぁぁぁ!」

「はは、ははは―――あはははははは!」

 兵士達は理性と本能の両方で悟った。

 この敵は自分達には絶対に倒せず、このまま戦っても駆逐されるのみなのだと。

 バーサーカーの間近にいた幾つかの者は絶望と恐怖に狂って笑いながら崩れ落ち、他の全ての者は背中を向けて逃げ出した。

 だが―――圧倒的な殺戮者は、それすらも許さない。

「逃がすと思ってるの? ……バーサーカー」

 イリヤの言葉に、バーサーカーが再び吼える。

 その巨体からは想像もつかない身軽さで一跳びに逃げる兵士達の正面に回り込むと、振り向き様に一閃。

 兵士達は逃げ道を塞がれ、また先程と同じ光景が展開する。

 何もかもが違い過ぎる。逃げられず、攻撃は通じず、しかしバーサーカーの一撃は兵士を容易く肉片へと変える。

「くっ……そぉ……!」

 絶対的な死の象徴として君臨するバーサーカーを前に身動きが取れなかった智代が、気合で自分を奮い立たせて駆ける。

「これ以上は、やらせん……!」

 圧倒的な速度とリーチを誇るとはいえ、バーサーカーの獲物は剣。攻撃の死角は存在する。

 智代はそこに飛び込み、無防備な胴体に『陣ノ剣』で斬りかかる。

「!」

 聖剣である『陣ノ剣』での攻撃。しかしバーサーカーは単なる皮膚でそれを弾き返す。

 特殊な技ではない普通の斬撃とはいえ、魔力の使用も無しにこれとは尋常な防御力ではない。

「無駄よ。その程度の攻撃ではバーサーカーに傷一つ付けられないわ」

 その言葉通りの結果に智代は一瞬目を見開くが、すぐに別方向へ駆け出す。

「ならば―――狙うべきは……お前だ!」

 バーサーカーとは逆……イリヤの方向へ。

 イリヤとバーサーカーの関係を看破したわけではないだろうが、バーサーカーがイリヤの指示に従っているのを見ての行動だろう。

 指揮者を倒せば止まる。当然の判断だ。

「本気でそんなことができると思ってるなら……まだバーサーカーの実力がわかってないわね」

 瞬間、兵士達を屠っていたバーサーカーの姿が消えた。

 いや、消えたのではない。高速で跳躍し、イリヤと疾駆する智代の間に割って入ったのだ。

 そのままの勢いで剣を振り下ろし、不意の一撃に智代は吹き飛ばされる。

 五体満足なところを見ると、防御には成功したのか。しかし手足はガクガクと震え、剣を支えにようやく立ち上がる。

「バーサーカーの一撃を受けきった……。あなたの技術も、あなたのその剣も、なかなかみたいね」

 バーサーカーの一撃は強力ではあるが単なる打撃だ。何の魔術的要素も無しにこれだけの一撃を放つバーサーカーは脅威だが、それ故に聖剣を破壊するには至らない。

 だが、智代は人間。あれだけの衝撃に対し骨折も無いことは賞賛に値するが、身体がついてこないようだ。

「でも、これでわかったでしょう? わたしを狙うことの無意味さを」

 あの距離から一瞬で割り込み、一発受け止めるのが精一杯な攻撃を連発するバーサーカー。この英霊が存在する限り、何人たりともイリヤに触れることは叶わない。

「……いや、これで良い」

 しかし智代は笑う。

 予想外の反応に怪訝な顔をするイリヤだったが、陽司は既に気付いていた。

 ……目視できるギリギリの距離まで逃げたクラナド軍の姿に。

 自分を囮に兵士達を逃がす。バーサーカーが来なければそのままイリヤを倒す。主を失った使い魔は無力化され、撤退は叶う。

 これはそういう作戦だったのだ。

 注意深く周りを窺ったイリヤも、すぐにその意図に気付いた。

「……なるほど。これがあなたの狙いだった、というわけね。
 けど……あなたは助からない。違う?」

「さて……どうだろうな」

 一人残った智代。一般兵相手なら百人相手にしても殿を務め上げるだろう実力者でも、スピード・火力共に圧倒的に勝るバーサーカー相手では到底逃げ切れるとは思えない。

 それでも智代は剣を構えた。瞳には決意の炎。それは死ぬ覚悟ではなく……何としても生き残る、という意思だった。

 どんな方法を以ってそれを果たそうというのか。陽司の心中の疑問に、智代が答える。

「簡単だ。……私の知る中で最も強い技をぶつけるだけだ」

 そう言って、智代は剣を大きく一回転させる。その剣線は僅かに光の軌跡を残し、魔法陣となる。

「我は結ぶ者」

 言葉と告げるとその魔法陣は上下二つに別れる。

 魔力を使用し、詠唱と思しき宣言。魔術かとも思うが、剣士である智代の奥の手が魔術というのも妙だ。なら剣技とも考えるが、こんな剣技は見たことが無い。

 興味深く見る陽司の視線の先で、智代が強く大地を蹴った。

 見上げるほどに高々と宙を舞う。

「地より来たれ漆黒の雷」

 下の魔法陣から黒き雷が『陣ノ剣』に舞い上がり、

「天より来たれ純白の雷」

 上の魔法陣から白き雷が『陣の剣』に振り落ちる。

「我が剣は陣。天と地を結ぶ世界にして全てを平に還す剣なり!」

 坂上の属性は雷。それを剣に集めるということは、これは剣技の一種か。恐らくは坂上に伝わる技なのだろう。

 地と天、白と黒という対極の二種を呼び、一つに結んで力とする。

 そこまで考えたところで、何かが陽司の記憶に引っ掛かった。

「受けてみよ! 我が坂上に唯一伝わるこの奥義をッ!」

 『陣ノ剣』を中心にして、白黒の巨大な雷剣が形成されていく。

 そして感じる大量の魔力。

「対極にあるものを、一つにして……?

 っ!いけない、それを食らったら駄目だ!」

 反射的に叫ぶ。思い出した。

 対極に位置する二属性を合わせて発動する、その神秘。

 本来なら消える筈のそれが強力無比な力となるその不可思議。

 それは―――対消滅。

 同属性の中の二種であるから本来より威力が劣る可能性はあるが、十分に脅威だ。

「っ!? バーサーカー!」

 気付いたわけではないだろうが、純粋に込められた大きな魔力を警戒してか慌ててイリヤがバーサーカーに指示を出す。

 構わず、智代はバーサーカーに向かって突っ込んだ。

 対するバーサーカーは初めて迎撃の為に剣を振るう。

「■■■■■■■■■■■■■――――――――――ッ!!」

「おおおおおお……! 天地雷光陣 ――――――ッ!!」

 白黒の剣と無骨な大剣が激突し、莫大な閃光を撒き散らした。

 一瞬の後に、続けて爆音と衝撃波が周囲を襲う。

 砂埃に視界を遮られ、反射的に目を覆う。

 結果は、と目を凝らす皆の前でゆっくりと視界が晴れていく。

 完全にクリアになったそこには……火傷を負ったバーサーカーが立つのみだった。

 周囲に智代の姿はない。気配も無いから隠れているわけでもない。今の激突に乗じて撤退したようだ。

「へぇ……。すごいわね、あの人。

 まさかバーサーカーに傷を付けた挙句に逃げ切るなんて。さすがは一国の騎士団長、ってところかな」

 感嘆するイリヤの言葉には同感だ。強固なバーサーカーの肉体に傷を付けることも、この状況下で無事に逃げ切ることも容易なことではない。

 実力もさながら、その判断力と決断力は見事の一言だった。

 危機を切り抜けたことに安堵したのか、杏が息を吐いた。

「とりあえず、クラナドを退けられたのだから良しとするわ。ありがとう、イリヤ」

「良いのよ。わたしはユーイチに恩を返したかっただけなんだから。……もういいわよ、バーサーカー」

 イリヤが命じると、バーサーカーは霞のように消え去った。

 正確には消えたわけではなく見えなくなっただけらしいのだが、気配も何も感じないので消えたようにしか見えない。

「……これが英霊……聖杯戦争のサーヴァントの力……」

「そうよ。驚いた?」

 思わず杏が呟いた言葉に、イリヤは玩具を自慢する子供のように無邪気に笑った。

 こんな化け物を何人も動員して行う聖杯戦争とは、一体どれほどのものなのか。想像するだに恐ろしい。

 そんな心中も知らず、イリヤはくるりと振り返って歩き出した。

「さ、行きましょう」

「行くって、どこに?」

 そんな疑問にイリヤは振り返り、何を言っているのかという顔で言った。

「どこって……カノンに戻るんでしょう? わたしも早くユーイチに会いたいもの。撃退できたならここにいる必要もないでしょう?」

 確かにその通り。痛手を負ったクラナドは一度本国に戻るだろうし、被害が大きいからすぐには攻めて来ない。

 更に言えば、バーサーカーが存在する以上、その対策が無い限り攻め込むのは愚策だ。

 だからこの場に留まる理由は無い。急を要する負傷者だって多いのだ。

「……よし、撤収するわよ!」

 杏の撤退指示に、呆然とこれまでの戦闘を見ていた兵士達が動き始める。

 そんな中、じっとバーサーカーを見ながら何かを考えていた陽司が、ぽつりと呟いた。

「……使えそうだな」
























 あとがき


 こんにちは。月陰です。

 第二話から随分と経ってしまいましたが、私は元気です。たぶん。

 さて、今回は陽司と奈緒の関係〜エフィランズ防衛戦。後半はほぼ本編の焼き直しなので、多少省略しても良かったかなとは思います。

 奈緒は元お隣さん、現傭兵です。このお話のヒロインですね。残念ながら生き別れの恋人ではありません。現時点では。

 近接戦闘バカの陽司と違って魔術師タイプ。ちょっと特殊ではありますが。

 言われてた通り、魔術の適正は中々高いです。総合力としては頼子無しの美咲単体よりちょい上かな?

 そのうち戦闘もあります。お楽しみに。

 
 H23.8.30 ちょっと涼しくなってきた夏の日